ゲーテのレビュー一覧
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ウェルテルの何が面白かったのか。
ウェルテルは基本太宰のような人間で、非常に弱く、躁鬱である。
しかし単純に日本文学的にはこの小説は捉えられず、日本には見出し難い、ある独特な、ドイツの古典主義的雰囲気とでもいうべきものを感じる。また同年齢の若い女性をある聖母として、ある神聖化されたものとして見出すのもそうした雰囲気に与しているのだろう。(これはどの国でも青春小説の中では普遍的かもしれない。)
日本文学の話をなぜか出してしまったので、逆に共通するところを考えてみると、男女の三角関係というテーマはやはり普遍的なもののように思われる。漱石の『こころ』を代表として、他にも僕の好きな作品では実篤の『友情』など、「三角関係」というのは数百年経っても色褪せないテーマであると思われる。ウェルテルやK、また野島のように、そうした三角関係に入り込んだ者たちは確実に一人消え去るしかないのである。
ウェルテルはその三角関係の中で、去らなければならない者として、彼が(この世から!)去るまでが描かれる。結末に向かうまでの心理描写は書簡形式で、ある友人に宛てられたもので、ウェルテルの手紙の中だけにぶちまけられる赤裸々の心情が人々の心を打つのだろう。(ウェルテルは不安定な人物なので、結末に向かうにつれて、手紙以外でもかなり露出していくのだが。そういうところもなかなか巧みで面白くはある。)ゲーテの実体験である部分も多いらしく、ゲーテ自身、『ウェルテル』は何度も読み返すには耐えられない作品であったらしい。個人的趣味としては、人間の弱々しさばかり出される作品は好きではない。穴にはまり込んでしまった人間がもがき、決して抜け出せないままの話は、そうした作品だけに現れるある種の感動があるのは認めるが、どうももどかしくなる。
だが、結末の方での、ウェルテルに鬼気迫ってくる焦燥感は惹きつけられる。読んでいる時、それはほどんど彼の発狂の兆しに感じ、完全に『ウェルテル』の世界に入っていた。こうした人間の限界状況を描く悲劇はドイツの、ゲーテの古典主義をも思わせる。それは現代にも同じく色褪せない普遍的な「悲劇」であると感じた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ何だこの……、ああー……、言葉が上手く出ないけどすげーよかった。
いつまでも心に残る作品。
『編者より読者へ』という部分はあとがきかと思いきや、ド本編でしたね。読み飛ばしてはなるまいね。
その『編者より〜』のところの怒涛の……よさ!
ウェルテルは憂鬱から解放されて、不思議なほどに希望で艶めいていた。この作品はメリーバッドエンドの金字塔だ。
ロッテ側からの心理描写が入るのが最高だ。ズルい女よ! でも好きだ! ロッテが埃を拭いた銃でなら自害するのも悪くないかも……いやいや。そんなことはない。
『編者より〜』の前まではウェルテルからの手紙という形だったのが、このパートから第三者目線になるのがまたいいね! ああ〜ウェルテルは狂っちゃったんだ、読者がついていけないところまでいってしまったんだ! じわじわ、丁寧に、シんでいくのがたまらない。
鬱(うつ)くしい本だ。これを私は今まで読んでいなかったのか、と思った。
ウェルテルのさいごは私の中に深い印象を残した。彼はだいぶアカン感じになって、手の施しようがないと言われているのに、肺はまだ少し動いて鳴っていたり、呼吸はまだ続いてたりするところがいい……。「ウェルテルは本当は生きようとしているんだ」って気がしたんだ……私は……。少なくとも彼の体は生きようとしていた。
ウェルテルの問題は、やっぱり依存先が少ないことだったんだろうかな。ロッテ、ロッテとしか言えなくなっちゃって、絵のことも全然言わなくなっちゃうし。ロッテと結ばれることがすべてになっちゃった。
ロッテもウェルテルに固執しちゃってたし。ロッテも依存先が少なかったのかなぁ。
余談。
「むかしは吸取紙の代わりに砂を使った」と訳注にはあったが。吸い取り紙とは、便箋についた余分なインクを吸い取る用の紙らしいですね。この訳が出た当初は、吸い取り紙はごく一般的なものだったんでしょうか。興味深い。
七月二十六日の、「これからは私にくださる手紙には、吸取り用の砂を撒かないでください。今日はいそいで唇にあてたところが、歯がじゃりじゃりといたしました」が好きでした。「じゃりじゃりといたす」って文がラフなんだか丁寧なんだか分からなくて、そこもよかった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「ウェルテル効果」という言葉を知らず、雑誌でたまたま知ったので。
これが300年前の話だというから、驚きです!
エキセントリックで、直情的すぎると思うべからずです。
近年の、メンヘラノンフィクションや作話に、頻繁に出るシチュエーションな気がします。
つまり、それだけ普遍的な価値観を描いているということですよね。
しごとも、こいも、何もかも思い通りにならず、絶望……いやむしろ「死」をある種の希望として命を絶つ刹那的な様が、若者に熱狂的な共感を呼んだのは、正直頷けます。
これは、受けるだろうなと。
光文社古典新訳文庫、酒寄進一さんの比較的新しい訳は、読みやすかったです。 -
Posted by ブクログ
まず、誰の訳で読むか迷ったが、比較記事などを参考に手塚富雄氏の訳を選んだ。言い回しに引っかかることもなく最後まで面白く読めたので、私には合っていたのだと思う。
ギリシア神話の神々や、架空の生き物も大勢登場するが、詳しい注のおかげで理解しやすく、訳者の解釈まで添えられているのも面白かった。こんなに隅々まで注を読んだのは初めてだった。
20代前半から書き始め、82歳の頃に完成させたという、ゲーテが一生をかけた作品。その歳月に思いを巡らせながら読むと、若々しい情熱や勢いが感じられる場面もあれば、長い人生を経たからこそ生まれたような重みを感じる場面もあり、一つの作品の中に異なる年代のゲーテが同居しているように思えた。
人間とは何か、という大きくて単純な、答えのない問いに向き合った作品だからこそ、ゲーテもまた簡単に完成とはせず、生涯をかけて書き続けたのかもしれない。そんなことを想像すると、この作品がいっそう美しく思えた。
良くも悪くも欲望を抱え、それでも何かを追い求め続ける人間の姿が、最後には肯定されているように感じたのが印象的だった。人は過ちを犯さないことよりも、立ち止まらず求め続けることに価値があるのかもしれない。
「悪魔は年をとっている。だから悪魔の云うことがわかるには、早く年をとることです」
一度読んだだけで、とても全てを理解できたとは思わない。もっと年を重ねて10年後、20年後に再読したら、今とは違うものが見えてくるのだろうか。長いつきあいをしたいと思えた一冊。
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Posted by ブクログ
ネタバレ正直、自分に重ねながら読んでいた。ウェルテルの感情の大枠には共感できたが、ウェルテルの行動や細かな感情には自己陶酔を感じると言わざるを得ない。ウェルテルはとても感情的な人間で、だが賢かった。作品の根幹となる自死というものについて、理論的な人間であるアルベルトと話し合う場面もあった。その場面では、ウェルテルはアルベルトとは根本的に異なり、相容れないだろうという感情が先行し、これが後々の蟠りに繋がったのであろうと感じた。思い込みが激しく、それに違和感を感じる事ができるほど賢いが、改善には繋がらないような人間臭さがあった。その人間臭さがロッテへの執着につながった。ロッテの性格を考えると、アルベルトという神に誓えるほど尊敬し、愛している相手がいながら、ウェルテルのことも恋愛感情だけでなく、大事な存在に思っているという感情にずっと蓋をして、聖母のような労いや敬いの心でウェルテルに接していたが、いざ、ウェルテルが自死するのではないかということを知覚すると、その蓋が一気に外され、蓋をしていた感情がロッテに流れ込んだだけでなく、その過程までウェルテルに見られたような感じがラストシーンにはあった。作品構造としては、ウェルテルからの一方的な友への手紙をつらつらと並べており、あたかも読者がウェルテルの友であるかのような錯覚に陥り、ウェルテルを擁護しようという感情につながった。ウェルテルとロッテは作中の詩に自分たちを投影し、私はウェルテルとロッテに自分を投影していたため、現実と小説の境界が曖昧になり、シュルレアリスム的表現を勝手に感じていた。
若い時期に読むことをおすすめしたい!! -
Posted by ブクログ
ある本を読んで、自分の好きな本の傾向を言い表せるきっかけとなった。
「男性の恋に真っ直ぐすぎるがゆえに、日常が崩れていく」
そんな小説が、どうやら自分は好きらしい。
品を無くして言わせてもらえれば、主人公に童貞臭が漂えば漂うほど、魅力的に感じる。
ヘッセの『ナルチスとゴルトムント』、東野圭吾の『夜明けの街で』、太宰治作品全般が好きである理由が、ここではっきりと明確になった。
あくまで童貞である必要はない。
ゴルトムントは作中で何人もの女性を抱くイケメンだし、『夜明けの街で』の渡部は妻子がありながら社内不倫をする。
どちらも一見、童貞の敵のようであるが、読み進めていけば、必ず彼らの童貞臭が漂ってくるはずだ。
この気づきを得て、「登場人物を全員童貞だと思いながら名作を楽しむ会」という謎の団体を立ち上げてみようかとすら思った。
では、何をもって童貞臭とするのか。
それは、今回この気づきを与えてくれたゲーテの『若きウェルテルの悩み』を読めば、自然と分かるだろう。
この作品の名前はもちろん知っていたが、読んだことはなかった。
正直、「ウェルテルって、何に悩んでるの?」という状態。
読み進めていくと、ウェルテルが婚約者のいる女性に恋をし、どんどんメンヘラ化していく話だということが分かる。
悩みは最終的に、非常に身勝手な形で解決される。
その影響で若者の自死が模倣され、社会問題にまで発展したことから、「ウェルテル効果」という言葉が生まれたらしい。
ただ、それも納得できるほど、ウェルテル――もといゲーテの文章には、哲学が詰まりすぎている。
「そもそも、既婚者相手に恋愛なんかするなよ」という読者のもっともな疑問に対し、ウェルテルはこう返してくる。
恋愛をするなら相手を選べ。
仕事と恋愛の時間を分けろ。
財産も計算し、贈り物も誕生日の時に絞るなど節度を持て。
そんな忠告に従えば、有能な青年は出来上がるだろう。
しかし、それでは恋愛は終わりだし、芸術もなくなってしまう――と。
偶然、好きな人と指と指が触れ合えば、火に触れたように引っ込める。
それでも神秘的な力に押され、前へ進んでしまう。
朝目が覚めれば「今日は会える」という希望にすべてを飲み込まれ、
「明日こそは行かない」と誓っても、気づけばその人のそばにいる。
1700年代から、男の恋愛の柔らかいチャームは何ひとつ変わっていないのだと、ある種歴史を超えて童貞臭を抱きしめてくれる。
この本は、ただのメンヘラ恋愛哲学ではない。
人生、自死、嫌悪感――さまざまなテーマが絡み合った哲学書でもある。
素敵な一冊に出会ってしまった。
間違いなく、自分の中のTOP10に入る作品だった。 -
Posted by ブクログ
最近失恋したので再読。今年の9月くらいに買ったのにもう読むのは3度目だ。この本を自分への処方箋にしているところがあるかもしれない。
最後に主人公が自殺する話を読んで、自分が自殺を考えないかと自分で心配するところがないわけではない。実際、この本が出版された当時、ウェルテルに共感した若者の自殺が相次ぐということもあったそうだ。しかし、本を読むことの良さは自分ではなかなかできない体験を本を通じて理解するということにもあると思う。自分の言語化できない心情を言葉にしてくれる本を通じて、自分の心情をかき分けていくということができる。やっぱり読んでよかった。僕とウェルテルがどれだけ重なっているところがあるかわからないが。
ところで、最も印象に残っている箇所はウェルテルの自殺直前のロッテに宛てた手紙の箇所だ。愛しい人に向けた最後のメッセージということで、なかなか心が揺さぶられた。
この本のなかでロッテとの出会いからウェルテルの死まで描かれているが、ウェルテルがロッテと出会いたての頃から、ロッテとの交流を通じてさらに惹かれていく様子はまさに激情の波というべきで、ウェルテルの気持ちが痛いほど伝わってきた。ウェルテルは最後に死を選ぶわけだが、ウェルテルはアルベルトとロッテの幸福も考えた上でそうしているのだから、自分にはとてもできない芸当だと思う。自分だったら絶望するのは同じでも、いつまでも自分の殻に閉じこもって、妄想に浸って昔のことを回顧するだけでなにも前進しない。ウェルテルはよくできた人物で、ゲーテは偉大な作家だと思う。
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ネタバレ自然への憧憬と畏怖から社会や人間への失望への流れと感情の変化をこんなに荒々しく、その上で詩的に表現した文章があっていいのか
感情の濁流に飲み込まれて帰って来れないのではないかという新しい読書体験をした
これはただ失恋で死に魅せられてしまった話ではなく、そもそも自然に憧れた青年が自身の感受性を御しきれなかった話だと感じた。
情緒のある人に惹かれていくものの、その人もまた無粋な社会には適合してしまっている。自分の理解者を見つけられないまま、ロッテが社会の枠にはまらず自分とともに感性に従って生きてくれることを望んでしまった
友愛ではなかったのか。と言えるほど、アルベルトがいながらロッテを愛し自然を楽しめていたウェルテルが、荒々しい自然が目につきロッテを自分のものとしたくなってしまったのはこの社会への絶望感があるのだろう -
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私の語彙力では言い表せなくて申し訳ない。
凄く面白く読んでしまった…
『若きウェルテルの悩み』では、ウェルテルよりゲーテの文章や感覚が若い!!
この著書は壮年期くらいだろうか?
バッディール建築に魅せられる様子が、もう「ここツッコみたい」となったしまい…
でもさすがそんな品のない文章は書かず、完成されていないものすら、彼の完成ではキラキラしているのだ、と。
ゴンドラで船頭さんたちが歌を歌って近況報告(やら情勢報告やら)してる場面は、最初面白く読んだが、
これ、識字率や情報弱者の視点から見ると、こうして日常のあれこれを知れるのって実は貴重なのでは…
学術的な読み方ではないため、参考程度に。 -
Posted by ブクログ
ロッテは純粋で無垢だと思っていたけれど、今回読み返してみて、もしかしたら無意識にヴェルテルを弄んでいたのかも?と思った。彼女自身も、誰かに愛されることで安心していたのかもしれない。悪気はないけれど、彼女の“優しさ”は残酷でもある。
後半に行くにつれて不安定になるウェルテルは読んでいて辛かった…。
彼の愛はものすごく重いけど、ロッテを理想化しすぎてるんじゃないかと思う部分もあった。
あと、チェーホフの『ワーニャ伯父さん』、ドストエフスキーの『白夜』を思い出した。
『ワーニャ伯父さん』は、愛してはいけない人への想いを抱えながらも、どうしようもなく惹かれてしまう登場人物の苦しみが描かれていて、『白夜』は相手を理想化した故の激しい恋の物語で、ウェルテルが刺さった人にはオススメ。