西村賢太のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
面白かった。でも何でこんな小説がこれほどまでに面白く感じられるのか、自分でも理由が能く分からない。
はっきり言って何にも善いことは書かれていない。自堕落で自己中心的な男が周囲の全ての他人様に迷惑をかけながら生活する様が延々綴られるのみ。
思い通りに行かないと直ぐに怒るし、時には手も出るようだ。真面目に労働に従事している様子は無く、性慾を制御出来ず、生活資金は女性に依存している。
形が大きいだけの丸っきり子供大人である。唯一志と呼べそうな活動は私淑する作家の全集を自費出版しようとしていることくらいか。
こんな正論を書いても仕方が無いが、志を持つのは結構なことではあるものの、それ以前に先ず人として最低限の自立した生活を確立すべきだと思う。方々に迷惑をかけ、他者の幸福を害い、誰も幸せにしない志とその活動に何の存在意義があろうか。
全編こんな調子であるにも拘らず全く退屈しない。頁を繰る手が止まらない。誰も幸せにならないのが最初から分かりきっているのに。本書所収の「焼却炉行き赤ん坊」なんてタイトルだけで不幸な結末が判明してしまっているではないか。女が縫い包みを子供同然に溺愛し始めた時点で、読まずとも大体どういう結末になるか想像が付くし、そんな不幸な結末を端から隠す気も無い。
こんな作品を面白がっている自分の性根がさもしいのではないかと空恐ろしくもなる。然し同様の感性を御持ちの向きは存外世間にはいらっしゃるようで、結構な人気と知名度だ。
善とか美からかけ離れた、寧ろ醜悪さだけを丹念に描写した小説を認めて良いのだろうか。文学としては如何に評価する可きなのか。保坂和志や又吉直樹ならば何う評するのだろうか。俗悪の一言で切って捨てて良いものか。それでも現に面白いのは何故なのか。抑これは芸術と呼べるのか。
少なくとも自分の中に波紋のように新たな問いが湧き起こったのは確かである。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「ああ、何時までこうした生活を続けねばならないのか。」
これは、主人公が知人宅に着物を借りに行くも叶わず、帰りしな閉店間際の鮨屋に少し詰めてもらい食べながら吐露した言葉だ。とても他人事とは思えず身に沁みた。
貧苦に加えて病苦にも囚われ抜け出せない主人公の不平不満、カネの渇望、富める者や健やかな者への羨望と嫉妬、貧乏や愚鈍への嫌悪と怨嗟、そして友人の自殺。陰鬱な繰り言・恨み言や出来事が落語か講談のような明るさと軽やかさのある文体で綴られている。持病に苦しみ、その日の食事どころか嗜好品の煙草1本すら儘ならぬ主人公の生活苦の生々しさに慄き、また本気で脱却改善を望んでいるのか判らぬ彼の中途半端な言動にかなり苛々とさせられもしたが、読み応えある一冊だった。 -
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本人は「別格の作」と評しているということだが、その意味は、誰に読ませるでもなく自分のために、自分が清造の歿後弟子として恥ずかしくない人間であるために書いたという点で「別格」ということらしい。
冒頭、稲垣潤一のコンサートのくだりが異常に長く、なんだこれはと思っていたところからグッと暗い調子になり、反省して、かなり自省的な調子で最後まで行く。読み終えてみればなるほど冒頭でコンサートの華やかさをしつこく描いておくことで後半との落差をつけているのだなとわかる。誰に読ませるためでもないと言いつつも、そういう意味ではちゃんとおもしろくしようとしているところがやはりかわいいと思う。 -
Posted by ブクログ
藤澤清造愛に溢れている私小説。読んでいてあまりいい気分はしないDVの場面はあるけれども、なぜか読み進めてしまいたくなるほど不思議な小説だ。それを解説がわかりやすく書いてくれていた。
『藤澤清造に少しでも近づけることを求めながら、自らは小説家になることを目指していなかった西村賢太の私小説にその種(作家になることを目指し私小説というジャンルを選び、自分を美化して描くこと)の美化はない。なるほど彼の小説に登場する「私」は常に愚者である。すれはすがすがしくも本当の愚者である。だから西村賢太の小説は不思議にあと味が悪くない。』
それにしても、「根は◯◯なので~」が好きだ。
この小説内では彼の根はわがまま/未練にできている/ペシミスト/虫のつくほど青臭い文学青年/テレクラ嫌い/姑息/狡猾/甘ったれ/苦労性 らしい。
「便座あげとけって言ってんだろがっ!」と怒鳴る場面の理不尽さは笑ってしまった。 -
Posted by ブクログ
まず冒頭申し上げたいのは、西村賢太作品を相部屋の病室で読んではいけないということです。
思わず吹き出して、同室の患者に眉を顰められること必定。
笑いを堪えようとして咽たり咳込んだりし、事態が悪化することもしばしばです。
今回、大腸ポリープの摘出手術を受けるため1週間入院していますが、西村作品を持ち込んだことを軽く後悔しております。
それはさておき、本作は言わずと知れた「北町貫多」シリーズ。
貫多17歳、洋食屋でアルバイトをする青春の日々を描いています。
「青春」と書きましたが、貫多の青春は、一般にイメージされているものとは真逆のものです。
貫多は、小学5年のころに父が性犯罪で捕まり、母と姉と共に都内の別の土地へと逃げました。
その後、中卒で社会に出ると、港湾人足など重労働で糊口をしのぐ生活を送るのです。
しかし、まだまだ17歳。
自身初となる洋食屋でのアルバイトも順調です。
貫多はこう思います。
「確かに自分は〈青春の落伍者〉になりつつあるが、しかしながら、まだ〈人生の落伍者〉には至っていないのだ」
見上げた心意気ではないでしょうか。
不遇をかこつのではなく、むしろそれをバネにして自ら人生を切り開く――。
なんてことは、貫多に限っては一切ありません。
バイトで得た給金は酒と買淫に費消し、家賃は踏み倒し、金に困れば実家に戻って母から金をむしり取る。
自ら人生を切り開くどころか、職場その他で出会った年配の人たちを「人生の落伍者」と決めつけ、優越感を得て恬淡とする始末です。
それだけではありません、自分を棚に上げて、気に食わない人をとにかく悪し様に罵るのです。
何と下劣な品性の持ち主でしょう。
しかし、この下劣さこそが貫多の魅力として、私を含む多くの読者の心を捉えているのだから不思議です。
しかも、貫多の言い立てる悪態の痛快さといったら、もう中毒になります。
これだけ多くのファンがいるということは、恐らく私を含め、貫多のように自分にもっと正直に生きたい人が多いのだと思います。
蛇足ですが、西村賢太には珍しいエンタメ作品「悪夢――或いは『閉鎖されたレストランの話』」の着想は、この洋食屋で得たものなのだと本作を読んで知りました。
ちょっと感動した。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日記の面白さに気づく一冊だった。
書いてあることといえば、主に朝から晩までの行動についてだけ。何時に起床、入浴し、一日こういう仕事を行い、食べた物の記録があり、明け方に酒を呑み一日を終える。時々、尊敬する人物への熱い思いが綴ってあり、編集者との喧嘩や愚痴も書いてある。
でも日記として気楽に楽しめる範囲の事しか書かれていない。3.11の時は平静でいられない日々が続いたと思うが、それについての記述がほぼ無いことから、何を書いて何を書かないかというのが徹底しているように感じた。この日記を読んでいて不思議と癒しを覚えるのは、その取捨選択が絶妙だからなのかもしれない。
まだ『苦役列車』しか読んだことがないが、その時に感じた面白みを本書でも得られたのが良かった。妙に人懐っこさを感じるのと、憎めなさがあると思う。ほかの著作も読んでみたい。