私の中で新井素子さんといえば、SF作家であったり、口語体を使ったガーリーな文体が特徴的であったりというイメージだったのが、こういう作品も書くんだなということを本書を読んで実感させられたけれども・・・そういえば最近、「くますけと一緒に」が本書と同じく2025年に新装版となり、しかもそちらは話題になっていることを考えれば、ジャンル的にはサイコホラーとなりそうな本書が、新装版によって復刻したのにも納得できるものがある・・・のかもしれない。
たとえ休日出勤が頻繁にある程に仕事で忙しく、その帰りがほぼ毎日遅くなろうとも、夫への変わらぬ愛を捧げ続ける主婦の物語は、彼女自身が書いている日記と、その中から主だった場面の詳細をピックアップして描く形で進行していくのだが、まず怖いなと感じたのが、この日記形式であり、日記というのは他人が踏み込むことなど絶対にあり得ない、白の部分も黒の部分もそれ以外の部分も全部含めた、その人だけの領域を覗き見るのだから、これが怖くない訳がないのは明確でありながら、更に9月28日の日記が綴られたプロローグから、時間を遡らせて7月19日のそれへと繋がる本編の構成には、このような過程を経てプロローグのような内容になっていくんですよ〜といったカタストロフィへと至る結末を、読む前からあれこれと想像させる怖さも兼ね備えているし、個人の名前を主語とした、どこか他人行儀でよそよそしい文体も怖い。
『迷惑をかけること、それだけは、絶対にしたくない』や『誰か自分をひきずりまわしてくれる人が必要だった』等から垣間見えてくる主婦の人間性からは、純情と狂気が表裏一体であることや、真面目で責任感の強い人ほど陥りやすいものがあることに加えて、『場合によっては、悪意のない、まじりっ気なしの好意が、より一層、人をおいつめることだってある』という、自分のエゴだけではどうにもならないことまでも突き付けられてしまったような印象を抱かせはしたのだが、夫との時間を持てないことに寂しさを感じながらも、夫自身がどれだけ大変な思いをしているのかを知っているため口には出せずに我慢する、その主婦の心境も決して分からなくはないからこそ(お互い腹を割って話し合えばいいんじゃないのというツッコミは置いといて)、本人の中の無意識下のストレスとして、正気と狂気の境目のような状態に陥りつつあることにも同情してしまうと思うのだが、読んでいると何故かそう思わせない嫌な感じがあるというか、主婦自身が得体の知れない怖い存在に見えてくる、そうした物語の書き方からは新井さんってこんなに怖い人だったのかと、これまでの認識を改めさせるような印象まで抱かせられた・・・のだが。
しかし、新井素子さんは私の思っていた通りの方だったことが最後まで読むことで分かり、ホッとした反面、タイトルから想像できそうなカタストロフィを求めている人には、ちょっと物足りなさを感じるのかもしれないけれども、サイコホラー性の高い物語の裏で、正気と思われる人だって実際は真逆なのかもしれないよというメッセージも本書に含まれていることは、決して忘れてはいけないと思うんですよね。
更に、本書のオリジナル(新潮社)は1992年発刊で、その後1995年に同社から文庫化、2012年には中央公論新社から再度文庫化された後に、2025年新装版の本書が発刊されてと、実際には30年以上昔に書かれた作品でありながら、その内容は新井さんのあとがきにもあるように全く古びていないのが凄いと感じ、それは当時の時代性(今現在も?)が巻き起こした悲劇と思われながらも、それが当たり前なのだという認識をされていたことに疑問を感じ、高らかに異を唱えていた、そんな新井さんの勇敢さが窺える作品でもあったのです。