玄侑宗久のレビュー一覧
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僧侶である則道(そくどう)は、妻の圭子と二人暮らし。所謂"おがみや"として様々な予言をし、自分の死をも予知して最期を迎えたウメさん。鉱泉を開き、妻と共に自らの宗教体験を語る石屋の徳さん。流産のために産まれる前に亡くなった我が子と、圭子が「成仏してない」と主張するウメさんとを弔うため、圭子が作った紙縒(かみより)に包まれながらお経をあげる則道。そこで二人は紙縒に不思議な動きを認め、そして圭子は呟くのだ―「成仏やなあ」と。
タイトルにもなっている「中陰」とは、この世とあの世の中間、という意味らしい。ネットで霊体験を検索する則道は、次のように考える。「多くは真剣に自分の信じる世界を描いているようだ。 -
Posted by ブクログ
親鸞が思想的に逝ってしまっているという指摘と、法華経と良寛がともに論旨不明という指摘は非常に共感した。
般若心経でクマラジーヴァも玄奘三蔵も漢訳せずに音訳した『panya paramita』『anuttara samyak sambodhi』『gate, gate, para gate, parasan gate, bodhi, svaha』を中村元が逐語和訳したことへの批判はしばしば聞くが、サンスクリットの音ではなく、音読みで『ギャーテー…』って品無く読むだけなら、別に気にしなくても良いのでは?と思っていた(今もそう思っている。)。
が、本書では特に、『bodhi』を完了形で訳した点を批判 -
Posted by ブクログ
「般若」とは理知によらないもう一つの体験的な「知」の様式である。「般若」の捉える「全体性」は、無情に変化しつつ無限の関係性の中にあり、いつだって絶えざる創造の場である。
「般若波羅蜜多」は「知恵の完成」と訳される事が多いが、実践的叡智であることを忘れてないけないだろう。
「般若波羅蜜多」というのは実は特別な呪文なのです。この呪文を唱えるといつのまにか「私」が消え、「いのち」の本体になりきってしまうということですね。
以上、抜き出しでした。
たった262文字の般若心経の解説に本が一冊とは多いのではないか、と思われるだろうが、私には足りないぐらいだった。
「自分」というのは錯覚、とまで感じさせ -
Posted by ブクログ
「べらぼうな生活」以来、この方のエッセイは大好き。
最近、本を出すお坊様も増えましたが、こっちのほうが人生の修行積んでると思うのに、若僧の(失礼!)人生論なぞ読む気にはなれないのですが、玄侑宗久氏の砕けたお話は面白い。
禁煙を強いられる話などで、突然、大人気ないとも思われるエキサイトも面白いし。
南極料理人の西村さんに通じるものもあるかなあ~
京都エッセイの入江さんとか・・・
ちょっと毒舌な文章も、悪気はなくて、「きっと、ご本人、面白い人なんだろうな」と思えるようなものは読んでいて楽しい。
いろはかるたをネタに書かれていて、それぞれの文の頭にかるたのイラスト(カット)が入っているのですが、宗久