森鴎外のレビュー一覧
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「山椒大夫」や「高瀬舟」など有名な小説群のなかにあって、「二人の友」だけがエッセイ。九州の小倉で知己になった二人について書いている。37歳から39歳、小倉「左遷」時代、単身で生活する鷗外の日常も見える。
二人の友とは、安国寺さんという僧侶とF君。安国寺さんは鷗外に唯識論を講じ、鷗外は彼にドイツ語を教えた。彼は、松本清張の「或る「小倉日記」伝」にも登場する。
F君はいわば押しかけ弟子。本名は福間博。ドイツ語がよくできた。鷗外は、余暇に一緒に出かけるだけでなく、彼の就職の世話もした。(蛇足。福間はその後上京して、旧制一高のドイツ語教員になった。芥川龍之介や久米正雄が教わったが、彼らが大学2年生の時 -
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何十年も前に、この『鶏』を読んだ時に、とてもイラっとしたのを思い出す。今もそうだが、この”別当”のタイプの人がものすごく嫌いなのである。足元をみて、じわじわとグレーゾーンで悪いことというか、セコいことをするヤカラ。人のものを自分のもののように使い、勘違いする。この別当の延長線に最近大きな問題になった某球団をクビになった犯罪者のような人に繋がるのかと思う。
石田は吝(けち)ではあるが、美学のある人物として描かれる。美学、というか良えカッコしいというか、めんどくさいというか、、そこらへんもわからんでもない。腹が立っても言わない人っちゅうかねぇ。ほんま、わからんでもないが、モヤるのである。
「鶏な -
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森鷗外は、人生の最後に「史伝」作品群を残し、その中でも最も知られている作品が「渋江抽斎」だ。
”史実を淡々と述べていて無味乾燥である”、という評もあるようだが、自分は、鷗外の作品の中でも多いに関心を抱く作品のひとつだ。
鷗外は、「舞姫」から始まり、その作風の変遷が特徴的だが、日本の近代化という大きな変革の中に体制側に身を置き、最後、「史伝」に辿り着いたことは、説明がつくような気がする。
ひとつのキーワードが考証学。
渋江抽斎も考証家であり、鷗外が自らを渋江抽斎に見立てていたのであれば、合理的な欧米的知識をバックボーンとしていた鷗外にとって、考証学は拠り所になっていたのではないかと思われる。 -
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どれも教科書に載ってもおかしくないような筋書き (実際、どこかの国語の教科書に載っているかも)。その意味では、やはり『高瀬舟』が深い。TikTokばかり眺めていないでその時間で一冊でも本読んでほしい。
文芸としてため息がでたのは『最後の一句』。長女の最後の一句の鋭さにもひやっとしたが、それ以上に本当に子供を殺して親を放免した奉行のやりかたにもっとヒヤッとした。これで親子共々釈放していたら、胸はすっきりするが、正直それでは何ものこらない。覚悟と覚悟が正面からぶつかった感じにため息がでた。色んな意味で。
『魚玄機』『寒山拾得』は中国が舞台、というか中国の文献を元にした半フィクション。『魚玄機』 -
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高瀬舟にフォーカスします。
人間にとって充足ってなんだろ?と深く考えさせられました。
「足るを知る」と「安楽死(もしくは本人の委託による自殺幇助)の正当性」がこの本の2大テーマだと思いますが、これらのベクトルの方向は正反対なのか、もしくは同一方向なのか?
足るを知る、は老子の言葉そのものですが、安楽死については無為自然や八正道には反しているようにも思う。そう考えると、東洋思想へのアンチテーゼのようにも感じます。
ただ、自利的安心(足るを知る)と利他的慈悲(今回の場合の死)と考えれば、大乗仏教としては唯一不二になって正当化されてしまうかも。
鷗外に聞きたいところですが、自分で考えろと言われ -
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ネタバレ他の家来、皆殉死が許されてるのに自分だけ許されない。理由はホントにしょーもない。なぜかいけ好かないから。殉死できない。自分だけ生き延びることで周りから命惜しい奴と思われる。そして、自害。残された子供たちも、父の無念を晴らそうとするけど、、、どうしてこうなった。
死ぬ事も美学。そんな印象だった。
明日死ぬと言われる妻や子供の気持ちを想像してしまうのは、私が女だからだろうか。
何が殉死だろう。狂ってる。
その死生観が、つい100年前の日本で蔓延っていたのだからやるせない。
淡々と人が死ぬ。鷹も死ぬ。犬も殺される。
死ぬこと自体意味は無い。死までの期間に意味があるのだと思った。どう、自分で意味をつ -
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たけくらべ読み終えたところ。樋口一葉を読んでいなかった(日本文学をなんとなく敬遠していた)自分の愚かさを呪う。なんだこの瑞々しさ。おっとりした、それでいて景色のわかる気持ちの持っていかれる文運びと表現(これは現代語訳の賜物かもしれないが)。あー、、、、とにかく今日読めてよかった。
三四郎読み終えた。NHKの100分de名著の漱石特集を観てうっすら冒頭は知っていたけども、そこからの印象とは違くなっていって。とても良かった。これも繰り返し読みたい。三谷幸喜さん演出の漱石を題材にした演劇、ベッジ・パードン(野村萬斎さん主演)を思い出しつつ、漱石自身の思想はどこかと想いつつ。
青年、終えた。森鷗外 -
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山椒大夫を読みたくて手に取ってみたものの他にも衝撃的な作品が多くものすごく考えさせられます。
「最後の一句」
これは、まさにいちの最後の一言につきる作品。心に突き刺さります。今現在の多くの政治家に読んでほしい一編。人が人を信じるということはこれほどにも重く心に響くことであろう。
「高瀬舟」
こちらも今時な・・・
安楽死は罪か?個人的には罪には問いたくない犯罪であると思っています。安楽死への原動力は優しさであることが多々あると感じる。一概に全てとは言わないけれど、医療用が全てを救えない今の段階では一考の余地があるのではないかとかんがえます。
そして、貧困。これも今の特殊な社会状況下においてはこの -
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面白い
旧仮名版だけでなく新仮名版があるので読みにくいという方はそちらをオススメします。ですが、旧仮名で読むと現代とは違った言葉使いを知ることができて面白いですよ。
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考えさせられる
現代の司法制度に対して問題提起しているかのような意味合いを受けとることができた。罪に対する罰の多寡を決定するときに、その人の境遇なり心情なりを考慮することの大切さを再確認した。文章量が多くないから、短時間で読み終えられる。
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教科書にも載っている有名作品とその他による短篇小説集です。
まず擬古文が手強い。現代口語訳みたいなのが欲しいところです。
それにしても、心情の描写や嵐の描写など目を見張るものがあります。
解説者は舞姫を犠牲者としていますが、本当にそうなのかな?男を手玉に取った女優という見方もありだと思うな。
イタリア統一運動の描写があるけど、当時の戦争ってのんびりしたもんなんですねぇ。
舞姫(1890)
うたかたの記(1890)
文づかひ(1891)
そめちがへ(1897)
ふた夜-Friedrich Wilhelm Hacklaender(1890)
著者:森鷗外(1862-1922、島根県津和野町、小