えすとえむのレビュー一覧
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やっぱり、えすとえむ先生の引き出し、全開には程遠かった
(1)から(3)まで読んで、十分な面白さに満足し、これを維持して欲しいもんだ、と思っていた己が恥ずかしい。漫画読みってのは、調子に乗っちゃ御終い。こうやって、時たま、高くなった鼻を漫画にヘシ折ってもらわないとな
私を戦慄させたモノ、それは、この『IPPO』の主人公・一条歩にライバルが出現した点
『食戟のソーマ』や『すしいち!』、『隠密包丁~本日も憂いなし~』などの料理人が主役を努める料理系の作品と同じく、一流の職人が客の要望と向き合い、自分の限界に挑み、昨日までの己を超えていく作品には、好敵手の存在は必要不可欠なのだが、この(4)を読むまで、それを失念していた
恐らく、それはとことん、歩が自己対話の末に、素晴らしい靴を作り出せる、一種の天才だからで、彼に靴造りの才能で敵う同年代はいない、と勝手な思いを私が抱いたからだろう
えすとえむ先生が、歩が壁にぶつかりながらも、自分の努力や周りのフォローで、それを突破する“だけ”のストーリーでは読み手の興味を引き続けられない、と危惧感を抱いたかは定かじゃないが、このタイミングで、神堂玲司って名の、歩に負けないほど、靴職人としてのプライドが高い、本物の男を投入してきた度胸が凄い
良いイメージも、悪い印象も抱かれやすい関西弁で喋るってトコが、これまた
一見すると、軽薄さや不気味さが容貌から漂いがちなのだが、いざ、自分の仕事と向き合うと、シュッとカッコ良くなる
素人の浅い考えかも知らんが、そうであってこそ、一流の職人だ、と思った
靴を履くのは、あくまで客。作品そのものを視るだけでは、歩と玲司、どちらが靴職人として優れているか、を決められない。しかし、一つハッキリしている事は、本物ってのは本物とぶつかっても、呆気なく壊れたりせず、衝突の際に生じた亀裂が直った時、前より強くなっているモノ。一流の職人同士が、対等なライバルとして切磋琢磨した時、どれほどに鮮烈な化学反応が起こり、それが互いの技術や信念に揺らぎを起こし、人間的な成長を促すのか、楽しみだ
どの話も面白い。玲司の靴に、どれほどの誇りが詰められているか、が一目瞭然となっているEpisodio.21もお勧めだが、やはり、ライバルの登場にブルった私としては、何が何でも、他の読み手の毛穴もEpisodio.23でブチ開かせたい。本物の職人の良さがちゃんと肌で感じ取れる、一流の客に私も努力して成長していきたいもんだ
この台詞を引用に選んだのは、言い方こそ妙かも知れないが、ようやく、一条歩って青年の素が見えた気がしたので。人間の本性ってのは、自分の誇りを穢された際に怒ってこそ、外側からちゃんと見る事が出来るんじゃないだろうか。確固たる信念ってのは、多少の事じゃブレたりしないけど、踏み躙られかけた時に怒りを露わに出来ないようじゃ、本物とは言えない -
Posted by ブクログ
ストーリーが面白い、のもあるが、人生勉強になるから読んでいるんだな、と自分で思う
『ストレッチ』(アキリ)や『まかない君』(西川魯介)のように実用性が高い訳じゃない。さすがに、靴は自分の手じゃ作れない
何と言ったら、正確に伝わるのか・・・・・・本気で働く、結果を出す、自分を磨く、ってこういうことか、そう漠然と、この『IPPO』を読んでいて思う
確かに、今、私はちゃんとした仕事に就いて、毎日、働いている
現在の仕事の、就業時間や給料、同僚との関係などをひっくるめた環境には、特に不満はない
しかし、たまに、自分の今、している仕事は誰かのためになっているのか、と考えてしまう時がある
他人に「頑張っているね」と言われたくて、仕事に励んでいる訳じゃないにしろ、判り易い結果が目に見えないと不安に襲われる
だから、この『IPPO』を読むと、そんな事でウジウジ悩んでいる自分の、人間としての浅さに気付かされ、自己嫌悪から曲がっていた背中が一時的にしろ伸びて、今まで見ていたモノが違って見えてくる・・・気がする
何の為に働いているか、は人それぞれだが、大事なのは、きっと、お客さんが信頼してくれている『自分』を裏切らない仕事をする、自分の誇りを自分で損なうよな結果を出す仕事だけはしない、そこなんだろう
主役である若き靴職人・一条歩が天才的なセンスを持ちながらも、まだまだ、職人としても人間としても完成しておらず、自分の至らなさを持ちこまれる仕事と向き合う事で気付き、一気にではなく、人間らしく、ちょっとずつ成長していくトコが、この作品の魅力でもある
また、微妙なラブコメ感もあり、気持ちを向けられている当の歩が、てんで鈍いトコも面白い。やっぱ、一つの才が突出しすぎていると、他人が考えている事に敏くても、女性の恋愛感情には疎くなるのかね?
この3巻に収録されている、どの話も、自分の皮を剥いてくれるモノだが、特に私が他の読み手に薦めたいのは、Episodio.16だ。変わる事、変わらない事に良いも悪いもない、それは生きていれば当たり前の事。大切なのは、自分の何を変えるべきか、何を切り捨ててはいけないか、を自分でちゃんと考え、行動し、変わった自分を自分がまず受け入れる事。“本物”はその形を時の流れの中で変えても、美しさを失ったりしないのだから。それは人も同じ。姿形が違えようとも、自分を貫いている人間はカッコ悪くない
この台詞を引用に選んだのは、歩の職人としての矜持、先人たちへの尊敬を強く感じられたので。自分の持つ、自分が受け継いだ技術への感謝、それを私は持っているんだろうか -
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ネタバレ35歳、バツイチ、学食の「うどんのおばちゃん」。
21歳、油絵専攻、うどんしか食べない「気弱な男子」。
普段は顔も見ずにうどんを受け渡してすれ違うはず二人に、ふとした疑問が生まれたところからはじまるストーリー。
よく知らない人と向かい合った時は、情報が少ない分、あれこれと相手のことを想像してしまう。
その想像が行き過ぎてしまい、ある所で自分ツッコミを入れるようになるのは、だいたい何歳くらいからなんでしょう。食堂で交わされる想像(妄想)と、実際の行動のギャップがシュールでもどかしくておもしろい。
そして、こういうやりとりがかわいいと思えるのは、どんな瞬間なのだろう。 -
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伝わるか、伝えられるか、今イチ自信がないのだが、素直に書いてみよう、自分の気持ちに
この『Golondrina-ゴロンドリーナ-』(5)を読み終わって感じたのは、突き抜けた、ってコト
自分の中の漫画に対する評価の尺度である、「面白い」や「好き」を突き抜けたって意味も含んでいるんだが、何と言うのか、えすとえむ先生自身が、漫画家としての殻、一人の人間としての限界を越えた、そんな風に感じられる内容だった
1巻から4巻まで読んで、何度も心が打たれてきたが、「ぶわっ」、そんな男が聞こえたと錯覚するほど、一気にコミックスを持つ手から腕が粟立ったのは、この漫画では初めてだし、芸術そのもの、それに関わる人間の生き様をテーマに据えた作品じゃ、曽田正人先生の『昴』以来だ
的外れだ、そう、他の読み手に笑われるかもしれないが、裏表紙のあらすじがあったからこそ、本編の感動が強まり、なおかつ、チカの人間らしい変化が衝撃的に感じられた、と思う。もし、このあらすじがなければ、感情が極まっただけで、レビューをここに書こう、って気にもならなかった気がする
改めて、闘牛の本質を問う内容だった、としか、まだまだ、文章を構築する能力が拙い私では言えない
この『Golondrina-ゴロンドリーナ-』の印象や好感度だけでなく、命に対する考え方、食に対する意識が人それぞれで異なるだろうから、押しつけがましい事は言えないし、書きたくもないが、私は闘牛を残酷だとは思えない。もちろん、生で、目の前で見た事がなく、本当の闘牛を見ていないからこそ、そう思うかも知れない。ただ、牛想いの人々の意見にも屈さず、未だに闘牛が現実的に、至高の芸術の一つとして、今日も人気なのは、闘牛士が本物が判る観客に、「牛の命を奪う」行為で、確かな感動を与えているからだろう。単純に残酷なだけであれば、世論を跳ね返せず、既に廃れきっている筈だ
どんな時代になろうが、どうしたって、人は戦いと血、そして、死に酔いやすいのだろう
こんな自分の、今の考えが正しいのか、それとも、呆気なく壊れるようなモノなのか、それを確かめる為に、一度、闘牛をこの眼で視たいものだ
この台詞を引用に選んだのは、今、自分はこんな事を言われたら、真っ新な自分のままで最も怖く、憧れ、愛しいモノの前に立てるかどうか、不安だから。苦労をして積み上げてきたモノが崩れるのは一瞬だ。人間の真価が問われるのは、努力が水の泡になった時、今までの自分のやり方をリセットして、生まれ変わった自分にピッタリの方法を見つけようとする、そんな足掻き様なんだろうな、きっと -
Posted by ブクログ
物語の殆どで、チカの目は死んだようになっている。
ヴィセンテの“事故”を受け、闘牛が思い通りにならないもの、死よりも怪我により目的を見失って生きる可能性があることに恐怖するチカ。
反闘牛活動家シンガー・ジョラとの関係は、マリアのそれと似て、まるで物語の始まる前に回帰、或いはそれよりも悪化した「死」に近い状態だった。
スペインにおける闘牛批判にも踏み込んだ巻。
それに対するチカ(えすとえむ氏)の闘牛観は彼女だからこそ言える、自分の存在を叫ぶものだった。
生と死の遊戯、牛を殺す事だけが目的ではない闘牛。
闘牛の本質に切り込み、肯定も否定も踏まえた上での達観に感嘆した。 -
Posted by ブクログ
ホントに、この先生の画、線には背筋がゾクッとさせるものがある
怨念っつーと語弊があるかも知れないが、キャラが何かに対して執着してるからこそ、強く発せられる生気が、線から薄く立ち昇っているように思える
そんな画に加え、ストーリーがまた、リアル
闘牛士、その職業を丁寧に紹介しているだけでなく、生きている一つの生物を傷つけるべく正対している一人の人間の心理を、必要以上に浮き彫りにしている
少しでも気が沈んでいるタイミングで読むと、自分が闘牛士でなく、刃を向けられている牛であるかのような錯覚に囚われ、頭の奥に鈍い痛みを感じてしまうだろう
えすとえむ先生は、確実に、私達、読み手の心臓に切っ先を突きつけているイメージを描いて、この漫画を描いているに違いない
怖いのに、目を逸らせなくなる
覚悟が、そこにハッキリと見えるのなら怖いとは思わないのだろうが、生と死の境界線を踏む人間が持っているのは覚悟じゃなく、狂気だ
どんな窮地でも生にしがみついていられる人間、ピンチである時にあえて死の方に体重を傾けられる人間、どちらが生物として勝っているのか、は決め難いが、私は何があっても、生きる事を諦めず、死ぬ気になって全力で努力し、自分でい続けようとする人間に憧れる
人間の生物としての本性ってのは、逃げ出すのを辛うじて堪えられる、本当に恐ろしい存在と対峙せざるを得ない時にこそ、剥き出しになるのではないか?
綺麗事も、世迷言も、罵詈雑言も全てが吹っ切れる、領域にその線を自分の意志で踏み越えた人間は、そこで何を視るんだろうか
画で掴み、ストーリーで魅せ、キャラで惹き込んでくる漫画
『IPPO』もそうだけど、えすとえむ先生は、普通の感性を持つ大多数の人間が目を向ける機会が少ないディープを描くのが好きなのかな? 先生の漫画を読むと、知られざる職業の世界を覗きこみたいキモチが湧いてきて、やや戸惑う