澤田瞳子のレビュー一覧
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怨みに怨みを以って報いるならば、決して怨みは息まず、ただ怨みは捨ててこそ息むそれは、釈尊が弟子に語った訓話集『法句経』の一節だ。この世に怨みの応酬が続けられる限り、怨みが真に消え去ることはない、という釈尊の教えは頭では理解できる。さりながら諸国で戦が相次ぎ、血で血を洗うこの乱世、かような法句を言じる者が、果たして南都にいるのだろうか。
現実の世に照らしてみれば、哀しいかな、それはただの世迷影。脱で、人間は他者を傷つけずにはいられぬ愚かな存在だ。ましてや成朝の如く、御仏を形に成す仏師ですら他人を脱落とそうとするこの時節、誰がそうそう容易に怨みを捨てられようか。 -
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時代は天平九年(737) 舞台は都が置かれた寧楽(なら)。
市井に暮らす人々の病の治療を行う
施薬院に配属されてまだ日の浅い蜂田名代は二十一歳。 仕事の煩雑さに加え 出世の糸口も掴めそうにないこの職場に嫌気がさし 逃げ出すことばかり考えていた。
ある時、患者たちの間で高熱が続いた後 突如 熱が下がるという奇妙な症状が頻発する。
そんななか 全身を疱疹に覆われた患者が施薬院に運び込まれてきた。
裳瘡(天然痘)。
その昔、この国を襲った流行り病が
またもやってきたのだった──。
この時代のパンデミックなんて考えただけで恐ろしい。
収容された病人が ばたばたと亡くなっていく。効くか効かぬか判然としない薬や 腹の足しにもならない仏の教えがいったい何になろう……。
そして激しい恐怖に取り憑かれた人々は 風説や流言飛語に振り回され 挙句の果てに暴徒と化す。
混乱のなか 施薬院で己を顧みず病人に尽くす里中医の綱手や 元・侍医でありながら世の中に背を向けている諸男を 見るにつけ、名代は ( 医師とはいったい何者なのだ─ ) という疑念を持つ……。
いちばん辛かったのは やっぱり悲田院の子供たちのこと。
そして少し救いだったのは まだ若い
名代のこれからのこと。
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京都出身京都在住の作家さんによる、京都をキーワードにした、歴史も遡る蘊蓄エッセイ。
さほど面白くはない。博学であろうとは思うが。
大阪出身で京都に勤務していたこともある身からすると、まあ地名で親近感を感じることがあるのであるがそれだけかな。
ご本人、ご両親は中部地方の出身であるらしく、生粋の京都の方から見れば全然京都人ではないようではあるし。
まあ、良くも悪くも、洛中はそう言うところ。
で、京都人は京都の観光地に行かないと言ってるが、ぼくが付き合った京都の方は、大概言ってたよ。金閣寺以外は。金閣寺も、一回くらいは行ってたんかな。
ま、人それぞれ。
生々しさが全然ない京都の歩き方だった気がする。 -
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ネタバレ幕末の備中松山藩の山田方谷を中心とした群像歴史小説。
幕末の幕府方で板倉勝静といえば、歴史好きの人には良く知る名前だと思います。
備中松山城といえば天空の城としても有名なのも知っていました。
がしかし、彼の藩が備中松山で彼とその藩が幕末にどうなったかを知りませんでした。
本書は山田方谷が中心ではありますが、その周辺人物の視点で話が進みます。
前半の三つの章は時代小説的で、後半の二つの章で幕末色が濃くなり歴史小説的となっている展開が面白いです。
この構成により方谷の人々が不通に暮らすことの大切さという考えが自然と読者に沁み込んでくると思います。
山田方谷ゆかりの歴史上の人々がたくさん出てくるのですが、奥羽戦争で有名な他藩の河合継之助や秋月悌次郎に比べて自藩の人たちはそこまで有名ではないと思います。
なので、この本で知った備中松山藩の人たちについてwikiで調べたら錚錚たる人たちであることわかり驚きました。
ただ、本書は備中松山藩明け渡しまでで終わっているので、その後の話もぜひ書いてほしいと思いました。
同時期の老中だった酒井忠惇とその播磨姫路藩も面白そうです。