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復員しても、いまだに戦争中だと錯覚している元中尉の異常な言動を描いて、戦争と戦争思想の愚劣さを痛烈にあばき、真の戦争犠牲者に対して強い同情をよせた『遙拝隊長』、“本日休診”の札を出した病院に、その札を無視してつぎつぎと訪れる庶民の姿を洒脱な老医の視点から描く『本日休診』。戦後の救いなき世相を反映させ、ほろにがいユーモアをただよわせた2編を収録。
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Posted by ブクログ
戦後間もない悲惨な社会生活を背景にしつつも、どこかユーモアを湛えている井伏鱒二の短編2編。 『搖拝隊長』は元陸軍中尉で任務中の事故が原因で頭がおかしくなった岡崎悠一を中心に、周囲の皆が彼の言動に困惑・翻弄されながらも、戦中と戦後の分かち難い社会思想の断絶をユーモアを交えながら描いた作品です。 何と...続きを読む言ってもこの作品の可笑しみは、いまだ戦争中だと錯誤している岡崎元中尉が突発的に繰り出す軍隊号令で、たまたま周囲にいた人間が否応なく巻き込まれてしまう様がとても面白かったです。狂人の言うことだとわかってはいても、これに面倒くさいながらも波風立てず従うか、あるいは逃げ出すか、または彼の自宅へ連れ戻すかの選択を迫られるわけで、そうした状況がとてもユーモラスに描かれています。 一方で、戦争中にさんざん聞かされ続け、しかも与太話に過ぎなかった戦争思想や軍隊号令を、戦後においてもさえ聞かされ続ける周囲の者にとってみれば、とてつもなくブラックユーモアな話であり、そうした彼らの反応の描写は反動としての戦後社会の風刺にもなっています。 解説によると、著者はマレー作戦に従事していたとのことで、途中で挿入されるリアルな軍任務の描写がその後の奇妙な狂人のふるまいに違和感なく直結していて、これまた見事な構成でした。 しかし、何かにつけて達観している岡崎元中尉の母親がもっとも凛々しく、この短編を大いに引き立てていたとも思います。 戦中・戦後の社会思想の変化を題材として、井伏ならではのユーモアに満ちた佳作だったと思います。 『本日休診』は東京は蒲田で開業した産婦人科医・三雲八春先生を中心に周囲で巻き起こるもろもろの出来事を描いた作品です。 おそらく当初は、たまたま休診日に一人病院にいることとなった三雲先生が、休診にもかかわらず忙しくも立ち振る舞うことになった様子をユーモアたっぷりに描く構想だったと思われますが、途中からあれっ?休診日でない話にぽんぽんと移っていって、う~む、これはさてはネタ切れだなと思っていたら(笑)、解説によると3回くらいに分けた雑誌連載物だったということなんですね。それで途中で構想が変わったということか。合点。(笑) 産婦人科医とはいいながら、専門外の盲腸手術をしたり刺青抜き手術をしたりと、大忙しの三雲先生には終始なぜかユーモアが漂っており、もう少し連載が続いても良かったのになと思わせる働きぶりでした。(笑) それぞれのサブストーリーで三雲先生が診ることになった患者の多くは、戦後間もない頃の誰もが極貧の中にあり、またそれが故に社会からはみ出した者もいて、そうした世相がきっちり描かれているのですが、三雲先生の穏やかでほのぼのとしていそうな性格描写がこうした悲惨な社会の様子を和らげ、あまつさえユーモラスにも見えるという井伏らしい結合を見事に成し遂げている作品であったと思います。 作品自体はどこかユーモラスに覆われながらも、ラストはやはり社会への皮肉を重視した余韻溢れるものになっています・・・。
先生~、休みは休んでください!と言いたくなった。 医者自体も少ないだろうし、命にかかわることだから「休みなんで!」と突っぱねるようなことも出来ないだろうと思うけど。
出来事としては哀しいことばかりなのに淡々とした言葉で語られるのがよい。しょうがないなぁというような軽い諦めはあるが、絶望感がないところに安堵させられる。しっかり生きるというのは英雄的な行為でなくて、何があっても淡々と前へ進むことなのかも知れないと思った。
色んな意味で時代を感じさせる作品。 個人的には『遥拝隊長』を推す。この作家らしく声高に反戦を論ずることなく、日常に戦争の異常性を無理なく溶け込ませて物語を進めていく。 よくユーモア溢れる作家と評されるが、ユーモアとは厳しい批評性の一つの表出であることを実感させてくれます。
ゼミで取り扱われるので、「遥拝隊長」だけとりあえず読んだ。一言で言って、どう読んだらよいものか、よく分からなかった。 復員しても、いまだに戦争中だと錯覚している元中尉の以上な言動を描いて、戦争と戦争思想の愚劣さを痛烈にあばき、真の戦争犠牲者に対して強い同情をよせた『遥拝隊長』 (新潮文庫版、裏表紙...続きを読むのあらすじより) 文庫版のあらすじの書き方からすると、「戦争と戦争思想の愚劣さ」に対する批判の物語ということになる。 戦争中、陸軍中尉で小隊の隊長としてマレーに派遣された悠一は、遥拝が好きであった。ラジオで朗報があるたび、自分の小隊を整列させ、遥拝をさせていたことから、彼の小隊は「遥拝小隊」と呼ばれ、悠一も「遥拝隊長」とあだ名されることになる。 ある時、小隊は、敵に落とされた橋の架橋工事にあたり、トラックが足止めをくらう。そのときの雑談で「戦争は贅沢」だと言った部下に腹を立てた悠一は、その部下を殴りつけ、続けて殴りつけようとした際、乗っていたトラックが動いたことで、部下もろとも川に落ちてしまった。これをきっかけに、その部下は死んでしまい、悠一自身も、左足がびっことなって、さらに、頭を打ったことで「痴呆症」の後遺症を負ってしまう。 後遺症を得た悠一は、復員してからも発作を起こす。まだ戦争は続いていて、自分が小隊長だと勘違いし、近くにいる青壮年に、突然、隊長時代の命令や訓示を叫びまわる。 悠一が口にする「軍隊用語」は、戦時中であれば「何か威力のあるようなものでも感じて怖け」(p10)させる言葉であった。けれども、悠一の発作にも慣れてしまうと、その姿は滑稽で、同じ部落内の人々は、発作が面倒にならないように、悠一の命令に付きやってあげさえする。 この地方の訛言葉によると、村内にどさくさのあることを「村が、めげる」と云う。また部落内にどさくさのあることは、「こうちが、めげる」と云う。「こうち」とは、部落または近所隣のことである。「めげる」とは物の毀れることで、平穏無事な日常に破綻を来たす、といったような言葉である。(p8) この物語を読んでいて感じたのは、明らかにおかしな行動も、部落内の人々にとっては、「どさくさ」程度のことでしかなく、何となくそのコミュニティの中で受け入れられていることである。その理由の一つは、悠一の母に、悠一以外に暮らす人がいないことにある。 近所の人たちは、その母を気遣って悠一の存在を受け入れて、母も迷惑をかけてしまったときは、近隣にお詫びを言いにまわる。 「発作」という言葉が使われている通り、悠一は、いつも異常な言動を繰り返すわけではない。平時は、母といっしょに耕作をし、内職の傘張りなんかもする。一方で、この発作が原因で殴り合いのけんかまで起こしたりする。 もし悠一のような人間が、現代にいれば、どのようなことになるのだろうか。殴り合ったその部分だけ切り取られて、警察に通報されるか。報道されるか。SNSで炎上するか。 悠一は、戦争の加害者であると同時に、戦争思想が生み出した一人の被害者である。しかし、戦後間もない頃、まだ残っていた閉じた地域コミュニティは、そういった被害者を受け入れるだけの寛容さを持っていた。 この物語は、地縁による地域コミュニティの、よかったところを書き残した物語だと自分は読んだ。言うまでもなく、そうしたコミュニティには、保守的で、負の側面も多分にあったであろう。しかし、こうした顔見知りだから赦される関係性。戦争という特殊な状況で、そうならざるを得なかった被害者たちを受け入れるためのヒントが、残されているという意味で、この物語は、大切にされるべきだと思った。
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