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Posted by ブクログ
広島に原爆が投下されてから数年後のこと、矢須子という女性が原爆病にかかっているという流言から結婚の話に破談が続く。それを払拭すべく、矢須子の叔父・重松が原爆投下から終戦までの10日間の被爆日記に書き留めていく。
しかし、10日間の間で黒い雨に打たれたり、原爆投下直後の広島の街中を息も絶え絶えに歩く中で怪我もする。しばらくそのことについては横に置かれたまま話が続いていくが、日記の清書中に矢須子に原爆病に罹患していることが分かる。その瞬間は「ゔっ…」と思わず唸ってしまった。
「それにしてもピカドンが落ちる前に降伏することは出来なかったのか。」
80年経った今を生きる自分もそう思う。こういうことを言うのは結果論であると分かっていても言いたくなる。判断が早ければ…と考えてしまう。
物語は矢須子の生死を完全に伝えずに終わる。
矢須子、生きていてくれ。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白くて驚いた。
いくつか井伏鱒二の作品を読んで、この日常のささやかな(わりと退屈な)出来事を描写する感じと、原爆という重いテーマがうまく結びつかなかったけど、原爆投下後も続く平凡な市民の日常を書いている感じがすごかった。
ハーシーのルポはある種ヒーローもののような活躍をする人物が出てくるが、本作の主人公は原爆投下によって原爆症を負いながらわりと平凡な日常を続けている、このリアルさ。
死者を河原で火葬することを役所が黙認することになり、工場長の命で、お経を唱えることになる。近くの寺でお経を写させてもらって、できるだけのことはやる。
・夕方ちかくなると、三人も四人も死亡者が出た。はじめの一人二人の知らせのときは「閑間さん、すみませんがお経を頼みます」と云って来たが、次第にぞんざいになって来て「閑間さん、葬式ですから来て下さい」と云うようになった。僕もいつとはなしに、自分でもそう云ってもらった方が気が楽だと思うようになっていた。
なんか、この感じがすごく面白い。
・戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。
「戦争」や「原爆」は政治的な意味合いが色々付いてしまって、もはや実感できるものとして指摘できる実体がない。そこで、井伏鱒二は「戦争」はこういうこと、「原爆」はこいうこと、ということを具体的に描いているように思う。
姪の縁談のために自分の日記を清書し始めたが、縁談が破綻になったあとも最後まで清書するという、もはやよくわからない構成だが、よく残してくれたと思う作品だった。
Posted by ブクログ
1945年8月6日〜15日の広島を、そして戦後の被爆者の生活を、あくまでも「日常」を描いている。
生々しすぎて途中途中でウッとなってしまった。
一瞬にして全てを奪い去られた人々。恐怖とか怒りとかそんな感情も抱く暇も与えられずに無数の罪なき人が亡くなったという事実。
「抑止力」としての核開発が世界中で進んでいるが、全くもって広島と長崎の出来事は他人事なんだなと。
被爆国として核の恐ろしさを伝える不断の努力を国家レベルで継続していかなければいけない。
日本人たるもの原爆ドームは絶対に目で見ておかなければならないと改めて思わされた。
(飯美味そうだし普通に広島には行きたい)
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