あらすじ
語るとは、聞くこと。だから心に響く。震災前5篇、震災後5篇を厳選。
【対談者】木田元/辰巳芳子/五木寛之/養老孟司/片田珠美/山田太一/中沢新一/佐藤優/日野原重明/山折哲雄。 いずれも斯界の第一人者。私としては講義を受ける気分だが、それでは対談にならないので半端な言葉を差し挟む。(中略)大震災の前後で自分がどう変わったのかは、読み返してもよくわからない。それは読者の判断に任せ、私としてはこの刺激的な人々の話がすべていつでも読み返せる形になったことを独り歓んでおこう。(まえがきより)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
対談集
震災前と震災後とで半々で
震災後はやはり福島の話が中心になっている
天災の多い日本に住んでいるから
済んでしまったことに執着しないで
気持ちを切り替える
Posted by ブクログ
うーん、出てくる話題の多くが宗教的というか、ちょっとなじみのない領域に偏ってたのが残念。
対談の相手が軒並み豪華なメンツなので、期待していたのですが。
基本的にむずかしい話がなされているので、若干流し目で読んでしまいました。それでも時々、頷ける内容もあったり。
片田さんの章が、いちばんなじみやすくておもしろかったかなあ。
Posted by ブクログ
これだけの人を相手にいろんな知識を披露できる玄侑宗久という人もすごい人だ。
後半は震災後で、震災の話ばかりになる。リアルに感じることができずに少し飽きる。
五木寛之さんの言葉が印象に残る。
『僕は25歳で区切ってね、25歳までが学生期、50歳までが家住期で、50歳以後の林住期が人生のお動く気だという本を書いたんです。最近は自分が67歳になって遊行期に入ったから、75歳から100歳までの遊行期がもっとも高い面白い時期ではないかと我田引水で書きました。
老いに逆らって若さを維持したいというのは、若さに対するコンプレックスや憧憬があるからでしょう。そうじゃなくて、老いはひとつの実りであるというふうに考えたい。
たとえば登山では頂上を目指して、荷物を抱えて必死に登るでしょう。そのときは前しか見ていない。頂上に着いて下山するときは、ちょっと気持ちに余裕があるから、ああ向こうに海が見えるな、足元には高山植物が咲いているな、あそこに雷鳥がいるなというふうに優雅に安全に一歩一歩降りてゆく。これが人生後半の成熟した生き方だろうと思うんですよ。
頂上は登山の半分だと考えるんですよ。安全にふもとにたどり着いてようやく完結する。そこがクライマックスだと思うんです。』
他に・・・
「不変な、変わることのない自我なんていうものは存在しない。自我というのは感性的諸要素の一時的なまとまりにすぎない」-エルンスト・マッハ
「火葬というのはやはり残酷に見えるわけですね。輪廻観というのがはっきりあってこそ焼けると思うんですよ」-玄侑宗久
「道元禅師は、人は三つの心を持たなければいけないというふうにおっしゃるんです。ひとつめが「喜心」。二つめが「老心」、親が子どもを慈悲深く見つめるように見る心。三つめが「大心」、大きな心というのは、おもしろいんですけど、「春声にひかれて春沢に遊ばず、秋色を見るといえども更に秋心なし」という表現があります。昼の、たとえば鳥の鳴き声とかを聞いて心躍る気持ちがあっても、だらかといって春の沢まで出ていってはしゃぎ回ったりはしない。秋の景色に寂しさを感じても、心の中まで寂しくなったりはしない。」
「「自分」という言葉は「自然の分身」という言葉を短縮したんだそうですね。」
「悲しみは悲しむことで乗り越えるんだ。」-本居宣長「石上私淑言」
「状況の数だけ自己がある」-ハリー・スタック・サリヴァン
「君たちの中には一匹ずつ龍がすんでいる。龍は経験を食べて大きくなる。君たちの中の龍が今回の震災の経験で大きくなっているはずだから、その龍をぜひ鍛えて育ててください。」-プータン国王