森鴎外のレビュー一覧
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短編ながら、森鴎外の最高傑作
江戸時代、<島流し>の刑に処せられた、弟殺しの罪人を、小舟で、京都より、大阪まで送る、役人(同心)と罪人との接触を描く。短い短編ではあるが、そのテーマは深く、<安楽死><幸福の尺度>を突いている。一度ならず、数回、読んでこそ、鴎外の意するところが分かるだろう。
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Posted by ブクログ
158P
森鴎外の雁って150頁ぐらいでそんなに短いはずなのに、なんか短くは感じないよね。高瀬舟も超短編だけど、短いけど内容が異常に詰まってるから短いとは感じないんだよね。芥川龍之介も短編しか出さないけど濃密だから、そっちのタイプだと思う。
「 僕は人附合いの余り好くない性であったから、学校の構内で好く逢う人にでも、用事がなくては話をしない。同じ下宿屋にいる学生なんぞには、帽を脱いで礼をするようなことも少かった。それが岡田と少し心安くなったのは、古本屋が媒をしたのである。僕の散歩に歩く道筋は、岡田のように極まってはいなかったが、脚が達者で縦横に本郷から下谷[* 45]、神田[* 46]を掛けて歩いて、古本屋があれば足を止めて見る。そう云う時に、度々岡田と店先で落ち合う。「好く古本屋で出くわすじゃないか」と云うような事を、どっちからか言い出したのが、親しげに物を言った始である。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「女はどんな正直な女でも、その時心に持っている事を隠して、外の事を言うのを、男程苦にしはしない。そしてそう云う場合に詞数の多くなるのは、女としては余程正直なのだと云っても好いかも知れない。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「うん。己は随分人に馬鹿にせられ通しに馬鹿にせられて、世の中を渡ったものだ。だがな、人を騙すよりは、人に騙されている方が、気が安い。なんの商売をしても、人に不義理をしないように、恩になった人を大事にするようにしていなくてはならないぜ」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「お玉は父親を幸福にしようと云う目的以外に、何の目的も有していなかったので、無理に堅い父親を口説き落すようにして人の妾になった。そしてそれを堕落せられるだけ堕落するのだと見て、その利他的行為の中に一種の安心を求めていた。しかしその檀那と頼んだ人が、人もあろうに高利貸であったと知った時は、余りの事に途方に暮れた。そこでどうも自分一人で胸のうやもやを排し去ることが出来なくなって、その心持を父親に打ち明けて、一しょに苦み悶えて貰おうと思った。そうは思ったものの、池の端の父親を尋ねてその平穏な生活を目のあたり見ては、どうも老人の手にしている杯の裡に、一滴の毒を注ぐに忍びない。よしやせつない思をしても、その思を我胸一つに畳んで置こうと決心した。そしてこの決心と同時に、これまで人にたよることしか知らなかったお玉が、始て独立したような心持になった。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「それからお玉が末造を遇することは愈厚くなって、お玉の心は愈末造に疎くなった。そして末造に世話になっているのが難有くもなく、自分が末造の為向けてくれる事を恩に被ないでも、それを末造に対して気の毒がるには及ばぬように感ずる。それと同時に又なんの躾をも受けていない芸なしの自分ではあるが、その自分が末造の持物になって果てるのは惜しいように思う。とうとう往来を通る学生を見ていて、あの中に若し頼もしい人がいて、自分を今の境界から救ってくれるようにはなるまいかとまで考えた。そしてそう云う想像に耽る自分を、忽然[* 226]意識した時、はっと驚いたのである。──────────────── この時お玉と顔を識り合ったのが岡田であった。お玉のためには岡田も只窓の外を通る学生の一人に過ぎない。しかし際立って立派な紅顔の美少年でありながら、己惚らしい、気障な態度がないのにお玉は気が附いて、何とはなしに懐かしい人柄だと思い初めた。それから毎日窓から外を見ているにも、又あの人が通りはしないかと待つようになった。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
「久しい間、文壇に対して沈黙していた森鷗外は、日露戦争後の新しい文学状況のなかで返り咲きのうごきをみせ、なかんずく、一九〇九(明治四二)年雑誌「スバル」が創刊されるや、石川 木や木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らの新世代に伍して旺盛な創作活動を再開した。「豊熟の時代」(杢太郎)の幕明けである。世は自然主義の全盛期であるが、彼は、「小説というものは何をどんな風に書いても好いものだ」(『追儺』)という立場にたち、自由で実験的な作品をつぎつぎにかいた。『半日』『追儺』『杯』『木精』などの短篇小説、『ヰタ・セクスアリス』『金毘羅』などの中篇とみられる作品、『仮面』『静』の戯曲などがそれである。このようなめざましい文学追求をへて、つぎに長篇小説への挑戦が日程にのぼるのは当然のことであろう。『青年』(「スバル」一九一〇 =明治四三・三 ~一九一一 =明治四四・八)は、その野心的意欲をありありと伝える作品である。鷗外は当時の画期的な芸術運動である自由劇場旗上げ興行(有楽座での『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』〈鷗外訳〉)なども作中にとりこんで小説展開の綾をつくり、文学志望の主人公小泉純一が孤独のなかで当代文壇の傾向とは別の「伝説」を小説としてかこうと決意するまでを追求し、描きだした。しかし、当初の予定を描ききれないでまとまりをつけた点があり、「一応これで終とする」という、歯切のよくない擱筆になった。」
—『雁(新潮文庫)』森鴎外著
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Posted by ブクログ
ネタバレもう20年以上前、読書の楽しさを教えてくれた本。
文体が、鴎外の他の作品と比べて読みやすかった。
親を助けるために成金の愛人となった『お玉』と、スポーツも勉強も優秀で、将来を約束された男子学生『岡田』。対照的な二人の登場人物の繊細な心の通い合いを描いています。
鴎外のすごさって、女性の心理描写にあると思っています。
当時20歳そこそこの私が、「お玉の気持ち、めちゃくちゃわかる!」「そうそう、こんな時はこう思っちゃうよね~」と、共感しまくりながら読み進めました。
医者としても文化人としても超一流の鴎外。普通に考えると、女性の細やかな心の動きなんて想像もつかないんじゃない?と思ってしまいますが、全く違いました。
最後のシーンで、お玉が気持ちを伝えられず、岡田と別々の人生を歩む展開も良かった。読んでいて切なさ、悲しさを感じながらも、リアリティを感じ、ストンと落ちてくるものがありました。 -
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「舞姫」
1890(明治23)年1月に「国民之友」に発表された森鷗外の最初の小説。短編小説で雅文体(擬古文)で書かれている。ベルリンに留学した青年官吏太田豊太郎の回想という形で書かれている。豊太郎は国家から派遣されてベルリンの大学の自由な空気に触れ、封建的な官僚機構と「家」に縛られた自分の生き方に疑問を持つ。やがて、純粋無垢な踊り子エリスと愛し合うようになると免職される。親身な友人相沢の尽力で日本での社会復帰の機会を得て、出世か愛情かで苦悩するが、豊太郎は帰国を選んだ。それを知ってエリスは発狂する。エリスは妊娠していた。国家や社会・家族など、周囲から期待される役割と近代知識人の自我の目覚めと挫折とを、鴎外自身の青春に重ねながら、豊熟な雅文体で描いた浪漫的作品。
最少限の簡潔な言葉を用いた表現で、当時国家から派遣されてベルリンに留学しているという極僅かなエリートであるという状況から、家族、恋愛、友情など最大限内容の濃い条件設定で、雅文体による最高に面白いものを書くとなると『舞姫』のような歴史的にみて大きな意義のある傑作が出来上がると感じた。さすがに今わざわざ雅文体で表現する人はあまりいないとは思うが、『舞姫』に関しては、雅文体を通して読むと日本の古典の並びの上に世界やヨーロッパが語られるようで不思議な感覚に包まれる感じがする。 -
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「山椒大夫」や「高瀬舟」など有名な小説群のなかにあって、「二人の友」だけがエッセイ。九州の小倉で知己になった二人について書いている。37歳から39歳、小倉「左遷」時代、単身で生活する鷗外の日常も見える。
二人の友とは、安国寺さんという僧侶とF君。安国寺さんは鷗外に唯識論を講じ、鷗外は彼にドイツ語を教えた。彼は、松本清張の「或る「小倉日記」伝」にも登場する。
F君はいわば押しかけ弟子。本名は福間博。ドイツ語がよくできた。鷗外は、余暇に一緒に出かけるだけでなく、彼の就職の世話もした。(蛇足。福間はその後上京して、旧制一高のドイツ語教員になった。芥川龍之介や久米正雄が教わったが、彼らが大学2年生の時に死去。2人とも葬儀に参列した。葬儀の導師は安国寺さん。鷗外は都合がつかず、息子を参列させたようだ。)
このエッセイ、文章の巧さに陶然とする。簡潔で、無駄がない。しかも、情景が鮮明に思い浮かぶ。さすが鷗外。 -
Posted by ブクログ
何十年も前に、この『鶏』を読んだ時に、とてもイラっとしたのを思い出す。今もそうだが、この”別当”のタイプの人がものすごく嫌いなのである。足元をみて、じわじわとグレーゾーンで悪いことというか、セコいことをするヤカラ。人のものを自分のもののように使い、勘違いする。この別当の延長線に最近大きな問題になった某球団をクビになった犯罪者のような人に繋がるのかと思う。
石田は吝(けち)ではあるが、美学のある人物として描かれる。美学、というか良えカッコしいというか、めんどくさいというか、、そこらへんもわからんでもない。腹が立っても言わない人っちゅうかねぇ。ほんま、わからんでもないが、モヤるのである。
「鶏なんぞはいらんと云え。」
執着、という言葉を考えさせられる話でもある(主観)。
この時代の軍人(位の高い)的な、というか、
石田(森先生のアバター)の教育者向きの部分を感じなくはない。
細かいことは思うけど言えない、モヤっとしつつ
表向きはポーカーフェイス上等である
それ以上に、別当タイプのうざい人にはかかわらず、
関わると同じクソに落ちるように感じて逆に口聞けない
無視が一番というか、、(100%主観か)
書き出すと、異常に長くなるのでこの辺でやめておく(笑)
小倉三部作と総称されるのは
「鶏」、「独身」、「二人の友
学生時代、研究テーマを森鴎外にしようかめちゃくちゃ悩んだ時期があった。
結局別の人にしたが(すまん森先生)、それぐらい非常に入れ込んだ作家である。
小倉の旧森鴎外邸を訪れる機会に恵まれたのでゆっくり再読した
「この土地の家は大小の違いがあるばかりで。
どの家も皆同じ平面図に依って建てたようにできている。」
『鶏』で石田が感じた小倉の住宅は、
そのまま森先生が感じたことであろう
現在はしょうしょう背の高い近代コンクリートのアパートメントなどが周りを囲んでいて、少々興がそがれるが、邸本体のたたずまいはしっかりと当時を保っている。
「門口を入って左側が外壁で、家は右の方へ長方形に延びている。その長方形が表側と裏側に分かれていて、裏側が勝手になっているのである。」
「先ず、柱が鉄丹(ベンがら)か何かで、代赭(明るめのマットな赤茶、赤土の顔料赭”そほに”)のような色に塗ってあるのが異様に感ぜられた。」
異様ではあるが不快ではない、とも書かれている。
新築とは言わないが、建ててからそんなに年数が経っていないのに、
「何となく古い、時代のある家のように思われる。」
このあたりは要塞が近いので石塀や煉瓦塀を築くことができなかったらしい。なので、現在も当時のままの竹の生垣なのであろうか。
「玄関から次の間を経て、右に突き当たる西の詰が一番よい座敷で、床の間が附いている。」
裏側の方は、西の詰が小さい間、その次がやや広い。「この二間が表側の床の間のある屋敷の裏」
「表側の次の間と玄関と裏が、半ば土間になっている台所」
「井戸は土間の隅に掘ってある」室内井戸になっている。
「庭には石炭屑を敷かないので、綺麗な砂」
「真中に大きな百日紅の木がある。垣の方に寄って夾竹桃が五六本立っている」
残念ながら庭の地面も庭木も経年ですこし違っている
裏庭は表庭の3倍ぐらいの広さ(現在はそんなに広くはない)、所々にみかんの樹、「瓦で築いた花壇には菊、丸石で畳んだ井戸、どの石の隙間からも赤い蟹。」
赤い蟹はいなかったが、ジョウビタキがうろうろしていて
とても趣があった。 -
Posted by ブクログ
森鷗外は、人生の最後に「史伝」作品群を残し、その中でも最も知られている作品が「渋江抽斎」だ。
”史実を淡々と述べていて無味乾燥である”、という評もあるようだが、自分は、鷗外の作品の中でも多いに関心を抱く作品のひとつだ。
鷗外は、「舞姫」から始まり、その作風の変遷が特徴的だが、日本の近代化という大きな変革の中に体制側に身を置き、最後、「史伝」に辿り着いたことは、説明がつくような気がする。
ひとつのキーワードが考証学。
渋江抽斎も考証家であり、鷗外が自らを渋江抽斎に見立てていたのであれば、合理的な欧米的知識をバックボーンとしていた鷗外にとって、考証学は拠り所になっていたのではないかと思われる。(これは「かのうように」にもつながる)
歴史小説作家で好きな作家のひとりが吉村昭だが、彼の作品も司馬遼太郎と比べると、事実を淡々と積み重ねるアプローチだ。
吉村昭のこの修飾文がない作風は、却って、読み手側に歴史が迫りくるような印象を抱かせる。「渋江抽斎」を読んでいると同じような印象を得る。
この小説は、渋江抽斎死去後も話が続く。
というよりも、死去後が本編のような気もする。
鷗外の家族思いは有名で、この作品で自らの死後を子供たちに託すような思いも伝わってくる。
渋江抽斎亡き後も、渋江家は、明治維新、士族没落という荒波を乗り越え、特に妻の五百(いよ)を中心に新たな時代を逞しく生き抜いていく。
この小説は、登場人物が多いこと、主人公がいないこと、が特徴なのだが、それゆえに”人”にフォーカスした歴史小説といえ、イベントドリブンの歴史小説よりも、時代の息吹を実感することができるだろう。
なお、この小説は新聞に連載されたものであり、適当に長さが区切られているので読みやすい。また、時々で登場人物のその時代の年齢のおさらいがあり、それも工夫がされている。
ところで、この五百(いよ)は、鷗外の理想の女性像を表しているようで興味深い。
鷗外は、津和野藩代々の典医の家に久しぶりに誕生した男子であった。
(それまでは女系が多く養子を得る。鷗外の実父も養子)
そのような背景もあり、特に、祖母や母の鷗外に寄せる期待は大きく、英才教育があったようである。鷗外は、父よりも祖母、母に強く影響を受けているように思える。
そして、何よりも鷗外の作品には、精神的に自立した強い女性像が多く描かれている。
「渋江抽斎」の面白いところは、史実を丹念に描いているので、特に江戸後期から明治初期に生きる人々の生活、考え方、例えば知識人の処世を理解することができる点だ。
鷗外自身、近代化、西欧化が急ピッチで進む中、江戸時代にあった、良き姿勢、文化、慣習を改めて世に問おうとしたのではないか。
そして、それは現代社会でも十分に考慮すべきことであったりする。
(この点が「渋江抽斎」を読む意義でもある) -
Posted by ブクログ
どれも教科書に載ってもおかしくないような筋書き (実際、どこかの国語の教科書に載っているかも)。その意味では、やはり『高瀬舟』が深い。TikTokばかり眺めていないでその時間で一冊でも本読んでほしい。
文芸としてため息がでたのは『最後の一句』。長女の最後の一句の鋭さにもひやっとしたが、それ以上に本当に子供を殺して親を放免した奉行のやりかたにもっとヒヤッとした。これで親子共々釈放していたら、胸はすっきりするが、正直それでは何ものこらない。覚悟と覚悟が正面からぶつかった感じにため息がでた。色んな意味で。
『魚玄機』『寒山拾得』は中国が舞台、というか中国の文献を元にした半フィクション。『魚玄機』はすこし難しかった。なにより時代背景とか知らないことが多すぎて……
魚玄機は「易求無價寶,難得有情郎」という一句が有名らしく、それだけ覚えていたが、『甄嬛傳』38話にでてきたので思わず反応してしまった。 -
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高瀬舟にフォーカスします。
人間にとって充足ってなんだろ?と深く考えさせられました。
「足るを知る」と「安楽死(もしくは本人の委託による自殺幇助)の正当性」がこの本の2大テーマだと思いますが、これらのベクトルの方向は正反対なのか、もしくは同一方向なのか?
足るを知る、は老子の言葉そのものですが、安楽死については無為自然や八正道には反しているようにも思う。そう考えると、東洋思想へのアンチテーゼのようにも感じます。
ただ、自利的安心(足るを知る)と利他的慈悲(今回の場合の死)と考えれば、大乗仏教としては唯一不二になって正当化されてしまうかも。
鷗外に聞きたいところですが、自分で考えろと言われるんでしょうね。もう少し思考してみます… -
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まだ子供の頃に「よろめきドラマ」なる言葉があって大人が使っていた記憶がある。
今ならば「不倫物」というような意味だろう。
森鴎外という文豪の作品に果たして「よろめき物」というジャンルを当てはめて良いものかと
思いながらもその思いは拭えず読み進んだ。
男親の暮らしのために大学の寄宿舎の小使い上がりの高利貸し末造の囲い者になったお玉が大学生の岡田に想いを寄せ、なんとかその想いを伝えたいと焦る。
これだけを取り出せば「よろめきドラマ」としても成り立ちそうな気配。
その気配を打ち消すのはやはり岡田の放った石で命を奪われた一羽の雁の出現だろう。
あれは何を意味するのか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ他の家来、皆殉死が許されてるのに自分だけ許されない。理由はホントにしょーもない。なぜかいけ好かないから。殉死できない。自分だけ生き延びることで周りから命惜しい奴と思われる。そして、自害。残された子供たちも、父の無念を晴らそうとするけど、、、どうしてこうなった。
死ぬ事も美学。そんな印象だった。
明日死ぬと言われる妻や子供の気持ちを想像してしまうのは、私が女だからだろうか。
何が殉死だろう。狂ってる。
その死生観が、つい100年前の日本で蔓延っていたのだからやるせない。
淡々と人が死ぬ。鷹も死ぬ。犬も殺される。
死ぬこと自体意味は無い。死までの期間に意味があるのだと思った。どう、自分で意味をつけるか。
色んな意味で心をえぐられる小説。鴎外、すごい。 -
Posted by ブクログ
初めての森鴎外作品。まずは著者の文学、哲学・思想についての知識に驚愕。元々東大医学部卒のバリバリの軍医という経歴もさらに驚き、博識すぎ笑
文章自体はそこそこ難解なところが多いけど、思想・心情について的確に描写しているという印象を受けた。田舎の裕福な家に生まれた青年が、普通じゃ嫌だといって小説家になるために東京に出てくる。文学の知識はあるから、作中の登場人物の行動や思想を批評したりして頭でっかち感がある一方、大村の言葉に素直に聞き入るといった受容性の高さもある。自らの哲学がまだ不安定なところで様々な女性との出会いを重ねていき、ありていに言えば「大人としての経験を積んでいく」。
主人公は最後までなかなかモノを書くことから遠ざかっていた。それは最後の方でも少し触れられているが、とりあえず書こうとしているものはあってそれがなかなか進捗しないように思える。その原因のひとつとしては、思想的な迷いや技術の未成熟さがあると思われる。この点は大村との交流を含め、自身の哲学や心情を客観視しながら議論しており、精神的成熟が進んでいる。一方、モノを書く衝動みたいなものが欠けているのも事実。とりあえず東京に来た感、漠然と小説を書こうとしてる感は最初から拭えない。そこで未亡人との箱根での一件では、そうした浮ついた主人公に羞恥心、劣等感、嫉妬、虚無感、憤怒といった種々の感情が巻き起こり、創作意欲を駆り立てる。いわゆる、スイッチが押されたんですね。
要するに、内面の成長と意欲を駆り立てるイベントが、どちらもいい感じに進んで、創作意欲が湧いたみたいです。このイベントが恋愛ごとで、いかにも青年っぽい青く初々しいものです。
現代社会の我々も、勉強やOJTを通して知識や技術を会得しながら、何かしらで自分自身を駆り立てなければならないですね。