大木毅のレビュー一覧
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第二次世界大戦の中でも、空前絶後の被害を出した独ソ戦。ナチス・ドイツにとってそれは、ボリシェヴィズムの撲滅とスラヴ人の征服であり、生存圏の確保であった。一方のスターリンは、ドイツの侵攻を間近に感じながらそれを黙殺し、大粛清により軍は万全の状態を欠いていた。
1941年に侵攻を開始したドイツは表面的には勝利を重ねたが、実際には打撃を与える戦力を着実に消耗していた。そしてスターリングラードでの大敗後、坂を転がるように敗戦へと向かっていく。
ナチス・ドイツによる「通常戦争」「絶滅戦争」「収奪戦争」の側面を持つ独ソ戦。独ソ双方の読み間違えや油断・慢心の結果甚大なる人的被害を生み出してしまう。まさにこの世の地獄。戦争についての詳細で生々しい記述というよりは、掲げられたイデオロギーの恐ろしさなどが際立っている。「絶滅戦争」故に、捕虜や民間人の取り扱いが非情でそれもこの戦争の恐ろしさを表している。
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ネタバレ以前から独ソ戦に関心があったため、入門書として一冊。グラスノスチやソ連崩壊後の機密文書解除前の古めかしい独ソ戦像を徹底的に最新の情報に置き換えてくれる。YouTubeで独ソ戦などの第二次世界大戦の動画を見ることがあるが、この本の情報からすると、古く、史実に反するような情報を見て取れると感じるようになった。
第1章では、スターリンが大粛清で軍高官の多くが殺され軍が弱体化したこと、ドイツが自国を攻撃することはないと踏んで結果的に多大な犠牲を出したことがソ連側から説明される。ドイツ側の視点では、ソ連の戦力を見くびり、楽観的過ぎる非現実的な戦争計画を立てていたことが説明されていた。これはヒトラーの「腐った納屋はドアをひと蹴りすれば倒壊するだろう」みたいな言葉に似ていると思った。
第2章では、戦争序盤でドイツ軍が快進撃を遂げるものの、消耗が激しく兵站もおろそかになり、戦略的勝利から遠のいていく姿が語られる。
第3章では、イデオロギー的な側面から独ソ戦を説明している。そのほか、ドイツがいかに彼らの思想でいうと「劣等人種」であるロシア人を殺戮していったのかがある。しかし、ドイツだけでなく、ソ連も蛮行を働いており、ドイツ人捕虜の扱いは国際法にのっとったものとは程遠かった。
第4章では、「潮流の逆転」ということで、ソ連軍が防衛から反撃に転じていく。ソ連軍は物資的にドイツより優位にあったが、それのみがソ連を勝利に導いたのではなく、作戦術と呼ばれるソ連が培ってきた兵法の貢献も見過ごせない。
第5章では、ドイツの完全な崩壊へと至る過程が詳述される。次々に撤退していくドイツ軍に対して圧倒的優位を保つソ連軍は容赦なく追撃をかける。マンシュタインが焦土戦術を行い、戦後裁判にかけられていたのは初めて知ったことだった。ドイツが和平を試みるものの、ヒトラーの政治的和平を拒む姿勢がそれを断固として拒否した。というかあの状況で和平なんてできるわけがない。
筆者は戦争を「通常戦争」、「収奪戦争」、「世界観戦争」の三つに分け、独ソ戦が通常戦争から世界観戦争へと飲み込まれていくと説明している。ベン図を使って説明していた。
感想としては、古い独ソ戦のイメージを払拭してくれる良書という感想。未だにYouTubeとかだとそういうのもあるから早めに読んでおいて批判的にそのような動画を視聴できそう。 -
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大木毅氏は、1961年東京都生まれの軍事史研究者・著述家。立教大学文学部史学科卒、同大学院博士課程を単位取得退学。専攻はドイツ近代史。ドイツ学術交流会奨学生としてボン大学に留学。帰国後、千葉大学、横浜市立大学などで非常勤講師を務め、防衛省防衛研究所や陸上自衛隊幹部学校でも講師を歴任。現在は著述業に専念し、第二次世界大戦や軍事史に関する著作を多数発表。「赤城毅」名義でフィクションも執筆している。
本書は、第二次世界大戦最大の戦域といわれるヨーロッパ東部戦線「独ソ戦」について、近年の研究の結果を踏まえて考察したもので、2020年の新書大賞を受賞した。
大半の日本人にとって、第二次世界大戦とは太平洋戦線(日本と英米など連合国の戦い)のことであり、ヨーロッパを視野に入れても、多くの場合はノルマンディー上陸作戦で有名な西部戦線(ドイツと英仏・米の戦い)がまず思い浮かぶし、私もその例外ではない。
しかし、独ソ戦は、北はフィンランドから南はコーカサスまで、数千キロにわたる(陸上の)戦線において、数百万の大軍が激突し、ソ連軍の死者・行方不明者・捕虜は1,100万人超、ドイツ軍の死者は400万人超(他の戦線含む)といわれ(尚、日本軍の死者は200万人超)、著者によれば、独ソ戦こそが、あらゆる面で空前絶後であり、まさに第二次世界大戦の核心・主戦場であった。
そして、著者は本書で、その前史から、経緯、性格について、詳細に分析しているのだが、「はじめに」と終章から全体のポイントを列挙すると以下である。
◆ヒトラー(とドイツ指導部)は、対ソ戦を、人種主義に基づく社会秩序の改変と収奪による植民地帝国の建設を目指す(人種的に優れたゲルマン民族が劣等人種であるスラヴ民族を奴隷化する)ための戦争、ナチズムとユダヤ的ボリシェヴィズムとの闘争と規定し、その遂行は仮借なきものでなければならないとした。すなわち、戦争目的を達成した後に講和で終結するような(19世紀的)通常戦争というより、収奪戦争であり、「世界観戦争」であった。そして、最初は、通常戦争、収奪戦争、世界観戦争(絶滅戦争)の3つが並行する形で進められたが、通常戦争での優勢が危うくなると、収奪戦争と絶滅戦争の比重が大きくなり、さらに敗勢が決定的になると、通常戦争が絶対戦争に変質し、しかも、それは収奪戦争と絶滅戦争に包含され、史上空前の殺戮と惨禍をもたらした。
◆一方、スターリン(とソ連指導部)は、コミュニズムとナショナリズムを融合させることで乗り越えようと考え、かつてナポレオンを退けた祖国戦争になぞらえ、ファシストの侵略を撃退し、ロシアを守るための「大祖国戦争」であると規定した。しかし、この方策は、ドイツの侵略を退ける原動力となるとともに、敵に対する無制限の暴力の発動を許した。
◆ただ、戦後長らくは、ソ連では、共産主義イデオロギーによる大祖国戦争の勝利という公式史観により、また、ドイツでは、ナチ犯罪・戦争犯罪という面でも、軍事的な意味でも、全ての責任はヒトラーにあり、ドイツ国防軍はヒトラーに押し切られただけだとする(生き残った軍人らによる)仮構により、実証研究は進まなかった。しかし、ソ連の崩壊による機密文書の公開や、冷戦終結後の国民意識の変化等により、ドイツ国防軍も対ソ戦やむなしと考えていたこと、ドイツ軍の戦略・戦術にもずさんなものが少なくなかったこと、東部戦線におけるジェノサイドにドイツ軍も関わっていたこと、ソ連軍の報復行動も戦時国際法を無視したものであったこと等が明らかになり、やっと上記のような理解に達した。
◆とはいえ、独ソ戦の歪められた歴史は、数のソ連軍に質で勝るドイツ軍という伝説が、冷戦期のワルシャワ条約機構に対するNATOの信念の前提となり得るなど、政治的に利用されてきたし、一面では現在も利用されている。
一通りページを繰って、著者が「あらゆる面で空前絶後であり、まさに第二次世界大戦の核心・主戦場であった」と表現した意図がよく分かった。(だからといって、太平洋戦線の悲惨さの程度が軽かったなどというつもりはないし、そもそもそのような比較自体が無意味である)
また、2022年2月に始まったウクライナ侵攻について、プーチンは、ソ連時代の歪曲された公式解釈を持ち出して、「ウクライナ=ネオナチ」というレッテルを貼り、「非ナチ化」を侵攻の大義としているが、歴史修正主義の根深さと恐ろしさを強く感じた。
本書は紛れもなく歴史書である。歴史家E・H・カーは古典『歴史とは何か』で、「歴史とは、過去と現在との対話である」と書いているが、それは、歴史は単なる過去の事実の羅列ではなく、現在の問題意識や価値観をもって過去を理解し、さらには未来への指針を得るプロセスだということだ。そのためには、言うまでもなく、歴史修正主義を排除して、過去の事実を直視することが不可欠なのである。
(2025年11月了) -
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太平洋戦争を俯瞰する目的で読むのであればあまり役に立たないであろうが、個々の将兵達の活躍に目を向けている点では、戦史好きにうってつけの1冊である。「決断の」とタイトルにつけるほどに日米双方の戦闘における重要局面を拾い上げられているわけではないので、正直タイトル負けしているなとは感じたが、各章の配置、情報の提供、論の展開において興味深いところが見られたので、なかなか侮れない一冊だなと感じた。
本書は日米双方の将校をランダムに取り上げているようで、実は意図して規則的に各人物を配置している。まずガダルカナル島に関連した人物として、三川軍一・神重徳とサボ島沖開戦の中心となった二人を取り上げた後、この作戦によって孤立無援となったヴァンデグリフトが一木隊を一網打尽にした戦闘を紹介することで、個々のエピソードに繋がりを生み出し、ガダルカナル島での激戦を語るにおいて細かい戦闘描写を加えることなく臨場感を与えることに成功している。
また、荒くれ者で有名であった小沢治三郎とウィリアムハルゼーを順番で取り上げている試みも面白い。戦闘狂である二人の経歴が似ていることも興味深く、またレイテ沖海戦での二人の知恵比べとも言える展開も大変面白いものであった。こういった偶然が戦場にあったのかと、何か強い因縁の様な物を感じ、世界とはなんて奥深い物なのだろうと感心してしまった。
それにしても著者が時々鋭く書き記す格言は心に響く。「戦闘に勝つのではなく、戦争に勝たなければならない」とは全ての軍人が行動の前に念頭に置かなければならないことではないだろうか。これはスポーツではない。大局を見極められなければ多くの命を無駄にするだけで終わってしまうのである。戦術面に注視してこの本を執筆している筈の著者からこのような言葉が出てきたのは意外であったが、それをわかって執筆していることがわかり、各章での論の展開に説得力が感じられた。
日本軍の戦術面においては後先考えない甘さが目立つのに、陸海軍どちらにしろマニュアル通りに作戦を遂行することを教えられていたと説を唱えたり、日本軍は現場での決断を重要視して参謀は大きな気持ちで作戦を任せると論を展開したり、と所々首を捻らざるところが多いため最大限に評価はできないが、太平洋戦争の一場面を捉えた書籍として考えれば悪くない買い物であると思えた。
しかしまあ、ハルゼーという男の魅力はなんといったらいいのやら...。東のハルゼー、西のパットンといったところだろうか...。豊富な資源を出し惜しみして劣勢に立たされることもあったアメリカ軍を優位に導くには、現代ではパワハラだらなんだと言われてもおかしくない戦闘狂二人は絶対に必要だったと思う。ニミッツがハルゼーを解任しなかったこと、一度謹慎したパットンが戦場に戻ってきたことなどがそれを証明している。
まさに、戦争は一筋縄ではいかないのだ。
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本書は、あの戦争を「戦略・作戦」面から再検証!という内容になっております
再検証はいいんだけど…再検証してどうするの?って視点がどうも見えなかった気もするんよな〜
次やったら勝ったるで!おりゃあ!ってことじゃないよね
うん、ぜんぜん違うよね
それならいいけど
まぁ、そもそもがね必敗の戦争だったわけだけど、当時の日米の国力は1:10だってんだからね
いくら日本が神の国言うたってね
あっちはあっちでまた神様もいる訳だし
なのに、最初から最後まで統一された「戦略」はなかったという検証結果
「作戦」に於いても、開戦当初の華々しい戦績に目が眩んだのか、二兎、三兎を追うという誤りを繰り返していたんだから、それはもうねこうなりますよ
そして筆者の大木さんが意図しているのかいないのか、よく分からんけど、こう言う戦略論みたいな話しではやっぱり「人の死」ってのが軽く扱われているように思えてならない
戦時中の大本営での議論もきっとそうだったんだろうなと震えさせるのも目的のひとつなのかもという、だいぶ大木さんに寄り添った意見を加えてみるが、この戦略論みたいなやつにもやっぱりワクワクしちゃうんだよな〜
なんか申し訳ない -
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序章
鈴木敏夫 スタジオジプリプロデューサー
鈴木敏夫は「風の谷のナウシカ」の制作背景やそのテーマについて語っている。彼は、作品が発表された当時の社会的・環境的状況がどのように影響を与えたのかを考察し、ナウシカというキャラクターが持つ強い意志や優しさが、現代においても重要なメッセージを持っていることを強調している。
風の谷のナウシカの題材は『新諸国物語』(NHK ドラマ1952年)。
ナウシカが旅をして、見聞きしたものによって、読者が世界の秘密を知っていく。宮崎駿は「勧善懲悪」が好きで、それが「自然を守る人がいいひとで、自然を破壊するのは悪人」と言う物語にした。
赤坂憲雄の『ナウシカ考 風の谷の黙示録』を読み、宮崎駿は「おもしろいね。俺ってこんなもの書いていたんだ」と言った。他者からの深い考察が、作者に新たな気づきを与える。
映画では「腐海は自然の象徴で、腐海こそが人類を救う」と謳ったのに、第7巻で「腐海や王蟲が、実は人間の文明が作り上げた人工的な生態系だった」ことが明らかになった。物語全体の構図がまるで変わってしまった。
ナウシカは、本来、風の谷の500人のために闘った。そして、もののけ姫のアシタカは「個人的な理由で戦う主人公」となった。宮崎駿は、どんどんと変わっていく。
杏 俳優
時間の経過とともに死生観や価値観が大きく変わる。そういう時代に生きている。ナウシカは「母は決して癒されない悲しみがあることを教えてくれましたが、私を愛さなかった」という。母は絶対的な存在でなくていい。巨神兵は、ナウシカを母親と思い込んだ。そして王蟲はナウシカを守って死んだ後、「母は私を愛さなかったけれど、オーマは私を愛してくれた」とナウシカはいう。母と娘の関係が全く違うものがある。
叶精二 映像研究家
アニメーションが前提でない『風の谷のナウシカ』、コミック版。なるほど。
連載中に、東西冷戦の終結、ユーゴースラビアの内戦など衝撃的な事件があり、影響を受けている。
小泉悠 軍事アナリスト
現実のウクライナとナウシカの世界、戦争の「ネイチャー」は変わらない。核戦争による世界の破滅は、ウクライナでは現実のものになるかもしれない。戦争を経験した世代、戦争を経験した世代を親に持った世代、戦争を知らない世代。世代によって、大きく戦争の捉え方が違ってくる。
『宇宙戦艦ヤマト』『ウルトラマン』は、作り手の戦争体験が塗り込められている。
庵野秀明は、『宇宙戦艦ヤマト』『連合艦隊』に影響を受け、『エヴァンゲリオン』を作っている。
戦後の日本では、戦争の悲惨さや反戦が訴えられたが、戦争そのものを真正面から描きにくかった。それがサブカルチャーの一部がになった。日本人には「敗戦で自分たちの国は、一度滅びてしまった」という感覚がある。
ナウシカによって、「滅びはやってくる可能性がある」「文明が滅びた後はこうなる」を知らされる。小泉は、戦争が、悲惨であるにもかかわらずかっこよさがある。「人間は本来、こんなひどいことをするはずはない」と小泉は言いたくもないという。宮崎駿は、兵器や飛行機の時として持つエロティックな美しさに魅了されているところがある。戦争の実相は、巨大な悲惨が人々を襲い、世界が破滅の淵に追いやられていくこともある。
川上弘美 作家
ナウシカは不思議な人。自分を傷つけるクシャナ、敵国の人々、深井の動植物など自分の周囲に来たものを全部守ろうとする。ナウシカは、物語の中でみんなを繋ぐ絆になっている。ちょっとした破綻、なんでこんな文章がという驚きや作者自体が制御できないものが雑音としてあっても、ノイズがあることは避けられない。それも受け入れることだ。
精一杯生きること、自らの死を認めることは、両立する。原発の使用済み核燃料は10万年も危険な放射能を出し続ける。その間、人類が確実に存続し、責任もって保管し続けられると考えること自体がおかしい。「滅びはあり得ない」と信じ込もうとしているのではないか。
ボーヴォワールは「人おのおのは死にますが、人類は死ぬべきものではないことを我々は知っています」というが。川上弘美は「人類の未来を自然に委ねる」という選択をする。確かに、『風の谷のナウシカ』は、単純な物差しで測れるようなシロモノではないのだね。
福岡伸一 生物学者
老いるからこそ、死ぬからこそ人は美しい。環境の全体のバランスを考え、人間に害を及ぼしかねない存在とも共存していく。ナウシカは人類のことを「大地を傷つけ、奪い取り、汚し、焼き尽くすだけの、もっとも醜いいきもの」としている。
竹宮恵子 漫画家
物語が始まった時「これから何かが違う世界が始まるんだ」ナウシカはあまり言葉で説明しない。ナウシカの世界でも、たとえ人工的に作られたものでも、生命は常に変化し、創造主の意図を超えていくとして描かれた。素晴らしきディストピアの拒絶があり、それでも自分の意思で生きようとする。
鈴木涼美 文筆家
『娼婦の本棚』を書いた著者は、夜の街=腐海に生きている。腐海に生きる蟲たちは美しい。闇があって光がある。悪の方に魅力を感じる。ナウシカは生に執着せず、死の恐怖がない。
河野真太郎 英文学者
ナウシカは戦う力と、腐海の真実に気づく科学的知識を持ち、包み込むような母性とカリスマ性のない混ぜになった女性。族長の父は「男であったら何もいうことはない」という。
クシャナは、母親が、王家の陰謀の犠牲、家父長制の犠牲になって心を病んだことへの怒りを動機に、父王や兄王子たちと戦ってきた人。女性性を捨て、男性性を獲得しなければならなかった。
ナウシカの物語は、「自然を守ればそれでいい」という考え方とは、異なる思想。
大木毅 現代史家
戦争では多くの住民が飢えや病気で死んでいく。ナウシカは「なんという戦争、いかがわしい正義すらかけらもないなんて」という。戦争はそのような残虐性を持っている。
赤坂憲雄 民俗学者
ゴジラは1954年に発表された。ゴジラの映画には、科学やテクノロジーへの信頼がある。ゴジラを最終的に葬るのは、一人の科学者の自己犠牲。それは宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』の主人公の姿と重なる。ナウシカは、最先端テクノロジーが暴走し、地球環境を破壊してから1000年後の世界。科学や文明への信頼が裏切られていく時代を予感しながら作られている。「何が起こるか分からない」という不気味さ、不安の中に置かれている。ナウシカの世界が、とてもリアルに感じられる時代へ運ばれつつある。
ナウシカの物語は、宮崎さんの巨大な無意識が充満している。それが最大の魅力。宮崎駿はいう「こういうふうにしたい、じゃなくて、こうなっちゃう、ものを作る主体というより、ただ後ろ方くっついていっただけ」
権力に善意は期待できず、権力そのものを無化する仕掛けを作り出すしかないという作品。
王という存在は必然ではない。首長というのは、部族の人々に隷属を求める権力ではなく、むしろ、言葉によって自分の権力を絶えず無化していくことを求められ、それを理念や義務として積極的に引き受ける。ナウシカは、人々に命令を下すことはなく、権力を持たず、深い思索に裏打ちされた言葉だけで人々を励まし、なだめ、導き、ひたすら調停者としての役割を果たそうとする。宮崎駿は「虫愛づる君」に、自らの知性と探究心で腐海の謎を解き明かす役割を与えた。
民主主義は、権力の毒や腐敗を知る人が作り出した暫定的なシステムである。愚かにして美しい人間を完全にコントロールはできない。ナウシカの物語は、それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニー(多声音楽)が本質なのだ。いやはや。ナウシカを読み解く力の深いことよ。
もう、ナウシカの物語は、実に多面的な見方ができる。いろんな問いかけがあり、考えるきっかけになるいい本である。なぜか、頭の中の芯を熱くする。 -
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太平洋戦争に関わった、日英米の将官から、やや知名度は低いながらも、転機となる局面で実際に重要な役割を果たした(と考えられる)人物を選び、生い立ち、性格分析、戦時の行動を評論する。
各国が考えていた将器とはどういうものかを、それぞれに浮かび上がらせる狙いがあるものと思われる。
終章で著者は、昭和の日本陸海軍は、修業時代に拳拳服膺したドグマに支配された秀才型が中枢を占めたがために、骨太な戦略家を持ち得ず、過去の延長から逸脱してでも機先を制することが重要となる戦争のような営みでは、個人の性格のダイバーシティを許容する度量が大きい欧米に劣後することになった、としている。
とはいえ、「戦略」が有効に機能するのは、もともとリソースを備え有利な立場にあるときだけではないだろうか。弱者に戦略なし、だ。あがくだけあがいて、状況改善に努める以外はあるまい。
昭和の日本のコマンド・カルチャーが、まじめさと小手先の頭脳働きを評価し、その埋め合わせかのように、オカルトめいた「気概」を重視するようになり、そして各戦線や銃後で悲劇的な結果を招いたのは、悲しいことだが、無理もなかったのでは。 -
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ネタバレこれまでの著者の著作物をエッセイ風にまとめたもの、という印象です。
まえがきにも書かれていますが、これまでの著者の綴ったものを集めて改めて俯瞰してみると「筆者の感心は一つところをぐるぐると回っているのだな、と思い知らされたものだ。すなわち、本書のタイトルとした『歴史・戦史・現代史』である。」とのことなので、様々な書き物を集めたものですが、テーマを据えています。
ただし著者は上記のようにテーマを述べていますが、読んでみるとより具体的なメッセージが込められています。それは例えば、
●日本において戦術というより戦場に近い分野の研究は市井の間ではほとんど行われておらず、もっぱら自衛官や元自衛官の専任状態になっているということへの問題意識。
●その自衛官らによる研究も精神主義や教訓戦史の陥穽に陥っている可能性があり、真に有意義な研究を妨げている危険がある。
●一般的なアカデミックな研究に目を移した場合も、事実によらない歪んだ研究が成果が世間にまかり通っていることへの危機感
などなど。これらのメッセージが様々な書評やエピソードを通じて語られているという印象です。
こう書いてしまうと本書をとっつきにくい作品と勘違いしてしまうかもしれませんがさにあらず。そのメッセージに通じた書き物しか取り上げていないというわけではなく、横道脱線もあります。これが本書を読みやすくしていると思います。
例えば著者のベストセラー作品となった『独ソ戦』には納められなかったエピソードや、先の大戦で欧州とアジア双方で重要な役割を担ったソ連という存在の位置づけ、スターリングラードの降将パウルスのその後の数奇な運命、著者が触れた様々な
著作物(中には北杜夫の「どくとるマンボウ」など、軍事と全く関係ないものも含まれます)の紹介・感想などなど。知識欲を満たしてくれる情報が豊富なので気軽に読んでも面白いと感じます。
個人的にはジャーナリストであるジョン・トーランドに関するエピソードは強く印象に残りました。
トーランドは持ち前のフットワークの良さと膨大な数をこなす調査力を活かし『バルジ大作戦』や『旭日』といった名高い作品を残しましたが、その後枢軸国側に過度に肩入れする性格を強め、最終的にはその評価を落とすことになった人物です。
その上昇・下降のエピソードは、たとえ名声を得たとしても研究者としての初心を忘れてはならないこと、最終的には評価を落としたとしても当初の作品の学術的歴史的価値は落ちないと評価する著者の「真面目さ」を感じます。
私はこのエピソードで、別宮暖朗氏が土肥原賢二を念頭にした「外務に携わる人間は往々にして任地惚れする」という言葉を思い浮かべました(トーランドも枢軸国側への膨大な調査を通じて「任地惚れ」したのかもしれません)。
読みやすく、また著者の書評からは興味深い作品も知ることができるのでお勧めですね。 -
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独ソ戦の発端 イギリスとの戦いの行き詰まりを感じ、ソ連を先に下せばイギリスも諦めるだろうとの考えがドイツ側にあった。ヒトラーの思想にはきたる「千年帝国」のためにソ連の国土を植民地にするというのもあった。
戦争と地形 フランスは道路が舗装されており、侵攻が容易であったが、ソ連の土地は荒れており、鉄道の軌間も異なっていたこともあり計画通りに戦争を進められなかった
不完全な計画 ソ連の戦力をあまりにも軽く見た計画(首都の陥落とソ連側の重要な燃料拠点の同時攻略等)を立て、兵站が不足する自体に陥った。その影響でドイツ軍による村落の収奪が始まり、多くのパルチザンを生むことになった。(同志少女の最初のシーンが思い出される)
表面上は勝利しているように見えても、その実全く計画通りには行っておらず、「空虚な勝利」であった。
ドイツの戦争の発端 ヒトラーの独裁が戦争を招いたのか?否、ドイツ国民の総意である。これには以下の要素が挙げられる。
・ゲルマン民族至上主義
ユダヤ人、社会主義者、精神病者を劣等者とすることでナチズムの政策に固有の原動力を与えた。
・ドイツ国民重視の内政
国民の不満を高めない為に軍備拡張の財源を税金に求めるのではなく、帝国主義的な収奪を行うことで解決を図ろうとした。
三つの戦争
「収奪戦争」 対ソ戦前から「収奪戦争」の傾向はあった。その行為の根幹には人種差別の思想があった。奪われたのは物資だけではなく、五体満足のソ連軍の男子を徴兵さえもした。
「通常戦争」 捕虜取り扱いにおける戦時国際法の遵守や非戦闘員の保護等
「世界観戦争(絶滅戦争)」 敵と見なした者の絶滅を追求する「絶滅戦争」の意味を持つ。「出動部隊(アインザックグルッペ)」はその象徴的な存在がであり、将来ドイツの障害となるであろう存在(ユダヤ人、ボリシェヴィキ等)を殺戮する役割を持っている。
だが、「世界観戦争」という存在には弱点があった。世界観の維持の為に「軍事的合理性」という通常戦争が持つ特性を捨てなければならない為、「退却」という選択肢は無いに等しかった。(体制の動揺を防ぐため)
ソ連側にも「大祖国戦争」という標榜、「ファシストの侵略者」に打ち勝つため(その他いろいろ)という思想が生まれたことで対独戦の正当性が付与され、世界観が構築された。
最終的には、戦況の悪化ととも「世界観戦争」「収奪戦争」が「通常戦争」を飲み込み、「絶対戦争」となった。
p220
スターリンやらかし集
・緒戦の敗因を将校に帰し、粛清祭り。
・独ソ戦前に行われた大粛清によって軍部が急激に弱体化していた。
・ドイツが攻めてくるという情報があったにも関わらず情報を無視して防衛体制を築かなかった。
・ドイツ軍の軍人が乗っていた偵察機を撃ち落としてドイツ軍側の作戦計画がソ連側に漏洩したにも関わらず、スターリンは敵の工作だと信じ込んであてにしなかった。
ヒトラーやらかし集
・杜撰な計画の遂行(ナチ側全員の責任でもあるが、ソ連を舐めた、首都と燃料拠点の陥落を求めたのはヒトラーである)
・偶然の勝利をきっかけにした自信過剰による軍部首脳部の軍人の解雇。敗北の責任を司令官に帰して辞めさせ、ヒトラー自身が司令官となった。
「これ以上の後退は、諸君の破滅を意味し、しかも、それは祖国の破滅につながる。[中略] 一歩も退くな! これが、我らの主たるスローガンでなければならぬ。ほんの一メートル ほどであろうともソ連領土であれば、ただの一区画であろうともソ連の地ならば、おのおのの持ち場を、血の最後の一滴が流されるまで、可能な限り長期間にわたり、断固として 守り抜くことが要求されるのだ。」