井伏鱒二のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
めちゃくちゃ面白くて驚いた。
いくつか井伏鱒二の作品を読んで、この日常のささやかな(わりと退屈な)出来事を描写する感じと、原爆という重いテーマがうまく結びつかなかったけど、原爆投下後も続く平凡な市民の日常を書いている感じがすごかった。
ハーシーのルポはある種ヒーローもののような活躍をする人物が出てくるが、本作の主人公は原爆投下によって原爆症を負いながらわりと平凡な日常を続けている、このリアルさ。
死者を河原で火葬することを役所が黙認することになり、工場長の命で、お経を唱えることになる。近くの寺でお経を写させてもらって、できるだけのことはやる。
・夕方ちかくなると、三人も四人も死亡者が出た。はじめの一人二人の知らせのときは「閑間さん、すみませんがお経を頼みます」と云って来たが、次第にぞんざいになって来て「閑間さん、葬式ですから来て下さい」と云うようになった。僕もいつとはなしに、自分でもそう云ってもらった方が気が楽だと思うようになっていた。
なんか、この感じがすごく面白い。
・戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい。
「戦争」や「原爆」は政治的な意味合いが色々付いてしまって、もはや実感できるものとして指摘できる実体がない。そこで、井伏鱒二は「戦争」はこういうこと、「原爆」はこいうこと、ということを具体的に描いているように思う。
姪の縁談のために自分の日記を清書し始めたが、縁談が破綻になったあとも最後まで清書するという、もはやよくわからない構成だが、よく残してくれたと思う作品だった。 -
Posted by ブクログ
井伏鱒二の最初の短篇創作集(昭和5年・新潮社刊)を文庫化した本(ただし「鯉」は含まれず、「山椒魚」ほか5作品は著者が加筆・訂正した全集版を底本としている)。
まず、物議をかもした自選全集版「山椒魚」(昭和60年、新潮社刊)について。作者はこの版で、あろうことか作品の結末部分16行をバッサリと削除してしまった。この部分は作品にとってキモとなる箇所であり、心にしみわたる文学的な感動を多くの人に惹き起こしたクライマックスでもあったから、当然賛否両論が沸き起こった。
私としても、あの「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」という蛙のセリフに続く余韻が何とも言えず最高!と思っていたから、改訂版でその印象が殺がれるのを恐れて読まないようにしてきたくらいである。著者自らによるとはいえ、この改訂は文学作品に対する破壊行為ではないのか?
この問題については、「解説」で評論家の秋山駿が詳しく論じている。キーになるのは、「山椒魚」の原型となる「幽閉」という作品だ。前者は昭和4年、後者は大正14年に発表されている。本文庫には、その「幽閉」が併録されている。この二つの作品は冒頭の「山椒魚は悲しんだ」という一文以外は全く違っているが、たしかに「幽閉」のテーマは改訂後の「山椒魚」に通じているようである。
しかし自分としては、山椒魚と蛙が和解するヴァージョンに親しんきたのであり、これこそが「山椒魚」であると信じている。
他の作品に少しだけふれる。この本の最初に置かれている「朽助のいる谷間」は、最後の「一ぴきの蜜蜂」とともに、朽助というかつて実家で「私」の面倒を見てくれた山の番人が登場する話。朽助は「私」にとって心のふるさとともいうべき恩人だ。この人のお国訛り(井伏の生まれた福山地方の方言なのだろうか)が出たしゃべり言葉や手紙文が何ともいえず人懐っこくていい味を出している。
井伏の特に初期作品には意外にもプロレタリア文学の影響がある気がする。「炭鉱地帯病院―その訪問記―」や「生きたいという」は労働災害を扱っているし、また「朽助のいる谷間」ではダム建設で沈む村が描かれている。「生きたいという」の瀕死の怪我人の描写は凄絶だ(ちょっと葉山嘉樹の文章を思い起こさせる)。こうした社会問題に対する意識が、のちの「黒い雨」という傑作にもつながっていると思う。
そのほか「休憩時間」「シグレ島叙景」「寒山拾得」「夜ふけと梅の花」「屋根の上のサワン」など名作が目白押し。繰り返し何度も味わうべき作品群だ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ主人公の閑間重松(しずましげまつ)が原爆投下の数年後に、同居する姪の矢須子の縁談をきっかけに、矢須子が被爆していないことを証明するため8月6日から15日までの自身の「被爆日記」を清書するという形で描かれる。
井伏さん自身は被曝を体験していないそうだけど、作品のために被爆者への取材や実在する被爆者の日記や病院がカルテなどをかなり読み込んだんだろうなと思った。
爆発の瞬間や人や風景の様子もかなり生々しく描写されていて、改めて原爆の凄惨さを感じるとと共に胸がとても痛んだ。
その後の淡々と描写される事後の日常、、ただその中にもユーモアがあるなと思う部分もあった。
唯一の被爆国である日本だからこそ強く平和を唱えなければいけない、改めてそう感じた。
戦争はいやだ
勝敗はどちらでもいい
早く済みさえすればいい
いわゆる正義の
戦争よりも
不正義の
平和の方がいい
この言葉に尽きるなと思う。
日本人だけではなく、世界中の人が読むべき本だと思う。
「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ。
どうせ叶わぬことと分っていても、重松は向うの山に目を移してそう占った。」
最後の部分が印象的。
矢須子のその後はかかれていないけど、どうか五彩の虹が見えますように、叶わなくてもどうか矢須子が少しでも平穏な日常が訪れますようにと願わずにはいられなかった。
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Posted by ブクログ
斎藤真理子さんが、アトロク推薦図書まつりで「読むホットヨガ」「品のある脱力の御本家」「ゆるめ力」とパンチラインを連発されていたので。
恥ずかしながら、井伏鱒二をきちんと読んだことがなかったため、読み始めてすぐ「めちゃくちゃつげ義春(R.I.P.)っぽい!」と感じた。(順序が逆)
全体にただようなんともいえないすっとぼけ感と哀愁。
わたしが一番好きだったのは、「角帽の色(早稲田)」。親友青木南八は、毎日「おい、寝てるのか?学校に行かないか?でも君と一しょに散歩してもいいんだよ。」と起こしにくる。起きたくない井伏鱒二は枕元に原稿用紙を散らして寝たふりをする。すると、南八は「なんだ、徹夜して書いたのか。すてきだな!」と独りごとを言ってそっと帰っていく。早世した彼をなつかしむエピソードにぐっとくるのだが、井伏鱒二は死後一年もたった後で、「とんでもない。うっかりして、南八が死んでいることを忘れていた。」と彼の家を訪ねてしまう。もうすべてがおかしくて哀しくて切ない。どのエッセイにもそんな独特な味わいがあってたまらない。 -
Posted by ブクログ
1945年8月6日〜15日の広島を、そして戦後の被爆者の生活を、あくまでも「日常」を描いている。
生々しすぎて途中途中でウッとなってしまった。
一瞬にして全てを奪い去られた人々。恐怖とか怒りとかそんな感情も抱く暇も与えられずに無数の罪なき人が亡くなったという事実。
「抑止力」としての核開発が世界中で進んでいるが、全くもって広島と長崎の出来事は他人事なんだなと。
被爆国として核の恐ろしさを伝える不断の努力を国家レベルで継続していかなければいけない。
日本人たるもの原爆ドームは絶対に目で見ておかなければならないと改めて思わされた。
(飯美味そうだし普通に広島には行きたい)