竹田青嗣のレビュー一覧
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メモ
現実とはむしろ自分が自分に付け加えようとしたロマン的幻想が他人との関係の中で剥ぎ取られる不断のプロセスでありそこで人間が思い知っていく可能でないことの動かしがたい秩序のことなのだ
だから生活感情のリアリズムとはいわば無数の心の傷の記憶の累積だと言える
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ある欲望の視線において取り換えのきかない対象として見出されること。このことが事物の「この」性を作り出す源泉なのだ。
同51ページ
もしも思慮が何かの美の場合と同じような視覚に訴える自己自身の鮮明な映像をわれわれにに提供したとしたら恐ろしいほどの恋心を駆り立てた事ことであろう。その他魂の愛をよぶべきさまざまなの徳性についても同様である。しかしながら実際には美のみがただひとり美のみが最も明らかにその姿を顕わし、最も強く恋ごころをひくという、このさだめを分けあたえられたのである。
同68 引用パイドロス
美徳にしても、恋にしても、どちらがより多くの苦難を堪え忍ばせる力を持っているかが問題なのである。
マノン・レスコー
恋愛とは、一瞬を本質とするエロス的快楽を通じて永遠につながろうとする欲望となる。と言うより、一瞬の中に永遠を直感するような欲望となる。だからそれは本来パラドキシカルな欲望なのである。167ページ
「愛すること」、その優れたモデルは信仰による隣人愛にではなく、あの情熱恋愛にある。そこでは、他を愛することが自分を愛することと「一致」し、そのことで愛の自己中心性を不思議な仕方で抜き取るからである。
268ページ -
Posted by ブクログ
私は、以前、カント哲学について全く分からず歯が立たなかったが、この著書などカントに関する本の解説書を読むことによって、だんだん自分として理解できたつもりでいます。
この本は、カントの解説書として良好と思います。
カントは、霊魂の不滅、自由、神が客観的事実として認めることはできないとはっきりと語っていることを、私自身再確認し、しっかりと肝に銘じておく必要を感じました。
私は、以前からの自分の課題として、霊魂の不滅、自由、神が客観的事実として認めることができるかどうかを、宗教書や哲学書などいろいろと読み重ねましたが、結論は出ず、あるときは、「あるはずだ」、「やはり証明できない」などと迷いに迷っていました。しかし、カントの著書にたどり着いて、この問題に漸くピリオドを打つことができそうです。
そして、カントが示唆しているように、認識論の次は、「道徳」の構築が大切ということなる。この問題を今後、自分自身の課題に入れる必要性を感じてならなくなりました。
竹田氏のこの著作は、私にとって一つの一里塚になりました。ありがとうございます。 -
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哲学はなんぞやからはじまり、哲学と宗教の違いなど、哲学書を読む前に全体を俯瞰するにはもってこいの本です。
歴代の哲学者や哲学の歴史など、流れが分かった上で詳細な内容に入っていくべきと再認識。 ちくまープリマー新書、なかなかやりますね!中学生が読んで理解できるかは不明というとかなりマイノリティーになると思います。
哲学とは、ものごとについて「自分で考える方法」である。
哲学の方法の本質は、物語ではなく概念を用い、さまざまなことがらについて「原理」を少しずつ推し進めて、多くの人間が納得できる「共通理解」を作り上げてゆく方法である。
哲学は、答えがでない問題をどこまでも考える学問だというイメージがあるが、それは形而上学にはまりこんでいたときの哲学であって、現在はそんなことなないらしい。(カントが形而上学を終わらせたとか)
形而上学とは、形として見えるものの向こう側にある、見えない世界についての知識、学という意味。
プラトン、カント、ニーチェ、ハイデガー読んでみたいと思いました。
この著者 竹田 青嗣さん、かんなり分かりやすい☆この人の本にはまりそうです。
「とことん壊れる経験がないと、世界はふかまらない」 -
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私たちは、青年期に、自分の生がたった一度に限定されていること、
自分こそこの生の取り換えがたい主人公であること、つまり、自分という
存在の絶対的な交換不可能性に気づく
哲学は、そんな私たちに、誰もが納得できる「普遍的」な世界理解の
あり方を“作り出す”ための方法を示す。しかし、哲学は、あくまで
“自分で考える”ための方法であり、自分が属している関係自身を
支えるために考えよ、と教えるものだ。
世界を知るということは、世界それ自体を知るということではなくて、
世界についての自分の理解のありかた、また自分と他人の関係の
あり方を了解するということなのである。 -
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ネタバレ中学生の頃に疑問に思うこと・・・「なぜ、勉強しなければならないの?」
大人達の答えは、常に説得力がない・・・良い高校、良い大学に進学し、
良い職業に就くため、そして高い収入を得ることで、幸せになるために・・・
中学生は、疑問に思う・・・「それが本当に幸せになる手段なの?」
この本には、こう書いてある。
「勉強するのは、まさに『生き方を選ぶ自由』をえるためだと。
私たちがより良く生きるためには、考える力が必要だ。この本には、
私たちが考える力を身につけるために必要な思考のテーブルがある。
私が、中学生だった頃に出会いたかった素晴らしい内容がある。
でも、かつて中学生だった私のようなオジサンにもおススメです。 -
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自由とは、信念・目標・所有物などの個人的資産が、如何なる理由によっても妨げられない事だ。何が正しいかについて、絶対的根拠がない為に、万人に共通する理念とは、法律だけである。人間の良心的な承認行為を通じて、人間の幸福は築かれる。他者と異なる考えを持つ事によって、承認を得られない事態が生じても、それを理由に、社会から排斥される事は許されない事だ。個人の自由とは、名誉や物的財産、知的財産が、他者にとって不可侵の領域とされ、法的にも他者の侵犯から守られている状態を指す。その「自由」を前提として、私たちは様々な約束を他者と交わし、思想を交換する。社会は、共通の了解を得た規約から成立する。例え、個人的な信念に反する規約だとしても。よって、ある団体に参加する者は、規約を承認する事を表明しなければならない。現代では、如何なる社会的行為をも拒否して、己の意志だけに従う生き方が、生まれている。しかし、健康を維持し、経済的な自立が保持できるならば、人の生き方は基本的に自由である筈だ。いずれにせよ、自由とは、生活の基盤が守られた上で、初めて追求されるべき価値が生まれるのだと思われる。
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これ、これ、このことだ、これが知りたかった。
常々、言語について頭を整理したいと思っていた。
日々読んだり書いたりしていて、使う言葉やそれを組み合わせた文章そのものが気になって仕方がない。
言葉や言語の本質、人間にとっての意味や価値、構造など掘り下げて考えねばという切迫感が嵩じていた。
そんなタイミングでこの本、この作者への遭遇だ。
フッサールの現象学やポストモダンの哲学についても触れることになる。
しかし、何度読んでもわからないところが多い。
部分部分薄っすらと納得できるようなところもあり、それが何ともいえない快感を誘うから始末に負えない。字面への我慢と慣れが得心の条件だ。
哲学や思想の用語、概念、人名の凄まじい羅列、こんな空間で物事を考える人種がいることに愕然であり、苛立ちすら覚える。この関連の学者のなかではわかりやすい説明をする人のようだが、決してそうは思わない。もう少しわかりやすく書いても良さそうなものだ。凄いことがまとめてあるのは感じるが納得できなければ意味がない。恨めしい。
著者は「あとがき」で書いている。
この本は、現象学的方法による言語の本質学である。
まずひとつは、近代哲学以来の認識問題の議論は、現代哲学では言語論の領域に移されているが、これを現象学的方法によって完全に解明すること‥‥現代における「言語の謎」を解くことである。発語主体と受語主体の間の「信憑構造」、「一般言語表象」、「言語コンテクスト」、「意味」の存在論などが、この問題の解明のための主要概念として示されている。
もうひとつは、現象学的思考の範例を置くことで、原理の提示とその展開によって「普遍洞察性」をめがける哲学的思考のエッセンスを提示することである。
‥‥哲学的思考は、「認識の絶対的妥当性」(=真理)へ近づくのではなく、認識の「普遍洞察性」(=共通了解の普遍性)に近づくのである。
これを皮切りに竹田青嗣の哲学をYouTubeなどネットをとおして少し知ることができた。彼の思考世界の入り口に立てた発見の喜びも一入である。 -
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苫野一徳さんの師匠である竹田青嗣さんの入門書。
中学生から、というタイトルだけど、何にもなれない自分を受け入れるという点で、中年の私にも共感できる内容だった。
備忘録↓
資本主義は、成長し続けるためのシステムのため、「一般欲望」を掻き立て続けるもの。
トランプゲームの大貧民のように、こく一部の人しか勝てない仕組みになっている。
しかし、資本主義そのものを批判するのではなく、「一般欲望」ではない、「自分の欲望とそれを可能にする可能性の条件をつねに吟味する必要がある」
余談だが、哲学書では、よくドフトエフスキーが出てくるが、本書でも「罪と罰」が紹介されていた。
私の中で、読みたいけどなんとなく読めない積読である。。