森鴎外のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、白紙に等しい青年が成長をしていく過程を描いたものであり、所謂「教養小説」「発展小説」というジャンルに属するらしい。小説内で展開される出来事(上京/未亡人との出会い/失恋?等)よりも、その出来事の中で主人公である小泉純一が何を考え、何に答えを求め(主に西洋の書籍)、どのような問いに苦悩していたかという描写が素晴らしい。100年以上前の作品であり、当然情景描写も議論の内容も(例えば、個人主義や利己主義等。西洋との接触により活発になる議論)全く今とは異なる訳であるが、現代に於いても青年が抱く或いは悩む「自分が思う自己との乖離」は大なり小なり変わらないのではないかと感じる。そしてその答えを、ある意味自らの日々とは距離のある、洗練された書物に求めるという点もいじらしい。
青年とは自分を開示していない真っ白な状態なのではないかと思う。つまり、仕事等を通じて自分を世間に晒したこともなければ、主人公のように、作家を志しながらも活字を世に発表したこともない。世に自分を開示したことがないため、傷ついたこともなく、また傷ついた時に自分がどのように反応するのかも知らない。これが鴎外が言う「生活」との乖離なのではないか。「生活」という言葉に何を投じるかは意見の分かれるところであるが、自分なりに考えるとそれは、日々の衣食住を通じ、いつ訪れるか予測も出来ぬ闇に備えることのなのではないかと思う。その闇に備え、生活にて何かを構築するも、脱構築するも良い。こればかりは、半ば無理やりにでも自分を世に放つことによってのみ、過去/現在/未来が重なる形で見出されるものなのだと思う。
特に印象に残った箇所は以下
・自分は東京に来ているには違いない。しかしこんなにしていて、東京が分かるだろうか(p.35)
・「ちっと無遠慮に世間へ出して見給え。活字は自由になる世の中だ」(p.50)
・「今のように思想を発表する道の開けている時代では、価値のある作が具眼者に認められずにしまうという虞れは先ず無いね。だから急ぐには及ばないが、遠慮するにも及ばない。起とうと思えば、いつでも起てるのだからね」(p.116)
・思って見れば、抽象的な議論程容易なものは無い(p.146)
・「そうさ。一々の詞を秤の上に載せるような事をせずに、なんでも言いたい事を言うのは、我々青年の特権だね」(p.188)
・純一はこれまで物を書き出す時、興奮を感じたことは度々あったが、今のような、夕立の前の雲が電気に飽きているような、気分の充実を感じたことはない(p.237)
・(解説)「純一が日記の断片」には「そんならどうしたら好いいか。/生きる。生活する。/答は簡単である。しかしその内容は簡単どころではない。/一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先きには生活はないのである。/現在は過去と未来の間に劃した一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。/そこで己は何をしている」(p.324) -
購入済み
ボサツさまは、あなたの横に居る
鴎外の短編作品では「高瀬舟」が最高傑作と言えるが、次に挙げられるのが、この「寒山拾得」。中国の民話の形式をとり、仏教で、最高位にある<釈迦牟尼>の左右に侍する<文殊菩薩><普賢菩薩>の二仏が寒山、拾得の名で、この世のありふれた場所に出現していることを示している。ユーモアを込めた作品。
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Posted by ブクログ
ネタバレ『高瀬舟』を読みたくて買ったが、他の短編も面白かった。
特に、『妄想』が良かった。
「自分が何かを成さないといけない気がするが、それが何かは分からない」というモヤモヤを「或物」と表現していた。
「或物」は、多くの人が特に思春期に通過する感覚ではないかと思う。
少なくとも私はあった。そして今もある。
ただ、ネガティブな印象ではない。
「自分が何者かであって、世の中に何かを残していきたい」という気持ちは大切なものだ。
私はその気持ちをもとに、新事業を提案し、日々あくせくしている。
森鷗外はこの本の短編を通して、「足るを知るという言葉があるが、そんな風に満足なんてできないだろ?人の欲は際限無く、みんな何者かになりたいんだよ」と言っている気がした。(恐ろしく主観ですが)
「足るを知る」は良いこととして扱われることの多い言葉だが、皆が現状に満足していたら、もしかしたら世の中の進展は遅くなってしまうかもしれない。
私自身、家庭では「足るを知るは大切だ」と思いつつ、仕事では「もっと良くしたい」「新しいものを作って世に出したい」と、ある種、欲望丸出しで動いている。
みんな矛盾がある。矛盾があるから面白い。
「自分は自分、あるがままで運命を受け入れ、人生という坂道を下って行けばいい」と、この本を通貫した森鷗外の生き方はそんな風に思った。
良い考え方だと思うし、私も心に置いておきたい。 -
Posted by ブクログ
風俗・人間心理・倫理観をテーマにした短編小説群。簡潔な文体ながらも、明治〜大正の人々の生き方や価値観がとても深く描かれている。
この一冊を読むだけで、あらゆる小説形式に対応できる森鴎外のすごさが堪能できる。気取ったように外国語を多用するのは御愛嬌。
切腹を命じられた父親をこどもたちが助ける「最後の一句」、父の仇を討つために日本全国を駆け回る「護持院原の敵討」など、歴史小説がとても面白かった。
それでもやはり、表題作の2つがぶっちぎりでよかった。
「山椒大夫」は、人買いに攫われて家族がバラバラになる様子を描くことで、弱者への慈悲や家族愛を謳いあげる。
「高瀬舟」は、弟を殺した人物の感情吐露から、安楽死問題について切り込む。
いずれも、現代にも通じる普遍的なテーマを持つ作品で、文学作品としての完成度が群を抜いていた。 -
Posted by ブクログ
まさに表題作の山椒大夫と高瀬舟の二篇が良かった。二篇共に昔話のような馴染みやすさがあったからだ。他の話は私には、たまに難解なモノもある。
山椒大夫は、安寿と厨子王と言った方が馴染み深い。世間知らずとは言え、人買いに攫われ、不幸に見舞われる母と姉弟。離ればなれになり、自分よりも弟の生を重んじる姉の自己犠牲。安寿の最後を暗示させる文章が心に焼き付いて離れない。
また、高瀬舟は弟を苦しみから楽にさせてやりたいと思う究極の兄の行動。それだけではなく、罪人と護送する同心の生活観、価値観の対比も深い。
家族を思う気持ちは今も昔も変わらない。大事なモノのために私には何ができるのだろう、と問い直しをしている。
森鷗外は留学生活をしていたからか、日本人の精神性を客観的に捉える事ができたのかもしれない。阿部一族の時も感じたが、物語を通して、日本人の精神性を認める部分と「これでいいのですか?」と問いかけている部分があるように思う。明治から大正にかけての時代に勇気のいる文筆活動だったのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「舞姫」は、こんなひどい話だったのか。文章が難解で強引に読み通した結果、泣けた。なんとなく雰囲気は掴めたんでしょうね。(笑)
豊太郎との暮らしを夢みながら、エリスがお腹の子の為に、産着やオムツを縫っている幸せそうな姿。そこからの最後が辛いし酷いし苦しい。
豊太郎は有能なのだろうが、芯が無く、頼りない。異国に馴染めず、唯一、心を許したのは、年端もいかないエリス。
対照的にエリスは、心が真っ直ぐで美しい。
出世と恋愛。国への大義と異国の少女への一時的な感情。
どちらを選ぶ?
そうなるわな。それほどの思いがあるわけでなく…。熱意も無し。妊娠させておいて。
さいごの一文も秀逸。自分の意思と違うんかい!と呆れると同時に、本作を強く印象づけるモノとなった。
あと、印象的だったのは、「阿部一族」。殉死こそが美しいとされる武家社会にあって、殉死を許されなかった家臣一族の話。
好き嫌いとか虫が好かんとかそんな理由でここまでの大事になるとは…。なんでこうなるの?みんな同じ殿にお仕えしていた身でしょう!敵対していたわけではないのに。怒りと共に滑稽さも感じてしまった。命ってそんなモノなのか?武士って何なの?一族郎党を巻き込む事態なんだぞと。武士道に思い描いていた理想とは違う愚かさがそこにはあった。
それにしても、明治と言う時代に、公費で留学し帰国する為に異国の女性を捨てる話や殉死とは何ぞやと疑問を呈する問題を取り上げるとはかなり突っ込んでる。しかも軍医という職に就きながら。軍医としての森林太郎と作家としての森鴎外の思想は随分と違っていたのかもしれない。いやー興味深い。短編集なので、他作品もバラエティに富み、怒りや悲しみ笑い…と、感情が忙しかった。さすが文豪。