東畑開人のレビュー一覧
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聞く技術に関する本はたくさんある。またうまくプレゼンする技術に関する本はたくさんある。
この本の特別なところは、その両者でもないところ。「聞いてもらう技術」というのが面白い。
本書で結構強調して述べられている(「聴く」よりも「聞く」のほうが実は難しい)というのはある意味発見である。本に書いてあるように、私も聞くのは簡単で、聴くの方が難しく効果的なものだと思っていた。
けれど日々の生活の実感として、圧倒的に必要な場面が多いのは「聞く」であるし、また難しいものであるという認識がないのが始末に悪い。
家庭、職場での日々を振り返っても、実は難しい「聞く」の技術は伸ばすことができていないせいで日々 -
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タイトルが意味深。
コロナ禍に書かれた連載をまとめた本。
つい数年前のことのはずなのに、もうずっと昔のような気がする。
あのときはほんとにおかしな時期だった。
みんながマスクをして、学校も休校になったし、リモートによる授業もあった。
その時代性が、このタイトルを引き出した、らしい。
東畑氏の本を読んだのは初めてだった。
この人、ふざけているのか?そう思わせるようなエピソードと文体が楽しく、タイトルの堅苦しさと相反する印象を持った。
だけど、”心はどこに消えた?”という問いは、カウンセリングの中で、真摯に導き出されたものだと思う。
さまざまなクライアントの話はとても興味深い。
何か不調を抱え -
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ストーリーズには少し読みながら考えたことなんかを書いたりもしたけれど、結論を端的にいうならめちゃくちゃ面白くて最高な一冊だった。
答えと「癒し」を求めて奔走する取材と迷走する妄想に笑って、その後の思索を読めば色々考えて知的探求のスリリングさも感じたり、セミナーやスクールの描写に驚いたり呆れたりもしながら、辿り着く「発見」と真摯な結論には納得して感動もして、その後の人生と選択にも共感もしていた。スピリチュアルではなく現実が繰り出してくる「ミラクル」なオチも素敵だった。そして、最後の最後には微笑みながら少し泣ぐんで本を閉じていた。ともすれば軽薄に感じて冷めてしまいそうな部分もある文体を、文庫版のま -
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「ふつうの相談」には、p62〈外的ケアの整備〉と〈問題の知的整理〉の機能がある。この二つの機能が果たされた時にはじめて、情緒的サポート(ラポール)が成立する。この順序が重要。
ラポールを形成してから心理的作業へ、と教科書にはあるが、まだ何の役にも立っていない専門家をどうやって信用できるというのか。p65
ふつうの相談に決定的に重要なのは、ソーシャルワーク的な想像力p63
問題の所在がどこにあり、どう変化するとよくて、それは何によって可能になるのかが知的に整理され、言語的に納得できることの価値は極めて大きい。客観的状況は同じでも、主観的な風景が変化するからだ。進むべき方角を実感できると、〜苦 -
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「社会人として成長するには、一度徹底的に負荷を与えられる必要がある。それは俗にいう『潰す』という経験で、君にもきっといつかその時がくるよ。そんな壁にぶつかることそのものが大事だし、その壁を乗り越えないと成長には繋がらない。」
そう言った上司がいた。そうなんだと納得した。でも、その人が言う「壁」とは、私にとっては穴だった。気づいたらどんどん仕事が増えてきて、訳もなく(あるのだけど分からない)不安になり、感受性がどんどんなくなっていった。
あの人はこれをのりこえる壁だというけれど、私には壁として分かりやすく見えるものではなく、いく先の分からない穴に落ちていくことなのだ。まともに落ちたら、最終的には -
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本書のタイトル、心はどこへ消えた?
心は対外的に説明するには不確かで、極めて個人的なもの。他者といるとき、心には時々蓋をして、見てみぬふりをしてしまう。
その状態が当たり前になってしまう。
東畑さんの『心は見失われてしまう』がとてもしっくりくる。
だけど、1人になると心の輪郭はすごくはっきりとしてくる。嫌なこと、辛いこと、つい蓋をして振る舞えてしまう、大人だから。
でも、自分は何がそんなに嫌だったんだろう?と深掘りすると、悔しかった、寂しかった、惨めだった、等具体的な言葉が思い浮かんではっとする。
そういうことを繰り返して、私は私の扱い方がわかってきて、強くなってきた気がするなぁ。
溢れで -
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この仕事は向いていない、私はいつか徹底的に相手を傷つけてしまうことがあるだろう、この分野に身を置くにはあまりに不勉強すぎる(でも何だか向き合えない)、今の仕事は本流ではない…と何度も何度も思いながら、この分野に身を置いてしまっている中で、この本は自分に向けられたものでは?と勘違いしたくなるくらい、お守りになることが書かれていた気がする。
自分の守備範囲がわかっていて、限界がわかっているなら、それはそれで専門性だと思うし、その守備範囲ならではのできることもあるよな、と思った。研鑽していくのはこの守備範囲を広げていくことだったり、自分の守備範囲ってどこだろう(対象しかり、技法しかり、自分自身の力量 -
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ネタバレ未解決事件の遺族である入江杏さんが主宰する集まりの場「ミシュカの森」。
そこへ招かれた方々が「悲しみとともにどう生きるか」をテーマに様々に語ったことをまとめた一冊。
六人の方それぞれの悲しみに対する向き合い方に考えさせられたり理解が深まったように感じたり。
第4章東畑開人さんの「アジールとアサイラムとパノプティコン」という話が興味深かった。避難所と収容所。シェルターと管理所。
そしてその後の対談の中で「自分の物語を物語ることによる癒し」という話がなされます。河合隼雄先生が物語によって生きる力や癒しを得られるというようなことをいくつかの著作の中で語られていたことを思い出しました。
読みながら -
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社会に出たばかりの新入社員たちが、次々と心を病んで、「○○病」と診断されて休んでしまう。もちろん企業も悪いわけだが、別面で、「医者に行く前に人生の先輩たちに相談しようよ」というケースもある。だって、社会に出ることはとてつもなく大変な体験なんだから。それは病気じゃなくて、社会的な事実なんだよ、と。
こういうケースに適切なアドバイスを受けられる環境がずいぶんと減って、いきなり医者=専門家になっている。その手前の大きなグレーゾーン=世間知が空洞化してしまった。困るのは若者や弱き人たちだ。現代に必要なのは、「つながり」だ。
とてもまっとうで、真摯な指摘だ。逆にいえば、ここまで現代社会は孤立化、空洞