玄侑宗久のレビュー一覧
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現役僧侶が書いた小説、という触れ込みに興味が沸いて、読んだ。
仏教思想、特に禅宗は、卒論のテーマにしたぐらい興味がある。
ユングも曼陀羅に興味を抱いていたそうだから、共通点はあるのかもしれない。
何より、心理学を志した人なら誰もが知ってる臨床心理学者・河合隼雄氏が解説をしてるってのも、個人的にはかなりのツボ。
宗教心理学を経て文化人類学にシフトしたわたしにはたまらない1冊だった。
禅宗に興味がありながら、座ったこともないわたしだけど、時間ができたらやっぱ1度座ってみたい。
修行もせず悟入は難しいとわかってるけど、魔境でいいから体験してみたい。
きっと、世界が違って見えるかもしれない。 -
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本書は、現役の副住職であり、芥川賞作家でもある著者による般若心経の現代語訳。観自在菩薩がシャーリプトラに話しかけるというユニークな形式を取り、最新の科学の知見も取り入れながら解説が進む。語り口こそ平易だが、内容自体は結構難解。
最後の最後に「最高の咒文(じゅもん)」(!)が登場する。文字数にしてたった18文字。ただし、この咒文部分だけは「意味などわからない方がよく、音だけを暗記し、『響き』の力を感じるべき」という理由から現代語に訳されない。同様の理由から、玄奘三蔵も音写のままにしたとのこと。
般若心経がこんな呪術的な内容とは知らなかった。何とも刺激的。 -
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ブレるだのブレないだのと最近騒がしいけども、世の中は無常。たゆたってて当たり前。揺らいだっていいじゃないと、方丈記を通して福島・三春町に住む著者は言います。
揺るがない信念というと、響きは確かに良いが、それは結局のところ何かに執着するということ。特に印象深い一文は、「何事だって断定してはいけない。絶対にこうなんだという思い込みでは、これまで起きたことについてしか、解釈できない。今後どうなるかわからない世界へは、風流(中道)の力で、無情の世界を一歩一歩、歩んでいく。」のところ。
今日受けた研修もそうだったけど、とかくビジネスの世界では、いろんなフレームを使って、一方向に分かりやすくハメようとし -
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賢治は童話も書いているから、その作品は小学校の国語の教科書から、もう、掲載される。
けれども、それを100パーセント近く理解出来る人間はほとんどいない…と、私は思っていた。
教科書にはよく「やまなし」など載っている。
しかし、これは大人になった今でも理解不能な部分が多い。
多分、先生も理解していないだろう、なのに、生徒に教えなくてはいけないとは…同情を禁じ得ない。
なのに、教科書に載っているという事は、載せなくてはいけないほど重要な作家なのだな、とは思っていた。
しかし、理解できないままでいいとも思っていました。
賢治に限らず、『読んだけど、全部は分からなかった』という読書も多くあるし、それは -
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日本文化を学ぶ中で、日本人が大事にしてきたとされる無常観や遊びの感覚。その感覚を深めるにあたり、荘子をしっかり学びたいと思った。
「無用の用」という考え方に惚れ、荘子の本は昨年も読んだが、まだまだ掴み切れていない。今年は荘子をしっかりと読み込む決意を持って、荘子を扱う本を数冊手に入れた。
そして、学びたい偉人がそのシリーズにあるのなら、まずは「100分de名著」から。
著者の玄侑宗久氏は禅寺の僧侶である。実は日本の仏教、特に禅は道教、つまり老荘思想の影響を色濃く受けている。その歴史もこの本で納得。
本にはこう書かれている。
「遊とは、時間と空間に縛られない世界のことです」
なんとなくわ -
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量子力学を調べていくうち、なぜか本書に辿り着いた。
ゴーダマさん凄い。あの時代に弦理論やら超ひもやら相対性理論を悟りで感覚的に理解していた訳だ。シッダールタまじ凄い。
私が今まで日本語を学び、本を読んできたのは般若心経に出逢う為だったのではないかと思うほど。
あまりスピってるとも思われたくないが、真理を志すのは良いことではないか。
いや、そんな事を思っているから実相を空と捉えられないのだ。
名づけのなかで、最も罪深いものが「私」という代物。
考えてみれば、私たちは物心がついたときにはすでに生まれていたわけで。そしてそれまで「私」など関係なく生きていた「いのち」を、あるときから「私」だと