片山杜秀のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
なるほど。ファシズム体制にしたかったけど、できなかった。そんな各思想人や軍人のジレンマ、本音と建前、顕教と密教が本人たちのコントロール下を超えて世論に押し流されて暴走していった。
根本的にムッソリーニ政権下のイタリアとナチスドイツとは異なる「未完のファシズム」のまま、英米との戦争に誰の意思もなく突っ込んでいった日本。
読み応えあるのに、非常に読みやすい良著。
日本の近現代史を勉強したいなら欠かせない本。
素晴らしかった。。。
合理主義だったからこそ精神論に走るしかなかった哀しい帝国の末路。
もてはやされている幕末の志士たちは、維新後に元老院として権力を振るった。権力にしがみついた。
しかし -
Posted by ブクログ
バッハからストラビンスキーに至る(諸説あり)クラシック音楽を中心に、音楽と社会の関わり、時代時代で主流となった音楽と社会体制との関連と、その変遷について碩学2人が語り尽くした本。
改めて提示されてみると、思想同様にいろいろな束縛から自由なはずの音楽が、時々の社会体制と密接に関わっていることに驚かされる。
バッハが活動したライプツィヒはカソリックと対立したルター派の総本山であり、バッハは神の秩序を自ら音楽に表現しようとしたプロテスタンティズムの象徴。
貴族に庇護されサロン中心に演奏したヘンデル、ハイドンと異なり、ナポレオンの出現により国民国家が生まれ育つ中で交響曲や協奏曲などの形式を確立し「 -
-
Posted by ブクログ
タイトルの通り『義公』徳川光圀に始まる『水戸学』の始まりから終わりまでをまとめた一冊。
内容は加筆修正されているものの、初出の雑誌連載時のものをまとめているため、同じことに対して説明が繰り返されたり等、冗長に感じる点もあります。
しかし、その冗長に感じたことも、何せ400年という長いタイムスパンの物語であること、そして登場人物が多いということから、前のページを繰り直さなくてよいということに気付き、逆にありがたさを感じます。
最初からボタンを掛け違い、自己矛盾に満ちたまま、それを自己批判できずに進んでしまった悲劇というのが読後の正直な感想。
徳川御三家の中で重要な位置を占めながらも、常に最も資力 -
Posted by ブクログ
宗教とは何かを考えるうえで参考になる名著を、4人の有識者がそれぞれ1冊ずつ紹介している本です。
どの章も非常にわかりやすく、宗教(的な考え方)の大事さも恐ろしさも感じさせてくれる作りになっています。
別の本で半分ファンみたいになっている釈徹宗氏の著作だったため購入。認知的不協和や自我防衛機制、成熟した宗教的人格について述べている同氏の章は、読んでいるだけで何だか安心感を覚える内容です。
―宗教はどうしても信じている人と信じていない人との境界を生み出します。その境界ができないようであれば、生きる力にもならないことでしょう。しかし、その境界を超える回路がどれだけ多様にあるか、そこが大切です。( -
Posted by ブクログ
(2024/10/10 2h)
最相葉月『証し』を読み終え、著者について調べたら本書が出てきました。
2024年1月のNHK放送分をまとめたもののようです。
釈徹宗「人間と宗教のメカニズム」(『予言が外れるとき』)★★★☆☆
最相葉月「信仰に生きるということ」(『ニコライの日記』)★★★★★
片山杜秀「絶対的な「信じる心」と戦争の時代」(『大義』)★★★★☆
中島岳志「神はどこにいるのか」(『深い河』)★★★☆☆
宗教にまつわる書について、さまざまな視野から選ばれ、解説されています。
新興宗教と信者と信仰のメカニズムについて、正教の伝導について、天皇信奉(絶対観念)について、与格として -
-
Posted by ブクログ
本編約345ページのうち、260ページほどが伊福部音楽の原点となる北海道時代の話。
いろいろと靄がかかってうっすらとしか理解していなかった部分が、この本を読むことでとてもクリアになり、伊福部昭の音楽の成り立ちに対する理解が、より深まりました。
二中時代に手元にあったバイオリン
北海道の都市部には珍しくなかった白系ロシア人の飲食店
豆景気で沸く音更で聴いた日本各地の民謡
近所の人が趣味で弾く楽器が漏れ聞こえてくる昔の札幌山鼻の住宅事情
片山杜秀氏の伊福部愛も溢れていますが、客観的に色々書かれているので、大変貴重な一冊であると思います。
北海道には、伊福部昭さんゆかりの場所も各地にあるので、 -
Posted by ブクログ
「しかし、私は伊福部研究者でもなければ伊福部批評家でもなく、とどのつまりは単なる伊福部信者なのである。」(86頁)
愛ある伊福部狂信者の片山杜秀氏が、図々しくも伊福部私邸に入り浸って交わした問答を中心にものした、余りに貴重な資料本になっている。もちろん片山杜秀氏の解説的な部分もふんだんに盛り込まれている。
片山杜秀氏が伝記を書くつもりで膨大な会話メモを残してあって、そこからテーマごとにまとめていったのだろう。あとがきにもあるとおり、伊福部さんが吐いた毒の部分は書き切れていなさそうなので、関係者がいなくなるまで、もう少し時間の経過が必要なんでしょう。
読んでて楽しかった。 -
Posted by ブクログ
凄い本ですね、ゴジラ映画のあの音楽、ドシラ、ドシラにハマった、著者、片山杜秀(自称、幼少の頃からの伊福部教信者)による伊福部物語。著者によれば、若き日に、伊福部のお耳係だった折、伊福部の自宅(尾山台)で直接伺った様々な物語を織り込んでの一冊とか。数年前に読んだ、立花隆の武満徹の評伝を思い出しつつ、興味深く、読み進めております。それにしても、戦前という時代に、北方の大地で、アイヌ、白系ロシアの方々の音楽に触れつつ独学で音楽を学び(北大オーケストラのコンマスだったとか)、交響曲を書いて海外に送り一席を得るとは、なんとも凄い方であります。その北の巨人の人生の片鱗がうかがえる良い本であります、著者の熱
-
Posted by ブクログ
ネタバレ面白かった!!!きちんと音楽史として眺めることで、自分の中にある諸々の言語化を突き付けられ、そうですよね、ハイ…となっていました笑
序章 バッハ以前の一千年はどこに行ったのか
ポスト・ヒューマン時代には…
(片山)そうなると、ベートーヴェン的な音楽は「虚偽」に聴こえてくると思うんです。だって、かつては≪第九≫一曲に「世界」のすべてが入っていて、それを聴いたり演奏したりすればユートピアに至るーというつもりで聴いてこそだった。…しかし幻滅する。ベートーヴェンを聴くこと自体が、バカバカしくなってくる…。(p.36)
(岡田)環境音楽ーたとえば、ひたすらサラサラと流れるせせらぎの音を聴いても、それで -
Posted by ブクログ
音楽から政治思想まで守備範囲の広い片山杜秀氏が「あの」週刊新潮に「夏裘冬扇」というコラムに書き続けたものをまとめた新書です。
氏の音楽評論はあちこちで見かけておりましたが、本業の政治思想で「未完のファシズム」を拝読し、プロの学者の凄みを感じさせてもらいました。ビジネスの世界で生業を立ててきましたが、本当にわかっている人は、どんな難しいことでも優しく説明できるという特徴があります。この本は、その見本のようなもので、よくよく読めば背後に膨大な知識量があるのに、実に平易に説明されています。さらに読者層に合わせて脇道の話題も取り込んで、過去の歴史を軽妙な文体で書かれているので、歴史認識の薄い若者たちに