森鴎外のレビュー一覧
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時は明治。田舎の裕福な家庭に育ったぼんぼんの小泉純一は、上京し小説家を志していた。東京では同郷の小説家や、美術学校に通うかつての同級生の瀬戸、文学を愛好する医学生の大村などとの交わりで次第に東京にも慣れ始めていたが、ある日、劇場で出会った美貌の若き「未亡人」坂井夫人に誘われるまま彼女の豪邸を訪問し、そこで「男」になるのであった・・・。
この物語自体、特にどうという進展がなく、ひたすら主人公が出歩き交流してその時々に考えた様子を描いているだけなのですが、何ともいえなく味わい深い雰囲気を持った作品でした。主人公が訪れる小説家の部屋や、文学会の様子、同郷会の宴会、街々の風景など「明治」という空気を感じさせる「場」の雰囲気がとても良く、そして、そこに登場する遊び慣れた瀬戸や、西洋文学に造詣が深い大村、それに愛なく純一を虜にする坂井夫人といった様々な人物要素の対立軸で、田舎から出てきたぼんぼんの精神を涵養させていく様子はある意味「律儀」な展開の面白さであり、その鴎外特有の和洋をとりまぜた硬質な文体と相まって、なかなかコクのある香りを発散させていました。時折挿入される西洋文学や哲学の評論や引用なども、この雰囲気を盛り上げるのに一役も二役も買っています。
最後は「精神」の修練と愛なき「性欲」の対立項という「青年」ならではの葛藤と展開になり、その衝動と知性に揺れる描写はなかなか面白いものでありましたが、それが「青年」の「文学」に昇華された様もみてみたかった。
それにしても、借家の知人の令嬢で微妙に迫ってくる「お雪」といい、宴会後にこっそりと名刺を渡してきた16才の美しい芸者「おちゃら」といい、箱根旅館の女中の中でも一番美しい「お絹」の微妙な干渉といい、そして誘惑され速攻落とされた美貌の「坂井夫人」といい、「精神」を磨き「文学」を志す!なんていってられないほど羨ましい境遇ですね。(笑) -
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ネタバレこの本を読んで、自分の人生を重ね合わせてしまった。
森鴎外の舞姫。なんとなく前から読んでみたいと思っていてようやく読むことができた。
原文が文語体で、かつ場所は異国の事について書かれており、
あまり理解することができなかったのだが、
ウェブに出ている現代語訳を読んでみると、なるほど、すばらしいと感じた。
主人公はいわゆる天才であり、幼いころから学問には非凡な才能を持っていた。
でもそれが本当に彼を幸福にしていたかというと、そうではなかったようだ。
運よく、洋行という機会を手に入れて彼は自分の人生を変える出来事に出合った。
愛を取るか、地位・名誉を取るか、これは昔からの難題だ。
どんなに人生が充実していて、名誉もお金もあったとしても愛する人と暮らし、
毎日が充実した生活がない人生というのは、僕にとっては人生ではないと思う。
彼の場合何度も葛藤を続ける中で、でも彼自身が自分の過去と
決別できないがために、最愛の人を失うことになった。
自分の中の欲望があり、それに逆らって生きようとすると必ずどこかで破たんする。
彼の場合本当は、地位や名誉など必要でないとわかっていながら、
それを断ち切ることはできなかった。
頭では愛するエリスを捨てることができないとわかっているのに、
大臣からの言葉にnonという事ができなかった。
僕にも当てはまらないだろうか?
僕は昔は勉強第一で"本当に"好きな女性に全く声をかけようとしなかった。
いい大学に入りたいという目標と、でも二度と戻ってこない
高校の恋愛生活の重要性を直視せずに、恋愛を否定してしまった。
そこで経験したことは、自分に正直でなかったら、
人生は意味のないものだなと。
本当はすごくすごく好きな女性なのに、
彼女から離れようとしてそして自分を傷つけていった。
恋愛という視点で自分を振り返ってみると、
僕は確実に否定を繰り返してしまっていた。
この本を読んで、自分の過去の恋愛を振り返ることになるとは夢にも思わなかった。
自分に正直になるという事は大切だ。 -
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ヰタ・セクスアリス=Vita Sexualis。ラテン語で「性欲的生活」の意味。
大学の哲学講師・金井が自己の半生を振り返って書く、「性欲」に関する記述に特化した回顧録という体裁をとっている。大筋では鷗外の体験に基づき、事実と虚構が混淆となって描かれた作品である。
あえて一言で言えば“童貞日記”。が、金井の手にかかれば、童貞にありがちな、妄想に耽る悶々とした日々……というのはどこ吹く風である。金井(=鷗外)は、ただ淡々と、自らの性欲的生活を客観的かつ科学的に記述していくのみである。そこにこの小説特有の諧謔があって笑える。当時の書生の習俗も垣間見られて興味深い。
鷗外の精神構造が金井のそれと同じだというならば、鷗外が『舞姫』のような、女性への慈愛の感じられない作品を著したのも、うなずけるというものだ。
文体は鷗外の美文ときた。短いが“珠玉”と称するにふさわしい優れた小説だった。 -
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ネタバレ国語の授業で舞姫を初めて読んだときには、豊太郎は何てひどい男なのだろうくらいにしか思いませんでした。
それから数年経って読みかえしてみたら、豊太郎の苦悩や弱さが他人事とは思えなくて、はたしてどれだけの人が彼を責められるだろうかと考えてしまいました。
120年以上前のベルリンが舞台の小説ですが、彼の「エリスとの愛」と「栄達を求める心」との間の葛藤は、現代にも通じる部分が多くあると思います。
うたかたの記・文づかひ・ふた夜といった他の収録作品も、舞姫同様に浪漫味あふれる素敵な作品です。文体のせいで敷居が高く感じるかもしれませんが、ぜひ手にとって読んでみてください。 -
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明治の文豪の小説を読むことは伝統の価値観と新たな価値観(当時は西洋文化)の狭間の中での葛藤や考察や思想に接すること。
それは現在社会、特に3.11以降、現代人も同じ立場に置かれていると思う。
武士の美学を学ぶのならば「堺事件」、「阿部一族」が必読。
明らかに乃木希典の自害に影響を受けた作品で、日本人のアイデンティティでもあった「死」の意味を提起している。
上述の新旧価値観のぶつかりから、鴎外が求めたものは日本の歴史であり、歴史小説であった。これを現代人も学ばざるを得ない。
一番、心に残った小説は「かのように」。
日本人とは、合理的に説明できるものではなく、文化、歴史に根着く「かのように」を土台に生きている、としている。
解説によると、この小説は山縣有朋からの依頼により保守主義、支配階級がどうあるべきかを書いたものであるらしい。
しかし、「父」が皇室であるとすれば、最後の友人の綾小路の「駄目、駄目」は権威主義への否定にもなり、この小説の奥深さを感じる。
以下【引用】
「かのうように」
・そうして見ると、倅の謂う、信仰がなくて、宗教の必要だけを認めると云う人の部類に、自分は入っているものと見える。
いやいや。そうではない。倅の謂うのは、神学でも覗いて見て、これだけの教義は、信仰しないまでも、必要を認めなくてはならぬと、理性で判断した上で認めることである。
・そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられない或る物を建立している。即ち、かのように、が土台に横たわっているのだね。