佐藤賢一のレビュー一覧
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本能寺の変後に堺に取り残された徳川家康一行が苦難の末、本拠地の三河に帰還するいわゆる「神君伊賀越え」には、七人の忍びの知られざる活躍があった、というていで、忍びの忍びらしい技の数々含めてエンタメチックに描き出していて楽しめる。手裏剣はもとより毒や爆弾、あげくに●まで●んでしまうとは、ちょっと行き過ぎ感もありつつ、これはこれで懐かしの忍者活劇をバカバカしくなる寸前でリアリティすら感じるエンタメに昇華しているのは、作者の技量ならではと言えるのではないでしょうか。忍びの視点から見た本能寺の変〜伊賀越えを見てみると、新たな可能性の気づきもありバランスの取れたエンタメ作品と言えると思います。
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「歴史学」と「歴史小説」と「歴史」の違いを語る本。3つ目の「歴史」に疑問符がついたまま読み進めていたが、“歴史学者”と“歴史小説家”と“歴史家”の違いといったほうが解りやすいか。
“歴史学者”と“歴史小説家”の対比は以下のようなものだった。
“歴史学者”は、現代に残された史料から、その時代に起きた出来事(史実)を明らかにする。屍者に対する解剖学者に喩える。サイエンスの領分。
“歴史小説家”も、現代に残された史料を調査するが、その時代に生きた有名/無名の人々の姿・心を引き出す。屍者に対する霊媒師に喩える。アートの領分。
そして、この二者の扱う範疇に入らない「歴史観」の担い手として著者が想定するのが“歴史家”。「歴史観」とは「歴史を評価する」もの。「評価」というのは主観的なものであって、客観的なサイエンスの領分にいる歴史学者には扱えない。また、歴史小説家は「ウソ」を扱うアートの領分にいて、「史観を打ち出す」立場として適切でない(「司馬史観」として知られる司馬遼太郎も、その小説中で歴史観を述べる箇所は「余談ながら」と断ってから始めるのだったし、向けられる批判も少なくなかった)。そこで、“歴史家”――かつてはそういう肩書の人がいたが、現代においては「自分なりの史観」を持つべきは読者各個人――なのだと説く。
ざっとこんな話。で、まだまだ歴史観を持つほどには歴史(学/小説)に触れていない私にとっては、歴史小説というものの位置づけが腑に落ちたのが良かった点。歴史小説はSF(サイエンス・フィクション)の一種(p.149)というのは、一読者にとってのヒントになると思う。(ただ、いわゆるSF(理系のほう)はどこがフィクションか解りやすいのに比べて、歴史小説は、どこまで史実でどこから「ウソ」なのか、歴史シロートには判断がつかないという取っ付きにくさは残るかな…。) -
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16世紀のカルチエ・ラタンを舞台に、夜警のドニ・クルパンと神学僧ミシェルの活躍、神学の周辺を描く。今も残るパリの風景と当時の時代背景が縦糸に、ノートルダムの鐘突き男やダヴィンチ、ザビエルやロヨラ、カルヴァンなど、フィクション、ノンフィクション取り交ぜて誰もが知る人物が横糸になり、貴族から宗教者、庶民の暮らしぶりを現代の感覚で平易に描いていて読みやすい。フランソワ1世が捜査の現場に現れてしまうあたりがなかなか大胆なフィクションだが、“勧善懲悪”の気持ち良さで気軽にスルー出来る。
終盤の神学論争は、現代における宗教の捉え方や、人間の欲と存在意義を重ねて考えることもできるかもしれない。 -
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ネタバレタイトルから想像していたのと少し違うが、著者が小説を書くまでの経過はおもしろい、歴史好き・興味がある人には「どう読むか」の視点を得られるかもしれない、具体的な事例を期待したが一般論、司馬史観(戦国は良く、江戸は悪く、幕末維新は良い)というような物語構造)が生まれる迄の経過・環境の話が面白い
また「はじめにイデオロギーありき」で歴史を都合よく拡大・縮小・改竄・捏造する態度に対する著者の警鐘は興味深い、歴史学者に当てはめると自説を誘導する見苦しさを想像する、また政治活動かが自己正当化の目的で現代の歴史叙述全般——政治的な「物語化」や選択的な強調——にもつながる問題?昨今の政治家や論客の議論で、事実より「メッセージ性」や「感情の共有」を優先する姿勢を見ると、まさに本書が批判する「ウソ」の構造と言えるのではないだろうか・・・違うかw -
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ネタバレ169頁の講演調のほとんど自明の論ではあるが、最後の「史観」論のみ秀逸。
・歴史小説家(歴史小説)は人を書き、歴史学者(歴史学)は歴史的事実を書く。
・戦後日本の歴史学が皇国史観や唯物史観の反省から、専門分化の実証主義に陥ると、歴史の発展の体系的な見方を求められうようになる。その様な時代に司馬史観が生まれた。
・歴史小説家はウソにより感動を与えるので、その史観には危ういものがある。百田尚樹。
・しかし、史観は個人の価値観を離れて存在しえない。史観を打ち出すのは歴史家であり、それは歴史学者、歴史小説家、素人を問わない。
・歴史小説は一種のSF小説。サイエンスとアートの融合。