東畑開人のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「ふつうの相談」には、p62〈外的ケアの整備〉と〈問題の知的整理〉の機能がある。この二つの機能が果たされた時にはじめて、情緒的サポート(ラポール)が成立する。この順序が重要。
ラポールを形成してから心理的作業へ、と教科書にはあるが、まだ何の役にも立っていない専門家をどうやって信用できるというのか。p65
ふつうの相談に決定的に重要なのは、ソーシャルワーク的な想像力p63
問題の所在がどこにあり、どう変化するとよくて、それは何によって可能になるのかが知的に整理され、言語的に納得できることの価値は極めて大きい。客観的状況は同じでも、主観的な風景が変化するからだ。進むべき方角を実感できると、〜苦 -
Posted by ブクログ
「社会人として成長するには、一度徹底的に負荷を与えられる必要がある。それは俗にいう『潰す』という経験で、君にもきっといつかその時がくるよ。そんな壁にぶつかることそのものが大事だし、その壁を乗り越えないと成長には繋がらない。」
そう言った上司がいた。そうなんだと納得した。でも、その人が言う「壁」とは、私にとっては穴だった。気づいたらどんどん仕事が増えてきて、訳もなく(あるのだけど分からない)不安になり、感受性がどんどんなくなっていった。
あの人はこれをのりこえる壁だというけれど、私には壁として分かりやすく見えるものではなく、いく先の分からない穴に落ちていくことなのだ。まともに落ちたら、最終的には -
Posted by ブクログ
この仕事は向いていない、私はいつか徹底的に相手を傷つけてしまうことがあるだろう、この分野に身を置くにはあまりに不勉強すぎる(でも何だか向き合えない)、今の仕事は本流ではない…と何度も何度も思いながら、この分野に身を置いてしまっている中で、この本は自分に向けられたものでは?と勘違いしたくなるくらい、お守りになることが書かれていた気がする。
自分の守備範囲がわかっていて、限界がわかっているなら、それはそれで専門性だと思うし、その守備範囲ならではのできることもあるよな、と思った。研鑽していくのはこの守備範囲を広げていくことだったり、自分の守備範囲ってどこだろう(対象しかり、技法しかり、自分自身の力量 -
Posted by ブクログ
ネタバレ未解決事件の遺族である入江杏さんが主宰する集まりの場「ミシュカの森」。
そこへ招かれた方々が「悲しみとともにどう生きるか」をテーマに様々に語ったことをまとめた一冊。
六人の方それぞれの悲しみに対する向き合い方に考えさせられたり理解が深まったように感じたり。
第4章東畑開人さんの「アジールとアサイラムとパノプティコン」という話が興味深かった。避難所と収容所。シェルターと管理所。
そしてその後の対談の中で「自分の物語を物語ることによる癒し」という話がなされます。河合隼雄先生が物語によって生きる力や癒しを得られるというようなことをいくつかの著作の中で語られていたことを思い出しました。
読みながら -
Posted by ブクログ
社会に出たばかりの新入社員たちが、次々と心を病んで、「○○病」と診断されて休んでしまう。もちろん企業も悪いわけだが、別面で、「医者に行く前に人生の先輩たちに相談しようよ」というケースもある。だって、社会に出ることはとてつもなく大変な体験なんだから。それは病気じゃなくて、社会的な事実なんだよ、と。
こういうケースに適切なアドバイスを受けられる環境がずいぶんと減って、いきなり医者=専門家になっている。その手前の大きなグレーゾーン=世間知が空洞化してしまった。困るのは若者や弱き人たちだ。現代に必要なのは、「つながり」だ。
とてもまっとうで、真摯な指摘だ。逆にいえば、ここまで現代社会は孤立化、空洞 -
Posted by ブクログ
東畑さんといえば、先ごろ『聞く技術 聞いてもらう技術』がすごく売れた。
気取らない語り口が印象的だった。
本書は、その東畑さんが若かりし日の話。
沖縄で職を失い、自分の拠って立つはずの臨床心理学との関係を捉えなおすために、沖縄のスピリチュアル世界に飛び込み、フィールドワークを敢行した、その記録である。
たしかに、心という見えないものを癒すとは一体どういうことなんだろう。
誰が癒されたと判定するのか。
どうなったら治ったと判断できるのか。
心理学にもなじみがない自分には、そこから謎だらけ。
それをこの著者は、精神医学、臨床心理学といったアカデミズムの権威をもったものから、宗教、街中のスピリチ -
Posted by ブクログ
東畑氏はこれまで、「日本のありふれた心理臨床」などを通じ、純粋な学問的実践からは程遠い、日本のリアルな心理臨床の肯定的な理解と評価を目指してきました。
今回の一冊では、さらにそこから一歩踏み出して、私たちが一庶民として、また一社会人(援助職)として何気なく行なっている「ふつうの相談」にまで触れ、専門職としての実践との接点や差異について触れています。
補遺の「中断十ヶ条」もいい味を出していて、これまでの東畑氏の著作と結びつけながら理解をすると、心理専門職のやることから、一庶民としてやっている「ふつうの相談」まで、「相談する」「話す」ということそのものへの理解へ繋がっていくように思えます。 -
Posted by ブクログ
プロセスの一端を知っている(担っているとは言えない)ので、
客観的な感想を言えば、
「わかりやすい」。
私たちが抱いてきた違和感や傷つきや、
疎外感や怒りも含めて、
言語化しながらどこまでも論理的であろうとするところが、
限りなく臨床的だと思う。
一方で、
精神分析にそこまでの葛藤を抱いていない臨床家には、
わかりやすさが危うさにもなるのではないか。
手軽に、深く思考できないことを自己肯定できる手段になる気がする。
それは、
実際にそういう臨床家を見てしまったからだ。
でも私が感じたその感情ですら、
権威主義との同一化になりうるのかもしれない。
ここから一層、
内省と客観視を深めたいと思 -
Posted by ブクログ
読み出してから、これは一般向けの本ではないのだと気がついた。心理療法に携わる人たちを読者に想定した、心理療法論の論文であった。それでも、東畑さんのこれまでの著作はどれも非常に興味深く、そうか!と思うところが多々あったので、素人にはわかりにくいところもあるだろうけど読んでみようという気になった。で、やはりおもしろかったし、何というか勉強になった。
心理療法論と言えば、大学で教えられ書店に研究書が並ぶあれこれが思い浮かぶ。精神分析・ユング心理学・認知行動療法・人間性心理学などなど。著者は本書で、そうした「学派的心理療法」や一般に行われている折衷的な「現場的心理療法」と、そうした専門家の扉を叩く前 -
-
Posted by ブクログ
ネタバレ本の中に「この論文は」と書いてあるとおり、論文チックで内容が難しい。
ふつうの相談とは。
「人と人がつながること。人が人を支えること。これが普通の相談の根源で響いている」
普通の相談ややり取りによって相手が楽になったり何かしらのほっとすることがあればいいなあと思った。こういう何気ないやり取りっていつか詳細に調査されるんだろうか。
・この本は、専門家、メンタルヘルス・ケアに関心を持つ読者、一般市民に向けて、ふつうに相談したり相談に乗ったりすることが、心にとっていかなる治療的意味を持つのかを書いてある
・球体の臨床学。それは人と人とがつながること、人が人を支えることについての基礎学である。 -
Posted by ブクログ
オムニバス形式で内容は若干まとまりを欠いているように思えるが、学びは多く、今後は個人のカウンセリングだけでなく、組織や社会を巻き込んで広い視点から臨床実践を考えて行く必要があるなと思った。価値に沿った実践ということで、セラピストの価値とクライエントの価値、セラピストの所属する組織の価値などは、それぞれどこまで擦り合わせていけるのだろうか。単に、雇う側と雇われる側の関係だと、そこまで意識されないのかもしれない。ただ、臨床をしていく上で、組織の制約を受けているなと感じることは多々ある。心理的安全性の話もあったが、こういった側面からの組織改革が個人的に興味を惹かれた。