あらすじ
一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨”にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。野間文芸賞受賞。
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Posted by ブクログ
渡辺謙さん朗読のオーディブルが素晴らしい。最初から最後まで淡々と静かに読み進められ、その淡々さが恐怖を増します。広島原爆被曝者が長期間にわたり重症に耐え、生き延びる意志を持ち続けたことに感銘を受けました。あの時代を生き抜いた日本人は本当にたくましく賢明でした。私たちもどんなに辛くても、生きたいという希望を持ち続けなければと感じました。
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戦争の恐ろしさ、原爆の惨たらしさ。
じっくりと読み進めながら、私の想像力では到底及ばないほどの凄まじい光景だったのだろうと思う。
「何もかも情けない。」という一文が、戦争の全てを物語っているような気がした。
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audible 。井伏鱒二のこの本、いつか読もうと思っていたが渡辺謙が朗読するとわかって飛びついた。
想像以上の内容だった、これまでに読んだノンフィクション、フィクション、広島平和公園の資料館で見た数々の展示品、被爆者の語りなどなど、自分が受け止めていたことをすべてひっくり返すほどの衝撃だった。
原爆や戦争の真実を知りたい人、この1冊できっとわかります。それほどの作品だ。
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全世界の人に読んでほしい本でした。こんなことを繰り返してはいけない。読み終わった後、なんとも言えない、言葉にならない気持ちになって泣けてきました。全世界が平和になってほしい。
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人々は暮らし、生きている。その影から付き纏い、引き裂き、壊し、奪っていく戦争。井伏鱒二氏の文章の書き方から、「人が生きる日常の中に起こっていたことだ」と痛いほど感じた。
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★五つです
『白紅、日を貫く』、、、こんな虹は見たくないてす。
井伏さんの作風なのか淡々と話が進み、悲惨な情景がサクサクと描かれ、話が先に進みます。
とはいえ、映画やドラマなどより、井伏さんの描かれる文字の方が悲惨さが伝わります。
玉音放送を聴いている姿は過去映像で観ますが、聴いた直後などは観たことがないので、当時の情感が伝わります。
戦争はダメ
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他の戦争映画に比べて、心がひどく痛むことがなかったのが不思議。自分の想像力が貧困なせいなのか。
一般市民の日常風景が淡々と描かれていて、やたらと戦争を非難する書き方はされていない。
重松が泣いたり喚いたりすることなく、原爆前と変わらず性格がぶれることなく、生活を続けているからだろうか。その点は、妻シゲ子も矢須子も大袈裟に悲惨な顔はしていない。
壁にかかった「撃ちてし止まん」が虚しさの象徴に思えた。広島長崎の人たちは終戦のラジオ放送を呆然と聞いただろう。安心と不毛な気持ちがごちゃ混ぜになったような。
“もう負けていることは敵にもわかっていたはずだ。ピカドンを落とす必要はなかったろう”
そのとおりだと思った。
原爆や戦争のことを今まで何も知らなかったので、原爆がどんなものなのか、戦時下の軍の統制、市民の食事など細かい生活事情が知れて勉強になった。
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戦時中であれ存在していた「日常」を原爆は無残にも奪い去った。日記形式で語られる被爆後の広島の様子はとても惨い。
閃光は一瞬だが、戦後数年経っても日常を侵し続け、黒い雨を浴びていた主人公の姪はついに原爆症を発病してしまう。
主人公が虹に祈りを託す場面で物語は幕を閉じる。姪はその後どうなったのだろう。悲しい運命の想像ばかりが頭を過る。
市井の人の視点且つ、抑えた筆致だからこそ余計に悲惨さが伝わるし、反戦の直接的な表現が無いにも関わらず、作者の抱く怒りや悲しみが全体から浮かび上がる。原爆の恐ろしさを今に訴える不朽の戦争文学だ。
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戦争文学としてあまりにも有名な井伏鱒二の『黒い雨』
戦後80年だしと思ってようやっと手を出したのであった。小学校のころから知っていた作品だけど『黒い雨』というタイトルが禍々しすぎてずっと読まずにいた
『黒い雨』を読み、戦争の終わりが必ずしも平和の始まりではないことを痛感した。原爆投下の惨状は、日記を書き写すという形で再現され、過去の記録と現在の生活が交錯しながら物語が進む。その構成が出来事の記憶とその影響がなおも続いていることを強く印象づける。被爆による病や偏見、婚姻問題など、原爆が奪ったのは命だけでなく、人としての未来そのものである。これからも日本が唯一の被爆国であるべきだと強く思う。同じことを他の国の人たちは経験しないでほしいし、する必要は絶対にない
2024年ノーベル平和賞には日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が受賞した。それほどまでに核兵器は脅威と恐怖の象徴であり、「核兵器のない世界の実現を目指して尽力し、核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて身をもって示してきた」活動が受賞に値する活動であることを認められた
核兵器は廃止されるべきだし、核兵器禁止条約に署名するべきだと思う。過去の悲劇として片づけず、今も問いかけ続ける一冊である
Posted by ブクログ
広島に落とされた原爆のさなかに居た、庶民の悲惨な姿を丁寧に描写された文章が、とても素晴らしい。
かと言って決して希望を見失わない情景もあり、余計に悲しさを誘うものであると、感じられました。
戦争文学の頂点とも言える作品に仕上がっているのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
8月6日の原爆投下の瞬間から、主人公だけでなく様々な被爆者たちから語られた想像を絶する惨状に言葉が出ない。8月6日以降広島の街がどんな状況だったのか、そこに住んでいた人々は死者から生き残った人々までがどのような苦しみを味わったのか、戦争を知らない私が初めて知る市井の人々の生の声が記されていた。平和記念資料館では隅から隅まで資料を熟読した訳ではないが、そこだけでは知り得ない当時の人々の暮らしも詳細に書かれている。悲惨という言葉では言い表せないほどの死体の山の描写に、感覚が麻痺してうまく想像も働かなかった。
原爆症の症状が出ていなかった矢須子の縁談が反故にされるなど、目に見える症状だけでなく日本人同士での差別も生み出され、原爆は想像よりも遥かに甚大な被害をもたらしていたことを知る。原爆症についてはほぼ知識がないため、関連本も併せて読んでみたい。
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確かに文豪が書いた傑作だ。
8/6新聞コラムでこの作品のことを知った。
書店の推薦棚に並ぶのを見て購入。
読み出すと僅かの前振りもなく広島の原爆投下の阿鼻叫喚地獄に引き込まれる。
筆者の渉猟した悍ましい痕跡の数々が痛切を極め、
想像を超えた現実が読者にひたひたと覆い被さる。
臨場感溢れる表現で当該地生活者の得体の知れない恐怖と不安、不条理な絶望を活写する。
広島市内に住む中年夫婦と適齢期の姪の話だ。
彼女は勤労動員中で被爆は避けたが、中心部で直撃された女学生奉仕隊にいたと噂され、見合いの度に原爆症を疑われ破談する。
夫婦は預かっている責任を強く感じ、姪の健康を証明するため原爆投下日以降8月25日までの彼女の日記と自分の記録を清書して見合いの時に交わす健康診断書に添えることにする。
実際に経験したことに見聞きしたことや伝聞も交えた「原爆体験記」である。
赤裸々な描写で読者も渦中に叩き落とされる。
「道端の大きな防火用水タンクに三人の女が裸体に近い格好で入って死んでいた。‥‥逆さになった女の尻から大腸が長さにして三尺あまりも吹き出して、径三寸余りの太さに膨らんでいた。それが少し縺れを持った輪型になって水に浮かび風船のように風に吹かれながら右に左に揺れていた。」
「男が仰向けに倒れて大手をひろげていた。顔が黒く変色しているにもかかわらず時おり頬を膨らませ大きく息をしているように見える。目も動かしているようだ。僕は自分の目を疑った。怖る怖るその骸に近づいて見ると、口から鼻から蛆虫がぽろぽろ転がり落ちている。眼球にもどっさりたかっている。蛆が動き回るので目蓋が動いているように見えるのだ」
・・・。
戦争文学とりわけ原爆文学の代表作である。
思想やイデオロギーを超えて、細かい丁寧な描写で被爆の実相を恐ろしいほどリアルに伝える。異常が発症しても病名も対処療法もわからない恐怖、同情から差別に変わる周りの目、地獄の淵を彷徨いながら絶命した人、夥しい直爆死の骸・・・。
しばらくして、黒い雨を浴びた姪は原爆病が発症する。不安に耐え医師を変え苦しみながら治療する。
夫婦は奇跡的に回復した人の話に一縷の望みを託して彼女の闘病を助け、必死にもがく。
原爆や原発について更に考えさせる重い小説だ。
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奥付は昭和45年初版、昭和57年30刷。国語の教科書に採用された作品と言うことで購入した記憶がある。同じ広島出身のこうの史代さんの作品を読んで「読まねば!」と思い立った。戦後、主人公・閑間重松の姪の見合い話が次々破談。それは、原爆症の女性かも知れないという憶測が生んだ悲劇だった。書名にもなった放射能を含んだ「黒い雨」や死の灰が、図らずも姪・矢須子の原爆症の引き金になるのだが、重松が姪の誹謗中傷を晴らすべく書いた被爆日記によって、広島の原爆被害の悲惨さを追体験する作品だった。
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戦争を題材にした小説で有名な作品、井伏鱒二さん著「黒い雨」
前々から、それこそ30年前から知っている作品だったが今回初めて読む事ができた。
調べてみれば1966年初刊との事、1945年8月が原爆•終戦の年なので、戦後20年に書かれた作品ということになる。
現在戦後80年、となれば約60年前の作品でありながら、投下された原爆のもたらした凄惨さ、生々しさ、人々の混乱、都市の壊滅状態等々が恐ろしくリアルに伝わってくる。
現実にあった惨劇だけに恐ろしい作品。
それこそ自分が生まれる前の惨劇なのに、人々の声が今まさに真に迫って聞こえるようだった。
現在のように事ある情報が瞬時に得られ、その情報やそれに関連する映像がたくさん残される時代ではなかった。それだけにこの作品の主人公である閑間重松が「被爆日記」と称して書き綴って残してくれたような当時の方々の被爆体験談等がとても貴重だ。原爆を語る上での貴重で価値のある文献史料になる。
著者はそれらの体験談を集め、この作品を書かれたとの事。今現在では貴重で崇高な著書だと思えるが、著者はこの作品を描く事は執筆当時、相当苦しい作業だったのではないだろうか?人々の苦しみや辛さを生々しく余すことなく描くということは、想像するだけで著者の心労を察せられる。
ただやはり、本作品のおかけで戦後80年経った現在を生きる自分達でさえ知りえる事ができている。
原爆によって被爆した人々の声、それは現在戦争を知らない自分達にとって、時が過ぎ戦争体験者が少なくなっている現在、生の声を聞ける事は多くない。ほぼ無いといってもいいくらい。そうなれば今後はこうした作品の価値が今よりももっと貴重なものになっていくだろう。
そうならば今後50年、100年と後世に残していかなければいけない作品だと疑う余地がない。
現代を生きる自分達において、こういう作品は各々の人生の中で読むタイミングやきっかけが必要な作品であることは間違いない。戦争という題材には誰もが好き好んで手を伸ばすといった大衆性という側面を持ち合わせてはいない。
だけど何かのタイミングやきっかけがあった時は迷わずに手にとるべき作品だろう。
自分が今回そうだったように。
多くの人の手と声で後世に繋いでいき、まだこの世に誕生していない後世の人々が何かのタイミングやきっかけがあった時に迷わず選べる作品であってもほしいと願う。
本書にはその価値が存在している。
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オーディブルにて。
8月に入り、終戦記念日に近づくにつれて増えるコンテンツの1つとして読んでみた。年に一度でも戦争について考えるこのような機会は必要だと感じた。
5月にイギリスに行った際、VEデーという終戦記念日があった。イギリスにとっては戦勝記念の晴れやかな日であること、ドイツ降伏の日である5月8日で定めているため、その後日本は3か月間も孤軍奮闘していたことに今更ながら衝撃を受けた。
本作の主人公が言うように、ピカドンが落とされる前に降伏できたのではないか、というのは本当にその通りだと思う。広島や長崎の人は原爆を落とされる必要があったのだろうか。あまりにも大きすぎる代償である。
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夏には必ず昭和の戦争を題材にした本を読むことにしている。
井伏鱒二「黒い雨」。映画にもなりました。
普通の市民の手記という形で被爆の状況やその後の悲惨な生活を綴る。
この歳にして今更のことではあるが、あらためてその恐ろしさ、愚かさを知る。
「原爆投下が戦争を終結させた」とか「核武装が最も安上がり」などと口走る方々に読ませたい。
Posted by ブクログ
息子の中学の課題図書として購入したためついでに読んでみました。
読んでいる間にちょうど広島出張も重なり広島の現地でこの作品を読むことが出来
80年近く前の広島に思いをはせました。
本当に市内は川が多くて橋だらけだなぁとそんなことを思いました。
今まで原爆については「はだしのゲン」や修学旅行での被爆者の講演など
で聞いたくらいの知識しかありませんでした。
黒い雨は当時の日記形式で語られるため(どこまで真実か分かりませんが)
リアルに市井の人々の状況を想像することが出来ました。
特に火事が酷い状況で沢山亡くなった方もいたんですね。
確かに当時は木造住宅も多いですしとんでもない熱で熱せられたら
手が負えなくなるのはよく理解できます。
さらに放射能による影響など当時の人は考えてもいなかったでしょうから
原子爆弾というのは本当に非人道的な兵器だと再認識しました。
そして個人的に印象に残ったのは物語の最終版の戦争末期に軍医として
徴兵された方の日記です。
当時の日本軍の内部の壮絶なしごきの描写が非常に怖かったです。
徴兵されていきなり戦争末期までなぜ志願しなかった
お前たちはクズだみたいな訓話から始まり人間として扱われない状況に
なんか絶望を感じました。
原爆も怖いですが、全体主義的な世の中というのも怖いですね。
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原爆犠牲者の話。原爆投下からの当時の広島市の凄惨たる状況が克明に描かれており、読んでいていたたまれない気持ちになった。広島に旅行したことがあるが、その当時の状況からよくあそこまで繁栄した都市を作ったなと思う。原爆という兵器だとまだ知らされていない市民たちはピカドンとそれを呼びその威力に恐れをなして、さらに通常の爆弾ではみられないような症状(下痢、激しい火傷、脱毛、歯の脱落)に対してどうすることもできない無力さが伝わってきた。また戦時中の食事や配給についても言及されており、こんな貧しい生活を強いられていたのかと改めて思い知らされた。
矢須子は原爆投下時には市内にはおらず直接の被曝はしなかったものの、投下後身内の安全を確認するために市内へ行きそこで原爆後の雨(黒い雨)に打たれたことでしばらくしてから原爆症が出てきてしまい、決まっていてた縁談もなくなるという悲惨な人生でこちらが悔しくなった。
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ドキュメンタリー、写真、映像などで当時の様子を見聞きする機会は多々あるけれど、特定の人物、家族について、原爆投下後の一定期間どのように過ごすことになったのかを、生活レベルまで落とし込んで読めるという点で貴重。
Posted by ブクログ
原子爆弾による被害ということは漠然としたイメーションでしかないものであった。しかし、今回の文学作品でそのイメージは変わった。
たった1発で市民の街が戦場に変わった。直接的な被害だけでなくその後に発生した「黒い雨」による間接的な被害によって日常が崩壊した。
この21世紀において先進国が戦争をし、互いの市民社会を破壊し合う。そして、核爆弾の使用をちらつかせる。我々は歴史から何も学んでいない。
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何人という命を一瞬にして奪った原子爆弾。教科書の1ページや毎年その日のテレビで追悼の様子を見るくらいしかなくて、よっぽど私にとっては9.11のテロのほうが刻まれている。
この本を読んで初めて惨さや切なさを感じた。
今の私になにができるわけではないけど、日本人としてちゃんと受け止めるべきだと思った
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8月に入り、通勤の主に帰宅途上の車中でオーディブルで聴きました。毎日少しずつ聞いたのですが、ほぼ1か月ほど聴いていたので、紙の小説でも一定のボリュームがあるのでしょう。
主人公のシゲマツ(閑間重松)は、自らも被爆していたが、そのような自分よりも、自分たち夫婦を慕う姪であるヤスコ(矢須子)の縁談のことが最も心配ごとである。
直接の被爆は免れたものの、原爆雲(黒い雲)から降り注ぐ黒い雨を浴びたということから、原爆病に侵されているのだというウワサで、次々と縁談が破談となり、なんとか縁談を成立させたいシゲマツは、原爆日記を記して、ヤスコの身の潔白を証明しようとする。
小説は、広島原爆投下から玉音放送の日(終戦の日)までの重松夫妻の日常を中心に、その日記への記述を通しながらその凄惨さをリアルに描写していた。
この小説のすべてが、戦争、とりわけ得体のしれない新型爆弾の投下後の凄惨極まりない情景の描写で貫かれていた。一瞬の閃光で、訳が分からないまま、目の前のすべての光景が地獄図と化し、すべての建物が崩壊し、至る所に死人が転がっており、全身ケガや焼けどの人たちがうごめいており、助けを求めている。家族の行方が知れず、また家族や知人を失って泣き崩れている。筆舌に尽くしがたい光景とはこのことだろうと思える。
このリアルを伝え残しているだけでもこの小説の価値は大きいが、おそらく現実の何万分の一も伝えきれていないだろうと思う。しかし、読んで(聴いて)、その凄惨さを少しでも知ることに価値があり、意味があると感じる。
1945年の広島、長崎の原爆投下で、その年末の死者数14万人+7.4万人=21.4万人と推計されており、2024年3月末時点での被爆者手帳の保有者数が10万6千人だそうである。
すなわち、何十万人の人を人と思わず、一瞬で葬り去ってしまうような人の魔性とは対象的に、すべてが地獄のど真ん中に引き落とされても、可愛い姪っ子の幸福を願う気持ちはなくなることはないのだという人の善性というものが、強く感じ取れた。
結局、矢須子は黒い雨の影響で、原爆症を発症し、原爆症に侵されているいることがわかる。
それでも重松は、「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起きる。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」と姪っ子の治癒、幸福への望みを捨てない。
小説でのこの虹の表現が印象的だった。史記に記された不吉の兆候である「白い虹が太陽にかかる」現象が、この原爆投下の前夜に見えたという。
そういう悲惨の前兆である「白い虹」ではなくして、希望を表す「五色の虹」を願う重松の心が、この小説での著者の結論ではないだろうか。
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描写が壮絶すぎる。
原爆が落とされた時からの状況を日記として淡々と事実だけを述べている。
そうしたことにより、内容は本当にリアルで日常の中にあり、生き延びた人の苦悩も伝わってきた。
火葬場の問題は想像さえしていなかった。非日常的な死が日常になってしまう怖さが強く感じられた。
山崎豊子の二つの祖国でも広島の描写は出ていたが、あちらは政府、こちらは一般市民と補完することでより当時の状況を知ることができる。
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井伏鱒二の短編は大好きなのである。
『黒い雨』は原爆後の黒い雨を浴びた姪の縁談が決まらない叔父が語る小説と聞いていたので、井伏鱒二が黒い雨を浴びてしまった若い娘の不安や恐怖や焦燥をどのように描くのだろうか、まさかエモーショナルに書くのではないだろうな、いやしかし広島出身なんだから故郷の人々の苦しみを伝えるべく、鱒二らしからぬ頑張りを見せたのではないか、などいろいろ考えだのだが、読んでみたらまことに鱒二らしい作品だった。
つまりとても淡々としていて、エモーショナルなところはほとんどない。
結婚が女の人生のゴールだった時代、ほとんどの人が結婚していた時代に、結婚したいのにできない辛さというのは、人生を完全否定されたようなもので、その理由が被爆というのはやりきれない。しかし、いくらでもエモーショナルに書ける題材も、鱒二は淡々と描く。被爆した人々、動物、植物、建物のエピソードの中に、姪の矢須子のエピソードは埋没しそうに弱い。矢須子も被爆した人々のワンオブゼムに過ぎないことが、意図したことかそうでないのかは測りかねるが伝わってはくる。
大きく力強い物語を期待する人には大いに肩透かしの作品ではある。『はだしのゲン』の方がよっぽど衝撃的である。
しかし、これが戦争の、被爆の実情ではあっただろうとも思う。どの生き物も理不尽でとてつもない苦痛を強いられた。どんな属性かは関係ない。それが全てである。
物語の牽引力を期待する人にはガッカリな小説だが、まことに井伏鱒二らしい、ある意味とても公平でリアルな小説である。
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原爆を落とされた広島で自分が、周囲の人々が被爆した、戦争小説。これは辛い。
淡々とした調子なので、被爆直後の表現はちょっと抑えめに感じるけど、それでも残酷で想像に堪えない悲惨さ。
中韓は戦争きっかけで、今だに反日とか言ってるけど、原爆なんて非道な兵器を落とされて反米にならない日本ってちょっと不思議。まあ自分も反米主義ではないけど。
ちなみに原爆を開発した人達に、この兵器は使用すべきかと問うたところ、9割が反対したとか。
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原爆が投下された広島で、そのとき暮らしていた市井の人々がいかように阿鼻叫喚の地獄を過ごしたかが克明に描かれている。
本作の主人公は、閑間重松・シゲ子夫妻と、その姪である矢須子の一家三人。
矢須子はだいじなお見合いを控えているが、被爆していないということを相手方に証明するため、重松が当時の日記を書き写すことになっている。
日記でふりかえる過去と現在を行き来する形で話は進んでいくが、やがて矢須子に異変があらわれてきて……。
「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」
原子爆弾が投下されたあと、長く長くつづく苦しみはどれほどのものなのか。
後半に挿入される広島被爆軍医予備員・岩竹博の手記も、短いながらに衝撃の凄絶さだった。
当時の日本で実際に起きたことであるのに、平和な今では戦争の被害や恐怖を想像することは難しい。けれど、読むことに大きな意義がある作品だと強く感じた。
Posted by ブクログ
原爆投下後の個人の日記という設定だが、被害の描写が克明で頻繁で、なかなかストーリーがすすんでいかない。肉体への被害は多種多様に描かれているが、決して十分な生活とは言えないだろうが、食事したり出勤したりする人がいたことは意外だった。
こんな兵器があと何発、日本に落とされるのだろう。
確かに歴史として受けていない人たちは、そんな恐怖を感じていただろうと思わせる言葉
Posted by ブクログ
日常の底にいつも沈められている、人間の狂気は正義ですらある。
僕らが立っているこの大地のすぐ下には、いつ起き出すかわからない猛獣を飼っているようなものだ。
手懐けていた家畜はいつのまにか手に負えぬ代物になっていて、飼っていた人たちだけさっさと逃げる用意をしていて、なにも知らないひとたちが逃げ遅れる。
エネルギーや核兵器の問題は誰も解決できなくなっている。文明は繁栄と平和で作り笑い。
正義の戦争より不正義の平和の方がましじゃ
とはよくゆうたもので。
それもそれでがんじがらめになってます。
以下、ネダバレですが、核兵器をつかえる立場の人には必ず読んでほしい。
そしてこの本を核兵器のボタンの横において置くこと。
↓↓↓↓
(子供は)柘榴の実の一つ一つに口を近づけて、ひそひそ声で「今度,わしが戻って来るまで落ちるな」と言い聞かせていた。その時、光の玉が煌めいて大きな音が轟いた。同時に爆風が起こった。塀が倒れ、脚立がひっくり返り、子供は塀の瓦か土かに打たれて即死した。