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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白くて驚いた。
いくつか井伏鱒二の作品を読んで、この日常のささやかな(わりと退屈な)出来事を描写する感じと、原爆という重いテーマがうまく結びつかなかったけど、原爆投下後も続く平凡な市民の日常を書いている感じがすごかった。
ハーシーのルポはある種ヒーローもののような活躍をする人物が出てくるが、本作の主人公は原爆投下によって原爆症を負いながらわりと平凡な日常を続けている、このリアルさ。
死者を河原で火葬することを役所が黙認することになり、工場長の命で、お経を唱えることになる。近くの寺でお経を写させてもらって、できるだけのことはやる。
・夕方ちかくなると、三人も四人も死亡者が出た。はじめの一人二人の知らせのときは「閑間さん、すみませんがお経を頼みます」と云って来たが、次第にぞんざいになって来て「閑間さん、葬式ですから来て下さい」と云うようになった。僕もいつとはなしに、自分でもそう云ってもらった方が気が楽だと思うようになっていた。
なんか、この感じがすごく面白い。
・戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。
「戦争」や「原爆」は政治的な意味合いが色々付いてしまって、もはや実感できるものとして指摘できる実体がない。そこで、井伏鱒二は「戦争」はこういうこと、「原爆」はこいうこと、ということを具体的に描いているように思う。
姪の縁談のために自分の日記を清書し始めたが、縁談が破綻になったあとも最後まで清書するという、もはやよくわからない構成だが、よく残してくれたと思う作品だった。
Posted by ブクログ
1945年8月6日〜15日の広島を、そして戦後の被爆者の生活を、あくまでも「日常」を描いている。
生々しすぎて途中途中でウッとなってしまった。
一瞬にして全てを奪い去られた人々。恐怖とか怒りとかそんな感情も抱く暇も与えられずに無数の罪なき人が亡くなったという事実。
「抑止力」としての核開発が世界中で進んでいるが、全くもって広島と長崎の出来事は他人事なんだなと。
被爆国として核の恐ろしさを伝える不断の努力を国家レベルで継続していかなければいけない。
日本人たるもの原爆ドームは絶対に目で見ておかなければならないと改めて思わされた。
(飯美味そうだし普通に広島には行きたい)
Posted by ブクログ
他の戦争映画に比べて、心がひどく痛むことがなかったのが不思議。自分の想像力が貧困なせいなのか。
一般市民の日常風景が淡々と描かれていて、やたらと戦争を非難する書き方はされていない。
重松が泣いたり喚いたりすることなく、原爆前と変わらず性格がぶれることなく、生活を続けているからだろうか。その点は、妻シゲ子も矢須子も大袈裟に悲惨な顔はしていない。
壁にかかった「撃ちてし止まん」が虚しさの象徴に思えた。広島長崎の人たちは終戦のラジオ放送を呆然と聞いただろう。安心と不毛な気持ちがごちゃ混ぜになったような。
“もう負けていることは敵にもわかっていたはずだ。ピカドンを落とす必要はなかったろう”
そのとおりだと思った。
原爆や戦争のことを今まで何も知らなかったので、原爆がどんなものなのか、戦時下の軍の統制、市民の食事など細かい生活事情が知れて勉強になった。
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小説・文芸
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