小野不由美のレビュー一覧
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営繕かるかや怪異譚その肆。
「忍びよる」「迦陵頻伽」「鉄輪」「いつか眠りを」「夜明けの晩に」「風来たりて」の六篇。
全篇通じて怪異の完全解決に至っていないのが、じんわりとした怖さを与えてくれます。見知らぬ隣人の怖さ、顔の見えない怖さから始まり、ことの詳細を知ったからといって、恐怖がなくなるわけではない、というのは不安や不快でありますね。
その感覚や感情を少しでも薄める、浮かび上がってきた非日常の異物をできるかぎり日常に近づけようと施行する話だったと思います、今巻は。
まあ、祓い屋や拝み屋ではないですからね。
舞台となっている町そのものが抱えてしまった負のエネルギーによる怪異譚だったのかな、と思います。「迦陵頻伽」「夜明けの晩に」「風来たりて」の三篇はそう思う。「鉄輪」「いつか眠りを」は、その土地・家に関わるものではあるけども、それらも紐解いてゆくと、大きな範囲でここの町、ここの土地に関わってくることであったりするのかなぁ、と思うぐらいには、不穏さを醸し出している気持ちになりました。
どの話も読後がよろしくないのも、不穏さ不安さの原因でしょうか。
これまでどれか一つぐらいは、安心する話があったように記憶しているけど、どうだったか。また難しいのは、拒否感が出るほどのものではないというところ。絶妙に怖いもの見たさの範疇に収まってしまう程度の不穏さ不安さであるのですよ。
そういう無防備さが「鉄輪」のような怪異を呼び込んでしまうのかもしれませんが。
あの柱の描写は今巻で随一の怖さ。「残穢」のラストを思い出しました。呪物という言葉がもつ印象に相応しい怖さだと思います。 -
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「十二国記」 ep0として読む順番の意見が分かれる理由に納得。
個人的には、ep0を読んでからep1に進めば良かった…と後悔してます。ep1を読んだだけで得体の知れない恐怖感はかなり激減します。
結局あの怪異はなんだったの?というフラストレーションを抱えたままep1の上巻でフラストレーションを倍にして、下巻で一気に回収してみたかった!記憶を消してep0から読みたい、、、。
ただ、怪異に対する疑問無く、「人の帰る場所」についての十二国記のテーマを深めることが出来たのでそれはすごく良かったです。
でもそれは読み返す時にできるのでやっぱりep0から読んでほしい!
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延王と延麒の物語。
これまでちょこちょこ登場してきた二人が、ついに主役を張る。
王も麒麟も胎果というのは相当珍しいのではないかと気になっていたので、二人がいかにして出会い、歩んできたかを知れる本作はまさに待望もの。
ep1、ep2では強キャラすぎていまいちその人物像がつかみきれなかったが、本作ではその内面を覗かせる。
延王尚隆のルーツは、日本時代に自国を滅ぼされた経験にある。次期当主として育てられてきた尚隆にとって、国(民)に報いることこそが自分のアイデンティティであった。そんな尚隆だったからこそ、長らく王がおらず腐敗しきった国である厭であっても、欲しいと即決する。繁栄した厭しか知らなかったから、ここまで荒廃していたことに驚いた。
一方、延麒六太の葛藤は、十二国記の世界のシステムへのアンチテーゼっぽかった。
「おれはそもそも王などというものは、いないほうがましなんじゃないかと思ってる」
「民の主は民自身だけでいいんじゃないのか。上に権を置けば権は民を虐げる。そういうことなんだろうと思う。」
これは、王権主義を否定し、民主主義を望む言葉のように感じる。その後も度々蓬莱を訪問している様子の六太。民主主義化していく日本も見てきただろう。
一方で十二国側では尚隆と500年の時をともに歩んできた。
両時代を見てきた六太は、世界の仕組みについてどう考えるのか、気になる。 -
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ネタバレ住居に紐づく怪異を営繕屋・尾端が紐解く。「芙蓉忌」「関守」「まつとし聞かば」「魂やどりて」「水の声」「まさくに」6作収録の短編集。
透明感のある上質なタッチはそのまま。
前作同様、情緒溢れる瑞々しい文章。空気が凪いだ下町の雰囲気がすぐそこに広がっていく。派手さはないのに退屈させない、奥ゆかしい日本の良さを感じた。
営繕屋の線引きってどこなんだろう。
祓わずに反らす、弱めるという印象を受けた前作。祓い屋との違いが明確に描かれていて、好感を持っていた。二作目である本作では、怪異を紐解く探偵のような印象を受け、前作とは少し毛色が違うように感じた。私は、少しやりすぎに感じた。怪異と折り合いをつけられるよう手助けするという方が営繕かるかやらしさだと思うし、そこが他作品と差別化されていて良かったのに、と少し残念に思った。「水の声」は、ちょっとミステリィに寄っている感じがした。
「魂やどりて」が気に障った。
育のするリフォームは、私は悪くないと思う。材料として古道具屋古着を買って使うことのなにが悪いのか。購入して使っているのだから、文句を言われる筋合いなどないと思う。でしゃばりな幽霊だなと憤慨しきりである。
罰当たりかどうかは他人には関係ない。だって罰があたるのは本人なんだし。神社の御札で尻を拭こうが、誰にも見られていなければ良いと思う(変わったやつだとは思うが)。それを知って不快感を覚えさせてしまって初めていけないことなのではないかと思うのだ。育が津軽こぎんを切って布巾にしたっていいじゃないか。勝手に湧いてきてごちゃごちゃ言わないでほしいと育に同情した。
3作目でも作風が変わるのだろうか。
かるかやが行う営繕作業が薄かった本作。三作目がどのような球筋なのか予想することは現時点では難しい。しかし、さくさくとスナック感覚で読み進められるので、重い読書に疲れた時に適宜挟んでいきたいと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1巻とは少し毛色が変わった印象を受けた。
前作は異常現象の解釈が怪異と錯覚の間を揺れ動き、オカルトによる直接的な加害よりも(何も起きないのに)旧校舎の気味の悪さが印象に残ったが、本作では序盤からしっかり怪現象が続発する。
また、前作で感じた出版年代を感じさせる記述については、本作では機材が大きさや厚さ(= 古さ)を感じさせないように上手くぼかされていて、「1巻よりしっかり手を加えられている?」と感じた。
もちろん、所々からノスタルジックな雰囲気は漂ってくる。ナルの事務所へ案内されていくようなプロローグでの街の様子や、事務所に届く多数の本にカードを付けるシーンはどこか懐かしさを感じる。
導入部を読みながら「この時代のマニアックな洋書や古書はどうやって見つけていたんだろうな?」とインターネット普及以前の世界に思いを馳せられた。
前作で賛否があるかもしれないと思った書き口やキャラクターのクセについては、本作では苦にならなかった。
前作を読み終えてからしばらく経って本書を読み始めたが、1巻を読み始めた時の本書独特のノリへはすんなりと入り込めた。
物語が進んでいくと前作の2人(『巫女さん』と『ぼーさん』)と依頼先で鉢合わせることになるのだが、そこでも「ギョッ」とはしたが、前回のようなガチャガチャ感は感じなかった。
前作を読むことで慣れたのか、書き方の癖がマイルドになったのだろうか?
本作も前作同様、「怪異の本質は何か」ということに悩まされる内容だった。前作の解説で「ミステリの手法を使ったホラー」との指摘があったが、私としては本作の方がミステリ的な要素を強く感じた。正体を現さない怪異との推理合戦で、その時々に得られた情報から推理の内容が更新されていく感触だった。
序盤は麻衣の見立てと似たものを想像し、怪現象を引き起こしているのが娘の礼美だと思った。ただ、裏読みとして「そんなに単純ではないだろうし、副題がダブルミーニングで『人形』が礼美をも意味していることもあり得るか?」や「娘と人形が怪しいが、実は人形が娘を守っているという展開もありうる」などと考えながら読み進めた。
中盤では登場人物達の議論の末、「人形(と、その器に憑く”何か”)が問題である」としてこれらを祓うことになるが、情報を整理できたもののどこか噛み合っておらず、スッキリとしない印象がついて回った。「この読みは合っているのか?そんなに単純な展開で最後までいくのか?」と思いながら読み進めた。
終盤に入ると、それまで緩やかだった雰囲気が一変する。強い危機感を与えるような怪異と時間的猶予がない緊張感のなかで敵の正体が明らかになっていく。
ナルが調べ上げた過去の事例から本作の怪異が、少し前までの子供のいたずらとはかけ離れた”怖いモノ”であることが判明する。ようやく判明した黒幕に、「8歳前後を限定で加害する霊とは。やはりこの著者は一筋縄ではいかない。」と唸った。
この推理の推移だが、中盤までの仮説の組み立て順序が、タネ明かしとなる終盤では逆さまになっていくという面白い構造となっている。
中盤までは「土地の因縁→屋敷の問題→ 礼美に憑着→人形を憑代に?」と原因の推理が進んだが、終盤では、問題がないと思っていた前提が、新たな証拠で逆順に覆っていく。
それでいながら真相に近づいていくので、それまでの仮説では辻褄が合わないように感じていた部分がどんどんとスッキリしていく。ミステリで犯人、トリック、犯行の経緯までが明らかになったような気持ちの良いまとめ方となっている。
このシリーズの特徴とも言える”怪異の正体の探求”だが、その中心となる登場人物達の議論は今作でも健在である。
議論の役割分担は前作と同様で、
麻衣が起点となって疑問を呈し、ぼーさんと巫女さん(:本作では『綾子』と本名で記されることが多い)が、それぞれの専門分野の知識を導入して議論を掻き回す。それらをナルが補足や論旨を明確にすることで交通整理する。という具合だった。
議論が煮詰まってくると、ナルが挙がったオカルト知識を吟味しながらまとめ、全員のコンセンサスを得た新たな仮説が作られる。
そこからは新たな仮説の精度を上げるための議論になり、仮説を強化したり未確定の部分を洗い出し、未知の情報の観測(:観察や聞き込み)へと続いていく。
この議論部分で前作と異なっていると思ったのは、今回の議論は定義のズレを伴うという点であった。
現実の世界の専門家どうしの議論でも、食い違いの原因が現象の定義の違い(:広義と狭義の差であったり、それぞれが別の解釈を元にしていたり)ということはよくある。 本作では『憑依』に関する議論でこの問題がうまく表現されている。
登場人物たちはそれぞれが怪異の専門家であるが、ベースが仏教、神道、科学と専門性に違いがあるので、通俗的な意味での専門用語(?)の使用や、知識が浅いゆえの事象の切り分けの不十分さと混同が、議論をややこしくしている。
この混乱をナルが『憑依』と『憑着』に分けることで整理するのだが、整理の途中で、日本語で表現するとややこしくなる場合に英語で代用する場面なんかは科学技術の分野でのあるあるだなとも思った。
本作は前作とは対照的で、アクティブな展開が増えたとも感じた。
前作は話し合いの中で丸く収まったような終盤であったが、本作は怪異との対決姿勢が鮮明になり、前作とは異なった”力ずくでの解決”となる。議論と話し合いが主体の穏健な前作とはまた違った面白さがあったと思う。
特に物語の後半では、
前作で頼りになった仲間達の力が限定的にしか通じない点や終盤で主人公の麻衣の身にも危険が及ぶシーンがあったり、その後の浄化のシーンでも、前作で感じた安心感を揺るがし、「登場人物にも危害が及ぶ」危機感を抱かせたことも良かった部分だと思う。
最後に、本書以降のゴーストハントシリーズを未読の人は本書の解説を読んではいけない。
あろうことか本書以降のトリックについて言及している。最悪の解説である。
以下、その部分に触れる。
具体的な内容をボカしていても、シリーズを通しての伏線の”存在”に言及するのはマナー違反だろう。
本書著者の作家としての腕を考えれば、「何かあるかも」と疑っていても、それが大きな仕掛けであることもあれば、ミスリードであることもあり得る。それを楽しみにシリーズを読んでいるのに、「どんでん返しがあるよ」と指摘されては興ざめである。
解説中で本文やシリーズ他書の核心に触れるときは”ネタバレ注意”の旨を付している解説者も多くいるので、本書解説はその配慮がない、つまり無自覚にやっているのも始末に悪い。
そんなことをする解説者がネタバレの前後で『今回初めてこのシリーズを読む方は』、『今回の文庫化を機に、読者の輪がさらに大きく』などと述べているのは本当に片腹痛い。
そこへ加えて腹が立つのが解説内容がたいしたことがないことだった。本書の内容をなぞっているだけで作品や著者についての理解が深まるものがまるでない。時間を無駄にしただけでなくシリーズのネタバレもされては「読んで損をした」と感じてしまった。
解説者を自分の中でブラックリスト化するのは異例だが、「朝宮運河の解説は読むな」と覚えておこうと思う。