あらすじ
地震が起こる。疫病が蔓延する。命が無惨に失われる。何故だ。日本が悪法に染まってしまったからだ――。日蓮は法華経への帰依を説き、他宗派に敢然と挑む。それは権力者たる北条氏を敵とすることに等しかった。斬首の危機、佐渡への配流。苦難の中で、信じる法をひたすら世に広め続ける日蓮は、その信仰と情熱で人びとを救うことができるのか。歴史を動かした僧の半生を描く、感動巨編。(解説・末國善己)
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空海と親鸞は読む機会が比較的多いなか、
中学校の社会科で日蓮を知っても、
そのままで通り過ぎてしまうが多いと思う。
日蓮といえば『立正安国論』と法華経と南無妙法蓮華経、日蓮宗。
なかなか、小説で読む機会が少ないのも事実である。
日蓮の、貴重な背景や考え等を知ることが出来た一冊。
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法華宗に縁があり、とある僧の話を聞いた時に全く腑に落ちなかったが、日蓮のこのような教えに依ると思うと納得。
結局、宗教とはなんなのか…わからないが、宗教者の話は興味深いかもしれない。
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中世ヨーロッパを舞台とした名作を多く著している佐藤賢一氏、今作は日本、それも宗教家か、と些かの吃驚と期待を抱いて手に取った。
なるほど、確かに平安・鎌倉期に各宗派を率いた(あるいは拓いた)高僧たちの中でも、日蓮を主人公に選んだことについては何となく合点がいく。
いわば"優等生的な"教祖として、空海や親鸞が創作の中で描かれているケースをしばしば目にするのに対し、日蓮は、タイプこそ大きく異なれど道鏡や道元らと並ぶ怪僧の一人…というイメージがあった、個人的に。
世俗に敏く政治に阿るのとは対極に、自身が読み込んだ古来よりの経文こそに絶対的な価値基準を置き、師や権力者が働き掛けようと一切融通が利かず、時に詭弁とも思われる論を弄する姿は狂信的でさえあり、殉教者と呼ぶにふさわしい。
浄土宗の念仏と違い、現世の娑婆でこそ救われるべきなのだ、と法華経を用いて主張する日蓮の教えは、為政者にとっては前者よりも不都合であろうし、それを援用し成立していた既得権益の枠組みを壊すことは至難であったろう、という背景も推察できるので、上手く立ち回ったとて覆せなかったかもしれないが、日蓮の主張にここまで符合する法難の数々が都合よろしく発生するという有利な状況がありながら、ついには正教としての地位を確立することができなかった…とは、世渡り下手にも程があると呆れてしまうが…。
このように排他的な日蓮のパーソナリティーに焦点を当て、さらには、どれほど勉強されたのか、と感嘆するほどの蘊蓄や解釈を盛り込みながら、巧みに仕上げられた娯楽小説としてぐいぐいと読んでいったが、それも中盤まで。
後半に入っても同じような展開が繰り返され、またその起伏も平板になっていき、明らかに息切れ? と思われた。
「王妃の離婚」や「黒い悪魔」に見たような高い完成度は感じられず、残念。
本筋と関係ないが、釈迦本人の言葉として網羅的に遺されたものがなく、キリスト教の新約聖書に当たる教典がないからこそ仏教の解釈は多様に渡り、だから厄介なのだな…と改めて感じた。
「仏教、これまちまちにして旨趣究めがたく、なお不審な点も多くあり、どれが正しくどれが誤っているか、私は理非を明らかにできたわけではありません。」
「日蓮はすぐには答えなかった。いや、答えられなかった。日蓮とて、相手の気持ちを考えないではないからだ。
(中略)
日蓮は思い切った。やはり強々に答えることにした。」
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日蓮宗開祖である日蓮の半生の物語。
堕落腐敗した宗教界に対して、毅然と立ち向かう姿勢というのは尊敬すべき点であると思う。ただ、問答の場に引き出すために必要以上に煽り立てるとか、何かと強引な手法を取る部分はいかがなものか、と思ってしまいました。
自分の信じた道を進むことを決して諦めない。どんなに理解されなくとも、権力には屈することなく、命の危機を迎えてもなお、自分の信じた道を全うする事を選び抜いた半生。
尊敬すべき人物ではありますが、心の底から賞賛できないのは、攻撃性が高いからでしょうか。融和でなく排斥の道であると感じたからだと思います。
宗教2世である自分は、宗教家を題材にした小説は読まない方がいいのかもしれない、と思ってしまった。いろんな鬱屈した想いが掘り返されて、物語として素直に読めない部分がありました。
外部情報に左右されて楽しめないのはよくないぞ。
Posted by ブクログ
作品中にお経の文言が頻繁に出てきて、はっきり言って、難しかった。しかし、日蓮の、自分の信じたことに命をかける強い意志は、充分感じられた。でも、これだけ、他宗派をコテンパンに批判したら、さぞ恨まれただろう。僕だったら、怖くて、よう言わんわ!
う〜ん…。
2023年10月読了。
自分も日蓮宗に属する者なのですが、「法華経」の素晴らしさは(かろうじて)理解するものの、「日蓮」と云うあらゆる意味で“パワフル”であり、また他宗への攻撃も激しかった「アクの強さ」に正直付いて行けない気持ちが有りました。
かと言って、そこから分派した某宗教法人は、法華経を唱題しこそすれ、強引な勧誘,布施の徴収,どころか政治団体への票集めまで行い、代表者一人を祀り上げた「○○教」の如き存在には正直辟易しており、また本家(即ち日○○宗)にも近寄り難い雰囲気があり、何故この宗派は心穏やかに「信仰させて」くれないのかしらと、重ね重ね思ってきました。
本書で畫かれた日蓮上人が、そのまま実在の人物像と重なるのかどうかは分かりませんが、“強気な姿勢”の一端を垣間見た様な気持ちになりました。
又、他宗排撃の言葉は「間違った教えを弘めては、かえって禍を招くから」と云う理由からだったという理屈は、何とか飲み込むことも出来ました。
但し、この小説内で語られている経文等全てが「大乗仏教」の経典であり、それがブッダ本人の言葉では無い事は、多くの文献や歴史学からも指摘されている事実です。
その意味において、大乗仏教の経典の範囲内だけで“法論を戦わせる”事に何の意味が有るのか、かえって疑問を感じてしまった事も、偽らざる所感です。
勿論、「原始仏教」とて釈迦入滅から相当年数を経た後に作られたものですから、信じられるものは多くないのですが、そればかり気にしていては“仏教徒”として失格だとも思いました。
今作は、ひたすら法華経の布教に苦心する日蓮像ばかりが描かれ、些か「掘りの浅い物語」でしたので、著者自身の信仰などに影響されていたのかなとも推測しました。
著者には、法華経の教義も含めて、もっとスケールの大きな物語を書いて欲しかったです。法華経の智慧の醍醐味の素晴らしさ等、他宗と争うばかりではない視点も欲しかったです。そういう意味で辛い評価に成りました。やはり著者には「中世ヨーローッパ」を舞台にした物語の方がしっくり来るのでしょうか?これからの活躍を期待しています。