井伏鱒二のレビュー一覧
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戦争を題材にした小説で有名な作品、井伏鱒二さん著「黒い雨」
前々から、それこそ30年前から知っている作品だったが今回初めて読む事ができた。
調べてみれば1966年初刊との事、1945年8月が原爆•終戦の年なので、戦後20年に書かれた作品ということになる。
現在戦後80年、となれば約60年前の作品でありながら、投下された原爆のもたらした凄惨さ、生々しさ、人々の混乱、都市の壊滅状態等々が恐ろしくリアルに伝わってくる。
現実にあった惨劇だけに恐ろしい作品。
それこそ自分が生まれる前の惨劇なのに、人々の声が今まさに真に迫って聞こえるようだった。
現在のように事ある情報が瞬時に得られ、その情報やそれに関連する映像がたくさん残される時代ではなかった。それだけにこの作品の主人公である閑間重松が「被爆日記」と称して書き綴って残してくれたような当時の方々の被爆体験談等がとても貴重だ。原爆を語る上での貴重で価値のある文献史料になる。
著者はそれらの体験談を集め、この作品を書かれたとの事。今現在では貴重で崇高な著書だと思えるが、著者はこの作品を描く事は執筆当時、相当苦しい作業だったのではないだろうか?人々の苦しみや辛さを生々しく余すことなく描くということは、想像するだけで著者の心労を察せられる。
ただやはり、本作品のおかけで戦後80年経った現在を生きる自分達でさえ知りえる事ができている。
原爆によって被爆した人々の声、それは現在戦争を知らない自分達にとって、時が過ぎ戦争体験者が少なくなっている現在、生の声を聞ける事は多くない。ほぼ無いといってもいいくらい。そうなれば今後はこうした作品の価値が今よりももっと貴重なものになっていくだろう。
そうならば今後50年、100年と後世に残していかなければいけない作品だと疑う余地がない。
現代を生きる自分達において、こういう作品は各々の人生の中で読むタイミングやきっかけが必要な作品であることは間違いない。戦争という題材には誰もが好き好んで手を伸ばすといった大衆性という側面を持ち合わせてはいない。
だけど何かのタイミングやきっかけがあった時は迷わずに手にとるべき作品だろう。
自分が今回そうだったように。
多くの人の手と声で後世に繋いでいき、まだこの世に誕生していない後世の人々が何かのタイミングやきっかけがあった時に迷わず選べる作品であってもほしいと願う。
本書にはその価値が存在している。 -
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オーディブルにて。
8月に入り、終戦記念日に近づくにつれて増えるコンテンツの1つとして読んでみた。年に一度でも戦争について考えるこのような機会は必要だと感じた。
5月にイギリスに行った際、VEデーという終戦記念日があった。イギリスにとっては戦勝記念の晴れやかな日であること、ドイツ降伏の日である5月8日で定めているため、その後日本は3か月間も孤軍奮闘していたことに今更ながら衝撃を受けた。
本作の主人公が言うように、ピカドンが落とされる前に降伏できたのではないか、というのは本当にその通りだと思う。広島や長崎の人は原爆を落とされる必要があったのだろうか。あまりにも大きすぎる代償である。 -
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ジョン万次郎に興味があって、3つの短篇のうち「ジョン万次郎漂流記」を最初に読んだ。勝手に司馬遼太郎の『菜の花の沖』(やはり江戸時代にロシアに拿捕された商人、高田屋嘉平を描いた小説)みたいな壮大な娯楽物語を想像しながら読み始めたが、すいぶん雰囲気が違う。大げさな感情描写や細かい時代背景の説明などはほとんどないまま、淡々とした描写が続く。それでいてじわじわ伝わる何とも言えない滋味深さ。読み始めの拍子抜け感から一転、うなりながら読み終えた。次に読んだ「さざなみ軍記」にはさらに感じ入った。一度では味わい尽くせない、文学作品の魅力がすみずみに。またうなる。再読必至。(「二つの話」はちょっとピンとこなかった)。
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ちょうど瀬戸内に関心が湧いてきたところで、「広島」のキーワードで購入。
広島だけでなく、岡山、瀬戸内の島々と、その歴史、文化を含めて興味深い史実も学ぶことができた。
井伏鱒二の思い出話は、ウイットに富み、時に心が温まる小話がある。
井伏鱒二は、きっと心優しい人なのだろう。
以下抜粋~
・(宮島)島全体が清浄な御神体だとされている。
今でも死人があると対岸に埋葬する。墓というものは一つもない。赤ん坊の臍の緒も対岸に持って行って埋めている。犬猫の死骸も島には埋めない。
・大崎島は大崎上島と大崎下島に分れ、どちらも内海通いの船乗りたちの間にはオチョロ船で馴染みの深かった島である。オチョロ船は港に碇泊している船に遊女を配ってまわる船であった。
・・・
それが先年制定された売春防止法によって一挙に廃絶した。
「いつか、或る機帆船の船長がこぼしていました。船が木ノ江の港に近づくと、若い船員がこっそり飲料水を流してしまう。ボイラー用の水も流してしまう。止むなく木の江に船を着けることになる」
・大三島は瀬戸内に入る三つの瀬戸からの満潮が合流する箇所に存在する。
・・・
瀬戸内にはたくさんの島があって、清水の出る限りどんな島にも人間が住み、すべての島の中心となるのは大三島で、ちょうど人間で云えば臍のようなものだ。
瀬戸内水軍の総鎮守が大山祇神社であったのも不思議でない。
・以上のような次第につき、年内に転地できるようお世話を頼む。排気瓦斯がなくて、寒がりの老人にも冬を凌げる部屋。この二つに重点を置いてもらいたい。
その結果、岡山県の西大寺の町から東南にあたる、牛窓という海岸町の宿を紹介された。
・大島は、昔から良質な御影石を出すので世間に知られていた。大阪築城のとき、因州の城主であった池田光政は犬島から大きな石を団平船という船で大阪に送り出した。諸国諸大名の献上した医師のうち、犬島から出した石が最大であった。 -
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少し前の100分で名著で、二作目『ドリトル先生航海期』が扱われていたことから手に取った。
子どもの頃は読む機会がなく、大人になった今が初読である。
面白い!特に旅に出てから先は、次から次へとトラブルが目紛しく起きて、次はどうなる?とページを繰る内にあっという間に読み終えていた。
出来事の中には、他の児童書でも似たようなことあったなぁと思えるものもあり、この作品の古典としての影響力の大きさを感じた。色んな児童書作家が、きっと通ってきたんだろうなと…
古めの海外児童文学で表現がまどろっこしいというか、読みづらいことがたまにあるのだけど、この作品はとても読みやすかった。井伏鱒二訳か…井伏鱒二!?と二度見した。翻訳も書いていることを知らなかった…
本書の後書きで繰り返し語られているように、現代なら差別的とされるストーリーや表現がある。
近年出ている別の人の訳ではどうなっているのだろう?これは確認したい。
書かれた時代と作品は切り離せないものである、と後書きでも書かれており、私自身も同感なので、この作品はその辺りも含めて完成するものだと思う。
ただ現代の子どもに読ませる時に、彼らがどう受け止めるのかは少しだけ、気にはなる。ただ、井伏鱒二訳が本当に面白く、物語を読む力を養っている最中の子どもたちには、ぜひ読んでもらいたいと思う。 -
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井伏鱒二さんの詩集ですね。
「散文を書きたくなくなるとき、厄除けのつもりで書いた」という『厄除け詩集』に初期の作品を加え、生涯の全詩作70篇を紹介されています。(解説ー東郷克美/穂村弘)。
「ひばりのす」
ひばりのす
みつけた
まだ誰も知らない
あそこだ
水車小屋のわき
しんりようしよの赤い屋根がみえる
あの麦ばたけだ
小さいたまごが
五つならんでる
まだ誰にもいわない
僕はこの詩で君のことを思ひ出した
陸稲のことにも気がついた
君のうちの庭は広かった
それが空地利用で麦畠になった
あのとき君の唯一の楽しみは
いまに雲雀が巣をかけて
卵が宿るといふことだった
あの畠に陸稲はどうだらう
この稲は農林何号といふ名前か
つい迂闊なことに聞きもらした
いまは調べる手数を省くとして
仮に荻窪一号とでも呼びたまへ
では今年の秋の豊穣を祈ります
「笛の音」
毎日夕方になると
笛の音がきこえて来る
へたくそな笛である
ピロヒピロヒピピ
この音調ではじまつて
ピロヒピロヒピピ
この音調で終る
いつもおきまりの音
どうもこいつが邪魔になる
止してくれと呶鳴りたいが
それでは腹を立てるだらう
誰が吹くのかわからない
よくもよくも捲きないものだ
今日もまた吹いてゐる
ピロピロヒピロヒピピ
この音調ではじまつて
ピロヒピロヒピピ
この音調で終る
おきまりの音である
僕は机のごみを吹き払ひ
頬杖をつき
舌打ちをする
ピロヒピロヒピピーー
「紙凧のうた」
私の心の大空に
まひ狂ふはるかなる紙凧
北風をうけ裏かぜに
まひ落ち舞ひ落ちてひるがへる
糸のたわみは畔を越え
そこにかしこに
枯枝に吹く。
薄墨色の夢を刻んだ糸忰に
たぐる糸のたわみをばゆさぶりつつ
目にたづぬるはるかなる糸凧のむくろ
ーーまいあがれ舞ひあがれ
私の心の大空たかく舞ひあがれ
率直で、飾り気がないのんびりした詩情が好ましいですね。
私は、井伏鱒二さんが好きで、たまに読みたくなりますが、詩は初めて読みました。簡潔に自分の思いを文章にしてのける巧みさは、心地よいですね。
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井伏鱒二の紀行記。
司馬遼太郎の「街道をゆく」も好きだが、井伏鱒二の本著はさすがに小説家によるものであり、文章が巧い。
7つの街道とも、訪れたい場所だ。
以下引用~
・鮒ずしは、「鮨」だと思うから誤解が生ずるのだそうだ。
もともと鮨ではなくて漬物であり。漬物のおしんこが外国人にくさくてたまらないのと同じように、鮒ずしは別種のくさみで一般人にはくさくてたまらない。漬物とわかればいくらくさくっても箸がつけられる。
近江八幡の名物は、メンソレータムと、近江商人と、付近に産する近江牛だそうだ。「鹿の子」と云われるロース肉を将軍家へ献上した歴史が残っているそうだ。 -
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「さざなみ軍記」は読んでいる時はなんだかやけに淡々とした話が続くなあ、と言う感覚だったのだけど、解説を読んで足かけ9年かけて少しづつ発表して主人公の成長を描こうとした作品だったと知ってなるほどと納得がいった。それにしてもそれだけ長い期間かけて割と短い期間7月から3月までの必ずしもクライマックスがあるわけでもない作品を淡々と書くのもなかなか。
「ジョン万次郎漂流記」はとても面白く読めた。数奇な運命というしかないけど、どこまでが史実でどこまでが井伏鱒二の創作なのかはわからない。もちろん基本的な出来事は実際の記録に基づいているのだろうけど小説的なセリフや行動は登場するアメリカ人たちの振る舞いが井伏鱒二的な鷹揚さを感じさせて良い。昭和12年の作品ということはまさに戦争に進んでいく日本でこのような作品が描かれて直木賞も受賞していたわけで、何となくの感慨がある。
「二つの話」は実験的な小説を手元にある材料で作ってみようとしたけどオチはつけられなかったというかんじ。二つのエピソードはそれぞれ面白いんだけどね。