東畑開人のレビュー一覧
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著者作「コラージュ」を前書きと目次の次に持ってくるところにセンスを感じる。
得体の知れない匂いのする題名のわりに、この本のテーマは明確だ。「野の医者と、私たち臨床心理士の違いはないにか?」大学では、心理学や現代医学が絶対的な真理であるという考えの中で心理学を学ぶ。しかし、本当にそうなのか。「現代医学はいくつもある文化の一つなのではないか。沖縄に偏在するスピリチュアルな治癒者が、沖縄文化の産物であるのと同じように。」この問いは、著者の沖縄でのフィールドワークの中でだんだんと形作られ、やがて一つの答えが生まれる。「現代医学は野の医者を嘲笑することはできない。形は違えど、どちらも数ある文化の一面だ。」この本で東畑さんが得た結論は、だいたいこういうことだ。
この本の白眉はこの結論を導きだす過程にあるといえる。彼の沖縄でのフィールドワークが本当に面白いのだ。沖縄のヒーラーたちの治療を受け、ヒーラーたちの人生を聞き、ヒーラーたちに生き方を与えてもらう。なんとも稀有なフィールドワークが、東畑さんの実に軽快な文体で生き生きと表現される。
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<医療人類学>
現代医学の先端技術と知識をアフリカの奥地の呪術的な治療と同じ目で見る。アフリカの呪術使いはアフリカ文化の賜物であって、同じくあらゆる文化圏の規定によって医学は定められている。医学や治療は科学現象ではなく文化現象だ。
”野の医者を鏡に、現代医学と見つめ合う”
<オーラソーマ:ヴィッキー・ウォール(英)盲目の医師>
美容オイルをつくる為の瞑想中にカラフルな光に包まれて「水を分けなさい」と言われ、「モーセじゃないのよ」と言いうも、その後、数時間気絶した後、バランスボトルというカラーボトルが完成していたという。それが物販会で売れに売れ、買った人にでかい腫物や頭痛、腰痛がオイルを塗るだけで消えるという奇跡が起きた。しかも客は彼女が客の中に見出すオーラの色と同じ色のボトルを持っていく。
<沖宮護国神社>
海の神をまつる琉球国王公認の神社。もとは那覇港あたりにあり港改革に際して安里八幡宮へ移るも、沖縄戦で焼失。その後、昭和28年にトラック運転手、比嘉真忠がカミダーリ:神がかりをして「御嶽神教ーうるま琉球沖縄神道記」を記す。ここでの神は「天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおおおんかみ)」である。
<ぶーぶ:血抜き>
ヒポクラテスも推奨。やらないほうがいい。
<「説得と治療ー心理療法の共通要因」ジェローム・フランク(米)>
心理療法が人を助けられるのは説得するからだ。無意識の意識化と不敵学習の再学習こそ治療である。すべての治療の本質は科学的真実でなくレトリック:雄弁術にある。
<京都大学心理学科>
ここはもともとユングの牙城であった。後に精神分析という学派が入ってきた。両者はあるクライアントが発達障害かパーソナリティー障害かで議論したが、そもそも見ている世界が違うので収集のしようがなかった。
<兵頭昌子:歴史家>
潜在意識と無意識は違う。近代科学によって神は死んだ。精神という脳の作用に過ぎないものが見出す神は消えた。しかしそれでは困る。だから、潜在意識なるもの、つまり神とつながる精神を人間は発明した。潜在意識には神が宿っているのに対し、無意識には神が宿っていない。
<メスメル>
New thought:考え方が変われば世界が変わる
これが宗教の基本である
<ヘンナー>
「正しい甘えが心を癒す。沖縄文化に見る日本人の源流」
<レヴィ=ストロース>
「ケサリードは病気を治したから大呪術師になったのでなない。大呪術師になったから病気を治したのだ。」
<クラインマン>
臨床心理学
<ダヴィンチの教訓>
パトロンには自分を大きく見せろ
<ジェローム・フランク>
イワシの頭も信心から。
・精神分析もどきのコンアンフレイヴァー溢れるロジェリアン
・デンガロンハット
・説明モデル
・プラセボ効果=転移性治療
・「笑いは楽しくなるためだけにあるのではない。馬鹿になるためだけにあるのでもない。現実逃避するためだけにあるのでもない。苦しい場所で一瞬自分から離れて、そこに逞しくとどまり続けるためにあるのだ。(本文より)」
・医者と教育が別の物だというのは現代科学が作った常識である。
かつて、ヨーロッパでは、病んだ人はキリスト教に触れキリストの教えを学ぶことで癒された。
・現代医学における医者と野の医者の違いは数学と算数の違いだ。
「汝、自信を知れ」は力ある者(白い巨塔)の道。
「汝、今を生きろ」は這いつくばって生きる者(傷ついた治癒者)の道。
後者は、「心理などどこにもない。あるのは頼りないもっともらしさだけ。」というポストモダンの不安、または神(心理)の不在への不安と結び付けることができる。そこには人の数だけ心理があり、すべてはレトリックに過ぎない。この文脈のもとにアメリカのセールス文化を起源とする自己啓発文化が現れる。ポストモダン以降の「自分探し」「空虚」の時代が1995年まで続き、次に「自己啓発」「新宗教」の時代がやってきた。そして現在は「経済的不安」「グローバリゼーション」「コーチング」の時代である。この時代において人のつながりが薄まるのは当然といえる。このような時代の変化に対応して心の治癒者の需要が高まった。この意味において心の治癒者は時代の子なのである。
また、生き方を与える、押し付ける、という意味において治癒は加害行為、すなわち捕食である。宗教も文化も例外ではない。なぜなら、これらはマインドブロックバスター、つまり潜在意識を書き換える存在だからだ。
なかでも沖縄の治癒文化は異質だ。沖縄のチャンプルー文化のようなブリコラージュの文化が、沖縄の治癒文化を築いた。
在朝の臨床心理学は在野のあらゆる文化と同じく無色透明ではない。化学は文化であり、そこでは激しく原色が氾濫している。どれも無限に広がる世界観の一つでしかない。そして、どの文化も世界の一部であるという意味で、世界の本質のDNAを確実に持っている。すべては真理であり、これだけが唯一の心理であるという思考以外はすべて本質なのだ。
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ネタバレ【行動認知療法はストア派哲学だった】
認知の仕方、考え方に介入するこで行動の変容を促すような現代の治療法である行動認知療法(CBT)。20世紀ごろから科学的、臨床的に発展してきたこの治療法のようですが、まさにストア派哲学の教えに多くの点で通ずるところがあるということが本書を読んでわかりました。
これまで、マインドフルネスなどは東洋哲学が起源だとの認識が一般的にあったかと思いますが、著者はこの本により、西欧にも同じような考え方の起源があり、またそこから今日の行動認知療法へのインスピレーションを得られるのでは、との動機で本書を書かれたようです。
古代哲学は、医療であったこと。哲学者は、魂の医師とのクリュシッポスの記述もあるそうです。
また、現代の認知行動療法の開発者のアーロン・ベック博士、また、論理情動行動療法(REBT)を創始したアルバート・エリス博士が、ストア派のえピクテイトスの言葉「人々を不安にするのは、事柄ではなく、事柄についての重いである」を引用しているなど、素の親和性はさまざまな学者も論じられているようです。
なので、本書ではあらためてそのつながりを体系的に検証するような形で、
ストア派哲学を認知行動療法の視点で深め、
後半では現在用いられている療法と、古代ギリシャで実践されていた哲学手法やストア派の実践を照らし合わせて紹介しています。
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私は臨床心理学や認知行動療法はまったくの素人であり、
基礎的な知識があったほうが確かに読みやすいですが、
それでも興味深く拝読しました。
エピクテトス は、私たちの「力の及ぶもの」、と「力の及ばないもの」を区別すること、この区別ができるようになることこそ、教育だと。
自分を変えることで世界が変わる、とか、
過去は変えられない、とか、
ポジティブ思考、とか、
自己啓発やアドバイスでもよくいわれることですが、
エビデンスに基づいて医療として実施しているのが行動認知療法。
・・・
モデリングの手法は、古代ギリシャでも、賢者を見習う、ソクラテスをロールモデルとする、周りで最良の人たちを君の友達とせよ、といったピタゴラスからも見ることができる。
ディスタンシング、マインドフルネスも、古代の哲学者が今、何に自分の心を用いているのか、意識とその対象、思考と事実を区別することが説かれています。コントロール可能なことに対しては責任を果たし、不可能なことは無関心でいること。カタルシスの浄化作用も触れられています。
自己分析も実践されています。吟味されていない人生に生きる価値はない、とするソクラテスの哲学。彼の問答法は、自己欺瞞や矛盾、二重基準を解くプロセスでもある、と。
自己陳述、自己教示訓練、アファーメーション、のようなこともなされていたとのこと。定期的に自己暗示、回顧的瞑想などを実践していました。
そして、心的暴露、心的準備、視覚化、認知リハーサル、ロールプレイといった手法。これらも、ストア派哲学の災厄の予期、死の瞑想、現実のものとして事態を想定することなどから見ることができます。
・・・
自然界に価値は存在しない。
苦痛も動揺も、不幸も善悪も、自分を介して初めてある。
冷静に考えることは大事だっていうけれど、
これには継続的な訓練があって身に付けられていくものであること、そのスキルをどうやってどこまで高められるか、よりよく生きることだということ。
自分の内側の動きを自覚し、
苦痛については苦痛の反応を取り除く。
あらためて自分の持つ情動を観察し、どのような考え方があってどのように判断を下したかを分析する。そして情動をコントロールする、物事に与える価値を見直す。
心が乱れたときをチャンスとして、
自分はどんな価値判断をしたのか、
を学んでいこう。
情動に理性を使う。
その姿勢を鍛錬する。
過去の自分も、未来の自分も、今の自分の意識も力も及ばないもの。
同時に過去も未来も自分も他人もあらゆる物事が、全ての一部であるというつながり。
だから、事に当たる際には、いま・ここ、で感じているもの、意識しているものに心を向けて、より良い判断を下していくこと。より良い物事の見方、反応の仕方を習慣づけること。
・・・
認知行動療法は症状を直す、治療的、短期的なアプローチで、
ストア派はレジリエンスを高める、予防的、長期的なアプローチだ、
とも論じられていて、
古代ギリシャの賢人は人間の絶頂期だったのではと思ってしまう。…
本も継続的に読み続けることでもっと習得できそう。 -
Posted by ブクログ
とても良かった。
1年くらい前にに山崎さんの「精神分析の歩き方」を読んで分からなかった「力動的心理療法と精神分析的心理療法の変遷」についてや、「精神分析的心理療法を行うにしても、自我心理学の知識も大事だよね」と言ってくれている感じが、そうだよねと。いろいろとすっきりした。
本の内容としては、
「ユーザーが現実適応できるように、精神分析理論に基づいて、(心の奥の幽霊の声についてはとくに触れずに、でも治療者が心に留め置いて)ユーザーの自我を支持すべく対話をしてくれる心理療法」の本。
そういう心理療法の実際の流れを2つのケースで書き記してくれて、その時治療者は何を心に留め置き、どう考え、持ちこたえてくれているかを記してくれている、とても誠実な本だった。
東畑さんの最後の文章は相変わらず面白かったし、POSTについての理解も深まった。
読んで想像し理解することと、実際に行う困難さは計り知れないとは思うけれど、「とにかく、絶やさずに支えることが大事」とういう、刊行トークイベントの関さんの言葉も印象に残った。 -
Posted by ブクログ
『居るのはつらいよ』で「ケア」と「セラピー」の違いに目を開かれたのだけど、本書で本格的に「どこかにいる理想のセラピスト(わたしの場合、河合隼雄)」は、一種のファンタジーみたいなものなんだなと断ち切れた気がする。
専門家ではないので、きれいに説明はできないけど、純粋に学派的な臨床心理学を追究している人から見たら、現場に即して形を変えたり、「無意識」や「深層心理」に触れることなく、日常的なやりとりや現実的なアドバイスで困り事を解決に導こうとするやり方は、邪道だと思われがちだ。
でも、そうではない、というのが本書の主張。
真ん中にあるのはあくまでも「ふつうの相談」で、そこには専門家だけでなく、友人同士から地域、家族などすべての関係性のなかから生まれる相談がある。それを精錬していったのが「専門知」を用いた相談だし、それをどのスケールまでやるかも、ケースバイケースで決めればよく、そこに優劣はない。
いくつか印象的だった文を。
◎〈ふつうの相談〉において決定的に重要なのはソーシャルワーク的な想像力である。社会的環境の悪しき点を見出し、変わりうる部分を実際に変えていく介入を行う。個人の心の内側に焦点を当てがちだった従来の臨床心理学では見失われやすかったのが、この〈ふつうの相談〉の機能である。
◎次に取り組まれるべきは、個人の内の変わりやすい部分を変えていくことである。このとき、変わりやすいのが理性や意識であり、情念や無意識は変わりにくい。
◎クライエントは得てして「ふつう」を見失いがちである。苦悩の中にいて、孤立しているときには、共同性や社会性が失われ、実際の現実よりも厳しい「ふつう」を想像してしまう。だから、臨床家が現実的な「ふつう」を補うことは、クライエントが社会と再接続していくのに役立つ。〈ふつうの相談〉では「ふつう」が処方されるのである。 -
Posted by ブクログ
良書。
精神分析を専門に勉強してきたわけではないため、臨床的な介入の中で精神分析を行うことはまずないが、それでも事例の見立てに精神分析的な観点を取り入れることがしばしばあり、そのやり方を洗練させるためのヒントが本書にはあったように思う。これまで真似事でやっていた見立てを、どの部分に着目して精緻化していく必要があるのか勉強になった。
たしかに精神分析的アプローチとは異なる部分も多く、実践のしやすさが一つのポイントになっているが、今後、精神分析的アプローチへと切り替える場合のことを考えると、自己開示の扱い方や中立性についての問題をどれくらい意識して実践できるかがその後の展開の鍵となるだろうし、そういった意味での難しさを孕んでいると言える。あくまでベースは精神分析だが、他の心理療法との組み合わせなども自分の中で整理していきたい。 -
Posted by ブクログ
ありふれた心理療法について、臨床心理学および心理臨床学の歴史と医療人類学と筆者の事例を軸にしながら語られたもの。日々の臨床を真摯に成していくことは大前提だけれど、臨床の知のありふれた一粒を抽出すべく、ありふれた事例研究を書こうと思わせてくれる。妥協と交渉により合金の心理療法しか提供できないけれど、そこには個別性の極みが確かにあり、そこから『心理学すること』と『関係すること』を丁寧に紡ぐことで普遍的な物語となる。その時の自分に可能な範囲で精度の高いものをまとめる。できればどこかでおずおずと発表する。そう決意をさせてくれる一冊。私の師匠も、年に一度は事例をまとめて発表すると、それをご自身に課し今も実践されている。時間は作るもの。陳腐な言い訳はやめて、私も。
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Posted by ブクログ
本書は、コミュニケーションのための本ではなく、心の言葉を聞くためのカウセリングのための本です。
聞く技術ではなく、聞いてもらう技術とは、人に聞いてもらえないから。
ちゃんと聞いてという訴えを「聞く」のは難しい。
心の奥底にふれるよりも、懸命に訴えられていることをそのまま受け取るほうがずっと難しい
「聞く」が不全に陥るとき、聞かなければならないとおもっている。それなのに、心がせばまり、耳が塞がれて、聞くことができなくなる。
それは、「聞いてもらう」からはじめよう。
気になったものは、以下です。
■聞くための前提とは
・どこで話そうか、どれくら時間があるといいのか。まずは時間と場所を決めてもらう。
・話を聞くためには、反応がオーバーであったほうがいい。反応があると人はうれしいから。
・正直でいよう。言いにくいことを黙っているのはあり、言わないでおくは、嘘ではないが、思ってもいないことをいうのはだめです。
・聞くために、間をつくりしょうか。相手の中から話題をもちだしてもらうために。
・返事は遅く。何かをしゃべりだすのではなく、5秒待つ。
・あいづちをうつ。7色のあいづち「うーん」「ふーん」「なるほど」「そっか」「まじか」「だね」「たしかに」
・オウム返しをする。相手のことばを言い換えてもいい、そのままでもいい
■なぜきけなくなるのか
・わかったふりをしてはいけない。
・自分の意見をいうな、自分の意見はまた今度
・言葉にならないことは、時間が解決してくれる。一週間後に言葉になることも。時間が仕事をしてくれる。
・社会に欠けているもの、もっともかけているものは、「聞く」こと。
・心にとって真の痛みは、世界に誰も自分のことをわかってくれる人がいないこと
・きいてもらうだけで、心の痛みをやりすごくことができる
■孤立から孤独へ
・僕らは、一人では孤独に耐えらえない、誰かが隣にいなくてはいけない。
・聞くとは、「ごめんなさい、よくわかっていなかった」というためのもの。
・「聞く」の中核にあるのが、孤独の問題である
・孤独には安心感が、孤立には不安感がある
・一瞬では解決しない、「時間をかけるしかない」、時間をかけて、何回も会うことです。
■聞いてもらえるには
・苦しんでいると、ロジカルにわかりやすくはなせない。必要なのは、賢い頭ではなく、戸惑うこころです。
・オンラインミーティングで最後まで退室しない技術
・緊急事態、「ちょっと聞いて」とまわりにいうこと。それがすべて
■聞くことの力
・聞くだけでなおるのですか? はい、案外力があるんですよ。
・間の前に生きた人がいて、その人とむきあっていると、冷静に考えたらわかるはずのことがわからなくなってくる。人間の迫力のようなものが伝わってくるから。
・なんでも見つかる夜に、こころだけみつからない。
■だれがきくのか
・話せがわかるが通用しないとき。ひとりでもいいから、味方である人、敵じゃない人をみつけること
・本当の敵、敵意が或る人からは、距離をとるか、権限のある人に訴えて相手から引きはしてもらうか、とにかく逃げるのが吉、諸々のことは逃げたあとに考えればいい。
・第三者は3種類ある
①司法的第三者 状況を把握して裁定を下してくれる
②仲裁的第三者 中立性をたもち、当事者の間に入って間をとりもってくれる
③友人的第三者 友達として横にたってくれる、裏にまわってくれて、争いとは離れたところで話を聞いてくれる
・おせっかいに、案外ひとは助けられる
・「聞くことのちから」苦境にあるとき、誰かが話を聞いてくれる、不安に飲み込まれ、絶望し、混乱しているときに、その苦悩を誰かが知ってくれて、心配してくれる。ただそれだけのことが、心にちからを与えてくれる
■結論(本質編)
・聞く技術 ⇒ 「何があった」と尋ねてみよう
・聞いてもらう技術 ⇒ 「ちょっと聞いて」といってみよう
⇒そういえないときは、聞くところからはじめよう。
目次
まえがき
聞く技術 小手先編
第1章 なぜ聞けなくなるのか
第2章 孤立から孤独へ
聴いてもらう技術 小手先編
第3章 聞くことのちから、心配のちから
第4章 誰が聞くのか
あとがき 聞く技術、聞いてもらう技術 本質編
ISBN:9784480075093
出版社:筑摩書房
判型:新書
ページ数:256ページ
定価:860円(本体)
発行年月日:2022年10月10日
発売日:2022年11月05日第3刷 -
Posted by ブクログ
ネタバレ東畑さんのカウンセリングとは何かを読んで、こちらの本が注釈として紹介されていたので、読みました。私もスピリチュアルが好きで占いに傾倒した経験があります。今は依存はしていませんが、不思議な力はあるけれども現実も受け入れているニュートラルな考えです。そんな中でこの本を読みました。東畑さんが野の医者にかなりのめり込んでいったと書かれてはいましたが、結局は思い込みであると結論づけている場面があったり、人を癒すという観点では野の医者も臨床心理学の立場からもおなじであり、それは個人の捉え方である、ということでした。この本自体は東畑さんが臨床心理士であるからあくまでもその視点で社会的に冷静にスピリチュアル界隈を見ているように最終的には書かれていますし、研究としてやられていたので、そのような書かれ方になったのは理解できます。あとがきが書いてあるのを知らずに読み進めていると、この本は結局、スピリチュアルを否定してマーケティングとして見ているのでは、と感じましたが、最後にそんなことはないと書かれており、スピリチュアル好きな私としては嬉しく思いましたが、もう少し東畑さんがスピリチュアルで助けられたこと、不思議な体験は本当だったと感じたことが書かれていたら私としては良かったですが、大学教授としての立場や現実視点の研究として、臨床心理士として書くのなら、このような内容になったのだろうと思います。またトヨタでの研究がその後どのようにまとまったのかまで知れることができると良かったです。
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Posted by ブクログ
孤独を育てる。
孤独が悪いこと、解消するためにはどうすればいいか、という議論が多くなされている今、この考え方は目から鱗だった。
愛が絡むとややこしくなるというのもその通りだなと。
この人のために頑張ろうというのは大事なことなのだけれど、それが裏切られたと感じた時、とてつもなく虚無感に襲われ、傷つく。
でも、愛がないと人間的な喜びは得られない。
この矛盾の中で私たちは日々生きているのだと思うと、人間はひとりで生きれないのだと改めて実感させられる。
◾️心に残った文章
良い孤独を持てることが、人間の自由なんだと思う。
孤独を消すよりも、孤独を持てるようになること。
孤独をどう引き受けるか、どう安全な形にするか。
孤独を育てる。
繋がりを経て、言葉を経て、怒りや愛を経て、それでも最後は自分の部屋に戻り、そこで静かに何かが熟すのを待つ。
その時間を持てるかどうかが人間にとって決定的なのだと。
職場でも家庭でも愛が絡むとややこしくなる。
部下が上司のためにと必要以上に頑張ると愛が強すぎると傷つきも満ち溢れてしまう。
愛が絡まなければ人はもっと機械的に、効率よく生きられるのかもしれない。
でも実際はそうならない。
職場でも家庭でも教育でも、愛のようなものが介入した時に、関係はややこしくなる。
けれどそのややこしさの中でしか、人間らしい喜びや人間的な成長ができない。
愛の問題と孤独は接続している。