長谷川伸のレビュー一覧
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大衆的な名作を数々ものした長谷川伸の魅力にハマった小林まことが、自らのキャラクターのスターシステムを用い、コミカライズした一作。
主人公・弥太っぺを演じるのは「柔道部物語」の三五十五。他にも同作品、あるいは他の作品からのキャラクターが多数「出演」するので、どこにだれがいるのかを探すのもまた一興。チラッとですが勿論「あの人」も登場して、絶大な存在感を示していきます。
多少のアレンジを加えていますが、ある意味ベタ、しかし王道で、人情に素直に訴えかけてくるストーリーと主人公の行動は、三五とベストマッチ。原作や映画を調べてみると、こちらの方が幾分爽やかな仕上がりになってるようですね。
いかにも昭和シネ -
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中公文庫
長谷川伸 「ある市井の徒」
作家になる前までの半生記。生き別れた母との再会で終わる構成
副題「越しかたは悲しくも」の意味は「過去に後悔することが多いが、生きていれば 誇らしいこともある」と捉えた
一家が離散して、スリ、遊女、詐欺、人殺しが 近くにいる環境のなか、そちらに行かない人生、踏みとどまってきた人生は 誇らしい生き方だと思う。読書と夜学により人生が少し好転しているように見える
著者の「与えても求めない」生き方は 祖父の影響〜自分の家に入った盗人に槍を突きつけてお金を与えて逃したり、囚人を土工として雇い、看守と囚人の便所を分けて、囚人の便所にお酒の入った筒や煙草 -
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中公文庫
長谷川伸 「ある市井の徒」
作家になる前までの半生記。生き別れた母との再会で終わる構成
副題「越しかたは悲しくも」の意味は「過去に後悔することが多いが、生きていれば 誇らしいこともある」と捉えた
一家が離散して、スリ、遊女、詐欺、人殺しが 近くにいる環境のなか、そちらに行かない人生、踏みとどまってきた人生は 誇らしい生き方だと思う。読書と夜学により人生が少し好転しているように見える
著者の「与えても求めない」生き方は 祖父の影響〜自分の家に入った盗人に槍を突きつけてお金を与えて逃したり、囚人を土工として雇い、看守と囚人の便所を分けて、囚人の便所にお酒の入った筒や煙草 -
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長谷川伸 「石瓦混淆」 遺稿随筆集〜著者の一周忌の際に自費出版されたものらしい
作家になるための作品の読み方、テーマ設定、股旅物を書いてきた理由、人生の格言など 弟子たちに向けて遺した言葉が多い
作品同様、人間の精神に価値を見出している。「恩は着るものであって着せるものではない」という言葉に一宿一飯の恩義を返す義理人情に満ちた人生を感じる
作家になるための作品の読み方
*個性が重要〜好きな作家→嫌いな作家→どちらでもない作家の順で作品を読み比較することで個性の兆しが出てくる
*作家に向いてるか否かは 当人にも周囲の人にもわからない、やって試みるより外ない
テーマについて
*テーマは -
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正直こういう渡世ものを知らなかったんですが面白いですね。渡世人たちの仁義も歯切れのいいセリフも気持ちいいです。東三四郎から三五十五から小林作品のオールスターは嬉しくなります。振り替えると柔道部物語の比重が異常に高い自分で、西野新二と三五十五のリマッチが嬉しかったです。鷲尾も小柴も田丸も。細かくでてる星とか飛崎弟とか成田とかを探し出すと一体どれくらいになるのか?それだけに西上馬之助の少なさはちょいと寂しい気もします。
瞼の母や沓掛時次郎など耳の端に聞き覚えのあるものも多い題材です。ちょいとこの系統を掘り下げるのも一興かもしれやせん。なんたっていい話ばかりですからね。 -
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私はハワイが好きで今まで8回ほど訪れている。
東オアフのワイマナロはオアフ島でも有数のヒーリングスポットであり気に入っている。元横綱でK-1戦士の曙太郎の出身地としても有名な場所である。長谷川伸『生きている小説』(1958年)には19世紀のワイマナロが登場する。
この本は長谷川が見聞きした膨大なメモ類(ネタ帳)からピックアップした、古今数多くの日本人の群像を紹介しているエッセイである。
その中で明治期、福沢諭吉の海外雄飛論に鼓舞され、裸一貫で海外に渡って半生を過ごした山崎寧(やすし)という男について章がさかれている。
1890(明治23)年、山崎は米国軍艦モヒケン号に水兵として乗艦、太平洋航路 -
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長谷川伸
相楽総三 とその同志
相楽総三と赤報隊を調査記録した本
*賊として処刑された相楽総三の汚名をはらすための孫の調査記録
*相楽総三の壮絶な刑死の記録など
相楽総三の汚名をはらすために、相楽総三の孫は、板垣退助、渋沢栄一らに話を聞きに行くが、知っているのに話さない感じ。彼らは志士というより政治家。自分に不利なことは言わない。新聞に史料を公開し、真実にたどり着いてよかった。
斬首を仕損じた太刀取りに「代われ」と叱りつけ、首が三尺飛んだという 刑死のシーンは壮絶。刑死の地(上諏訪)の人々が、相楽総三の祟りを畏れたエピソードは 汚名の事実を知っていた後ろめたさか?
池波正太郎 -
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人気作家の自伝かと思いきや、前半生のことしか書いていない。新聞記者から作家になるあたりについては書かれていない。
とはいえ、明治中期から大正にかけての世相を描いている部分は面白い。
土建屋の父や職人(といっても渡世人と言いたくなる感じの人々)と一緒に渥美湾の埋め立て事業をしに行き、地元の人々と剣呑な関係になって夜中に襲撃されたり、和解したと思わせつつ狙撃されたりするあたりが一番面白い。
友人と一緒に遊女屋の遊女たちを1人ずつ連れ出して自由廃業させたりするくだりも面白いかな。
それと、よくラーメンの歴史について書くときに言及される、明治中期の横浜南京街の遠芳楼の「ラウメン」について書かれてい -
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人気作家の自伝かと思いきや、前半生のことしか書いていない。新聞記者から作家になるあたりについては書かれていない。
とはいえ、明治中期から大正にかけての世相を描いている部分は面白い。
土建屋の父や職人(といっても渡世人と言いたくなる感じの人々)と一緒に渥美湾の埋め立て事業をしに行き、地元の人々と剣呑な関係になって夜中に襲撃されたり、和解したと思わせつつ狙撃されたりするあたりが一番面白い。
友人と一緒に遊女屋の遊女たちを1人ずつ連れ出して自由廃業させたりするくだりも面白いかな。
それと、よくラーメンの歴史について書くときに言及される、明治中期の横浜南京街の遠芳楼の「ラウメン」について書かれてい -
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ネタバレ・例の研辰物の最新版かもしれない「野田版 研辰の討たれ」は喜劇である。今はなき中村勘三郎が主演し、これも今は亡き坂東三津五郎が家老を演じてゐる。 物語は研辰に家老の父を殺された兄弟が艱難辛苦の末に敵を討つといふものだが、研辰といふ人間はそんなに簡単に料理できるやうな者ではない。兄弟は実に涙ぐましい努力をして、やつと思ひを遂げるのである。かう書くと敵討ちは良いものだ、美徳であると言つてゐるかのやうであるが、研辰は最後の最後まで(刀はなしに)抵抗し、討つな、討つなと叫んで逃げ回る。逃げ回る者をさうまでして討たねばならぬのかといふ批判が当然出てくる。原作の木村錦花の批判のいはば受け売りだが、野田秀樹