山崎ナオコーラのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「友情というのは、親密感とやきもちとエロと依存心をミキサーにかけて作るものだ。ドロリとしていて当然だ。」
なんだってこんな文章が書けるんだろう。
なんでこんな小説が書けるんだろう。
学生の頃、お弁当を一緒に食べる子は「友達」だった。
同世代の間にはどうやら「友達」と「親友」と「幼なじみ」がいて、それぞれ違うものと認識されていたように記憶している。
では会社帰りに一緒に呑む人がいつまで経っても「友達」にならないのは何故なんだろう?
そう思っているのは私だけで、相手は私を「友達」だと思っていたりするのだろうか。
‥いや、それはないな。
この物語の中でフワフワと形成される友情のようなものが不思議でならない。
カツラさんとエリちゃんが「友だち」と言語化したことで失敗したのは、2人が本当は「友だち」じゃなかったからなのか。それともお互いの「友だち」のイメージに齟齬があったからなのか分からない。
だけど、ひとつだけぼんやりと想像出来ることがある。
私はこれから先、誰かに対して「友だちになろう」とか、「友だちだと思っている」とか、そういう言葉を口にしないだろうということ。
淳之介と梅田さんのような、はたまた淳之介とエリちゃんのような、輪郭の定まらないフワフワした関係をたくさん作るだろうということ。
そしてたぶん、それが自然なことのはず。
「友だち」や「友情」などと言語化してしまうと、フワフワ揺れ動く気持ちや膨らんだり萎んだりする自意識が言葉の囲いにぶつかって痛いんじゃないか。
いつでも同じ態度を求められることは厳しくて不自由なのではないか。
人の気持ちってそんなに一定じゃないし安定していない。
この小説を読んでそんなことを思った。 -
Posted by ブクログ
14歳と25歳の丸山君枝を交互に描く。14歳の君枝は中学生、母がミャンマー人である犬井をはじめ、タカソウ、新田、鈴木くんといった友だちと始めた「宗教ゴッコ」。だが、いつしか丸山は「もう神は信じない」とそれを拒絶してしまう。一方25歳の丸山は仕事を辞め、東南アジアへ旅に出る。曾ての先輩であるミカミさんとのメールのやり取りをしながら、最後の目的地・ミャンマーではケンカ別れしたままだった新田と再開を果たす。彼女曰く、実は「子供の頃、丸山がうらやましかったんだよ」と。
思うに、彼女は潔癖性だ。人間というものに。よくも悪くも自分の世界、というか自分の考えを持っているが故に、周りの人と自然に付き合えない。14歳の彼女は自分の決めた人としか付き合わなかったが、25歳になっても「昼ご飯を一人で食べること」に拘る、という形で、それは継続される。例えば宗教だったり、もしくは世間の価値観だったり強い者だったり、そうしたモノに自らの意思を任せれば楽に生きられるのに、無意識にそれを拒絶している気がする。p122「『上手く喋れないけど、分かって欲しいの』、としか考えていない人の言葉に、耳を傾けたいと思う人はいません。」とはミカミさんの言葉だが、それに感情的に返そうとしつつも、結局は間を置いて冷静にそれに返答したのは、彼女のちょっとした変化なのかも。そこまで生きづらいながらも大切にしたいものって何なんだろう?自分も丸山と同類であるが故、そんなことを考えてしまう。周りに流されたいけどなぜだか流されきれない、そこに生きづらさの要因があるのではないか、と。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ山崎ナオコーラ、初のエッセイ集。
「読んでもらえる興奮で、どんどん書いて書いて腕が唸りまくっていた」というエッセイには、二十代の彼女の思いがまっすぐに垣間みれる。
彼女は、高校生のときに感じた「私は世界と繋がっていない」という感覚を、これからも大切に持っていきたいという。
「カップルたちに囲まれて、ひとりでたたずむことは意外と楽しい。部屋にいるときよりも、ひとりを実感できるからだ」という文章には、感覚に対する鋭い嗅覚がある。
世界と繋がらない、他人と共有しない、個人的なリアル。
そういった感覚を「文章を解き放つ」ように綴ったら、とても芸術的で魅力的になるに違いない。
今後の作品を心密かに期待している。 -
Posted by ブクログ
「それは、
手すりにつかまってるんじゃなくて、
愛でてるの?」
自由って何?
通じるって何?
14歳の私は、
25歳の私に思いをはせるどころか、
想像すらできなかった。
だけど、
人生はきっと私たちが思うより二億倍は自由なはずだ。
14歳の私。
25歳の私。
この二つの時間が、行ったり来たりします。
想像も出来なかった世界が、不思議と繋がっている。
経験も年齢も積み重なって、
「私は大人になって、もう、世界が怖くなくなった。
神様の気配を感じることが、まったく、なくなった。」
神様との手紙のやり取り。
粗雑にあつかっていた時間や、
嫌悪していた友達や、
本当は本当はうらやましくて仕方がなかった友達や、
独りでいる強さを求めているのに、
誰かに翻弄されていたり、
実は守られていたり、
登場人物たちが、みんな愛しかった。
違和感として感じていたものたちを、
もう、
すっかり忘れてしまっていたのに、
ナオコーラさんの文章は、
タイムスリップするように思い出させてくれた。
「サンセットは七時半。
まるで火の玉だった。
線香花火の終わりのような、火だるま。」
ひとつひとつが、
コマ切れのようなのに
キレイなシーンに思えて、
断片なのに連続していて。
カツラ美容室より好きかも。 -
Posted by ブクログ
ネタバレネットで購入して、
カバーもつけてもらったまま読んでいたので
読み終わった後にカバーを外して
初めて表紙を見ました。
「あぁ」とぎゅーっとされた気分。
切ない、
苦しい、
ただただ好きなだけ。
なのに
猛烈にひとりぼっち。
求めてやまないのに。
それだけのに。
強烈にさみしい。
大学のマンドリンサークルで
音楽に奉げようとする小笠原。
小笠原が恋するのは
ぼさぼさで決してカッコ良くない指揮者の田中。
遊びとか自由とか就職とか
すべてが曖昧な集まりになるサークル。
ともだち、恋、音楽、
どこまで本気で
それをどこまで伝えていいのか。
小笠原は
自分の音楽を疑わないし、
誠実にいようとするからこそ容赦なくぶつけてしまうため
誤解や相手を傷つけ
うまく溶け込んでいくことができない。
私は私、と思いながらも
ポジションや状況にこだわったり
自分自身の評価を気にしていたり。
振り切れない。
「でも、左右非対称って、セクシーなんだよ」
大好きな田中もずるいよ。
いっかい引っ叩きたい。
ただ、私も似たような経験があるだけに
田中に投げかける小笠原の疑問符はもう、他人事ぢゃない。苦笑
好きぢゃないのに、
勘違いでセックスするな、ボケ!怒
はー、もう。苦笑
激しい抑揚もないし、
日常もバッサバッサと進んでいくんだけど
このグレーな感じが好き。
終わりの予感。
「でも、なかなか終わらないから」
「これはまだ、終わりが始まったばかりなんだよ」 -
Posted by ブクログ
あ、読まなきゃ、ナオコーラ、と思う瞬間があって
それは、新刊がでたときでも、ずっと読みたかった作品をようやく見つけたときでもなくて、ふと、今だ、というとき
そして、今のわたしが、いつも出てくるので
ぞぞぞ、とする
不思議なくらいに、わたし
今の、わたし
わかっているのだけど、気付かれないように、言葉を積み上げようとしてこなかった気持ちを、暴かれてしまう
こんな人がいるのだなぁ
こんなにも、おなじことを抱えている人がいるのだなぁ
でもって
いつも物語としては、うーん、と思ってしまうよ
なんだろう
科白ひとつひとつ、これ、言いたいっていうのが際立っているというか、物語が途切れているような気がしてしまう
あまりにも、科白にはっとしてしまうからかも
すきです、山崎ナオコーラ