ゲーテの傑作長編、完結編。
最後の最後、人に尽くすことこそが喜びであり、「とどまれ、お前は美しい!」と告げるに値する瞬間だと感じたファウスト氏。
まあ、それは結構ですけどね。やっぱ悪魔に魂を売るから何もかもよろしくなくなるんじゃないんですか。
ていうか、グレートヒェンを孕ませて、捨てて、殺したと
...続きを読むいうことについては、眠っていたからどうでもいいんでしょうか。まあ、どうでもいいことではないからこそ、長い間眠っていたのでしょうが・・・。
ギリシャ一の美女とデレデレしてますが、それは何なのですか。
でもって、最後、天使が助けてくれるとか、グレートヒェンが迎えに来てくれるとか、そういうのはご都合主義ではないのですか。女性的なものが男性たるファウストを救ってくれるというのは、どうも、うーん、甘えみたいなものを感じなくもない。
第一部でグレートヒェンが救いを一心に求め、それゆえに救われるとか。
第二部でも、努力するものは救われるとか。
結果が何も伴っていなくても、一心に求めるものは救われるというのはゲーテの信念(究極に切望する願い)みたいなものだと思う。その信念はとても美しいと思うし、一部では共感できなくもない。
でもねえ。社会で生きる分には、それでは通用しないんだよねえ。
人の内心においては全面的にその信念に賛成できても、他者と接する社会に生きる我々は、そうした信念を全面的に受け容れることはできないわけです。
まあ、感動巨編なのは認めます。ゲーテの畢生の作品であることも、知っているし、充分そういわれるだけの傑作だとも思う。
けれども、こんな人が崇高な魂の持ち主で、神や天使、おまけに初恋の女性からいろいろ助けてもらえるというのはどうかと思う・・・やっぱり、ゲーテの想像(妄想)なんだろうか。