【感想・ネタバレ】ニーチェ入門のレビュー

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Posted by ブクログ

今までの読書ではないくらい精読をして挑んだ。
ニーチェは聞き覚えのあるキラーワードがたくさんあり、且つその言葉それぞれが力強く既成の概念をぶち壊してくれるような期待感は常々ありました。

徹頭徹尾人間自身の「生」にフルベットしている思想だ、そこには胡散臭いものに一切与しないかっこよさがある。よもすればルサンチマン的境地に陥りやすい世の中だけど、心の片隅にニーチェを潜めながら生きていきたいと思う。

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2023年03月27日

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ニーチェに興味を持って本書を手にとった。
著者の解釈を交えた解説がわかりやすくてよかった。いきなり原著を読んでいたら理解できずに途中で挫折していたと思う。

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2022年03月17日

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真理は醜い

事実なるものはない、ただ解釈だけがある

キリスト教はルサンチマン

認識論は弱者の論理

知や認識と権力が結びつくことの失敗。マルクス。

弱者にとって必要なのは、妬みではなく憧れ。
強者にとって必要のなのは、奢りではなく励まし。

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2022年02月16日

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なんという本だろう。衝撃を受けた。今までニーチェと言えば「神は死んだ」といったフレーズだけでろくに理解も(今も理解はしていないが)しておらず素通りしていたがそれは大間違いだと気がついた。
ニーチェの指摘したヨーロッパの病理がまさかキリスト教という宗教から生まれていたことや、真理を求めるといった普遍的に正しいと思われるような姿勢が逆に人間の弱さといった部分を、まさにルサンチマン的な態度であるということは衝撃を受けた。ルサンチマンやニヒリズムといった概念は薄く知っていたが、それが今現在の社会において特に色濃くなっているところにニーチェが指摘した病理の深さが図られる気がした。徹底したニヒリズムの先にある力への意思というものがなく、安易に何か絶対的なものや主導してくれるものに飛びつく様はトランプなどが人気になってしまう要因なんだと理解できた。しかしニーチェをこの本で学んだが、永遠回帰の部分と力への意思の部分は難解であり未だ咀嚼しきれていない。今度は道徳の系譜にチャレンジさしてみたいと思う。

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2018年08月10日

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ある企業の経営者が影響を受けた本との事で興味を持ちました。2001年宇宙の旅よく分からないままでこの歳になってしまいましたがこれでやっと分かりました。現在の混沌とした世界情勢を考えるうえでも役立ちます。

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2018年06月26日

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落合陽一が落合信彦に「ニーチェを読んでないヤツとは話ができねえな」と言われた、という話を聞き、ニーチェを読んでみようと思った。

が、いきなり「ツァラトゥストラ」なんかに手を出しても理解できないかも、と思い、この入門書を読むことにした。

一言で感想を書くならば、
「ニーチェすげぇ!」
といったところ。

著者の解釈が正しいのかどうかわからないが、自分がなんとなく考えていたことを言語化しているところがすごい。

ルサンチマン思想の批判や、絶対的理念の否定など、よくわかる。
そうだよね、と納得できるし、19世紀にこの思想を打ち出した感性が素晴らしすぎる。

理解できる人は少ないかもしれないが、みなニーチェを読むべきだな、と思った。

ということで、次は「ツァラトゥストラ」にチャレンジしようかな。

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2017年12月31日

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十牛図、ユングの錬金術にも通じて一味違う哲学。ラクダ、ライオン、子供。整体の世界でも言われている身体は何でも知っている、最後に残るのは身体だけ。今まで超人思想を誤解してました。いつの世の中を切り取っても同じような金太郎飴的な世界観が見える。一休宗純も似たような考えだったかなという感じ。ルサンチマンとは努力しない弱者の言い訳、その克服にたどり着いた答えは身体。とは言え文明は身体を弱体化する方向に進みがちにも見えるし、身体の可能性を拡大しているようにも取れる。その振り幅が大きくなっているのかもしれない。超人と弱者を分けるのは永遠の小さな違い。プロ野球選手でもその小さな差で一流と二流に分かれるのだと、かつて野村克也氏の本でも読んだ次第です。

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2017年11月02日

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ネタバレ

ニーチェの解説書の中ではすごくわかりやすい内容だった。

抜粋×要点 という形式でまとめられていて、何ゆえにそのような解釈となるのか、その論理がわかりやすい。

しかし要点解説の中には「本当にそうか?」「いくら読んでもニーチェがそのように考えていたとは読み取れない」という個所もある。
なので、本書をとっかかりにして実際にニーチェの著作を読み込む、そして自分の頭で考え、咀嚼することが大切だと思います。

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2017年06月12日

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ニーチェ思想の精髄を分かりやすく伝えてくれる。

「力」強い、前向きな思想であることがよく分かった。

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2016年09月20日

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善きものを求める人こそニーチェを。鍛錬なき、反省なき哲学はないのだ。

時代と歴史にまみれた自分という存在をニーチェは、鍛える。

木田元の反哲学もニーチェが転回点だったが本書は、哲学だけでなく、人間が生きる上で、転回をもたらす本である。

隣人愛(宗教)、真理(学問)の反人間性を乗り越えるために。浅いニヒリズムでとどまらないために。

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2015年11月18日

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ここまで切れ味鋭い問い(ルサンチマン、永劫回帰)を立てた人だとは知らなかった。一方、問いに対する答え(超人思想、力への意志)の質は決して高くないように思う。それでも哲学史上でこれだけの地位を占めているのだから、問いの質というものがいかに大事かを分からせてくれる好例。

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2023年09月21日

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第4章から急に難しくなったが、基本的に分かりやすく、ニーチェへの理解が深まった気がした。
要約すると、周りに嫉妬せず向上心を持て!みたいな感じかな?

遺伝子や環境が平均以上で、そこそこ恵まれた人には刺さりそうな哲学だとも思った。メディアやsnsで到底追いつく事の出来ない成功を見て、生まれつきの弱者は力への意志を求める事が出来るのだろうか。
向上したくても、この世のシステム的にどうにもならないことはどう対応すればいいのか。
例えばニーチェがiq80で身長150cmのブサイクに産まれてきたら、超人思想なんて考えてたのかな。とは思う。

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2023年03月25日

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「力への意志」などについての説明は分かりやすかったが、所々筆者の意見や解釈が多めに入り込んでいる気もした(ニーチェの文章の性質上ある程度は仕方の無いことかもしれない)

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2023年03月14日

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■著者が扱っているメインテーマ
いかに生きるとはどういう事か?

■筆者が最も伝えたかったメッセージ
生きようとする欲があるから苦悩はあるという世界を受け入れ
自分で世界を切り開いていこうとする意志が大事。

■学んだことは何か
苦悩が選んだ世界から生まれた結果。
人の数だけ世界は存在しているので、そこを否定する生き方は自分を否定しているようなもの。
(他人を羨んだり、苦悩を拒否したり)

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2021年01月12日

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「入門」と言いつつ、 #飲茶 さんの本を読んでいたからなんとか理解できた感じ。
それまでの「絶対的に正しいものが存在する」という「真理への意志」を否定し、この世は自然の物理科学的法則に貫かれた機械仕掛けの天体運動に過ぎず、「何をやっても一切は決定されている」と断じる。だからこそ、「いつも無限の繰り返しとしてそう欲されるべきものとなるように行為」すべきだと説く。「なんのために」ではなく「いかに」生きるかを選ばなくてはならない、世界の「価値」はただ「力への意志」による解釈からのみ生じるのだと。

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2020年10月18日

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竹田青嗣 「 ニーチェ 入門 」

ニーチェの思想の特徴〜キリスト教批判、ルサンチマン批判、ニヒリズム、超人、永遠回帰〜を わかりやすく説明した本。

ニーチェ=ナチズム=危険思想という先入観がなくなる。ニーチェ思想を ポストマルクス主義としてアプローチし、権力の解体を思想基盤としている点に、人間的で 現実的な思想性を感じた。

「ツァラトゥストラ」「権力の意志」は読んでみたい

ニーチェ思想=権力の解体
*マルクス主義、キリスト教、ソクラテスを批判〜それらにより 知や認識が絶対化されると 権力を支える道具になる
*ルサンチマン(弱者の心)の批判
*ニヒリズムの克服→ ニヒリズム=神なる超越的根拠の喪失

ニーチェのディオニュソス的人間観
*秩序化、形式化された世界にカオスを賦活
*生の是認=人間は 欲望の本性(生への意志)によって 苦しみを作り出す〜この欲望以外に 人間の生の理由はありえない
*文明は新しい矛盾をもたらしたが、否定すべきでない→人間存在の本質=矛盾を引き受けつつ生きようと欲すること
*悲劇=矛盾に関わらず 人間は生を欲すること

ニーチェの批判対象
*マルクス主義=私的所有と自由市場の廃止→巨大な権力国家を作ってしまった
*ソクラテス=知識と理性により思考→真理に達する→真理こそ ヨーロッパの形而上学を貫く最大の迷妄

歴史の目標を人間以外のものにおくことへの抵抗
*キリスト教=最後の審判、カント=永久平和、プラトン=イデア などが 歴史の目標〜実存しないものを目標とすることに抵抗
*ニーチェの歴史の目標=より高い人間(種)の創出

キリスト教批判
*人間の理想の原型=キリスト教が作った→キリスト教の人間観=ニヒリズム(虚無への意志)
*キリスト教は 自分を思うことは悪。まずは神、次に隣人を思う
*神という超越的理想を向こう側に立て、自分の無価値を確かめる→生を否定する意志こそキリスト教のニヒリズムの本質

「事実なるものはない、ただ解釈だけがある」
*絶対的な見方、完全な観点は存在しない

超人
*キリスト教、哲学の人間のこれまでの理想には ルサンチマンを内包している→生の否定
*神の死=人間的価値の抹消→ニヒリズム
*ニヒリズムを徹底して ニヒリズムを克服するしかない=新しい価値の根拠、新しい価値の目標を打ち立てる
*新しい価値の根拠=力への意志。新しい価値の目標=超人の創出

ルサンチマン批判
*平等主義、平均化思想→他人の幸福を妬む心性→隙さえあれば 自分が上に立ちたい社会→人間の凡庸化
*弱者に必要なのは より高い人間の生き方をモデルとすること

永遠回帰
*永遠回帰の思想=無神論的宗教であり、物理学的形而上学
*世界は同一の状態を永遠に反復している→世界は神によって創造されたとするキリスト教的世界観の否定
*世界は始まりも終わりもなく、目的も意味もない。ただ存在しているだけ→ニヒリズムの徹底により 理想への回帰を封じる

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2019年05月25日

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もちろん難しかった。けど最後まで読み通すことは出来た。竹田先生の著作との相性が良いことは分かった。難しいけどすこし読みやすい。先生曰く「哲学」や「思想」が「善きこと」を求める努力で、その「善きこと」への志を持つなら、是非とも一度はニーチェ思想の深い森の中を通ってみることをすすめる。とあるのでオレはようやくその森の存在を知ることが出来たのだと思う。その森は、きっと想像以上に深くて広大で鬱蒼とした暗くてイヤなところだろうけど、途中で急に湖が出てきたり、屋敷があったり見たこともない鳥が啼いていたりしそうだ。そこにはきっと色んなまだ見ぬ未知の世界が広がっている。そこで迷って森から出られなくならない様にパンくずを落として注意しながら探検を続けたい。探検しながら自分なりの地図を、思想の地図を描けたらこれはとっても嬉しいことだなあ。きっと。

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2018年11月15日

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ニーチェさんは、実はちゃんと読んでいないんです。
読んでみようかな、とも思ったんですが、あの手の本は、どうにも訳文が不満なことが多くて、しり込み。
(村上春樹さんあたりがニーチェ翻訳してくれないかなあ…英語ではないから無理だけど)。

と、いう訳で、こういう本をひとつ読んでみようか、と。

読んでみたら、実に面白かったです。ニーチェ、けっこう好きでした。

#

●「事実などは存在しない。ただ解釈だけが存在する」

●「真実とは、もっとも強力な解釈のこと」

ニーチェさんはキリスト教が強い時代にあって、まずそれを疑った。
そして、結局、宗教というものを、疑い抜いた。
全ての「誰かが説いた価値」「誰かの語る正義」というのを疑い抜いて、
理性的にニヒリズムに堕ちていく。
ただ、それを、全然否定しない。
ニヒリズムを貫いた向こう側。そこまでいかないと、宗教も、「正義」も、全ては「つらい浮世」「なぜおれは不幸?」「なぜおれはもっと認められない?」「成功しているやつらは狡いんだ」みたいな不平不満感情(ルサンチマン)に溺れてしまう。

キリスト教も「貧しきは善」みたいな救済主張っていうのは、つまりこのルサンチマンにのっとっているだけだ。

まあつまり、ニーチェさんは「だまされるな!」と叫ぶ訳です。

ただ、その先に、どこに向かっていくのか?

この先はもう、ほとんど、芸術というか、詩というか、文学というか。

●私たちの魂がたった一回だけでも、幸福のあまりふるえて響きをたてるなら。このただ一つの幸福があるためには、全永遠が必要だった。そして全永遠は、私たちが「YES」と肯定するこのたった一つの瞬間において、許可され、救済されていたのである。

●人間の苦悩に対して、不満と鬱屈から、「勝ち組は悪い奴だ」とルサンチマンを持つか。それとも、巨大な苦悩にもかかわらず、人生を肯定して、それに「YES」というのか。

というような感じです。
この手のニヒリズムの奥に奥にだけ芽吹けるようなロマンチズム?僕はけっこう好きでした。好みですが。

#
そこから先に、更に具体的に「超人」「力への意思」というような謎めいた思想がニーチェに去来します。
ただこれは、本書の著者も書いていますが、解釈がすごくむつかしい。
ぶっちゃけ、分からん(笑)。
ただ、一部に言われるような「ナチスに繋がる選民思想」だったりはしないような気がする、というのが本書の立場。

たしかに、もう正直ぜんぜんわからない何かの「ありよう」に向かって、矛盾を抱えながら、永遠に解けない謎を、果てしなく続く壁を、それと判りながら登り続けるのが人生であって、それにYESと叫ぶのであれば、そういうワカラナイ命題を投げつける理不尽が、ニーチェさん的にはアポロン的限界を破壊するディオニュソス的表現なのかもしれませんね。と、言いながらそれが自分でも分からなくなってきましたが...。




以下、備忘録みたいに、メモ。





●ニーチェは、キリスト教の自己正当化の中に、後年のナチスやスターリンにつながる危機感を見つけていた。

●ニーチェの思想の柱「ルサンチマン批判」「一切の価値の転倒」「ニヒリズムの克服」。

●「自惚れや傲慢は、ルサンチマンの裏返しである」

●人間は苦悩を「哲学」「芸術」「宗教」でしか慰められない。らしい。

●ニーチェのギリシャ悲劇の研究。

●理性と整理整頓、光明と芸術のアポロン神。一方で酒の神、祝祭の狂騒や陶酔の神である、ディオニュソス。

●火を支配する、人間に火を与えたプロメテウス。

●ニーチェの語る「悲劇」。人間は欲望によって矛盾を生み出してしまう存在だが、その矛盾を引き受けつつなお生きようと欲する。それが「悲劇」。

●恋愛や芸術の体験は、苦しいけれどその苦しさがまた人間の生きる理由になる、ということを確信させる。

●自分が愛されたい、自分を認めて欲しい、という「自我」。これは「他者の承認」によってのみ可能。

●キリスト教のトリックは、「弱者=善」という図式によって、現実人生の不満=ルサンチマンを正当化して、現世がどうにもならないニヒリズムの上に載っている、という。

●「お前が苦しんでいるのはお前のせいだ」という責任のコペルニクス的転化から発生する禁欲主義。

●キリスト教の没落以降の「科学主義」も「真理への意思」を絶対善とする限り、実はキリスト教と変わらない。

●「人類の呪いは、苦悩の無意味ということであって、苦悩そのものではなかった」

●「何であれ一つの意味があるということは、何も意味がないよりはましである」

●「人間は何も欲しないよりは、むしろ虚無を欲する」

●「道徳性とは、個々人における群畜的本能」

●道徳が人間の弱さ、不安、恐怖から出ているのは事実。だがそれは別に道徳を無価値なものにはしない。

●ものごとの「起原」と「本質」はべつのもの。

●ルサンチマン人間=あいつは力がある。したがってあいつは悪い。

●真理は利益で証明される。



●性欲、陶酔、残酷、という三つの要素は、原初の芸術には強く見られる。

●「正義を言い立てる者こそ、最も警戒せよ」

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2017年12月19日

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ニーチェの思想の体系をざっと見渡すことができたと思う。後半の永劫回帰は読みづらく飛ばしてしまったので再読必須。

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2015年06月10日

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最後のところにありましたが、俺は境遇が悪い、運が悪い、弱い、だとかって思いつめて腐っていって、俺はそんなはずはないっていう気持ちで、誰かを呪い始めたり、社会を恨んだりするんじゃなくて、そんな自分であっても肯定して生きていこうよ、っていう、万能な自分、理想な自分を本当の姿としないで、今の自分が本当であることを認めたうえで愛していこう、みたいな考え方なんですよね。それって、ぼくもそういう考え方を持っているところがあるので、まったくもって、共感した次第です。

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2014年12月23日

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永劫回帰を勉強したいと思い、ニーチェの本を一通り読もうとしていたのですが、原文をいきなり読む前にこの本を読んでおいてよかったです
私は哲学の知識が全くないのですが、それでも十分分かりやすかった。あっさりさくっと読める本です。

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2014年10月18日

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[ 内容 ]
ルサンチマンの泥沼のなかで「神」や「超越的な真理」に逃避するのか、あるいは「永遠回帰」という「聖なる虚言」に賭け、自らの生を大いに肯定するのか?
二十世紀思想最大の震源地ニーチェの核心を果敢につかみ、その可能性を来世紀に向けて大胆に提示する、危険なほどに刺激的な入門書。

[ 目次 ]
第1章 はじめのニーチェ(生涯;ショーペンハウアーとワーグナー;『悲劇の誕生』について;『反時代的考察』について)
第2章 批判する獅子(キリスト教批判―『道徳の系譜』について;「道徳」とルサンチマン;「真理」について;ヨーロッパのニヒリズム)
第3章 価値の顛倒(「超人」の思想;「永遠回帰」の思想)
第4章 「力」の思想(徹底的認識論としての(認識論の破壊としての)「力への意志」 生理学としての「力への意志」 「価値」の根本理論としての「力への意志」 実存の規範としての「力への意志」)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2014年10月28日

Posted by ブクログ

武器になる哲学の推薦本である。最初の部分、あるいはあとがきは非常にわかりやすく書かれているが、読み進めるうちにわかりづらくなる。ニーチェがなぜ現在復活したのかということだけでも重点的にい書いてあると助かる。神という概念がない人にとってはわかりづらい。

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2023年07月02日

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 ニーチェの名前をよく目にするようになったので、少しは知っておいた方がいいかと思い、本の帯にある「最も読まれている入門書です。」という言葉にひかれて買いました。

 さて、著者は、恐らく大変分かりやすくニーチェの思想を解説してくださっているのだと思いますが、残念ながら、私にはほとんど理解できませんでした。もちろん、まだ1回読み終わっただけですので、再度、再々度と読み直せば、もう少し私の理解が進むのかも知れません。しかし、予備知識のない身には、理解するには厳しい内容、というのが率直なところです。

 そもそも、ニーチェの時代と今の我々とではおかれている環境があまりにも違います。ですから、同じことを考えたとしても、受け止め方に相当違いがあるはずです。p.157に、こんなことが書かれていました。『ところで、現在のわたしたちにとっては、これがなぜそれほど戦慄すべきものであるか受け取りにくい面があるかもしれない。というのは、無宗教が常識になっている社会の現代人なら、誰でもうすうすは、「世界の外側」に「超越的な意味」など何も存在しないし、したがって「死んだらそれきり」であるという感覚をもっているからだ。』これは、「永遠回帰」について説明されている途中に出てくるものですが、キリスト教的な考え方が支配的な当時と、無宗教が常識になっている現代とでは、発想が違って当たり前だと思うのです。ですから、発想のベースが違うので、理解が難しいのです。多分。

 とはいえ、道徳に対する考察や、永遠回帰、あるいは美や芸術における「力の意志」という発想は、新しい視点に気付かされた瞬間もありました。これであきらめるのではなく、もう少し探究してみたい気分ではあります。せっかくの10連休ですので、普段は読むことがないであろう本に挑戦できたのは、よい収穫でした。

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2019年05月03日

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竹田青嗣がニーチェの哲学について解説している本です。

おもしろく読めましたが、著者の立場にニーチェ引きつけすぎているような印象があります。たとえばニーチェは、『反時代的考察』の中で文化批判をおこない、人類の文化の目標は「より高い人間の範例」を生み出すことにあると主張しています。竹田はこのことに触れて、ニーチェの意図していたところは「人間のありかたをつねに「もっと高い、もっと人間的なもの」へと向かわせるための、いわば励まし合いの“制度”なのだ」と解説していますが、こうした解釈は、ニーチェのもっていた「毒」を微温的なものへと変えてしまっているのではないかという気がします。

そのほかでは、「永遠回帰」の思想に関して「生の一回性を利用して世界と生そのものへ復讐しようとするルサンチマンの欲望を“無効”にする」という解釈を示し、また「力への意志」を竹田欲望論の文脈に引きつけて解釈しています。とはいえ、竹田欲望論とニーチェの哲学がどのように切り結ぶのかを知ることができるという意味で、個人的にはおもしろく読むことができました。

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2017年11月29日

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ネタバレ

「ツァルトゥストラ」が読みたいけれど予備知識なしだと理解できそうになかったため文字通りニーチェの入門書として。
 とても分かりやすく書かれている、と思う。それでも難しい。キリスト教批判、超人、永遠回帰、力の意思などがキーワードとして挙げられている。「力への意思」はよく分からなかった。
 形式としては一次資料からの引用を載せて、そのあとに解説をする体裁。一次資料は殆ど何を言っているのか理解できなかった。解説も著者による一つの解釈ということなのだろう。まったく違う解釈もたくさんあるのだと思う。この本の解釈が正しいのか間違っているのかは判断できない。ただ他の学者の解釈も紹介しているし、入門にはいいと思う。

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2014年03月14日

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「ニーチェ=神は死んだ」程度の知識で読んだらやけどした。しかしこの人の魅力はよく伝わってきたので、哲学のバックボーンを理解した上で再度読みたい

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2014年02月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

マルクス主義:国家間戦争は資本主義を理由とする。資本主義はその本性として、国内の市場を超えて絶えず外側に新たな市場を必要とする。19世紀末、ニーチェと、資本主義の限界とともにマルクス主義が台頭したが、共産主義国家の瓦解とともにニーチェが重要視された。

フーコー:権力は暴力によってではなく、知によって組織される。これは個々人のうちに内面化されることで隠れた権力として作用する。

絶対的真理という概念は、それが支配的なイデオロギー化したときに反論を許さない絶対的権力を生み出しかねない。認識や真理は時代で変化するので、それらの意味や価値を問いなおすのがニーチェ哲学の面白い要素である。

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ショーペンハウアーは世界を「表象」と「意志」に分けた。前者は世界のあらわれで、後者はそれをあらわす根本の原因とも呼べる存在であり、運や(それをもたらす)神、人間の意志だと考えている。
意志がもたらす世界の表れは「生への飽くなき意欲」だが、これは矛盾を生み出す。そうである以上矛盾は克服できず、昇華される必要がある。

(以下、ヘーゲル哲学の説明)
近代以降、自然科学成立とともにキリスト教の世界像が崩壊する。そこで問題となるのは、1.人間は自分の力で世界を認識可能か、2.キリスト教に代わる善悪基準はあるか、ということ。1に関しては「主観」と「客観」は一致するかという問いであり、2に関しては「善」、「悪」をどういう手法で回答するか、という問題になった。

ヘーゲルの回答は以下。1.カントの「物自体」(経験を生み出すイデアのようなもの)は誤り。理性の歴史を経て、最後には絶対知に達しうるとした。2.カントの「世界をいっそう高い調和に導く普遍的な行為」は誤り。人間は自己中心性を持つが、これは他者の承認によって成立可能であり、自由とは他者の自由を認めて始めて得られる。このような本質を理解して、人は始めて善を意志する。
つまるところ、「歴史」は理性の本質が自己実現を行うプロセスであり、それに伴い社会を善へ向ける、ということだ。以上は、ショーペンハウアーの反歴史・反理性主義とは大きく異なることがわかる。

人間には、現実を考慮せず理想を追い求める「ロマン主義」と、理想が簡単に実現しないことを考慮する「現実主義」がある。ニーチェはそれを超え、直接に現実の変革をめざすのではなく、文化の概念に戦いを挑むことでそれを超える。
ここで、人類の究極目標とは、人類全体の動態には無関係に、個として有力な人間を生み出すことである。これは、1.ルサンチマン思想によって人間を平均化・凡庸化することへの対抗、2.歴史の目標を人間以外のものに設定することへの対抗を意味する。

1.キリスト教を中心にした思想群は、人間の思想を画一化させる凡庸主義である。道徳とは、精神的に強い人間を制限し、弱い人間を守り、互いの自由を制限するものである。2.キリスト教の最後の審判、カントの永久平和、これらは、存在し得ない超越的理念であり、退けるべきものだ。

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ニーチェは、人間の理想像の一切を徹底的に疑った。具体的には、1.キリスト教、2.道徳、3.真理である。
言語的起源において「善」とは、高貴ー野卑という対立概念のみに結びつき、利己ー利他とは無関係な自己肯定的なもので、分類するのであれば利己的なものだった。キリスト教は隣人愛のもと、共同体内のみならず異人の受け入れをも求め、最終的には、対立概念である利己心を悪とみなす。これは、本来悪が他人への害であったことを考えると、ズレが発生していると言える。これは、起源を遡って転倒の由来を確かめる学、系譜学である。
ここで、善悪の評価方式は2つに分類できる。1.自己肯定的な貴族的評価様式、2.暴力は悪、転じて弱いものを善とする僧侶的価値評価。後者は敵(=強者)は悪という否定的評価の反動から肯定を行う点で反動的である。したがって、これは弱者のルサンチマンから現れる、合理化の一種である。加えて、キリスト教は「原罪」の意識を持ち出すことで、自己評価を低く固定させた。このとき、悪とは敵ではなく、ほかならぬ自分になる。超越的な理想を神に置き、自分の絶対的に無価値を確認し、生の欲望の一切を否定する。この態度こそが、ニヒリズムなのだと言える。禁欲主義的理想は、苦痛かつそこから脱することが出来ない場合、ルサンチマンを対象を外ではなく自分に向けることで解決させる。

近年の神の死からの合理主義者もまた、真理を信じている点で禁欲主義的思想から生じていると言える。合理主義者は世界を没価値的なものとみなし、その意味でキリスト教の系譜を組んだニヒリズムの完成形である。人間は何も欲さないよりは、虚無を欲するのだ。

近代哲学者たちは、道徳を価値あるものと定義した上で道徳について考えたが、ニーチェはそもそも道徳の価値を問いなおした。道徳とは、キリスト教の没落による超越論的な存在意味の根拠の再定義である。

道徳は不安や恐怖を根源として生じる。キリスト教は、汝の敵を愛せよ、ということで道徳から自然性と有用性を放逐した。これらが通用するのは、この考え方が超越的なもの(真理)をバックボーンにしているときだけである。

まとめると、道徳は必要不可欠だが、ルサンチマンによって自然性が反転し、現世を超えた絶対性と結びつくとき、危険なものになる。ルサンチマンは感情の反芻を意味する。恨みの対象を悪とみなし、恨みの対象が自分たちを顧みないことに怒り、他人のことを考える人間だけが正しいとみなす、反自然的思考を生む。これは、現実に対処するのではなく、ただ否認だけを行うという点で、逃避にすぎない。これによって、利己性から生じていたはずの利他性が、それ自体絶対視されることになった。

真理とは、知性に権力と説得性の感情を最も多く与える仮説のことであり、採用者に利益ある解釈が真理とみなされてきた。もともと、世界に対する解釈は無数で多様だった。「事実なるものはない、ただ解釈だけがある」

そもそも、日常生活の矛盾に嫌気が差すから、矛盾のない世界があるだろう、とする推論は、苦悩を否認する心象に基づいた導出による、全くの誤りである。

現代は、「最も神聖で強力なもの(=神)」を否定し、無意味と無根拠に耐えているが、それは自分の生を肯定し解放する可能性を、長い歴史の中で始めて掴んだということでもある。そこには善悪も正解不正解もなく、「一切は許されている」。

ヨーロッパのニヒリズムは、苦悩→ルサンチマン→1.目的、2.統一、3.真理を求めるようになる。しかし、実際には何もないので、ニヒリズムの最後の形式が立ち現れる。

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超人思想とは、以下のようなものである。
1.人間の理想はルサンチマンを内包しているため、最終的に生の否定に至る。
2.「神の死」により、人間的価値の根拠が抹消された。近代哲学は、キリスト教の代わりになるものを打ち立てられなかった。結果、近代思想はニヒリズム的本性を露出させた。
3.このニヒリズムを克服するためには、旧来のニヒリズムに立ち戻らない形でニヒリズム徹底し、積極的に新しい価値の根拠あるいは新しい価値の目標を打ち立てる必要がある。
4.根拠とは、力への意志であり、目標とは、超人の創出である。

苦悩→ルサンチマン→意味の探求という枠組みにいてはニヒリズムを克服できない。だから、まず強弱という序列を否定すべきだ。

解釈はその個体のみに属す。完璧な世界認識などというものは存在しない。

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2013年12月29日

Posted by ブクログ

『道徳の系譜』を読んだだけでは分かりにくかったニーチェの思想の全体像を概観することができた。

生と欲望を人間の本性として肯定し、それを阻害するヨーロッパ的価値観(キリスト教がその代表)を批判したニーチェ。

生の肯定と、ロマン主義と現実主義の彼岸にある思想の探求、という出発点は共感できるけど、思索の末に導かれる結論には直ちに同意することはできない。
「真理なんてない」と言ってしまえば全ての科学は存在の根拠を失うことになるし、キリスト教批判を敷衍した「道徳」批判はいかにも過剰反応という感じがする。まあそんなラディカルさがニーチェの魅力なのかもしれないけど。

著者は、「ニーチェの思想は強者の論理である」という批判を、「この世界には強者と弱者が存在する」という事実の否認と混同しているものとして退けている。が、ニーチェの思想が弱者を救ったことがあるのか、果たして? その点で言えばキリスト教の方がナンボかマシという気がしないでもない。

終わりの方で触れられている芸術論としてのニーチェの考え方はアリ。

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2014年12月05日

Posted by ブクログ

会社の方に勧められ、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を読もうと思ったのですが、哲学や思想の書物を読んだ事が無かったので、『とりあえず入門書を…』と思い購入。

が、マルクス主義、ポスト・モダニズム、カオス、ディオニュソス的、などなど、思想初心者の私には全く解らない言葉がズラリ。。

正直前半は頭が痛かったです。
が、読んで行くうちに何と無くではありますが言わんとしている事が解るような気がし、『おぉ!面白い!!』と思えるように。
著者様の力量ですね。

一番印象に残った言葉は、

世界と歴史の時間にはどんな『意味』も存在しない。
それにもかかわらず君は生きねばならず、したがって『なんのために』生きるかを自分自身で選ばなくてはならない。


是非ともいつしかツァラトゥストラを読んで見たいものです。

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2012年09月30日

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