竹田青嗣のレビュー一覧
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いままで読んできた哲学を論旨とする書籍の中で最高級。
フッサールとニーチェのことだけ軽くしっておけば、哲学を学ぼうとする誰にでも有用な本です。
「認識の謎」「存在の謎」「言語の謎」の3つに整理し、
・哲学の力
・哲学の功績
・いま哲学は何を考えるべきか
を明確に記載して、哲学全体をとらえようとする本がありがちな哲学者を並列して解説を加えていくスタイルとは一線を画します。
序盤からして「宗教は物語、哲学は言語ゲーム」という惹きが魅力的。
哲学について学ぼうとしなくてもよいので、そして流し読みでも良いので、教養として当著を読んでみてほしいです。
当たり前と当たり前の矛盾について、深く考察する良 -
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ニーチェの名前をよく目にするようになったので、少しは知っておいた方がいいかと思い、本の帯にある「最も読まれている入門書です。」という言葉にひかれて買いました。
さて、著者は、恐らく大変分かりやすくニーチェの思想を解説してくださっているのだと思いますが、残念ながら、私にはほとんど理解できませんでした。もちろん、まだ1回読み終わっただけですので、再度、再々度と読み直せば、もう少し私の理解が進むのかも知れません。しかし、予備知識のない身には、理解するには厳しい内容、というのが率直なところです。
そもそも、ニーチェの時代と今の我々とではおかれている環境があまりにも違います。ですから、同じこと -
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第2巻では、著者自身の理解するフッサールの発生的現象学の方法にもとづいて、われわれがこの世界のなかに「善」や「美」をはじめとするさまざまな価値を見いだすようになるプロセスを解き明かそうと試みられています。
著者は、ハイデガーやレヴィナス、フロイトやラカン、さらにカントをはじめとする西洋美学史を幅広く参照していますが、彼らの思想はいずれも、ニーチェとフッサールによって清算されたと著者が主張する「本体論」と「相対主義」のアポリアに陥ってしまっていると断じています。あいかわらず大鉈で西洋哲学史を割り切る議論というべきで、それぞれの思想をていねいに検討しているとは、とうてい思えません。
むしろ本書 -
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多年にわたる研鑽を経て形成された著者の現象学および欲望論の立場を包括的に論じた本で、著者の思想の集大成ともいうべき内容になっています。
著者の主張のすべてに賛同できるわけではないとはいえ、これまで著者の仕事を比較的丹念に追ってきた者としては、それなりに期待をもって本書を読みはじめました。ただ正直なところ、すこし期待しすぎだったかと感じています。
思えば、これまで著者が刊行してきた著作の大きな魅力として、フッサールやニーチェといった西洋の哲学者の思想を、他の著述家にはなしえないきわめてクリア・カットなしかたで説明し、読者を哲学の世界へと誘ってきたことにあります。ところが本書では、著者の現象学 -
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文芸批評家で哲学者の竹田青嗣と、社会学者の橋爪大三郎が、社会や文化、国家などの問題についてそれぞれの考えを語りあった対談を収録しています。
竹田は、フッサール現象学を独自のエロス論に読み替えた「欲望論」の提唱者として知られていますが、さらにヘーゲルの社会哲学と接続することで、市民社会的な自由にもとづく思想を構築しています。一方の橋爪は、ウィトゲンシュタインの言語ゲームのアイディアをたくみに取り入れた「言語派社会学」の立場を標榜しています。両者はともに、ポストモダン思想の一部に見られるような、社会についてのニヒリスティックな態度に批判的であり、人びとがよりよい社会のありようへと向かって進んでい -
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ヘーゲルの『精神現象学』の解説書です。本書の後に刊行された『超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』』(講談社現代新書)とおなじく、ヘーゲルの叙述を二人の著者がわかりやすくパラフレーズしています。
『精神現象学』における精神の歩みを、近代的な「自由」にめざめていくプロセスとして読み解くという著者たちの立場から、ヘーゲルの錯綜した叙述の意味を統一的に解釈しています。
もっともわたくし自身は、竹田の『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)におけるヘーゲル解釈には問題が含まれていると考えており、本書にも同じような問題があると感じています。もう少し具体的に述べると、竹田はカントが「超越論的」と呼ん -
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竹田青嗣と西研の二人が、ヘーゲルの『精神現象学』の内容をわかりやすくパラフレーズしている解説書です。
『精神現象学』の入門書としては、加藤尚武編『ヘーゲル「精神現象学」入門』(講談社学術文庫)が有名で、わたくしも以前読んだことがありますが、多くの執筆者が参加しているために全体像が少し見えづらいような印象がありました。本書は、竹田と西の二人が分担執筆していますが、両者は思想的に非常に近い立場に立っており、ほとんど二人のあいだの齟齬を感じることなく、『精神現象学』の全体像がクリアに描きだしています。
西は『ヘーゲル・大人のなりかた』(NHKブックス)で、竹田は『人間的自由の条件』(講談社学術文 -
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ヘーゲルの『精神現象学』や『法の哲学』の議論から、自由な個人の相互承認に基づく承認ゲームとしての社会思想をつかみだし、その現代的な意義をあらためて検討しなおす試みです。
本書は、カント倫理学をポストモダン的な「他者」へと接続することを試みた柄谷行人の『トランスクリティーク』への批判からはじまります。わたくし自身も、後期柄谷のカント主義への傾倒は『探究Ⅰ・Ⅱ』の到達地点からの後退ではないかという疑問をいだいているのですが、その批判の方向性に関しては、著者の示す道にしたがうことはできないと考えています。著者の主張をひとことでいえば、カントの倫理学になお見いだされる「超越的なもの」「聖なるもの」の -
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『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)のテーマを改めてていねいに論じなおすとともに、現代におけるグローバル資本主義の矛盾に対してどのような処方箋が可能かという問題についての考察を展開している本です。
著者は、ホッブズとルソーの社会契約説をみずからの観点から解釈し、彼らの仕事によって近代市民社会的な「自由」の哲学的な意味における本質が明瞭に取り出されたことを評価します。そのうえでヘーゲルの『法の哲学』や『精神現象学』を読みなおすことで、市民社会的な自由の相克を調停する普遍的なルールをつくり出すことに近代国家の理念を見いだそうとしています。
一方で著者は、近代国家の理念と現実が乖離していること -
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カントの『実践理性批判』を、本文の構成にしたがってパラフレーズした解説書です。
著者は「はじめに」で、カントが実践理性の根本法則を「君の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という定言命法によって規定したことに触れて、「その内実は、いくつかの理由で近代社会の倫理の本質を表現している」と述べています。著者の『近代哲学再考』(径書房)などを読むと、近代社会における「自由」の本質について著者自身は独自の考えをもっていることがわかりますが、本書ではそうした著者の思想を開陳することは抑制されており、もっぱらカントの文脈の中で「自由」の概念がどのように規定されているのかと -
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『純粋理性批判』のテクスト全体をわかりやすく要約するとともに、随所に著者自身による「章末解説」が置かれており、その要所が解説されています。
ときおり、著者自身の実存的立場からカント哲学の意義を解釈している個所が含まれており、注意が必要です。たとえば著者は、カントの認識論が「実践的関心」を背景にもっており、「「善く生きたい」というわれわれの生の意欲こそ、世界とは何であるか、という認識の問いを支えている」と述べています。しかしこれは、認識論的なディスクールをエロス論的なディスクールに基礎づけることをめざす著者自身の欲望論の観点からカントの認識論をとらえなおしたものと考えるべきだと思います。
カ -
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相手のことを想って胸を焦がすような「恋愛」という体験の意味を、実存的な観点から解き明かそうとする試みです。
われわれは恋から醒めた時点から振り返って、プラトニックな愛にのぼせ上がって「現実」が見えていない状態だったと考えたり、あるいは恋愛の本質は単なる肉の欲望であり、それを「恋愛」を呼ぶ人は事実を覆い隠す美しい虚構に酔っているにすぎないと考えたりします。しかし恋愛のただなかにある者たちは、相反するはずのプラトニズムとエロティシズムをまったきひとつのものとして生きています。本書がめざすのは、こうした特権的な時間と、それが醒めた後の日常的な時間との間にある大きな齟齬のもつ意味を解明し、「恋愛」の