大木毅のレビュー一覧
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中国の軍拡、ウクライナ戦争以降急激に軍事への関心が高まる一方、それに応えるような本も多数出てきている。玉石混淆のようで、何を読めばいいか分かりにくいが、大木はその中で信頼できるのではないかという印象。
この本で彼の考え、これまでの来歴がわかり、なるほどと感じた。
わたしと合わないところもあるが、事実に基づき歴史や軍事を書いていこうという姿勢は信頼できる。
引き続き著書を読んでいきたい。
この本では、日本の欧州での戦争史が立ち遅れていること、自衛隊の軍事史研究が偏っているのではないか、修正主義の動きの疑念があった。どれも事実を知らないのでなんとも言えないが、これまでの軍事や自衛隊への偏見や差別か -
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通常戦争だけではなく、世界観戦争(絶滅戦争)・収奪戦争という側面から始められた独ソ戦。そのヒトラーの思想により、スラブ民族・ユダヤ人などドイツ人以外の民族を殺戮、占領地から収奪しながら東進。憎悪に燃えるソ連軍もドイツ人を凌辱・虐殺・収奪しながら戦うという、おぞましい戦いが続く。ドイツ国民はナチスに先導されただけであって、ドイツ国民も被害者との言説がくつて流布されていたが、ドイツ国民はナチの恩恵を受けて積極的に参加した共犯という説が今では主流らしい。それを踏まえると、第二次大戦の責任は一般の日本国民にもあるのだろう。戦後の日本人にまで責任を負わせるのは違うと思うが。
ヒトラーのマイクロマネジメン -
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日米英の様々な軍人の生き様を綴った本書。戦略戦術で成功、失敗など記述があるが、特に日本の敗戦の要因が気になる。それは「情報収集・解析力不足」及び「人事権・官僚化」だという。
太平洋戦争では日本の暗号が完全解読され、古い体質の戦略(対米英の最新鋭の武器・船隊対航空隊、レーダー、長距離大砲、燃料・物資輸送確保)のまま、机上学と学歴重視の上から目線、さらに人事にコネ・先輩後輩序列が何よりの組織で「否定できない組織」となった事だ。現代日本の政治家組織も多くが自民党の年功序列に従うだけで規制改革・変化は政治家自身の為のものが多く、国民の立場のものはほとんど無くなった。例:人口減・少子化対策など殆ど効果な -
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軍事史家として個人的にかなり信用している大木氏の著作。まず「あの戦争をなんと呼ぶか」というところで、アジア太平洋戦争が最も適切ながら党派性と結びついてしまっていること、大東亜戦争も学術・文芸の言葉としては用いられないとして、手垢がついた凡庸さゆえに最大公約数的な価値中立性を得ている太平洋戦争を使うというところから激しく同意。
どこかで連載していた太平洋戦争中の日米英の将帥の列伝で、分量的には物足りなさがあるものの、逆に言うとそれぞれの人物の指揮統率を理解するうえで重要なポイントに絞って論述している。
シンガポールで降伏せざるえなかったパーシヴァル、上級司令部の指導なく現場で第一次ソロモン海戦に -
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単なる戦術比較論的な読み物では無い。
戦争を「通常戦争」「収奪戦争」「絶滅戦争」と分けて、それぞれがどんな背景でどんな手段を用いて、どのように行動し何を実現しようとするのかを論じている。ドイツが当時ナチスのもとでどう変化したのか、また、ソ連はどう考えていたのか、時系列で事態がうねりながら変化していく。
そして「絶滅戦争」
ヒトラーやスターリンの脳髄の中だけでなく、関わったものが互いに貶めていく“不条理”の相乗効果。
やがて、この戦争の最も馬鹿げた惨状がレニングラード、スターリングラードの攻防戦に現れる。
この、我が人類の悪癖に、怒りを通り越して絶望すら感じる。
それにしても人類は“ジェノサ -
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戦争論 クラウゼウィッツ
敵の重心を攻略せよ。 党派的に分裂しているならば、首都を攻略。弱小国ならば、その同盟国を攻撃。
独ソ戦の特徴。
イデオロギーのぶつかり合いの絶滅戦争であること。
1.事前の準備不足。限りあるリソース、時間を、どう用いるか。優先順位付けが曖昧であった。
ドイツ側からみると、緒戦で大量包囲を完了したものの、モスクワ攻略などに要する時間を浪費してしまった。
1933-39の軍拡が、失業者を減らした一方、設備投資、資源輸入のための外貨減少、製造業労働者不足を招いた。
→ 収奪戦争へ
読む限り、ドイツはソ連に負けるべくして、負けた。戦略的敗北。
絶滅戦争で、戦争に勝つこと -
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昔読んだ戦車の本で、砂漠の名将的に取り上げられていた覚えがある。
戦後、敵であった英国からも名将と称えら得ていたのが、いやアイツは功名心の塊でろくでなしやで的な批判があり、その批判も批判するための捏造だって証拠が上がったり。
少なくともそういう研究対象になる、有数の軍人ではあったわけだ。
生まれやその他の要因で軍の出世の主流には乗れず、上がっていくためにはアピールが必要だった。コンプレックスの塊もあったのかな。
それでまあ、それを実現するための才能に恵まれていたわけだ。あり得ないような戦果をあげて、ヒトラーにも気に入られて、ぐいぐいとのしあがっていった。
ところが戦術面では極めて優秀で -
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すごい、研究者っぽい、冷静で且つマニアックな書きっぷり。:
戦史を、こうやって研究する分野があるんだってのがまず驚いた。
通常戦争から、収奪戦争、絶滅戦争、あと絶対戦争だっけ。
独ソ戦が通常戦争を超えた総力戦みたいな書き方だったように思ったが、要は、宗教戦争みたいなレベルに堕ちたってことなのかと思った。
戦略、作戦、戦争の解説が面白かった。
別に、非合理でバカなことやってたのは日本軍だけでないのもわかった。
ただ、敵をヒトと見ないのは、日本には無い感じ。
ソ連だって、別段、ナチスにやられたからやり返したんじゃない気がするんだけど。残虐っぷりは。
なんにしろ、日本は、隣国戦争はできない。
勝 -
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●=引用
●そのなかでも特に重要なのは、おそらく、戦闘や戦役ではなく、戦争に勝つ策を定める戦略の次元において卓越していることであろう。事実、第二次世界大戦中、さらに戦後にあっても、切実に必要とされてきたのは、この戦略次元の人材なのである。外交、同盟政策、国家資源(人的・物的資源)の戦力化、戦争目的・軍事目的の設定、戦域(たとえば「太平洋戦域」など、「戦線」や「正面」といったエリアを超える戦争範囲)レベルでの戦争計画といった、きわめて高度の判断と戦略策定の可能な軍人こそ、求められるべき「名将」なのであった。
●このような戦略的劣位に置かれた枢軸国、とくに日独の指揮官たちは、戦争目的を達成するた -
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山本五十六は指導者として反対派を味方に引き込む力があったものの無口という欠点があった。
太平洋戦争の敗因の一つは軍令部と総司令部の2つの頭の元、二兎を追う、あるいはコミュニケーションミスにより現場まで意図が伝わらない、現場の考えも上層部に伝わらない体制、組織の問題であった。
作戦開始後、環境の変化により戦法を変えることは重要だが、戦略を変更する際は(第二次大戦では物資調達の不利から短期決戦で講和に持ち込むことを日本側は目的としていたが、真珠湾攻撃からの日本軍の善戦により政府が中々講和に向けた交渉を開始せず、ミッドウェー、ソロモン沖の海戦、ガダルカナル島の陥落により避けるべき総力的消耗戦に陥って -
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以下、引用
●ここまでみてきたように、長岡に生まれ育ち、青年期にさしかからんとしていた五十六がすでに、その生涯の特性となった「沈黙」を身にまとっていたことは間違いない。彼が、言葉をつくすのを億劫がる人物だったことは、後年、連合艦隊司令長官として戦争を遂行する際に、指揮上の問題を来すことになる。その無口は、話が通じぬと思った相手には、言わねばならないことまでも言わぬと評されるほどになっていたのだ。
●十月十九日、軍令部第一課を訪れた黒島は、再び真珠湾攻撃の実行と空母六隻の使用を訴えたうえで、それが認められない場合、山本は連合艦隊司令長官の職を辞すると宣言した。
●つまり、徹底的な撃滅を狙う山本