玄侑宗久のレビュー一覧
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玄侑宗久『阿修羅』講談社文庫。
不可思議な人間の精神世界の深淵を描いた作品。解離性同一性障害をテーマにした小説の場合、よくあるパターンは犯罪が絡むミステリーやサスペンスなのだが、この作品は両者のパターンには当てはまらない。精神科医が3つの人格を持つ女性の過去のトラウマを突き止め、人格を統合しようとするというストーリーである。が、本作も小説という性格上、単純なハッピーエンドの結末にはならないことだけ付け加えておく。
旅行先のハワイで妻の解離性同一性障害の人格交代に戸惑う夫。
田中美佐子には友美と絵里という3つの人格を持っていた。夫の智彦は突然の友美の出現に驚き、精神科医の杉本宗一郎に助けを -
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第125回芥川賞受賞作
中陰とはこの世とあの世の中間 と表紙にある。聞き慣れない言葉を解釈したものか。
則道は禅宗の僧侶で 圭子と結婚して6年目になる。子供はいない。一度妊娠したが4週目で流産をした。圭子は今でも少し拘っている。
則道は檀家の行事・葬式や法事を行っていて説法もする。だが大阪の町から来た圭子は仏教に縁がなく育っているので、何かにつけて教えて欲しいと言う。だが、則道はそれに明確な答えをすることが出来ない。
科学が進んだ現代、釈迦の教えを科学的な現象に置き換えて話すことをする。
知り合いで檀家のウメさんはおがみやと呼ばれていて相談者は信者と言うことになっている。
ウメさん -
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ネタバレ若干理解が誤っているかもしれないが、
・本来の自分は動物的なもの。
→p.64 本来の自己は傷つきもしないし汚れもしない。しかし作り物の自己は作り物であるが故に傷つき汚れやすい。迷いも、この作り物の自己に特徴的な現象なのだと思う。…禅が否定するのは学習や経験によって形作られた価値判断やスキキライによって、今の出逢いに余計なものが介在することだ。「先入観」なく、出逢えというのである。
煩悩とは…p.119
1.全体視機能(いっしょくたに見ちゃう)
2.還元視機能(細部ばかり気にする)
3.抽象機能(概念に溺れて具体を見ない)
4.定量機能(数えたり計ったりして、もっと欲しがる)
5.因果特定機 -
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ネタバレ衝撃的だったし、一度では理解しきれないので、読後即座に二度読み。即座に二度読みは人生初。まだ理解はできていないと思うが。
1.自分が、自分が、、の現代にあって、「「私」をなくすことが幸せ」と説く。
2.今まで常に何かを得よう、勉強しよう、とがんばってきたような気がするけど…
―どうしても私たちは、なにかを学ぶ、知識を得る、という次元で全てを処理するクセがついています。これも大脳皮質の強力な支配体制のなせるワザなのでしょう。本物の「いのち」の上に息苦しい虚構を作っていることに、なかなか気づかない。しかも「得た」と思うのは常に「私」です。タメになった、などと思っているうちはまだまだ「般若波 -
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資本主義の限界やら、シンギュラリティ(ほんとに来るかどうか分からんけど笑)が話題に登るこの時代だからこそ、意味のある考え方かもしれない。
超俯瞰した視点は実に面白い。
P55「人はただ人間という形に嵌って生まれたことを喜んでいるけれど、今のこの人間の形など、次々に変化して窮まりないものだ。その変化に対処することで得られる楽しみこそ計り知れないものじゃないか」
P58 荘子の妻の死に際し荘子曰く「初めは悲しかったけれど、命というもののそもそもの始まりを考えてみれば、もともとおぼろで捉えどころの無い状態でまじりあっていたわけだ。(中略)その形が変化して生命ができた。それが今また変化して死へと帰 -
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NHKで放送された100分de名著の荘子のネタ本。
老荘思想の荘子の概要を説明している。
何かと人為的でべき論になりがちな儒学と一線を画した、無為自然を旨とする生き方は、別の生き方の提示をしてくれている感じもするが、分かりやすく感じるところと、難解に感じるところと両面あり、腹落ちしないところもある。
受け身こそ最大の主体性と主張しているのは、今でいうレジリエンス的な発想なんだろうと思う。
荘子自体も座禅や瞑想的なことをしていたようなことも説明されていて新しい発見があった。禅との親和性もあり、道理で影響を与えたのも納得だ。曹洞宗の難解な世界観はきっと荘子の影響だと思う。ただ自分の老荘思想の隠遁者