遠足の事前学習④。諏訪大社の秘密が結構納得のいく形で説明されている。史実ではないけれど、難しい諏訪信仰をよくとらえている。と思う。
面白かったんだけど、難しいね。諏訪に行く前の勉強で読んだから楽しめたけど、諏訪に興味がない人だったら読み疲れそう。
ミステリーとしては若干無理矢理感が強いと思う。つーか諏訪の怨霊信仰と殺人動機を関連付けるにしては弱すぎる。その点、気に入られないかもですね。
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p15 可愛い
「可愛い」の語源は「顔はゆし」からきており、労しい、可哀想、不憫な、という意味である。可哀想でとても見てられないのが「可愛い」ということ。注意。
愛という言葉自体が、不憫だから何か施すという意味を持っているのだよ。
p42 岡本太郎
岡本太郎が御柱祭に参加しようとしたことがある。柱によじ登ろうとするのを下ろされてものすごい抵抗したそうな。
p78 諏訪の由来
諏訪の由来は「州の端」という意味で、海の端という意味があるらしい。湖の端かな?
この本では、州の端は「国の端」という意味で、彼岸と此岸の境という意味があるとみている。つまり、建御名方命はこの世ではなくあの世へ封印したということを表しているのだと…
p96 御柱祭
延暦17年(798年)の寅年に坂上田村麻呂が征夷大将軍になった翌年に第一回御柱祭が行われた。
それから申年と寅年に欠かさず行われ続けている。
p145 注連縄
注連縄はあの世とこの世の境目を表している。御柱祭の柱は、坂を下り、川を渡り、「注連掛」とよばれる注連縄の結界の場で休まされる。なぜ結界を張られるのか。神聖なものが穢れないように??それとも穢れが漏れないように??
p158 人と妖怪
かつては殿上人だけが人で、それ以外の人は人でなかった。殿上人に刃向ったものは「土蜘蛛」や「鬼」と呼ばれ、敗れた者は「河童」や「狐狸」とよばれ、山に逃げ込んだものが「天狗」と呼ばれた。
p167 耳裂
御頭祭とよばれる祭りでは鹿の頭が45頭分供えられる。そのなかに耳の裂けた鹿が含まれる。この耳裂け鹿は「神の矛にかかった」とされる。
この耳裂けはミシャグチ神を表す。そうするとミシャグチ神がどこぞの神の矛にかかったということだ。
p178 浅草寺と浅草神宮
浅草寺の本質はその横に小さくたたずむ浅草神社にある。
p184 物部氏
大伴氏と物部氏は大化の改新以前から朝廷の軍事面・外交面の忠臣であった。だから武士を物部から変化した「もののふ」という。
p191 洩矢神
土着の神:洩矢神と流れてきた神:建御名方命が天竜川付近で力比べをして、洩矢神がやぶれたとなっている。この戦いで敗れたから建御名方命がこの地に居座るようになった。出雲から追い出された神が玉突きのように洩矢神をはじき出してしまった構図である。
ミシャグチ神がこの洩矢神だとするなら、諏訪大社にミシャグチ神が祀られていないのは、追い出した神だからではないだろうか。だから別祀しているのではないだろうか。
p223 真澄
諏訪の地酒。香り高い、喉越しの良い酒のようだ。飲みたひ。(๑╹ڡ╹๑)
p229 聖武天皇の禁牛令
聖武天皇が牛の屠殺禁止令を出したのは有名。仏教が絡んでいるとかあるが、一番は使役用の牛を確保するためだという。恭仁宮の都造営に必要だったからそのお触れが出たという。桓武天皇の時にも、長岡京を造るために牛の屠殺禁止令が出ている。
p251 物忌令
御柱祭の年におけるタブー
①結婚・元服の禁止
②家の新築禁止
③葬式の禁止(仮埋葬して翌年に本葬)
④木材の他国流出禁止
特に①②は祭りの予算確保のためにそうされる。
p259 出られないようにする
御柱祭の四本の柱は諏訪大社の建御名方命を守護するために建てられるのではなく、彼を諏訪の地から出られないように閉じ込める役割があるのではないか。もともと建御名方命は諏訪を出ないという約束をしている。しかし、あくまで約束、それを監視するものが必要で、それが4本の柱であり、ミシャグチ神ではないか。
p284 建御名方命>ミシャグチ神
建御名方命は軍神であり、それを封印するとされたミシャグチ神より強いはずである。そのミシャグチ神が見張り役に立つというのは道理に合わない。ミシャグチ神には建御名方命を見張るうえで何か特別な力が付されているのではないか…
p299 贄の河衆
蛙狩神事という神事がある。元日に上社では、本宮前の御手洗川で冬眠中の蛙を捕まえて、矢で射殺し生贄に捧げる。
こういう生贄に出てくる蛙は「河衆」という河辺に住む人々のことを指し、つまり、人を生贄に捧げていたのを隠喩していたのである。
p305 上社と下社
諏訪大社が二分されていたのは、朝廷に敗れて幽閉されていた軍神:建御名方命の勢力をさらに弱めるため、強制的に分離させられた、という説。
上社は神別(従来の神)、下社は皇別(朝廷の息のかかった神)という形で二分され、勢力半減、または内部分裂を目論まれた。
p319 守屋山を睨む
春宮・秋宮で拝殿を拝むと東北に拝むことになる。鬼門である。これは別の見方をすれば、拝殿に祀られている御神体が南西の方向を睨んでいる。つまり上社の方向を…。
上社の本宮では南西を拝むことになる。その先には守屋山(ミシャグチ神が祀られる、上社の神体山)がある。つまり、下社のご神体は守屋山を監視しているのだ。
朝廷の息のかかった神が、諏訪の土地神(建御名方命)を睨みつけている。
p322 源平池の因縁
鶴岡八幡宮の源平池には呪詛が込められている。左手の小さな平氏池には小島が4つ浮かぶ。(死)右手の源氏池には小島が3つ浮かぶ。(産)
こんな数にちなんだ因縁が古いものにはたくさんある。
ちなみに諏訪大社の神紋には梶の木が描かれるが、上社は根が4本、下社は根が5本ある。これもまた、死と護を表すのかな?
p349 春宮と秋宮
諏訪の古俗には、春夏は普通の住宅に住み、秋冬は土中の室を作って寒さをしのいだという。だから新たに追加で造営した下社には、春と秋の両方の社を立てて、土地の人の暮らし方を反映させたという説がある。
ただ、確証じゃない。ピンとこない。
p379 産鉄神
諏訪大社は産鉄の神としても崇められてきた。しかし、諏訪の地は言うほど鉄資源に恵まれているわけでもない。それでもそういわれるのは、建御名方命が出雲から流れてきた神だからであろう。出雲は日本有数の産鉄地である。そこの神が来たから、諏訪も産鉄神と言われるようになった。
p384 鉄の輪と藤の蔓
洩矢神と建御名方命が戦った際のそれぞれの武器は「鉄の輪」と「藤の蔓」である。この藤の蔓は藤原=朝廷の力を借りたということを隠喩しているのかもしれない。この戦いで敗れて洩矢神はミシャグチ神になった。御石神、つまり石のように物言えぬ神だ。と
p388 大祝
御頭祭には江戸時代まで御神(おこう)というものがあった。赤い着物を着た8歳くらいの少年が「御贄柱」と呼ばれる柱にくくりつけられたと伝えられる。江戸時代にはその子供は神事ののちに解放されていたが、その昔はどうだったかわからない。
上社にはご神体がなく「大祝」という神官が神として祀られる。「おおほうり」というのは「屠り」と似ている。つまり、かつて大祝は生贄を務める神官の家系だったのかもしれない。
p440 鹿の需要
室町・江戸時代には弓入れなどの武具に使うため、鹿の皮の需要がいっきにに高まり、中国から輸入するほどになった。
p443 御頭祭の本質
「耳裂鹿 神の矛に かかったという」
という耳裂け鹿の説明文は、ミシャグチ神が大国主命の子孫である建御名方命に敗れたということを表す。
祭で捧げられる45頭分の鹿の頭は、鹿島神宮(建御雷命を祀る)を意味する。建御雷命は建御名方命を出雲で倒した神である。その象徴を差し出すという。
この祭りの本質は、諏訪の後釜の神:建御名方命に鹿を生贄に捧げつつも、耳裂け鹿を混ぜることによって、地元本来の神:ミシャグチ神を忘れず伝承するという、メッセージが込められている。
p444 御柱祭の本質
御柱祭は建御名方命を4本の柱で封印するという意味があると考えられた。しかし、その見張り番である柱はミシャグチ神であり、かつて建御名方命に敗れた神である。弱い神が強者を監視するという道理に合わないことになっている。しかし、御柱祭で大祝が生贄がささげられることが分かった。生贄となった者は怨霊となり、強い力を得る。その力を持ってミシャグチ神の一つとなり、建御名方命を監視する。
その怨霊を作り出すための祭りが御柱祭である。
p451 樅の木
御柱祭で使われるのはモミの木である。モミの字はキヘンにシタガウつける。
従=家臣を意味する。主君に従がい生贄になる従臣のことだ。ちなみに4本の柱、1~4を足すと十になる。
お~~~~~。
p463 春と秋
春は青春つまり「青」、秋は白秋つまり「白」という陰陽五行の方位を導く。この青と白を合わせると「晴」という字が完成する。晴れは公という意味もあるし、太陽は天照大御神である。つまり、下社は朝廷の物ということを表している。
やはり、下社は朝廷(此岸)、上社は州の端(彼岸)ということを表している。
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日本の怨霊信仰というのは面白いんですよ。
このQEDシリーズは名前は知っていたが、中身は全然知らなかった。ガリレオ的なのかと思ってた。
こういう怨霊信仰的なのをよく扱ったもののようだから、一通り目を通したいな。
日本神話は面白いなー。
怨霊神話は歴史に残せない、影の歴史と言える。だから証拠は残っていない。だから想像するしかない。
この本に出てくる説が絶対に正しいとは言えない。でも、信じたくなるような説得力だった。
諏訪旅行が楽しみになった。殺人事件に巻き込まれませんよーに