玄侑宗久のレビュー一覧

  • 無常という力―「方丈記」に学ぶ心の在り方―

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    ネタバレ

    「無常はけっして静的な諦観であるだけでなく、ある種の安定を崩し、当座のバランスを失っても、一歩を踏み出す積極的な行動のこと」として「無常の力」と名づけたとのこと。
    すべてへのこだわりがないことは自由なのだ。「寿命は天に任せ、命を惜しむこともしないし、死を厭うこともしない。生涯の愉しみは、うたた寝しつつ見る夢に尽き、生涯の望みは四季折々に出会う絶景の中にこそある」・・・。そこまで往き付くのが難しい。

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    2012年03月13日
  • 中陰の花

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    この人の作品は初めて読んだ、僧侶らしく仏教用語が多くて、少し難解。
    中陰とはあの世とこの世の中間だそうな。
    霊魂などを信じられない私だが、
    平素考えたことのない「生と死」を見つめるきっかけにはなった。

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    2012年01月12日
  • アブラクサスの祭

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    読んでいて少しだけ苦しかったです。
    それでも、その分優しさが胸を打ちました。
    印象に残ったのは浄念と多恵の鏡のシーン。あとはナムですね。
    繊細さと力強さが入り交じった素敵なお話です。

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    2011年08月16日
  • 荘子と遊ぶ ──禅的思考の源流へ

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    2000年以上前から伝わる荘子。

     今に生きる人のためのこころの自由の哲学。



     著者が、今年は、兎年、なにか、地中からエネルギーが湧きおこる年と

     言っていたが、ほんとうに、いろんなことがおきてしまった。



     荘子には、両行という生き方がある。

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    2011年06月11日
  • アブラクサスの祭

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    ロッカーにして禅僧
    躁鬱に分裂病のケもある主人公
    コンサートの開催を目論む日々のなかで
    精神の安定を担保する存在「アブラクサス」を見出だす

    ところで彼は、「アブラクサス」のために死ねるだろうか
    (僕は無理です…)

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    2011年05月15日
  • アブラクサスの祭

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    躁鬱病でアマチュアロックミュージシャンの鹿児島出身の僧侶が福島県で病と共存しながら暮らす物語。筋があるようなないような揺れ感のある文章。映画化される(福島県では既に先行公開されている)ときいていたのでもっとわかりやすい話かと思っていたらかなり純文学でした。ロック、躁鬱病、僧侶のどの世界についても背景知識にうとく話に入り込みにくかったのが残念。どれかに詳しければもっと深く読めたかも。

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    2010年11月21日
  • 息の発見

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    お互いの良いところが出てる対談。五木氏がちょっと主張が強いかな?玄侑氏は説得力がありますよ。あと、所々に出てくる呼吸の仕方は確かに落ち着く!

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    2010年11月16日
  • アブラクサスの祭

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    これは話としては映画のほうが向いているかもしれない。と、いう意味で映画は良い作品になるかもしれない。ので、映画が楽しみだ。

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    2010年10月17日
  • アブラクサスの祭

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    躁鬱病に苦しみながら法要をこなし、ロック好きな僧侶がライブをしちゃう物語。躁と鬱の内面的描写がリアル!僧侶の日常から脱しようとするあがきは誰にもあるのかな…この小説、映画化されるけど想像もつかない!

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    2010年09月18日
  • 中陰の花

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    霊の世界とひとくちに言っても、その全貌はあまりに巨大
    しかも目に映りません
    盲目の男たちがゾウにふれて「まるで蛇のようだ」、「いや柱のようだ」、「いや団扇のようだ」と
    言い合いになる話を思い出しました

    そんなものは存在しない、と
    ラジカルに割り切ろうとすればするほど
    ふとした瞬間に感じてしまうことはあるのかもしれない

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    2009年11月14日
  • 禅のいろは

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    21/11/6 75 薀蓄があって軽くて人に優しい

    夫婦なのに死因が違う不思議

    頭かくして尻隠さず>蔵身露影

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    2011年07月01日
  • アブラクサスの祭

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    スネオヘアー主演映画なので読んでみました。
    葛藤する部分をどう演じるのか、難しそうです。
    子供や妻との接し方は楽しみだなあ〜。

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    2009年10月04日
  • 釈迦に説法

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    仏教の世界観を現代科学の切り口で説明したり、お坊さんの日常などなぞの多い部分を軽い文体で分かりやすく説明している。仏教の世界観を、仏教の言葉ではなく現在科学の土俵で説明している。この作業は両方の世界の本質を理解している必要があるので、軽い文章だが圧倒的な深みがある。

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    2009年11月16日
  • 中陰の花

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    「有」と「無」の中間。「陰」と「陽」の境界。そういうことを考えてもぼやあっとしてしまう。色でいうなら白にグレーが交じり合ってケムリ色。それはなんなのだろうって考えられるのは人だけ。でも良い答えがなかなか。。科学と宗教はそいうことをずっと考えてきてるわけだけど小説にして考えていたほうが楽である。が。真っ向勝負も面白い。筆者が用心深く書いたというのがとてもよくわかる。

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    2011年09月15日
  • 中陰の花

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    ダメでした。
    悪い本とは思いません。ただ、この世界に私が興味を持てないもので。
    物語の中でこうした宗教観が語られるのには、さほど違和感を感じられないと思うのですが、玄侑さんは、宗教観を語るために物語を書いているのだと思います。
    その宗教観はなかなか面白いと思うのですが、それなら物語としてでなく、エッセイや哲学書として読むほうが良さそうです。でも、私はもともと宗教的な人間ではないので、今のところ手を出すことは無さそうです。

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    2016年08月16日
  • まわりみち極楽論 人生の不安にこたえる

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    07年: 
    芥川賞作家にして現役の僧侶でもある著者が、寄せられた質問をテーマに仏教の見地から語った本。
    これまで仏教の教えを真面目に読んだり考えたりしたことなかったけれども、非常に感銘を受けたし、自分の価値観、考え方に非常に近いなぁと共感。
    〜『有漏地より無漏地へ帰る一休み 雨降らば降れ風吹かば吹け』『我慢はいけません。(中略)無理無体な現実に直面したとき、心にそれを適応させる努力をしないことを「我慢」というんです。』『アインシュタインがこんなことを言っています。「人間は、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部である。時間と空間に限界づけられた一部である。人間は、自分自身、自分の思考や感情を他のものから

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    2009年10月04日
  • アブラクサスの祭

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    躁うつ病で分裂病でロックな坊さんの物語。途中で語り手が主人公の周囲の人々にシフトして、周りから見た主人公がどういう状態かを書き出しているのが面白いと思う。精神世界の描き方が凄いと思ったら、著者は現役僧侶だったんですね。僧侶って内職してていいんですか。。

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    2009年10月04日
  • アブラクサスの祭

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    他人との距離感とか、鬱のときの感じとか、すっごくわかるんだけど、最後に行くにしたがってそれがどんどんどんどん加速して行っちゃってとうとう突き抜けてしまう。玄宗曰くところの「人を陶酔へと運ぶ以前に自分が恍惚のうちに飛翔してしまう」(P.72)ってのが結局のところの真実なんだろうなーと思う。
    主人公は躁鬱で分裂(と自認)。イっちゃってる感がすごいリアルで、この人(作者)もしかしてメンヘラかな、とたぶん誰もが思う出来。そういやメンヘラってキ○ガイの穏便な言い方なんだよな…。
    主観の入れ替わりが激しくて時々「あれ?」って思ってしまうけど、それって結局私の頭の回転が遅くなっててついていけなかっただけかも

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    2009年10月07日
  • 中陰の花

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    自ら予言した日に幽界に旅立った、おがみや、ウメさん。僧侶・則道は、その死をきっかけにこの世とあの世の中間=中陰の世界を受け入れ、夫婦の関係をも改めて見つめ直していく──現役僧侶でもある著者が、生と死を独特の視点から描いて選考委員会全員の支持を集めた、第125回芥川賞受賞作。「朝顔の音」併録。 解説・河合隼雄

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    2009年10月04日
  • 釈迦に説法

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    「あるがまま」でいいじゃないか、といいながらそれにさえ行き詰まってしまったら、どうすればいいか。「ないがまま」でいいのだ、という著者は臨済宗の僧侶。「受け容れることは同することではなくて和することだ」という言葉は今の私にかなり痛い。「目標の実現に頑張りすぎることで囚われてはならない」ああ、そのとおりです。(汗)

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    2009年10月04日