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Posted by ブクログ
ヰタ・セクスアリス=Vita Sexualis。ラテン語で「性欲的生活」の意味。
大学の哲学講師・金井が自己の半生を振り返って書く、「性欲」に関する記述に特化した回顧録という体裁をとっている。大筋では鷗外の体験に基づき、事実と虚構が混淆となって描かれた作品である。
あえて一言で言えば“童貞日記”。が、金井の手にかかれば、童貞にありがちな、妄想に耽る悶々とした日々……というのはどこ吹く風である。金井(=鷗外)は、ただ淡々と、自らの性欲的生活を客観的かつ科学的に記述していくのみである。そこにこの小説特有の諧謔があって笑える。当時の書生の習俗も垣間見られて興味深い。
鷗外の精神構造が金井のそれと同じだというならば、鷗外が『舞姫』のような、女性への慈愛の感じられない作品を著したのも、うなずけるというものだ。
文体は鷗外の美文ときた。短いが“珠玉”と称するにふさわしい優れた小説だった。
Posted by ブクログ
そういえば読みたい登録していたなと思いだし、自分のヰタ・セクスアリス書いているなと思って参考がてら読んだ。面白かったし長くないのでするする読めました。大胆な性欲描写が問題となり…とウィキペディアに書いてあるものの、その後に「もっとも、実際に性行為が直接描写されていることは無く、この処分は当時軍医総監という立場にあった森鷗外に対する非難を受けての対応であったともいわれる」という方がまだ理解できる笑。全然これで発禁処分になってたら驚きもいいところだよ…アニーエルノーとか、ミランクンデラとか失神ものだなって思いました。笑
この時代の男女の距離感がこういうところがあったんだろうなと思うと、風俗史をみているようで面白かった。日本人らしい気もするなとか思いました。飼い慣らせる性欲
Posted by ブクログ
森鴎外らしい小説だが、その中でもチャレンジな作品だったと思う。
明治の近代文学は、まさに動的な時代でもあり、森鴎外もその作風の変遷があるし、それが偉大な作家といわれる所以である。
近代が、個人を見出す時代であるとすれば、特に西欧の哲学も学んでいた鴎外からすると、性を科学的に取り上げることは、ひとつの大きなテーマでもあったのだろう。
主人公が哲学を学んでいる設定としているところも、その意図がより感じられる。(フロイトとか)
鴎外の特徴が、登場人物を、少し離れた場所から、描写するところ。登場人物が、映像のように現れる効果。
詰まり、傍観者的に観ているからこそ、その効果が出てくるのかもしれない。
トーンとしては、理性が欲を律する、ということ。
これが何を意味するのか。
自然派に対する批判なのか。
鴎外の小説の特徴は、”はっきり書かない”、ところ。
それ故に読者が様々な判断を楽しむことができる。
性を通じて、当時の社会風景が読み取れるところも面白い。
男色については、江戸期も含めて、歴史的にみれば、珍しいことではない。
却って、江戸以前の方が、性に対して、オープンで、近代、西欧化が進むことで、それがタブー視されるようになったのではないか。
Posted by ブクログ
実際は新潮文庫版でなく学研から出版されている全集もので読んだ。
森鷗外といえば『舞姫』のような堅牢な文章を操るイメージがあったが、『ウィタセクスアリス』においてはかなり平易な文体で書かれている。内容は草食系男子の性にまつわる体験に関するものだ。性にまつわる体験といいつつ、露骨なものに関しては匂わせつつもほぼ描かれないので安心して読める。
作中で「硬派」と「軟派」の2派が登場するが、読んでいるとどうも「硬派」というのがホモセックス野郎のことを意味しているようでド肝を抜かれた。寄宿舎生活の中で年少者は硬派の先輩の餌食になる。主人公が短刀を持って硬派の先輩から逃げ回り、アヌスの貞操を死守する場面がちょこちょこ登場するが、これが鷗外の自伝的性質を帯びた作品であることを踏まえると、男性読者なら当時の寄宿舎生活の凄絶さに恐怖を禁じ得ないはずだ。尻穴を狙う硬派から命からがら逃げ回る、そう、これはほとんど「ウォーキング・デッド」の世界なのだ。
ところで「金井湛君は哲学が職業である。」という書き出しは端的で内容にスッと入れるいい書き出しだ。「石炭をば早や積み果てつ。」に並ぶぐらいのいい書き出しだと思う。
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