小野不由美のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
怖い話は読みたいけどグロや鬱展開はNGという需要を満たしてくれる、ホラー風味の連作短編集。
亡くなった祖父母が生前住んでいた田舎の家をずっと思い出しながら読んでいた。春先は芝桜の葉陰に小さくてかわいいアマガエルがたくさん隠れていたこと、夏になると小さい庭に面した縁側で祖父が釣り道具の手入れをしていたこと、祖母が床の間に季節に合った掛け軸と花を欠かさず飾っていたこと、折々に違い棚に置かれた小さい雛人形や朱塗りの盆や一輪挿し、仏間に布団を敷いてもらって寝る夜中、欄間の模様がなんだか怖いものに見えたこと。昼間でも薄暗い納戸や、シャッターが付いた古い車庫もあった。祖父母の死後、家は壊して売ってしまったので、今では新しい知らない人の家が建っているけど、読みながらあの古い家が胸が締め付けられるほど懐かしくなった。しょっちゅう出入りしていた小さい頃は何とも思っていなかったが今の私の生活からは失われて戻らない豊かさがあの家にあったことに気付かされた。
雨の鈴と、最後の車庫の話がよかった。
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Posted by ブクログ
雁の国のお話。
今回で初めて気づきました。
十二国記。
つまり、毎回、それぞれの国のお話なんですね。
だから時系列も無視で独立した内容なのか。
この国の王と麒麟。
シリーズ1にも登場していましたが、
そこではエンの国は豊かで王は治世五百年で明君と言われていた。
しかしながら今回はまだ即位して二十年のお話。
前王で荒廃した国が少しづつ整えられている状態。
王自身も麒麟や家臣たちに
諭されて、明君には遠い状態。
そんな時に麒麟を拉致して反逆をする者が現れた。
内乱など色々な困難があって王→国が成長する!
個人的には今までで一番好きな内容でした。
王も麒麟も十二国とは違う世界→日本からやって来たが五百年前の戦国時代で瀬戸内の村上海賊。
そんな歴史ファンの心をくすぐる所も高評価です。
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Posted by ブクログ
ネタバレ今回もフォーマットは変わらず、短編が全部で六篇が収められている。建物に宿った怪異に悩まされる人々と、それを営繕という形で受け止めていく尾端(おばな)の物語である、という基本構造は変わらない。
第3弾ということもあって、このシリーズは良くも悪くもフォーマットとしてはかなり安定してきたと思う。一応、探偵役というか怪異を解決するのが営繕を営んでいる尾端の役目なのだが、彼はミステリーの探偵のように事件に積極的に関わることはしない。
あくまで依頼者が悩んでいる怪異の話を丁寧に聞き、家や物の来歴をたどり、怪異そのものを力ずくで祓うのではなく、建物に少し手を入れることで怪異を受け流す、あるいは怪異の発生が起こらないようにするのが彼の仕事だ。言い換えると、仮にそこに何らかの怨念があったとしても、その怨念の種そのものを取り除くというというのは、彼の生業とするところではないのだ。
そして、その怨念が生まれる理由のうち、ほとんどが「家族」にまつわる話であるのが本作の特徴と言えるだろう。実際の殺人事件でも見しらぬ人への犯罪よりも圧倒的に身近な人同士での事件が多いように、怨念が生まれるのはやはりその関係性が濃く、かつ逃げることができないからだ・・というのが、著者の小野不由美の世界観なのかもしれない。
ただ実際にそういう”人間関係が難しい人間”を家族に持っていた身からすると、何もフィクションの中でまでそういったことを持ち込まないでほしい・・というきにもなってしまったりもする。特にしんどかったのが、夫の母(つまり姑)から夫の死後もさんざんいじめられていた女性の家に訪れる怪異を描く「火焔」と、二人の娘の中で母親から偏愛された長女が自殺してしまったことをきっかけに怪異が起こり出すという「茨姫」だ。
二篇ともに物語の語りとなる女性は、エピソードの中では被害を受ける立場にあり、しかもそれは本人には全く責任がない。後者は実の母親、前者は義理の母親という違いはあれども、同性の年上の女性から受ける迫害を描いているエピソードで、読んでいる方はただただしんどいという気持ちになる。
さらに発生する怪異も、後者の方は中庭にある物置小屋を囲む草が異常に伸びる・・程度なのだが、前者は家の中で亡くなったはずの義理の母親が暴れるということで、より凶暴性がましている。ただしこの話の場合は、”もしかしたら語り手が無意識のうちにストレスを溜めて暴れているのでは・・”という想像も決して不可能ではないようにしているところが、作者小野不由美の意地悪いところでもある(携帯電話になくなった母からかかってくる・・という話があるので、一応本人ではないとは思えるようになっている)。
とりあえず全てのエピソードで尾端の活躍により、語り手の悩みは解消する方向に向かっていくとはいえ、例えば亡くなった人が自分を探してくれるように求めて庭に来るという「骸の浜」では、怪異そのものは消えてなくなったりしない。ただ語り手の悩みを解決することで、怪異が語り手の人生に影響を与える度合いを小さくしているだけなのだ。
そういった意味では、このシリーズは日本風の怪談の特徴である「起こっている怪異は消え去りはしない。ただ一時的に収まるだけ」をしっかり引き継いだ、正統派の日本風怪談譚と言えるのは間違いない。
伏線の回収レベルがとわれ、全てに説明が求められるようになったミステリとは違い、ホラー作品にはこういった”余白”が許されるというところが、筆者が本作を描き続けている理由であるような気もするし、また読者も全てを説明する必要はないとどこかで感じている・・というのが、このシリーズが続いている理由なのだろう。