竹田青嗣のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
哲学者に関する解説書は、大抵、解説対象の哲学者の著作の引用と、それに対する注釈からなります。
本書もそうした記述をとるわけですが、そこはハイデガー。
引用文が何を言っているのか、まるで分かりません。
もちろん訳者の巧拙もあるでしょうから、1、2か所ならそういうこともあるかと思います。
ですが、ハイデガーの場合、複数の訳者によるどの引用文でも、やっぱり訳(わけ)が分かりません。
そもそも変な術語ばっかりですから。
「現」「情状性」「了解」「語り」「頽落」とか、漢字の意味は分かるのに、文章上の語の意味が全然腑に落ちません。
原書を読み始めても、15分でリタイアする自信があります。
高校倫理以来、私 -
Posted by ブクログ
宗教と文学と哲学と科学の違いを比較しながら説明してたのが面白かった。
宗教と文学はフィクション媒体という意味で共通してるけど、
宗教・・・宗派を作って他宗派と競い合う。始祖の言葉を出来るだけ聖なるものとして強化し、権威を強める。
文学・・・物語という枠に囚われていてその外には出られなくて、哲学や科学みたいに皆が共有出来る普遍のものを追求する事が出来ない。
という個性がある。
哲学と科学は皆が共有出来る普遍的なものという意味では似てるが違うところは、科学は以前に証明されたことに間違いがあれば改変はしつつも、積み上げて行くのに対して、哲学は前提がいつも一新されて変わる所が違うらしい。
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竹田青嗣先生と苫野一徳さんの初の対談本、
一気に読んでしまいました。
普遍暴力をいかに逓減するか、という問いかけ。
ずっと頭にこびりつきながら問いかけていたことは、
「ではどうやったら具体的に、日常においてそれが可能か」
ということ。
仕事や、家庭、あるいはそれぞれの共同体の中で、
「場」を創設していくには?
あるいは確かによくできた原理かもしれないが、
覇権主義の現在の世界システムで、「相互承認」の感度を世界的に育んでいくことはできるのか?
人間には理性とは別のエゴイズムの原理があって、道徳はおろか法をも掻い潜ってそれが制御不能なものになるのが人間の常ではないか。
(いじめや学級崩壊や -
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「自己意識」は、他者の関係のなかでは、自分が相手から対象化されていること、またつねに相手が気になることで、言うなればつねに一種の「自己喪失」の状態にある。そこで、自己意識が本気で「自己自身」たろうとすれば、「相手の存在を否定することで自己の自立性・主体性を守る」という態度をとることになる。
この一文の本質について語る前にまずは前提として、自己意識が本気で「自己自身」たろうとすること、すなわち自己意識の確立とそれへの「他者」の関わりについて、ヘーゲルの「哲学史講義」を引用することで明らかにしていこう。
その真髄は、「他者を自覚するものは他者と同一の存在であり、だからこそはじめて、精神は他者のうち -
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透徹した客観性でもってシステマチックにハイデガーの思想を整理しており(その問題点も含めて)、大いに理解を助けてくれた。特に『存在と時間』を解説した第2章・第3章がよかった。以下は『存在と時間』の主なキーワードについての引用。
【実存】
人間は、自分自身のあり方に対してさまざまなレベルで欲望、関心、配慮を向け、そのようなものとして自分を了解している存在である。……ハイデガーは人間のこのような存在仕方の独自性を「実存」と呼ぶ。(p.57)
【世界内存在】
では、人間は「世界内存在」であるとはどういうことか。……人間は「世界の内に存在する」とか「世界全体と深く関係している」という意味で受け取るな -
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完全解読シリーズの趣旨も良く調べず手に取ってみましたが、基本原著をベースに適宜解説を加えるといった読み応えのある内容とは露知らず、寧ろモチベが高まりました。
「純粋理性批判」は難読で有名ですがこの「実践理性批判」はそこまで理解し難いことはないとの評判でしたが、やはりこの独特の言い回しと同じ主張を角度を変えながら論じていくスタイルは自分のレベルでは読み解くのに難儀。
とはいえ、欲や快楽などの傾向性に基づく行動や思想は経験的な出所で道徳的なものとは言えず、アプリオリに認識される道徳法則に基づく「~すべき」という定言的命法と自律(マキシム)が一致することこそが唯一の道徳的なもの、ひいてはそこに「 -
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ネタバレ
哲学者の竹田青嗣が、中学生向けに哲学を説いた本。
この本を読んで初めてフッサールの現象学が、「正しさ」=「自己了解」であると言っていることを理解した。「正しさ」は「正しいか間違っているか」ではない、というのは面白い。
改めて「現象学」によって「相対主義批判」ができるというのも発見。勝手な推測だが、相対主義を乗り越えて肯定的世界観をもちたいという著者の動機がいつも見え隠れするのは、やはり著者が在日韓国人であるということが大きいのではないか。複数文化を経験し、価値を相対化する必要性を感じることを契機に、彼の哲学が構築されて来たように思えてならない。自分が帰国子女である点と重なるため、 -
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哲学はどの本を呼んでも何だかいまいちよくわからなかったが、さすがに中学生向け(?)の哲学「超」入門なら少しはわかるかもしれないと思い読んでみた。結果、ほぼすべてにおいてなるほどと思える素晴らしい内容だった。
自分とは何か?世界とは何か?哲学とは何か?宗教と哲学との違いは何か?社会とは何か?幸福とは何か?
といったことがらについて、著者の生い立ちからはじまり、地に足をつけてわかりやすく書いている。(…といっても中学生にはかなり難しいと思うが)
その中で著者が最も伝えたいことは「自分の意志をもつこと」で、それは、自分の幸福の条件を、才能や運に委ねるのではなく、自分で自分の「自由の条件」を考えて作