井伏鱒二のレビュー一覧
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杉並区立郷土資料館に開高健展を見に行って、そこで井伏鱒二が主催していた阿佐ヶ谷将棋会のことが触れられている展示があった。
本書ではその会のことが書かれているほか、昭和2年から住んでいる昔の荻窪あたりの風景がたくさん描かれていて、大の大人が将棋したり、釣りをしたり、酒盛りしたり、読んでいて心楽しい。
関東大震災前までは荻窪で品川の船の汽笛や府中の祭囃子が聞こえたという話から始まり、ホンマかいなという内容も多いし、「盛りこぼし」とは〜みたいな細部のどうでもよい情報や、周囲の文学窶れした青年たちの話も良い。周りの人はたくさん死ぬし、大工の棟梁にお金を持ち逃げされるなど酷いことも多いのだけど、大らかにのんびり構えている距離感がよい。
資料的価値と文章の落ち着きが退屈さと紙一重になっていて、読み進めるのにだいぶん時間がかかった。 -
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ネタバレ作品の主人公である閑間重松、妻のシゲ子、姪の矢須子が全員善良な一般人であることにやるせなさを感じる。
終戦後に年頃になった矢須子の縁談がうまくいかないのは、原爆症を隠してると村内で噂されることが原因である。矢須子は叔父叔母に対しても謙虚に振る舞う一般的で優しい少女である。しかし実際に数年後発症し、被曝時近場にいた重松よりも先に衰弱してしまう現実が辛い。
原爆投下や終戦については歴史の授業で学んできたことだが、「黒い雨」を読み、本当にその時代に生きている人がいたんだよな、と改めて考えさせられた。
生々しい文章なのだが、事実を淡々と書く手法なので読んでて辛いことはあっても内容を理解しやすく読み進めやすかった。
当時の食生活も知らず、どんなコミュニティで人々が暮らしていたのかも知らなかったので、原爆直後の混乱を閑間がどう考えてその日その日を過ごしてきたかを知り、これ自体はフィクションであるけれど当時の環境はそれに近かっただろうと思うと、胸につまされる。
平和な世の中であってほしいと願うので、この小説が存在し続ける価値をとても感じた。機会がある人たち全員読んでほしいと思う。 -
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冒頭で主人公宇三郎の富山船長者丸での遭難とその後の彼の人生がかいつまんで紹介される。そして彼と越中東岩瀬村の船乗り仲間十人が遭遇した海難事故の顛末、漂流、漂着地での生活、帰還へと続く困難で絶望的な体験が展開される。
よくある漂流譚は、どうなるかわからず迫る災難に生きるか死ぬかのものが多いが、この話の宇三郎は故郷には帰らないが、最初の漂着地ハワイに戻りそこで結婚し子供にも恵まれそれなりの生涯をまっとうするということがわかっている。しかし、その時の彼らは荒天のなか舵の効かない水漏れ船で飢えに苦しみもがき抜く。登場人物たちの心の動き、その繊細で微妙な描写はそれぞれの人柄を浮かび上がらせ臨場感がある。
一人残った宇三郎は先の漂着し仮寓したウワフ島の時計職人から入婿を懇望され結婚する。一緒に生活した時の混血児の娘オイレンの彼への想いにつまされほっとして暖かいものが漲る。
筆者の億劫でついでに書くような何気ない文章は背後に何倍もの思いを感じ想像を楽しませる。
漂流中、兄の金六が責任を感じて自殺したり、五三郎や善右衛門が飢餓で死に、二人が帰還途中病気で倒れる。最終的に出航から十一年後、宇三郎を除く四人が厳しい鎖国体制下、当局の冗長極まる手続きを経て出身地の東岩瀬村に帰り着く。
宇三郎は帰還途中仲間とのいざこざがあり、故郷に帰らずオアフ島に戻ることになる。
彼は漂流中、貴重な生米のなかに見つけた糯米(もちごめ)の籾(もみ)一粒と八左衛門の生き形見の粳米(うるち)の籾一粒を神棚の引き出しに大事にしまう。それを漂着したところで蒔いて育てようと考えていた。
この種籾がこの物語のもう1人の主人公である。
漂着して最初に住んだオアフ島の時計屋親娘の家の庭に苗代をつくり種籾を蒔く。オイレンも一緒に覗き込む姿が想像できる。
本当に芽が出るか、発芽しても育つか、手入れはどうする、育ったあとはどうするのか、帰還のため一時はそこを捨てた宇三郎を尻目に、気を揉むこと頻りであった。
宇三郎や仲間たちが故郷に帰るために数奇な運命にさらされている間、種籾のことはまったく知らされない。しかしその間も、この種籾は着実に生命の息吹を育みすくすくと成長していた。それを知った時の気持ちは何とも言えない。
だからといって、その後の稲栽培を格別何とかするわけでもない。あくまでも何気ない文章の淡々とした書き振りなのだ。
筆者十年後の作品『黒い雨』を読んだ時の原爆症に怯える姪と叔父夫婦の命の儚さへの愛惜を思い出す。
それがこの作品ではふた粒の種籾に仮託される。
逆境に映える儚い命への賛歌は心を揺さぶり生きる希望を呼び起こす。
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どのお話も結局何が言いたいんだろう、、、とかなり考えさせられる。考えさせられるからこそ面白かった。
山椒魚は閉じ込めたはずの敵が、亡くなる最後になって“今でも別に君のことを怒ってはいないんだ”という言葉を受けて初めて実は自分の一番の理解者であったことに気付いて、その言葉に心が救われたのかな、、と解釈することにした。
色々短いお話があったが、他に印象に残るのは、朽助のいる谷間。
最近ニュースで雨が降らないため干上がりダムに沈んだ昔の村が出現するというのを見たが、この物語がちょうどダム開発のために朽助が村を離れる話だったから、リンクして思い出した。 -
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幼少期に読んだ以来に再読。
相変わらず現実とファンタジーの狭間で面白い。
鳥を使った郵便局なんてファンタジーでしかないけど、実際にあったらなんて素敵だろう。
ドロンコのために島を作るところもなかなか浮かばない発想。
動物たちは偉大なドリトル先生への尊敬だけで手を貸すけど、そのうち手伝わない動物が出てきても面白そう。
読んでいて大人の目線で気になるところについて、後書きの方が触れていたのが新鮮だった。
ドリトル先生はきっと割り切っているのかも。
自分も生きるために肉食だし、人間は家畜を食べるし、動物同士の食物連鎖もあるし。ただ通りかかった町で闘牛をやめさせるとか、通りかかった国の郵便局を改善するとか、手の届く範囲でより良くしようとしてるんだね。
わりと現実的だと思う。 -
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井伏鱒二の太宰に関わる文書をまとめた本。なので内容に重複も見られるけど、生きてる太宰を感じられて、よい。
照れくさく髪をかきあげる太宰や、太宰の葬式に泣く井伏鱒二、その時代に確かに生きていた人たちの記憶や記録がぼんやりと生きてた頃の太宰を感じさせてくれる。
ほんと、生きて、話して、動いて笑う太宰治を見てみたかったな。
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太宰治から「会ってくれなければ自殺する」という手紙を受けとってから、師として友として、親しくつきあってきた井伏鱒二。井伏による、二十年ちかくにわたる交遊の思い出や、太宰の作品解説を精選集成。「あとがき」を小沼丹が寄せる。中公文庫版では井伏の没後に節代夫人が語った「太宰さんのこと」を増補。 -
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確かに文豪が書いた傑作だ。
8/6新聞コラムでこの作品のことを知った。
書店の推薦棚に並ぶのを見て購入。
読み出すと僅かの前振りもなく広島の原爆投下の阿鼻叫喚地獄に引き込まれる。
筆者の渉猟した悍ましい痕跡の数々が痛切を極め、
想像を超えた現実が読者にひたひたと覆い被さる。
臨場感溢れる表現で当該地生活者の得体の知れない恐怖と不安、不条理な絶望を活写する。
広島市内に住む中年夫婦と適齢期の姪の話だ。
彼女は勤労動員中で被爆は避けたが、中心部で直撃された女学生奉仕隊にいたと噂され、見合いの度に原爆症を疑われ破談する。
夫婦は預かっている責任を強く感じ、姪の健康を証明するため原爆投下日以降8月25日までの彼女の日記と自分の記録を清書して見合いの時に交わす健康診断書に添えることにする。
実際に経験したことに見聞きしたことや伝聞も交えた「原爆体験記」である。
赤裸々な描写で読者も渦中に叩き落とされる。
「道端の大きな防火用水タンクに三人の女が裸体に近い格好で入って死んでいた。‥‥逆さになった女の尻から大腸が長さにして三尺あまりも吹き出して、径三寸余りの太さに膨らんでいた。それが少し縺れを持った輪型になって水に浮かび風船のように風に吹かれながら右に左に揺れていた。」
「男が仰向けに倒れて大手をひろげていた。顔が黒く変色しているにもかかわらず時おり頬を膨らませ大きく息をしているように見える。目も動かしているようだ。僕は自分の目を疑った。怖る怖るその骸に近づいて見ると、口から鼻から蛆虫がぽろぽろ転がり落ちている。眼球にもどっさりたかっている。蛆が動き回るので目蓋が動いているように見えるのだ」
・・・。
戦争文学とりわけ原爆文学の代表作である。
思想やイデオロギーを超えて、細かい丁寧な描写で被爆の実相を恐ろしいほどリアルに伝える。異常が発症しても病名も対処療法もわからない恐怖、同情から差別に変わる周りの目、地獄の淵を彷徨いながら絶命した人、夥しい直爆死の骸・・・。
しばらくして、黒い雨を浴びた姪は原爆病が発症する。不安に耐え医師を変え苦しみながら治療する。
夫婦は奇跡的に回復した人の話に一縷の望みを託して彼女の闘病を助け、必死にもがく。
原爆や原発について更に考えさせる重い小説だ。