【感想・ネタバレ】阿部一族・舞姫(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

許されぬ殉死に端を発する阿部一族の悲劇を通して、高揚した人間精神の軌跡をたどり、権威と秩序への反抗と自己救済を主題とする歴史小説の逸品『阿部一族』。ドイツ留学中に知り合った女性への恋情をふりきって官途を選んだ主人公を描いた自伝的色彩の強いロマン『舞姫』ほか『うたかたの記』『鶏』『かのように』『堺事件』『余興』『じいさんばあさん』『寒山拾得』を収録。「森鴎外 人と作品」(山崎正和)、「『阿部一族・舞姫』について」(高橋義孝)収録。

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「舞姫」
1890(明治23)年1月に「国民之友」に発表された森鷗外の最初の小説。短編小説で雅文体(擬古文)で書かれている。ベルリンに留学した青年官吏太田豊太郎の回想という形で書かれている。豊太郎は国家から派遣されてベルリンの大学の自由な空気に触れ、封建的な官僚機構と「家」に縛られた自分の生き方に疑問を持つ。やがて、純粋無垢な踊り子エリスと愛し合うようになると免職される。親身な友人相沢の尽力で日本での社会復帰の機会を得て、出世か愛情かで苦悩するが、豊太郎は帰国を選んだ。それを知ってエリスは発狂する。エリスは妊娠していた。国家や社会・家族など、周囲から期待される役割と近代知識人の自我の目覚めと挫折とを、鴎外自身の青春に重ねながら、豊熟な雅文体で描いた浪漫的作品。

最少限の簡潔な言葉を用いた表現で、当時国家から派遣されてベルリンに留学しているという極僅かなエリートであるという状況から、家族、恋愛、友情など最大限内容の濃い条件設定で、雅文体による最高に面白いものを書くとなると『舞姫』のような歴史的にみて大きな意義のある傑作が出来上がると感じた。さすがに今わざわざ雅文体で表現する人はあまりいないとは思うが、『舞姫』に関しては、雅文体を通して読むと日本の古典の並びの上に世界やヨーロッパが語られるようで不思議な感覚に包まれる感じがする。

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2025年08月06日

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数十年ぶりの舞姫、懐かしい。内容もちゃんと覚えていた。あまりにも人の命が軽すぎると思うが、阿部一族などの歴史物も非常に興味深かった。思うのは、鷗外はこれらの史実を書いて何を言いたかったのだろう。鴎外の思想はどこにあったのだろう。まさに"これぞ美しい日本文学"だと思うが、主題が見えない。ただ単に自分の力不足か。

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2018年08月02日

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削ぎ落とされた文体、本当に美しいと感じます。
実は昭和25年発行、32年印刷版(旧仮名、旧字体)を実家の棚から見つけて読みました。直ぐに頭の中で変換できないせいかゆっくり読むこととなり、却ってじっくり味わうこととなりました。作家が書いた筈の文字で読む体験、貴重かもしれないと実感。

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2016年05月30日

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久しぶりに読み返してみた。「鶏」の石田小介、旦那に似てる。

鴎外は言文一致よりも古めかしい文語チックな文体のほうがつやっぽくて好き。

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2012年11月06日

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馴染みは薄いはずの言葉なのに、
エリスの麗しさ、エリスへの止められない気持ち、決断できない人間らしい弱さ、最後の文にこめられたどうにもならない思いの丈が、現代語以上にビシビシ伝わってくるのが不思議です。

少ない分量に濃厚な内容もさることながら、「日本語」を再認識できる作品だと思いました。

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2012年04月19日

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明治の文豪の小説を読むことは伝統の価値観と新たな価値観(当時は西洋文化)の狭間の中での葛藤や考察や思想に接すること。
それは現在社会、特に3.11以降、現代人も同じ立場に置かれていると思う。

武士の美学を学ぶのならば「堺事件」、「阿部一族」が必読。
明らかに乃木希典の自害に影響を受けた作品で、日本人のアイデンティティでもあった「死」の意味を提起している。
上述の新旧価値観のぶつかりから、鴎外が求めたものは日本の歴史であり、歴史小説であった。これを現代人も学ばざるを得ない。

一番、心に残った小説は「かのように」。
日本人とは、合理的に説明できるものではなく、文化、歴史に根着く「かのように」を土台に生きている、としている。
解説によると、この小説は山縣有朋からの依頼により保守主義、支配階級がどうあるべきかを書いたものであるらしい。
しかし、「父」が皇室であるとすれば、最後の友人の綾小路の「駄目、駄目」は権威主義への否定にもなり、この小説の奥深さを感じる。

以下【引用】
「かのうように」
・そうして見ると、倅の謂う、信仰がなくて、宗教の必要だけを認めると云う人の部類に、自分は入っているものと見える。
いやいや。そうではない。倅の謂うのは、神学でも覗いて見て、これだけの教義は、信仰しないまでも、必要を認めなくてはならぬと、理性で判断した上で認めることである。

・そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ち、かのように、が土台に横たわっているのだね。

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2023年09月28日

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「舞姫」や「うたかたの記」など、9篇を収める。
美濃部伊織とその妻るんの物語、「じいさんばあさん」がいい。「文化六年の春が暮れて行く頃であった。麻布竜土町の、今歩兵第三連隊の兵営になっている地所の南隣で、……」で始まる、簡にして要を得た、しかもリズムのきいた文章。これが堪らない。
その麻布竜土町での37年ぶりの再会とその後の暮らしぶり。なにやら小松左京のSF長篇『果しなき流れの果に』のエンディングを思わせる。

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2025年10月10日

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『舞姫』感想

 近代の「私」とは。
 自由な個人としての「私」を見出し、エリスと恋に落ちるも、それを裏切って日本国家の一員としての「私」を優先するドラマ、と思っていた。
 だが、実際再読してみて感じたのは、二項対立的な「私」の葛藤ではなく、「私」という存在の純粋な不安定さであった。
 森鴎外は『舞姫』を書くことで、「私」という存在が壊滅的に信用できないものであることを描いた。
 男のナルシジズムを感じる部分があるので、星4。

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2025年08月20日

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正直難しいから読みづらい
だけど読んでると
不思議な深い味わいがある
噛めば噛むほど味があるような
文章も無駄がなくキレッキレなのに
心情が湧いてくるような
どれも感じ入る9つの作品

その中で「#鶏」という作品
庶民の強かさを
責めるでも無く皮肉るでも無く
自戒の念と諦め?が混在しつつも
コミカルな感じもして
個人的には1番お気に入り

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2025年06月09日

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ネタバレ

「舞姫」は、こんなひどい話だったのか。文章が難解で強引に読み通した結果、泣けた。なんとなく雰囲気は掴めたんでしょうね。(笑)
豊太郎との暮らしを夢みながら、エリスがお腹の子の為に、産着やオムツを縫っている幸せそうな姿。そこからの最後が辛いし酷いし苦しい。
豊太郎は有能なのだろうが、芯が無く、頼りない。異国に馴染めず、唯一、心を許したのは、年端もいかないエリス。
対照的にエリスは、心が真っ直ぐで美しい。
出世と恋愛。国への大義と異国の少女への一時的な感情。
どちらを選ぶ?
そうなるわな。それほどの思いがあるわけでなく…。熱意も無し。妊娠させておいて。
さいごの一文も秀逸。自分の意思と違うんかい!と呆れると同時に、本作を強く印象づけるモノとなった。

あと、印象的だったのは、「阿部一族」。殉死こそが美しいとされる武家社会にあって、殉死を許されなかった家臣一族の話。
好き嫌いとか虫が好かんとかそんな理由でここまでの大事になるとは…。なんでこうなるの?みんな同じ殿にお仕えしていた身でしょう!敵対していたわけではないのに。怒りと共に滑稽さも感じてしまった。命ってそんなモノなのか?武士って何なの?一族郎党を巻き込む事態なんだぞと。武士道に思い描いていた理想とは違う愚かさがそこにはあった。

それにしても、明治と言う時代に、公費で留学し帰国する為に異国の女性を捨てる話や殉死とは何ぞやと疑問を呈する問題を取り上げるとはかなり突っ込んでる。しかも軍医という職に就きながら。軍医としての森林太郎と作家としての森鴎外の思想は随分と違っていたのかもしれない。いやー興味深い。短編集なので、他作品もバラエティに富み、怒りや悲しみ笑い…と、感情が忙しかった。さすが文豪。

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2025年04月23日

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個人的に、「かのように」が最も印象に残った。
神話と歴史の違い、必要性は認めながらもそれらとどう向き合うのか悩む。
自分の思考を父にどう思われるか悩み、どうするか思索する主人公の思慮深さは尊敬できる。

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2025年02月16日

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ネタバレ

舞姫
確か初めて読んだのは中学生のとき。
そのときは、豊太郎はなんてクズなんだろうと思った。同じ女性として、捨てられたエリスがかわいそうだと思った。(読書感想文にも豊太郎の悪口を書きまくったように記憶している。)
しかし、今、大人になって再読してみると、豊太郎が「ただのクズ」から「理解できるクズ」に変化していた。
位階をとるか、愛する女性をとるか。このチャンスを逃したら、もう二度と故郷での栄達は望めないかもしれない。そんなときに「当然、エリスを捨てて故郷での出世を選ぶんだよね?(意訳)」とまるで確定事項のようにお偉いさんや友人に言われてしまったら(しかもエリスのいない場所で!)、本心はどうあれ、「私はエリスを選びます」と言える人間はなかなか少ないんじゃないだろうか。豊太郎は積極的にエリスを捨てたわけじゃなく、いろんなものに流され続けた結果、エリスを捨てざるを得ない状況に追い込まれてしまったわけだ。
有名な最後の一節「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり。」これも以前読んだときは「他責思考の激しいクズ」としか思わなかったけれど、今読んでみるとこう言いたくなる豊太郎の気持ちもちょっと分かる。
自分も大人になったなあ…と少し苦い気持ちになった。

その他、「かのように」などを特に興味深く読みましたが、長くなったので感想は省略。

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2024年02月05日

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舞姫を読みたくて。
舞姫だけ読んだ感想です。

舞姫、高校の現代文の教科書に載っていたなぁ。
「これのどこが現代だ!」と、当時のわたしは思ったものですが、その感想はアラフォーになった今でも同じです。
英文を読むときと同じで、全体を通して読んでなんとなく内容をつかむ、というのが精一杯。
翻訳家でもない私が、英文を一文一文訳そうとするとドツボにはまるあの感覚。全体を通してストーリーをすくいとることができればOK、という低いハードルで読むべき。
「内容を理解できるか」と、いう点では、むしろ英語で書かれたほうがわかるのでは。

肝心の内容・感想について。
堪え性のない私は、もう二度と読むことはないだろうと思うので、自分の備忘録として記しておく。

日本からドイツに駐在・留学している主人公・豊太郎。
日本にいる母からも、上司(上官)からも期待され、期待に沿うように生きようと努力してきた。
豊太郎は、エリスという名の現地の少女と出逢う。その少女は、母と二人で暮らしており、貧しく、劇場の踊り子として働いている。
出逢ったときのエリスの描写が、とても美しい。主人公は道端で、エリスが声を殺して泣いている姿を見るのだけど、主人公がエリスを見て美しいと惹かれたのだろうことがひしひしと伝わってくるのだ。
主人公が思わずエリスに声をかけ、僅かな援助をし、二人の交流が始まる。
貧困ゆえに十分な教育を受けてこなかったエリスに、書や文字を教える豊太郎。
他方で、エリスとの愛に溺れる豊太郎自身の学び、生活は荒んでいく。
そんななかでエリスが懐妊。
豊太郎は、友人相沢から、エリスと別れるように勧められる。このときの相沢の言葉ば妙に詳しく描写されているのが、主人公のズルさ、言い訳に感じた。
「他者に相談するとき、相談者の中ですでに答えは出ていて、期待通りの答えをもらいたがっている」とはよく言われているが、そういう感じなのかな、と。
エリスの愛は失いたくない。でもこのままドイツで自堕落な貧しい生活を続ける覚悟もない。自分では決められない・・・そんな豊太郎の気持ちを汲むように、背中を押す相沢。
宙ぶらりんなとき、相沢が豊太郎に「君のような優秀な男が、いつまで一人の少女に引き止められているのだ。もったいない。俺が上官との間を取り持ってまた復帰できるように取り持つから、さっさと彼女とは別れろよ」なんて言われたら、背中押されるというか、豊太郎には「相沢が勝手に話をすすめ、俺は流された」という言い訳もたつ(エリスからすれば、そんな言い訳はたたないんだけど、あくまでも豊太郎本人の心持ちとして罪悪感が薄れる)。
結果的に、この物語は、「相沢のせいでエリスはおかしくなりました、相沢は良き友ですが、私は相沢に対して憎しみを持ってます」という主人公の感想(言い訳?)で終わっている。
「最後に言いたかったこと、これかよー?!」と、びっくりしたよ。
高校時代の教科書では、抜粋した文章が載せてあったから、どこが最後なのかまで意識していなかったからな。まさかこんな最後の一文とは。
あくまでも、豊太郎自身は最後までなんも悪いことしていない、という認識なのね・・・。

相沢こそ、何もおかしなことや悪いことはしていないんだけどさ。
どうしてこういう時代の小説家さんの自伝的小説って、悪くない友を悪者にするのだろうか(人間失格とか)。
誰かを悪者にして憎まないと耐えられない繊細な心の持ち主が、当時は小説家になっていたということだろうか。
そう思うと、今の小説家さんたちは大人というか、フラットな人が多いなぁと思う。

少し前に読んだ「中野のお父さん」に、「現代の価値観を当時(俳句が読まれた当時)の価値観に当てはめるのは無粋だ」ということが書いてあった。
「舞姫」についても、令和の私の価値観を、舞姫の時代(明治時代)に当てはめるのは、とっても無粋なことだろう。
男尊女卑の時代。日本からドイツに留学するほどの秀才男子が日本でどれだけ期待され価値があるものとされていたのか、現代では想像もつかないほどだ。
ただ、やはりエリスはかわいそうだと私は思う。
現代なら、「私は分不相応で、もともと私が一緒になれるような相手じゃない」みたいに思うのもしれないけど、エリスはきっと、学もなく教養もなく、生きることに必死で、恋愛については子どものように純粋な少女だったのだろうと思う。実際に16,7歳だろう。
そのような少女に、分不相応だと自覚しろというのは無理があるだろう。

現代的価値観の私としては、どんなことがあっても、エリスには赤ちゃんとともに力強く生きていってほしいと思う。
そして、現代においても、10代、20代の若い女性が精神的に不安定になる原因は、男絡みであることが圧倒的に多い、ということ。
明治時代(おそらく明治時代よりもっと前から)から変わらぬその営みが、女性として悲しくもありました。
しかし一方で、若者にアンケートをとると「恋愛、結婚に興味がないです」と回答する割合が増えているらしい。それって、ある意味人類が進化しているのかな、と思ったりもする。

それと、「舞姫」という題名のわりに、エリスが踊っている姿のほぼ描写はないよね。私が読み落としたのかな。
高校生の私は、「舞姫って、劇場で踊る美しい現地の少女の姿を見て、青年が恋に落ちる話」と思っていたのだけど、それは違ったわけだ。
実際に二人が出逢ったのは道端だし。エリスは踊ってたわけではなく門によりかかって泣いてただけだし。
ただ、もしこの本が「舞姫」という題名じゃなかったら明治時代から現在まで読み継がれる名作にはなってないんじゃないかと思う。
それくらい「舞姫」という言葉は、美しくて、人の興味をそそり、耽美的で心を惹きつける力がある。

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2022年11月23日

Posted by ブクログ

初めて森鴎外の作品に触れた。

舞姫。途中はがんばれ青年、と応援したのも束の間、最後はなんとも愚かな結末であり、その時代背景もあるだろうが、なぜそっちにいってしまったんだ、ともどかしい気持ちを抑えられなかった。

阿部一族は、ああ自分は絶対阿部側の人間だな、と思った。でも、子どもらに迷惑かけたくないから名誉なき自死はしないで自分だけ苦しもうとなるかもしれない。それで病むんだろうけど。自分だけ。

そのほか、「かのように」の葛藤も、「鶏」の滑稽さもとてもおもしろかった。こんな作品を書いているんだと正直驚いた。歴史ものはちょっとよくわからんが、森鴎外といえばドイツ、または医学、みたいなイメージを勝手に持っていたので、沢山の歴史ものがあることにそもそも驚いた。

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2022年03月08日

Posted by ブクログ

「舞姫」
作者のドイツ留学体験をベースにした作品
主人公は自らの意志によって人生を切り開こうとするのだが
結局は、故郷のしがらみを捨てきれず
愛した女を裏切り、ついに発狂させてしまう
そのことで自分を責める彼は
例えばそれを「新生」などと言って居直ることもできぬまま
助けてくれた親友のことを密かに恨みつつ
帰国の途につくのだった
良くも悪くもサムライというかな

「うたかたの記」
過去の出会いが運命的な恋となって
まさにいま成就しようとした、そのとき
さらに過去から不幸の使者が甦り
すべてを水の泡に帰す

なお、日本における言文一致運動はすでに進んでいたのだが
ここまでのロマン主義的なアイロニーは
すべて文語調で書かれている
鴎外じしんは、坪内逍遥との没理想論争を経て
アイロニーを脱するようにも思われたが
形としては現実に屈していく

「鶏」
日清戦争が終わって九州小倉に赴任してきた参謀の話
変わり者の個人主義者である
生活のことを下男下女に丸投げしており
米だの味噌だの卵だのを着服されてるにもかかわらず
まるで気にとめようともしない
彼にとっては、人も馬も鶏も同じく他者なのだ
それは恐らく国家主義への屈従がもたらす一種の諦念であろうが

「かのように」
例えば、神の存在証明を科学的に行うことは不可能である
しかし人間は
あたかも、神が存在する「かのように」ふるまって生きている
そのことがむしろ社会を円滑に廻しているのであれば
嘘でも神を信じることは正しいのである
人は白黒つけたがるもので
神がいるかいないかという議論にこだわり
いらぬ争いを生み出したりもするが
あたかも~である「かのように」生きる姿勢が普遍なら
平和は守られるのだ
そんな思想を抱いてドイツ留学から帰ってきた主人公は
しかし、他者との軋轢によって平和が壊れることを恐れるあまり
茶番のような人間関係しか築けないのだった

「阿部一族」
あまり気の利く家臣を持つと
なんだか馬鹿にされてる気がして、つい反発心を抱いてしまう
それこそ甘えというものだが
殿様に対してはそれを諫める者がいない
それでまあ
その家臣が家中全体のスケープゴートを担わされてしまうわけだ
乃木大将の殉死事件に触発された作品とされているが
実のところ、これはイジメの話である
読後感は非常にやりきれない

「堺事件」
幕末のころ、堺の町にフランス船員が上陸し
狼藉を働いたことがあった
土佐藩の兵士たちがこれを取り押さえようとして銃撃戦を行い
フランス人が何人か死んだ
当然、重大な外交問題へと発展して
銃撃にかかわった兵士たち二十人が切腹することになった
切腹の当日は酒を振る舞われ
会場となった寺の見物を楽しんだ後、夕方から順番に腹を切っていった
立ち合いのフランス公使は
集団自殺の凄惨な現場に耐えかねて逃げだした
爽やかなユーモアのある話ですね

「余興」
語り手は人に群れるのが嫌いな男
しかし、つきあいでやむなく同郷人の会合に出ていった
するとその余興に、いま売れてる人気の浪曲師が出てきたのだが
語り手には教養人としての誇りがあるもので
聞きながら粗ばかり探してしまった
それでも、終わったら周りに合わせて拍手をしている
そんな自分は大人だなあ、なんてことを思って安心していたら
宴会中、酌の芸者に馬鹿にされているような気がして
大人げない態度をとってしまう

「じいさんばあさん」
隠居屋敷の老夫婦は年甲斐もなく仲むつまじい
なぜそんなに仲がよいのだろうか
小説は過去をさかのぼり
二人の若い頃から現在に至るまでを俯瞰していった
「歴史離れ」のロマンスである
ここにきて、初期のロマン主義に折り合いがついたとも言えよう
意地の悪い見方をすれば
互いに互いの姿を見ているのではなく
ひとつのロマンを並び見ているわけだが

「寒山拾得」
現世に姿をあらわした文殊菩薩と普賢菩薩は
それぞれ乞食坊主の姿をしていた
つまりどういうことかというと
軽蔑こそすれ、信仰の対象にはならないということである
しかし、社会規範では仏を測れないし
またそうであればこそ奇跡もおきるのであろう

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2020年10月15日

Posted by ブクログ

日本語がうまい。無駄口がない。単純なものへの蔑視と憧れがないまぜになっている。歴史物のクールさも良いが、「かのように」や「余興」のようなエッセイに近いものも面白い。

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2020年08月30日

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阿部一族
又七郎が阿部家と懇意にしていて妻を見舞いにもやりながら討ち入りには自ら猪一番に飛び込んでいくという観念がわからない。
また弥五兵衛も飛び込んできた又七郎と相対して当然としているのがわからない。
お上に忠実であるならば匿う必要もないがわざわざ自ら討ち入らずとも黙っていてもよかったと思う。
かしわからないと感じるのは時代が違うだけのこと
なぜか納得できてしまうこの感覚はやはり日本人だからか

堺事件
これもまた日本人だからか
もちろん切腹できるはずもなく、さらに大網を引っ張り出すなんてもってのほかだけれどもこの盲目、妄信、神風の思想は日本人そのものであると合点する
しかし当然自分たちも腹を切るつもりの九人が切らせてもらえず、流刑になり、士分にも取り立ててもらえないままに死んでいくのを可哀想と思うのはおかしいだろうか

かのように
最後の議論がいい
まったく違う二人が誇張も冷笑もなく互いを認めながら真剣に戦わせる様は美しい

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2014年01月14日

Posted by ブクログ

高校の授業以来数十年ぶりの「舞姫」再読。青空文庫で読むのは断念して本棚から文庫を探して読んだ。適度にフリガナがありこちらでは読めた。こうして見ると内容はともかく「舞姫」「うたかたの記」の文体は結構クセになりそう。好きな作品は「じいさんばあさん」、意外な純愛ものと「寒山拾得」。「阿部一族」「堺事件」は読みづらかったけど印象的。どの作品も、私のレベルでしか咀嚼できないけれど鴎外見直しのいいきっかけとなりました。私の古い文庫の表紙はブランデンブルグ門だった。感慨深い。

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2013年06月13日

Posted by ブクログ

阿部一族が痛ましい。
武士社会と言うものの、命の軽視。
森鴎外の、「心を描かぬ」手法それもまた、痛ましさを覚える。
野蛮といえば野蛮だが、その精神の独自性と忍耐強さは、私たちの過去とは思われぬほど。

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2012年12月22日

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高校の教科書に載っていた『舞姫』
それ以来、初めて読み返してみたのですが、当時の思いと全く異なっていたのに驚きました。
こんなにも、最低な男だっかのか?

『阿部一族』『堺事件』『じいさんばあさん』はぐいぐいと読んでしまった。
『舞姫』にかかった時間の半分で読み終わったくらい。
それくらい、読みやすい。
きっと映像化したら、海外でも人気が出そうな気がする。

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2012年07月10日

Posted by ブクログ

 私は夏目漱石さんの文章が好きです。高校の頃に文豪は時代順で読むといいよと国語の先生に言われたのがずっと残っており、夏目漱石さんの前の時代にあたる森鴎外さんの作品を読んでいないなと思いたって読みました。

 森さんの文章は淡々としている印象を受けました。登場人物について「〇〇は何年××の生まれで〜」というような説明をしているなぁと思いました。小説というより説明文みたいだなというのが率直な感想でしたが、時代劇として映像化したら絶対に面白いだろうなと感じました。

 個人的に好きな収録作品は『鶏』と『かのように』です。
 森さんの作品は波が無く、しかしどう終わるのかと気になってしまうものが多かったです。
 「人」を観察するのが上手い人なのかなと思いました。
 中でも『堺事件』の描写は、本当に目撃したような、目の前で事が起こっているような生々しさがありありと浮かんで、森さんの表現力や想像力に感動しました。ぜひ映像化してほしいです。

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2025年11月18日

Posted by ブクログ

森鴎外なんていつ以来かと思う。今回は阿部一族を目当てに短編集を購読。殿様が亡くなり、殉死を希望する武士たちだが、殉死にはその殿様の許可が必要。自分に殉じてくれるのは嬉しいが、やりすぎると人材が枯渇してしまう。許されないまま殉死するのは不忠に当たるのだが、おめおめと生き残るなどできぬとばかり死に急ぐ者もいる。純粋といえばそうかもしれないが、馬鹿馬鹿しいプライドで命を捨てることを淡々を描いていて素晴らしい。一方、森鴎外の代名詞ともいうべき舞姫だが、今読むとなんてつまらないんだろうと思った。主人公の言動も最低。まあ、そういう話なのだが。

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2025年11月16日

Posted by ブクログ

表題作の「舞姫」だけ読んでの感想です。

愛する人とほぼ完全に生き別れに近い状態になるのは狂女になる程の事ですが…その上更になったのは主人公が最初から優しかったことも含め全てが偽りだからだと思ってしまったからだと思います。

お腹の子供が産まれたらエリスは正気に戻る様な気がします(それを望みます)。愛しい人との子供を大事に育てて少しでも穏やかに暮らせて行ければ良いと思います。

エリスと想いあったが故に免職になりながらもエリスを大切にしていたのに最後エリスより復職を選んだのはやはり主人公にとってはエリスはかりそめの相手だったのでしょうか。

エリスにとっては唯一無二の相手だったかもしれません。

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2025年11月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「かのように」が良すぎる。
話の中の哲学的思考も好きですし、父と秀麿の若干の相手の考えの認識違いもありながらストーリーが進んでいくという流れも好きです。
秀麿がラスト父とは妥協するしかねーかーみたいなことを言っているのが、たとえ秀麿が父の考えを時間的に正しく捉えていたとしてもそういった結論になるのかなと思いました。それがいい。
これを読んだ人にはぜひ日本人の信仰についての本や解説書を読んで欲しいです。あと秀麿には本居宣長「古事記伝」を読んで欲しかったと感じました。

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2025年02月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

森鴎外が登場する本を読み、作品が読みたくなって本書を手に取りました。
短編集です。お目当てはタイトルの舞姫と阿部一族。ちょうどタイトルのものでした。

舞姫は文語体だったのでかなり読みにくく、味わう、という心境には至りませんでした・・・未熟(涙)。
主人公の豊太郎は終始ダメな奴だったけど、帰国の手助けをしてくれた友人に感謝しつつも恨む、という、最後まで人のせいにする根性が気に入らなかったです。
きっと彼女の切実な思いにも最後まで理解が至らなかったことでしょう。
こういう人は親や上司の言いなりになって、それにひっそりと不満を抱えながらも順風に生きていくのでしょうね。

阿部一族は、恥ずかしながら初読です。
こちらは読みやすかったですが、悲惨過ぎて哀れ。
生きるも地獄、死して後も家族も不幸になる顛末には、死んでも地獄、というよりほかない。
これは器の小さい殿様によるイジメですね。命が軽く、武士道精神が歪んでみえました。

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2024年12月14日

Posted by ブクログ

程よい長さの短編の集合でどれも読みやすい。
ひどく感銘を受けると言うほどのものは未だ私にはなかった。

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2024年12月04日

Posted by ブクログ

20年漬けた梅酒みたいな一冊。よーーーーく味わってみると、たしかに費やされた長い年月に相当する滋味のようなものを感じることができる。

舞姫いいなぁ。古文調だからこその文章の美しさがある。妊娠の事実さえなければ国語の教科書に載りそうなのに勿体無い(何様か)

「余を以て色を舞姫の群に漁するものとしたり。(17頁)」
「貧きが中にも楽しきは今の生活、棄て難きはエリスが愛(23頁)」

舞姫○
うたかたの記×
鶏△
かのように×
阿部一族○
堺事件○
余興△
じいさんばあさん△
寒山拾得△

森鴎外、それにしても扱うジャンルが広く深い。歴史物、社会科学、ときて本業医者か。普通に天才では?

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2023年02月10日

Posted by ブクログ

高校の教科書にあった「舞姫」はなつかしい。テンポよい語感であるが終盤腑に落ちぬところもあった。他短編が収録。2018.7.5

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2018年07月05日

Posted by ブクログ

中学以来、再び手にとってみた一冊。

ただ、感受性はあまり変わってないようで、「舞姫」については、未だにどこが名作なのか、さっぱり分からない。
中学時代から読解力が変わっていないという現実をつきつけられてしまった。

「阿部一族」は再読した現在でも、恐ろしい小説という感想。
武士社会において、「時代の精神」とどう折り合いをつけて生きて行くかという命題を、迫力のある筆致で突きつけてくる。
正直、中学時代も今も同じ様にビビりました。

夏目漱石の「こころ」と同じように「阿部一族」も明治天皇の崩御と乃木大将の殉死というのをモチーフにしているように感じた。

「阿部一族」は主君への個人的な忠義を殉死という形で表現する武士たちと、殉死を賛美する価値観が覆った社会の中の息苦しさをリアルに描いている。
特に、日本人が内包している問題のひとつである、「空気に流されやすさ」を物語の核としながら、それ自体が持つ狂気を読者に突きつけている。

「こころ」は殉死をカタルシスとして捉えているのに対し、「阿部一族」では、次から次へと死を誘う、空気の魔力といったものを感じさせる。

また、殉死というものをどう捉えるかということに対しても、漱石と鴎外では対照的で、「こころ」では古い時代の清算を通して、若い世代に対する新たな時代の創造を促しているのに対し、「阿部一族」では、過去の武士社会にその精神の根源を遡ることによって、日本人の精神構造自体を露にし問い直させていると感じた。

漱石は時代の終焉を描き、鴎外は継続して持ち続ける武士精神を問い直している印象である。

個人的には、鴎外の描く日本人の精神についての記述の方が深く胸に響いた。

また、本書に収録している「かのように」は神話と歴史に対する日本人の曖昧な意識に対して、婉曲的に批判した野新作。
「鶏」は落語のような滑稽な人間ドラマ。
「じいさんばあさん」は非常に短い小説ながら、ドラマのギッシリ詰まった厚みを感じる作品。

どれもオススメです。

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2012年05月03日

Posted by ブクログ

難しい難しい。舞姫は高校生のときに読んだのだけどなぁ。
宗教談義の「かのように」と倹約家の日常「鶏」は普通に読める…気がする。歴史物は切腹とか忠義とかよくわからない。
三メートルのパーパットみたいな感じ。難しいラインをしっかり読み切って落としていってるんだろうけど、素人が見ちゃうと「普通じゃん」と思っちゃうみたいな。

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2011年11月24日

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