山本博文のレビュー一覧
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[辛酸か、法悦か]豊臣、徳川初期時代の上からの弾圧により、苦しみの中で殉教を遂げたと「教科書的」には説明されるキリシタンの殉教。そんな定式化した見方に異議を唱えつつ、日本人の死生観の一端を明らかにしようと試みた作品です。著者は、一次史料から丁寧に日本近世を浮かび上がらせることで評価が高い山本博文。
このテーマの着眼点はお見事だと思います。読めば読むほど、「え、そうだったの!?」と思わされることばかりで、刺激に満ちた読書となりました。また、殉教に対するイメージがいかに現代的な理解に基づいて組み立てられているかが、本書中で明かされる史料の数々で明らかにされており、原資料に当たることの大切さを教 -
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最近、鎌倉幕府成立の年号は「イイクニ(1192)作ろう」より「イイハコ(1185)作ろう」で覚えるらしい。また、聖徳太子はただのボンクラ御曹司だったらしい。
学生時代の日本史授業で習ってきた常識が否定されることがよくある。それは新しい史実が発見されたのではなく、歴史の考え方が変わったからだ。つまり、「歴史学」が発展したから。
では、「歴史学」とは何か。今そこにある史実をコツコツと分析、研究することで、新たな歴史の見方を発見することだ。世紀の大発見によって新たな歴史を掘り出すというドラマチックさはない。
しかし、「イイクニ」を「イイハコ」に変えたことは、かなりのインパクトだ。改めて、歴史の -
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江戸時代に“朝鮮通信使”というものが来日していたということは少しは知られているかもしれないが…それに関連する実務で奔走した人達の活動はそれ程知られているとも思えない…そうした意味で本書は貴重である。また“対朝鮮関係”の考え方、位置付けの変遷、宗家が関与していた交易の変遷、江戸時代を通じて起こっていた社会の変化等、興味尽きないテーマがぎっしり詰まっている。
“朝鮮通信使”は非常に永い間に亘って続いた隣国間の友好的使節という意味で、なかなかに貴重なモノなのだが…両国の“ニュアンス”の違いの“隙間”の「微妙なバランス」の上で営々と続いてきたものでもあると、本書を読んで考えた… -
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127両 (18.4%) 仏事費
65両 ( 9.4%) 御家再興工作費
70両 (10/1%) 江戸屋敷購入費
248両 (35.6%) 旅費・江戸逗留費
11両 ( 1.6%) 通信・会議費
132両 (19.0%) 生活補助費
12両 ( 1.7%) 装備費
30両 ( 4.2%) その他
695両 (100%) 総額
さて上記の金額、約700百両(現在の金に換算して約83百万円)を使った一大プロジェクトとは何であろうか?そう、あの有名な吉良邸討入に掛った費用の総額と内訳なのである。松の廊下の刃傷沙汰が元禄14年(1701年)3月14日で、赤穂城の引渡が4月中旬。ここから浪 -
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ネタバレ[ 内容 ]
「武士道」という言葉は、現代のわれわれにとっても高い倫理性や無私の精神を感じさせる。
ではなぜ、武士たちはそのような厳しい倫理観を身につけたのか。
その行動と判断は何に拠っていたのか。
本書は、武士にこそ、世間が最も大きな重圧としてのしかかり、その道徳的基準となっていたことを多くの史料から実証し、絶えず死を覚悟して事にあたらねばならなかったサムライたちの切実な姿を浮かび上がらせる。
[ 目次 ]
第1章 死を望む武士たち
第2章 赤穂事件と世間
第3章 武士の名誉心と外聞
第4章 細川ガラシャと恥の感覚
第5章 殉死と世間の目
第6章 世間の思惑
第7章 武士と世間
[ PO -
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「切腹」という、もはや日本人にさえも徐々に理解が困難になりつつある自死法について、事例を挙げながら、その歴史的、文化的な側面を分析している新書。
私のこれまでの理解は、武士が己にかけられた恥辱、疑念などの汚名を濯ぐために誠(腹のなか)を示すというものでした。
本書では、それだけに止まらない多くの事例が紹介されており、よく考えてみると確かにそう単純なものではないと思い直しました。
例えば、戦国時代には、負け戦において家臣らの助命のために武将が自ら切腹をとるケースが見られるが、江戸時代になると、ささいな失敗の責で末端武士が切腹を命じられて主君が守られるというケースが増えてきます。
上役は絶対で