あらすじ
恋愛――人生で一度は心を奪われる、このあらがいがたく不思議な力はなんなのか? 恋が過ぎ去ったあと、そのリアリティが失われるのはなぜなのか? 「恋愛」がもつ意味とは? プラトン、ゲーテ、ドストエフスキーらの格闘の軌跡を辿り、永遠不滅のテーマ「恋愛」を哲学する。人間の「実存」に新たな光をあたえた名著。
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Posted by ブクログ
メモ
現実とはむしろ自分が自分に付け加えようとしたロマン的幻想が他人との関係の中で剥ぎ取られる不断のプロセスでありそこで人間が思い知っていく可能でないことの動かしがたい秩序のことなのだ
だから生活感情のリアリズムとはいわば無数の心の傷の記憶の累積だと言える
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ある欲望の視線において取り換えのきかない対象として見出されること。このことが事物の「この」性を作り出す源泉なのだ。
同51ページ
もしも思慮が何かの美の場合と同じような視覚に訴える自己自身の鮮明な映像をわれわれにに提供したとしたら恐ろしいほどの恋心を駆り立てた事ことであろう。その他魂の愛をよぶべきさまざまなの徳性についても同様である。しかしながら実際には美のみがただひとり美のみが最も明らかにその姿を顕わし、最も強く恋ごころをひくという、このさだめを分けあたえられたのである。
同68 引用パイドロス
美徳にしても、恋にしても、どちらがより多くの苦難を堪え忍ばせる力を持っているかが問題なのである。
マノン・レスコー
恋愛とは、一瞬を本質とするエロス的快楽を通じて永遠につながろうとする欲望となる。と言うより、一瞬の中に永遠を直感するような欲望となる。だからそれは本来パラドキシカルな欲望なのである。167ページ
「愛すること」、その優れたモデルは信仰による隣人愛にではなく、あの情熱恋愛にある。そこでは、他を愛することが自分を愛することと「一致」し、そのことで愛の自己中心性を不思議な仕方で抜き取るからである。
268ページ
Posted by ブクログ
過去の文学名作品の批評的考察から恋愛についての本質に迫っていこうと試みられた作品。恋愛が元になっているので、フィクションが元になっているということで、それで人間の本質にというのは、なんとなくしっくりこないところではあるが、小説もまた人が作り出すものということから考えれば、これも人の諸相を示す一つの出発点としても問題なかろうというところからきているのだろうと納得させながら読みました。恋愛が語られる名作をダイジェストで味わうこともできるので、よい面もありますね。
Posted by ブクログ
相手のことを想って胸を焦がすような「恋愛」という体験の意味を、実存的な観点から解き明かそうとする試みです。
われわれは恋から醒めた時点から振り返って、プラトニックな愛にのぼせ上がって「現実」が見えていない状態だったと考えたり、あるいは恋愛の本質は単なる肉の欲望であり、それを「恋愛」を呼ぶ人は事実を覆い隠す美しい虚構に酔っているにすぎないと考えたりします。しかし恋愛のただなかにある者たちは、相反するはずのプラトニズムとエロティシズムをまったきひとつのものとして生きています。本書がめざすのは、こうした特権的な時間と、それが醒めた後の日常的な時間との間にある大きな齟齬のもつ意味を解明し、「恋愛」の実存的な本質を取り出すことです。
人間社会は、他者とのかかわりのなかで自己の「アイデンティティ」を勝ちとるゲームにほかなりません。社会のなかで「自由」を実現しようとする自己は、何らかの「自我理想」を掲げ、他者からそうしたアイデンティティを承認されることで、自己の「自由」を獲得することになります。ところが、かけがえのない欲望の対象である恋人の心を得るということは、「自分が自分である」という理由だけで愛される、純粋な可能性を意味していると著者はいいます。それは、自己が掲げるロマン的な理想が、いっきょに自分の生として現実化される可能性を与えるのです。また著者は、こうした愛し合う恋人どうしの間でのみ許される「美」を侵犯することにエロティシズムの本質があるという主張を展開します。
このほか、著者はコンスタンの『アドルフ』やスタンダールの『赤と黒』、さらにトルストイやドストエフスキーの文学作品を手がかりに、「美への希求」と「情欲」が一つになる恋愛が、実存にとってどのような意味をもつのかということを追求しています。とくにドストエフスキーの作品は、このような実存のありようそのものに対する問いかけが認められると著者はいい、その重要性を明らかにしています。