あらすじ
天皇陛下万歳! 大正から昭和の敗戦へ――時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか? 皇道派vs.統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕……。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。
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なるほど。ファシズム体制にしたかったけど、できなかった。そんな各思想人や軍人のジレンマ、本音と建前、顕教と密教が本人たちのコントロール下を超えて世論に押し流されて暴走していった。
根本的にムッソリーニ政権下のイタリアとナチスドイツとは異なる「未完のファシズム」のまま、英米との戦争に誰の意思もなく突っ込んでいった日本。
読み応えあるのに、非常に読みやすい良著。
日本の近現代史を勉強したいなら欠かせない本。
素晴らしかった。。。
合理主義だったからこそ精神論に走るしかなかった哀しい帝国の末路。
もてはやされている幕末の志士たちは、維新後に元老院として権力を振るった。権力にしがみついた。
しかし後継者を決めなかったし、制度化もしなかった。その結果、彼ら亡き後、誰も権力を振るえない機能不全が慢性化した異常な帝国となってしまった。
常に権力の空白地帯が存在し、誰もビジョンを持って戦争を避けることも、やめることもできなくなっていった。
明治維新の罪。
超法規的集団の元老院が権力を振るう明治、彼ら亡き後機能不全に陥った昭和。
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小畑敏四郎がほんとにそんなこと(持てる国とは戦ってはいけない)を考えていたかどうかの証拠は欲しいところだが、それにしても思想の流れとして第一次大戦からの流れを押さえていくというのは面白い論であった。
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ゾクゾクするような論理展開。持たざる国である日本を軸に第二次世界大戦に突入し、玉砕覚悟の総力戦に至る思想に迫る。
「明るくなったろう」お札を燃やして灯りを点す。有名な教科書の挿絵、第一次世界大戦の特需に沸いた成金が出発点だ。日露戦争による巨大な外国債務により日本経済は青息吐息。企業の倒産が相次いでいたところに、第一次世界大戦が長期化した事で、ヨーロッパ諸国日本から軍需品を輸入し始めた。戦争特需に加え、ヨーロッパからの輸入品が来なくなり輸入に頼っていた物資が不足。鉄、硫酸、アンモニア、化学染料、薬品、ガラスなどなど。これらが派手に値上がりしていく中、国産にすることで儲けようと言う投資が活発化。日本は局地的に参加した青島戦で、物量や兵器の近代化、血対鉄の力学を学ぶ。持たざる国を脱却しなければならぬ使命感が増す。
銀河鉄道の夜、ジョバンニの台詞を引く「ぼくたちここで天上よりもっといいとこをこさえなけぁいけないってぼくの先生が云ったよ」法華経の教え。天上彼岸に行って救われようとするキリストや親鸞とは違う、現世で立場を変えるのだ。
田中智学の造語である八紘一宇。共感したのが石原莞爾。目指すは満州。満州により、日本を持たざる国から変えようと。更に日本古代の書、開戦経。勝ち負け生き死ににこだわらずひたすら闘い続けるのみという真鋭の観念。生きて虜囚の辱めを受けず、バンザイ突撃に通ず。最高のまことは、みこと。すめらみこと。玉砕こそ持たざる国の必勝兵器。こうして、精神論を成就させ天皇の軍隊は散りゆく御霊へ。
全てが意識的に繋がるものではないが、通底する論理展開。至上命題であった持たざる国の克服が導く歴史の壮絶さ、然り。
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玉砕する軍隊こそが、「持たざる国」の必勝兵器だったのです。
世界大戦時の歴史に無知すぎるので勉強。
第二次世界大戦の日本といえば、物資がない国なのに、長期戦争する、過剰な精神論、命と補給の軽視、アジアを広範囲に侵略、戦争のゴール設定がない、ファシズムといいつつ誰が束ねていたのかよく分からない…と、あとから見ると全く理論的に見えないのだが、この本によると、意外と当時の軍人は他国の戦争を視察したり、物資がないから物資「持てる」国との戦争は無理だね…等、その時その時で現実的な考察をしていたことに驚いた。そしてあまりにも「持たざる国」である点を見つめた結果、もう精神論しかないから玉砕で勝利するしかない、補給が必要なほど長期間戦争しないから大丈夫(でもゴール設定がないから長期間になって餓死)という恐ろしい方向性に次第に傾いていったと解説している。
現実を直視した結果、非現実的な精神論に至る…一見変なようにも見えるけれど、総理大臣が育休中も休みだからリスキリングできるよね?少子化対策は社会の”雰囲気”を変えることだよね、と発言する等、最近も起きてる気がするのがなお怖い。
Posted by ブクログ
日本が持てざる国だったからこそ、たどった歴史の筋道を丁寧にたどっていく。思い描いていたようなファナティック一色では無く、理性的、合理的な人もいたことに驚きでした。国柱会の面白い主張にも惹かれました。力作です。
Posted by ブクログ
数年前から全体主義について、ボチボチ読んでいるところ。きっかけは、トランプ大統領の就任とか、移民問題とか、ヨーロッパでのポピュリズム的な動きとか。
まずは、全体主義が一番徹底していたと思われるナティスドイツを学んで、その後、共産主義国を経由して、日本にたどり着く予定だったのだが、ナティズムを読むなかで、アーレントにハマって、アーレントの翻訳書をかたっぱしから読んだり、ホロコースト関係の本はヘビーなので時間がかかったりして、日本にはたどり着かない状況。
でも、コロナ後の世界で、もう一度、全体主義を学ばなきゃという意識が高まり、また日本のオリンピックやコロナ対応を通じて、あらためて性差別、人種差別、ジェンダー意識、人権軽視、そして優生思想などなどのディスコースが明らかになり、まだまだナティズムもよくわからないなかではあるが、日本型の全体主義も読んでいこうと思って、手にとってみた。
日本のファシズムに関する本で最初に読むにはちょっとニッチかなと思いつつ、帯の「日本人はなぜ天皇陛下万歳で死ねたのか」という言葉にひかれて読んでみた。
多分、これまでの解釈だと、「日露戦争くらいまでは日本は欧米諸国にまけないように、植民地化されないように、謙虚にがんばっていた。だが、日露戦争に勝って一安心して、慢心してしまった。また、乃木大将の旅順攻略における精神主義的な(?)戦術で結果として勝利したことが、その後の精神主義的な傾向を強めることになった」みたいなものかと思うけど、この本は、そこに異論を唱える。
日本軍、しかも(精神主義が強いと思われる)陸軍は、日露戦争を通じて、物量の重要性をちゃんと教訓として学んでおり、それを活かして第一次大戦時の青島攻略では、当時の欧米諸国より進んだ新しい形の戦争を実行していたのだ。
さらには、第一次大戦時には、ヨーロッパの国に多くの優秀な人材を派遣しており、そこで、新しい形の戦争をじっくりと学んでいた。そして、彼らが学んだのは、これからの時代の戦争は、総力戦であること。平時の経済力、生産力が、戦時に、戦争にむけての生産力に転換されるということ。ゆえに、経済力を高めること、そして、それを戦時に集結できる仕組みが、これからの戦争の勝敗を決めるということを身に染みて学習していたのだ。
にもかかわらず、どうして、陸軍は精神主義になってしまったのか?
著者は、経済的な国力の差が重要だと分かれば、分かるほど、日本は戦争できない「持たざる国」であるということが身に染みて、ある種の絶望に陥った、と主張する。
そこで、あるものは、自分より弱い国を相手にした戦争しかしないとか、強い国との場合は限定的な戦争にして短期決戦に持ち込むしかないと考えた。また、あるものは、近隣の資源が豊かな地域(=満洲)を占有し、数十年かけて経済力が高めるまでは戦争はしないようにすると考えた。
が、いずれも「戦争はしない」とか、「戦争をすると負ける」とは、軍事上、言えないので、「精神主義的なディスコース」をとりあえず、公式には語っていたという。
しかしながら、軍は、政府ではないので、経済政策を担当するわけではないし、戦争をするとか、しないとかを決定することもできない。「戦争しろ」と命ぜられたら、戦争するしかない。また、自分はしたくなくても、敵が攻めてくることもある。
ということで、当初は「外向けの建前としてのディスコース」だったものが、支配的なディスコースになって、玉砕賛美、天皇陛下の神格化を哲学的?に基礎付ける方向での理論化が進んだというのだ。
なんと。。。。。
この本は、陸軍における「戦争思想」とでもいうものの変遷をまとめたもので、陸軍以外の軍や政府、国民などの意識の変化のなかで考える必要はあるのだが、これはこれまでにない新しい視点で、長年のなぞの一部が解けた気がした。
現実を明確に理解したがゆえに生じる精神主義。これはかなり痛い視点だな〜。
Posted by ブクログ
大正期の健全な軍事ドクトリンが存在した日本陸軍がいかに変容して堕ちていく様を、実に分かり易く紹介されてますな。酒井鎬次みたいなマイナーだけど超有能な将官とかの紹介があるのは実に面白い。
Posted by ブクログ
石原莞爾 「持たざる国日本の世界戦略」満州国を育て世界最終戦争に備える
満州でソ連経済をモデルに高度成長を実現 日本の資源・産業基地
明治政府の制度設計の誤り
元老による属人的な国家運営 組織ではなく個人に依存
兼務体制 伊藤博文 東條英機
シェリーフェン戦略(独参謀総長) 短期決戦主義→早期講和に持ち込む
ロジステックは必要ない 長期戦になれば敗北 国力の小さい方が不利
山本五十六の真珠湾攻撃・早期空母艦隊決戦を求めたのも同じ考え
その時代のロジックがあった
それをきちんと整理しないと反省も教訓も得られない 誤りを繰り返す
日本の風土 官僚主義・無謬主義
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勝てるはずのない戦争に突入したのは、日本軍の過剰な精神主義が原因、との通念に違う角度から光を当てる本。
ヨーロッパが焦土と化した第1次世界大戦。日本は日露戦争の教訓を生かし、兵士を無駄死にさせない最先端の砲撃戦を実践していた。本来は物量戦が望ましい。それはわかっている。しかし「持たざる国」日本では徹底的な突撃しかない(皇道派)。あるいは国家主導の経済強化で「持てる国」になるしかない(統制派)。いずれにせよ、勝てるようになるまで戦争はできない、それが軍部の(隠れた)意向だった。
古代の政治の理想である「しらす」(天皇自らは決めず、いろいろな意思の鏡となり、人々はそれを仰ぎ見てしらされる)、の思想のもと、あえて権限を持たない機能の寄せ集めとして明治憲法は制度を設計した。それは維新の元勲の密室政治を前提とした仕組みであり、ファシズムなど目指したくても目指せる代物ではなかった(欽定憲法を改正するなどという主張はできるはずもなかった)。日本のファシズムは未完であった、という。
権限の集中による総力戦体制も作れないまま、それを補うための神がかり的な玉砕が礼讃される。明治維新、大正デモクラシーと時代が進むほど、むしろ精神主義は加速した。
大きな敵に小さな力で挑む、これを応援するのは日本に限らない。では小さきものの武器はなにか。工夫や手練手管か。はたまた「根性」か。別の話といえばそれまでだが、かつて松井選手への5連続四球を国を挙げてバッシングしたことを私はどうしても思い出してしまうのだ・・・
Posted by ブクログ
太平洋戦争における日本軍の「バンザイ突撃」や「玉砕」に見られる非合理的な精神論主義は一体どこから来たのか。
それを知りたければ本書を読みなさいということであるが、レビューに当たりざっくりと、本当にざっくりと要約すれば以下の通りになる。
・戦争の本質をよくわからないまま日露戦争をがむしゃらに戦ったら運良く勝ってしまった。
・第一次世界大戦は直接の戦渦に巻き込まれることはなく、一部のエリート層が戦況を研究し、「近代戦は物量で決まる」ことを痛感した。
・しかし「物量で決まる」と仮定すると「持たざる国」である日本は「持てる国(ロシアやアメリカ)」には勝てないことになる。
・合理的に考えれば考えるほど大国には勝てないので、精神論で押し切るしかなくなった。
「合理的に考えた末の精神論」という、一件矛盾した判断であるが、本書を読んでいくとなるほどそれも自然な成り行きなのかもしれないと思えてくる。
戦争の勃発は世界情勢なども大きな要因であるわけだが、日本国内の、思想的な流れというものがスッキリと説明されている。スッキリ過ぎてむしろ怪しくなるくらいであるがその是非を問える知識はないので、とりあえず素直に受け止めておく。
「部隊の3割が損耗したら壊滅」と言われることもある(諸説あり、データに基づく分析だともっと少ないらしい)が、「最後の一人まで戦う部隊」であれば、理屈の上では3倍の相手も倒せる。それが故の死をも恐れぬバンザイ突撃であり、死して虜囚の辱めを受けない玉砕思想である。終戦を知らぬまま、仲間たちが倒れても戦い続けた小野田少尉にも通じるかもしれない。
負けを許さない、何が何でも勝たねばならぬ、という結論からスタートしてくるものだから、「どうにもならない負け」を認めない。「どう負けるか」を考えることも許さない。
小畑敏四郎は精神力で不足を補いつつ、そこまで差のない相手と短期局地決戦に持ち込むことでしか勝てないと主張した。
石原莞爾は満州を拠点にして日本を「持てる国」に変えるまでは戦争をしてはいけないと考えた。
だが中柴末純は、いつどこで戦争を始めるかは政治の話であり、軍人が政治に首は突っ込むべきではない、「持てる国」が相手だろうが、その戦いがいつ始まろうが、勝つことを前提に考えないといけないと説いた。
この中柴の思想を受けてインパール作戦やアッツ島の玉砕などが生まれるわけだが、実は中柴自身も生産量が足りずに戦争に勝てるわけがないことは知っていた。
繰り返しになるが日本が太平洋戦争に突き進むまでの背景には様々な要因があり、誰か一人のせいではない。東条英機などが槍玉に上がることは多いが、東条とて日本のすべてを掌握していたわけではない。多角的に見る必要があるのだが、その「思想的な流れ」というものは、本書を読めば相当に把握できるのではなかろうか。
度重なる不祥事に見られる現代の企業経営にも、こうした大日本帝国軍的思想というものは脈々と受け継がれているようではある。
Posted by ブクログ
なんでタイトルが「未完のファシズム」なのかと思ってたけど読んで納得した。
日本人、まとまりない。w
太平洋戦争については言わずもがなドラマやアニメ、漫画や小説にもなってるので
はぁ~当時のお偉いさんはなんて全員バカだったんだ!と
思ってたけど
考えていたのね、それぞれだけど。
ただ全くまとまらないというか、ヒトラーのようにナチズムが日本で出来たのかっていうと
当時、実際は出来なかったし
持たざる国(物資・燃料・工業等全て)が
アメリカやヨーロッパのように持てる国に勝てるには
どうすりゃええねんって。
そうだ持てるように満州建国しようぜ派もいたし
いやいやそんな甘いことより短期決戦で勝負よ!って言ってみたり。
二・二六事件が起こってそのまま精神論だけ一人歩きかーい
と。
まぁなんか中柴とか「とりあえず死ぬこと恐れなかったら、敵は怯んで攻撃してこなくなるんじゃね?」って考えが
恐ろしい。後の特攻とかに全て結びつくわけだし。
未完のファシズムでよかったのか悪かったのか云々よりも
戦争なんてしたらいかんよ。って思う。
Posted by ブクログ
「持たざる国」が「持てる国」に勝てないことは簡単な理屈。それは皇道派も統制派も皆分かっていたこと。満州事変のA級戦犯=石原莞爾ですら「持てる国」になるまで日本は戦争をしてはならないと考えていた。しかし思想的軍人は排斥され、いつしか「持たざる国」でも「持てる国」を怖気づかせることで勝ち目が出るという無茶な理屈で体制は動き出す。相手を怖気づかせるとは、死んでみせること。つまりここに「玉砕」「バンザイ突撃」の根源が存在していた。もはやイデオロギーではなく宗教。東条英機や中柴末純の二人だけが悪というわけではないが、彼らが中心となって広めた『戦闘経』『戦陣訓』のせいで、多くの日本人が犬死したかと思うと、非常にやりきれない思いである。
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総力戦が、物量の差で決することは
有能な軍人たちは自覚していた。
そのうえで、「持たざる国」はどのように処すべきか、
を考えた3人の軍人の、3つの論。
明治憲法下ではファシズムさえも運用不可能という矛盾も。
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戦術思想史を日露戦争から第二次世界大戦に至るまでの変遷を概観した快著。
・青島の火力に頼む近代戦
・ドイツフランスに輸出された日露戦争の勇猛果敢な突撃戦術
・ネタがベタになった短期決戦・包囲殲滅ドクトリン
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[玉砕、その合理的結論]日露戦争の勝利から転がり落ちるようにして第二次世界大戦に臨み、終いには「バンザイ突撃」に象徴される精神主義の称揚とその崩壊で滅亡の淵に立たされるまでに至った日本。著者はその精神主義が一定程度は合理的に導きだされたものだったとして、第一次世界大戦時の重要性を指摘します。果たして、「持たざる国」日本はなぜ狂気とも言える精神主義に足を踏み入れなければならなかったのか…...著者は、本書で司馬遼太郎賞を受賞した片山杜秀。
現時点で2013年の私的Top.3に食い込んでくる作品。総力戦を意識した第一次世界大戦での合理的な日本陸軍の思想に、「持たざる国・日本」というこれまた合理的な前提条件を突き付け、そこに次期戦争における日本敗北が必定であることを軍人の口から述べることの「不可能性」のという橋を組み合わせれば、いとも理論的に「玉砕」という精神主義の極みまで到達できるという説明には本当に衝撃を受けました。久々にレビューでこの表現を用いますが、これを読まずして何を読めというのでしょう、というぐらい素晴らしい一冊でした。
それにしても「持たざる国」が「総力戦」に臨むという事実にぶち当たったときの日本陸軍の中枢の煩悶はすさまじかったのではないでしょうか。当時の陸軍中枢が現実を見すぎたが故に精神主義にたどり着いたという著者の指摘はもっともだと思いますし、その危険性は今日にも通じるものがあると思います。パーツごとに見ていけば完全に合理的でありながら、全体として俯瞰した瞬間にその非合理性がガバッと口を開けている様を本書ではまざまざと見せつけられました。
〜歴史の趨勢が物量戦であることは明々白々。しかし日本の生産力が仮想敵国の諸列強になかなか追いつきそうにない。このギャップから生じる軋みこそ、第一次世界大戦終結直後から日本陸軍を繰り返し悩ませてきたアポリアであり、現実主義をいつのまにか精神主義に反転させてしまう契機ともなったのです。〜
本当に天晴れとしか評しようのない本でした☆5つ
Posted by ブクログ
日清・日露戦争を経た日本にとって、第一次世界大戦の衝撃波が、どのような影響を及ぼし、その後の歴史にどう関わってきたかを、膨大な資料を基に丁寧に解説した研究書。
第一次世界大戦により空白化したアジアマーケットに日本が積極的に進出したことによる空前絶後の好景気が起こる。
1913年当時の日本の経済は、アメリカの36分の1、ドイツの16分の1、イギリスの14分の1程度。
ところが1915年から1919年まで、貿易による収入超過は累計で27億4千万円にのぼった。
日露戦争の戦費が20億円というから、7億4千万円のおつりがきた時代であった。
好景気に沸く日本に対し、警鐘を鳴らしたのが、徳富蘇峰。
欧州が多くの犠牲という高い代償を払っている時期に日本が浮かれているのことは、学習の差が国難を招き、日本を滅ぼしてしまうという主張である。
好景気の絶頂にあるときに、不景気に対する策を講じろと声高に叫んだところで、誰も聞く耳を持たないように、この時期の蘇峰の批判を真剣に受け止める人間は少なかったようだ。
蘇峰の言う学習とは、
「第一次世界大戦が国家主義や戦争の退場を宣告したのではなく、国家主義や戦争が今までとはちがった衣装をまとい直さなければならなくなったと教えてくれたのが今次大戦であった」ということ。
蘇峰の分析では、アメリカもイギリスもドイツも同じ国家主義であるが、アメリカ・イギリスとドイツでは、国民の動員のさせ方が違ったとしています。
国民個々の自主性を尊重し、個人主義をうまく活用して国民を動員した英米のほうが、頭ごなしに力づくで国民を動員したドイツに勝っていた。
国家の全力が最大効率で絞れる体制作りをしなくてはならないというのが、蘇峰の主張であった。
蘇峰はデモクラシーを擁護していたのだが、それは民間の活力を汲み上げる回路を国家社会に築くためには、デモクラシーが必要であるという考えに立った上でのことなのだ。
この、好景気に沸く日本に警鐘を鳴らした蘇峰と同じように危機感を募らせていたのが、永田鉄山であり、小畑敏四郎であった。
彼らは「資源の持たざる国」日本を現実として捉えながら、独自の国家戦略を実現していこうとした。
後に一夕会をつくる中心人物になる二人は、第一次世界大戦時、観戦武官として欧州に赴任している。
若い二人の美青年は仲がよすぎたようで、永田が病気で倒れたときは小畑が寝ずの看病をするほどだったらしい。
昭和に入り、小畑の北進に対して南進を主張する永田は激しくぶつかり、両者は決別する。
小畑の北進は、ソ連に対して積極的に兵を動かすというように書かれた本が多いが、本書ではその考えをとらない。
むしろ小畑は米英ソに対して、徹底的に避戦すべしとの考えであったという。
ソ連に対しては短期決戦のみによって、その戦意を挫き、国境を守ることに専念するというもの。
対する永田は、資源のない日本が長期の戦争を継続するためには資源獲得こそが重要であると考えた。
支那の中部あたりまでを占領し、米英ソ(あくまで仮想敵国)との戦争に備えるというのがその主張であった。
永田は理論的に物事を考える軍人であったようで、日本の資源を計算し、そこから戦争継続可能年数を割り出し、長期の戦争に備えた資源獲得においては、支那の中部までの領土拡大が必要であると結論づけたようだ。
また、石原莞爾も支那全域を占領した後、30年かけて米英に対抗できるだけの国力をつけ、きたるべき戦争に備えるとした国家戦略を持っていたようだ。
石原の30年かけた国力増進計画は、思いつきではなく、経済成長率にうらづけられたものであったらしい。
1930年代、日本の経済成長率は平均で5%近く。対するアメリカはなんと0.2%で十年を通じてほとんど成長していなかったという。
ところが、永田も小畑も石原も軍の中枢から姿を消す。
戦略なき戦争へと突き進んでいくのはこのあたりから。
日米開戦後、精神論が声高に叫ばれるが、その精神的支柱はなんであったか?というのも本書では追求している。
この時代、あるひとりの男の思想が、日本を席巻したらしい。
東条英機のブレーンであり「戦陣訓」のゴーストライターとも目される人物。
中柴末純がその人である。
アッツ島の玉砕にはじまる、兵士ひとりひとりの自己犠牲を美化した思想は、彼の哲学が大きく関係しているようだ。
資源を持たざる国が資源を持つ国に対して抗ずることができる唯一の方法として導き出されたのが体当たりによる玉砕。
ただし中柴末純本人は宗教的狂信者ではない。永田や小畑同様に日本の現実を理解した上で、意図的に精神論による国民の発揚を促した確信犯である。
こうした事実を知った上で、敗戦に至った当時の日本人の心情に思いをはせると、胸が締め付けられそうになる。
第一次世界大戦から昭和の敗戦までを歴史の主役たちの思想や理念、宗教観まで丁寧に描きながらも全体として歴史そのものを描く手腕は見事。
特にフラットに人間を見つめる眼差しには感銘を受けました。近年最も衝撃的な研究書であった。
宮沢賢治と石原莞爾、有島武郎と神尾光臣、そして船田中という不思議な人間同士の結びつきも描かれており、大正から昭和にかけての時代を切り取った名著といえる一冊。
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対米戦争において、戦前の軍部にはざっくりわけると二つの考え方(戦略)があった。 「皇道派」と「統制派」である。
第一次世界大戦以降、戦争は国家間の総力戦となり、兵士の質や戦略の優劣の差は決定的な要因とはならず、国家の商業力、工業力の差が、そのまま戦力比となった。局地戦で勝利することがあったとしても、大局では国力に勝る方に軍配が上がる。ましてやアメリカに対して圧倒的に国力に劣る日本は、どのような計算をしても勝てるという答えを導き出すことができなかった。
アメリカと戦争とはじめたら負けるのはわかっている。しかし、そんな答えを出してしまっては軍部の存在そのものの否定になる。そこで軍部はどう考えたか。
「皇道派」は短期決戦思想。戦争が長期になればなるほど、日本には不利になるため、そのため開戦止むなしとなった場合は、戦争初期において圧倒的な勝利をおさめたのちに、早期に有利な条件で講和を結ぶ。
「統制派」はアメリカとの国力の差を埋めるために、まず大陸や南方方面へ権益拡大を計り、国力を増大させたのち、アメリカとの決戦へ挑む。という思想。
どちらもはっきりいって、幸運に幸運が重なって、更に幸運が重なったら、勝利を手にするというより、痛み分けに持ち込めるかもしれない、という戦略だ。
この閉塞を打破するには、国力では計れない別の戦力(切り札)でもって、戦わなければならない。それが何かというと「精神力」だ。
要するに、科学的なアプローチでは到底対抗できないため、数量化できない精神力という形而上の力を戦力として組み込んだのだ。
「生きて捕囚の辱めを受けず」という言葉がある。死ぬ気で奮戦すれば相手は怯み、たとえ兵装で劣っていても勝つとされた。この考え方から「玉砕」も戦力として捉えられた。死をも恐れない日本兵に敵は戦意を喪失するはずだ。そして厭戦気分が蔓延し、講和の席に着くはずだ、とされた。
悩みに悩みぬいた末に発狂してしまったとしか思えない。
しかし日本はこの「九死に一生を得る」策に賭けてしまった。そして敗戦。
科学的には当然の帰結だった。
実際は「皇道派」「統制派」それぞれが枝葉に分かれてはいるし、また違う派閥もあって開戦に至るまでには複雑な意思決定過程があるが、繁雑になるので省きたい。
総評としては非常に面白く、思想の流れがわかりやすく解説されているので、頭の中のモヤモヤがすっきりした。「負けるとわかっている戦争になぜ突き進んだのか」という昨今よく議論されている問題に明確な答えをだしてくれたと思う。
最後に、こういった本を読むたびに思うことを書きたい。
「戦争回避の道は果たしてあったのか」ということだ。
自分自身あの戦争はしょうがなかったという考え方になってしまいそうで、なんだか怖い。
(この本がそういった思想を助長しているということでは全くない)
この問いに答えてくれる良い本を知っている方がいたら教えてください。
Posted by ブクログ
皇道派と統制派それぞれの行動原理を読み解くことができるようになっており、現代から見ると非合理的な行動でも当事者たちの目線に立つことにより理解しやすくなっている。
読み終えた印象として、遠い将来に想定していたはずの対米戦について、互角に戦おうとあれこれ対策をすればするほどアメリカを刺激して開戦がどんどん近づいてしまったというところでしょうか。
またそれまでの固定観念の大勢である「日露戦争に気を良くしてW.W.Ⅰの教訓を学ばなかった」という類の単純化された歴史観とは正反対に近い論証をされていて、大変面白く読むことができた。
逆に総力戦を理解していたからこそ、国力豊富なアメリカを恐怖し、開戦に徹底的に備えたかったのだから。
Posted by ブクログ
日本が何故大東亜戦争という、後世から見れば圧倒的に無謀な戦いに突入していったのか。
時の陸軍指導者たちは神国の奇跡を信じていたのか。
結論を言えば、彼らは何の幻想も抱いていなかった。
第一次大戦やそれ以前の日露戦争の教訓から、近代の陸戦は火力と物量が勝敗を決することは熟知されていた。
実際、第一次大戦の中で日本軍が戦った青島戦は十分な火力による飽和的攻撃によって勝利した。
にも関わらず、「生きて虜囚の辱めを受けず」といった「戦陣訓」や、無勢に不利な包囲殲滅戦が何故主流の思想となったのか。
筆者はそこには顕教と密教があるという。
経済力、人口、資源、技術などの戦争資源に劣る「持たざる国」である日本は「持てる国」に火力では負ける。
負けないためにはどうするか。
長期戦を戦う資源に欠けるなら「速戦即決」の殲滅戦に賭けるしかない。
「持てる国」相手には通用しないが、弱い国には通用する。
殲滅戦を唱えた小畑敏四郎は満洲を守備するための対ソ各個撃破を想定し、シベリア進出などの戦線拡大は想定外だった。
一方で国力が充実するまでは戦わないとした石原莞爾は、わが国を「持てる国」とするために満洲国を建国したが、米国との世界決戦の開戦は1966年を想定し、それまでは対米戦を避けるべきとした。
密教としての教義にはそれぞれ公言できない前提条件があったのだ。
「戦陣訓」を執筆した中柴末純も「持たざる国」の限界を認識していた。
顕教は前提条件抜きに教義とし、無謀な戦争に突入していった。
書名の「未完のファシズム」とは、戦後の「戦時下の日本はファシズムだった」との通念に反して、総力戦・総動員態勢を敷くために独裁を行いたくても明治憲法下の日本ではそれができず、ファシズム化に失敗したという筆者の総括による。
書名から、思想的、観念的な論説かと思ったが、思いの外読みやすく、示唆や発見に富む本だった。
Posted by ブクログ
太平洋戦争では過度な精神主義に陥った日本軍であったが、第一次世界大戦で行われた総力戦の研究を怠っていたわけではない。近代戦は国家同士の物量戦であり、日本は欧米列強に比べて生産力で劣るということまで日本軍は理解していた。日本軍の青島攻略は物量戦の模範とも言うべき戦い方であった。しかし、物量戦の重要性を認識していたからこそ、物量差の大きい欧米列強と全面戦争になったら物量での劣勢を挽回するために、精神主義的な殲滅戦を理想とした。絶対に敵わない物量戦から目を逸らし、精神力で劣勢を跳ね返すという非現実的な思想を抱いてしまった。(石原莞爾は満洲の支配を通じて、欧米列強に対抗できる生産力を獲得しようとしたようであるがこれもこれで非現実的である。)そもそも、『統帥綱領』には欧米列強と全面戦争をしないことが含意されていたようであるが、その含意を理解していた荒木貞夫、小畑敏四郎たちが軍の要職を去ると、その含意は忘れ去られ、アメリカとの全面戦争に突入してしまったのである。
Posted by ブクログ
明治憲法のガバナンス上の欠陥から宮沢賢治、さらには女性の月経に関する問題まで、著者の守備範囲の広さに舌を巻く。著者の記述の妥当性はわからないが、一つの説明としては面白かった。著名な「昭和16年夏の敗戦」や「失敗の本質」と並んで読まれるべき一冊だと思う。
次の一文が印象的だった。
---
(…)ふたりとも冷静な現実主義者として次なる戦争は物量と機械と科学力だという合理的な本音を持ちながら、日本陸軍の軍人としては精神主義を建前として高唱せざるを得ず、しかし二・二六事件や日米開戦といった歴史の流れのなかで、本音は忘却され建前ばかりが暴走し始めていったのです(…)
Posted by ブクログ
日本が戦勝国として関わった第一次世界大戦を起点に「なぜ日本が勝てるはずもない戦争に飲めりこみ滅びたのか」を読み解く。
未完のファシズムという意味は、明治日本は天皇中心の国家を築こうと試みたにもかかわらず、天皇以外にはリーダーシップをとれる仕組みがなかったこと。
確かに日本のヒトラーと言われる東條英機も独裁者だったか?というとNO。この「本気で意見が一致してひとまとまりになり誰かの指導や何かの思想に熱烈に従うことは、いついかなるときでも、たとえ世界的大戦争に直面して総力をあげなくてはならないときでも、日本の伝統にはない」「幕末維新は尊皇派も佐幕派も開国派もいたからこそかえってうまく運んだ。いろんな意見をもつ人々が互いに議論したり様子を見合ったりして妥協点を探る。一枚岩になれない。逆にぎくしゃくしながらすすむ。・・・のが日本の伝統だ」
今のコロナ禍の日本にも通ずるところがあるな!
勇猛果敢な突撃で大国ロシアを打ち破り世界を驚かせた日本は、第一次世界大戦での欧州の戦闘から時代は砲兵・工兵の時代と見抜く。そこから「持たざる国」日本がどのように世界で生き残るかの模索が始まる。
持たざる国を持てるに国変えようとした石原莞爾ら統制派、タンネンベルクの戦いや桶狭間のように寡兵でもって大軍を打ち破る短期決戦を目指す皇道派。しかし結局いずれもできない泥沼の日中戦争・対米戦争へと走り出してしまう。
最後に残ったのが「精神で勝つ」ほとんど宗教的狂気に感じられる中条末純の「戦陣訓」。
この物凄く不合理な飛躍を丁寧に読み解いているのだが…それでもやっぱりここの狂気への跳躍は理解できない。
しかし…理解できないが…。アッツ島での玉砕、米軍従軍記者が恐れた日本の滅びの美学には、同意できないと100%言い切れないところが怖い。自分の心のどこかの片隅に、えも言われぬ誇らしさのようなものがあり、恐ろしい。絶対に繰り返してはならない悲劇なのに。命令に従わざるを得ず母や妻、子供のことを考えながら死にたくなくても死なざるを得なかった祖父のような人たちがいっぱいいたはずなのに!
Posted by ブクログ
「天皇陛下万歳!」が明治や大正以上に昭和で叫ばれなくてはいけなくなったのは一体なぜなのか?
時代が下がれば下がるほど、近代化が進展すればするほど、神がかってしまうとは、いったいどういう理屈に基づくのか・・・
重要なキッカケになったのは101年前に勃発した第一次世界大戦だったと、著者は言う・・・
去年は勃発100年だったので、いろいろ書物が出てたけども、日本史の勉強ではあまり重要視されない第一次大戦・・・
欧州が戦場であり、日本は大戦景気に沸き、経済が絶好調で、参戦国とはいえ、青島でドイツ軍と戦ったぐらいで、実質は遠くから見守る観客であった・・・
国民の多くは大戦景気に踊るだけで、第一次世界大戦が列強各国に与えた衝撃をスルーしてしまった・・・
第一次世界大戦こそ、戦争の規模や質が圧倒的に変わった戦争だったのに・・・
以後の戦争は自由主義だろうが軍国主義だろうが国家主義だろうが共産主義だろうが国家総動員体制同士の戦いであり、圧倒的な物量や経済規模が勝敗を決めるものとなる・・・
物量戦で、科学戦で、消耗戦で、補給戦であり・・・
どんな勇猛果敢な兵隊も大砲の巨弾の下に跡形もなく吹き飛んでしまう・・・
国家の生産力こそが即ち軍隊の戦闘力・・・
これを学習せずにスルーしてしまった・・・
日本軍は日露戦争後、一気に神がかった精神主義の軍隊になっていたのか?
著者によると、そうでもなかったらしい・・・
それこそ第一次大戦の青島戦役では神尾光臣という将軍(中将)が・・・
日露戦争時の砲兵が支援しつつ、勇猛果敢な歩兵が突撃していくという前時代的なやり方ではなく・・・
砲兵の火力でほぼカタをつけ、歩兵は後始末をつけにいくだけ、という欧州戦線に引けをとらない近代戦のお手本の戦いをしてみせた、と・・・
合理的な将軍の下、物量や規模で勝つ、という現代戦を実は日本軍(の一部だけど)もしていたんですね・・・
そして、さらに実は実は!陸軍には・・・
肉弾の時代はもう終わった・・・
日本陸軍の攻撃精神も過去の遺物になった・・・
科学力と生産力の追求あるのみ、という第一次大戦の総括が存在していた!
そ、れ、な、の、に!
神がかった精神主義が日本軍の主潮になってしまったのか???
それは・・・
上記のように合理的に考えれば考えるほど・・・
「持たざる国」である日本が、今後の大戦争で「持てる国」の列強諸国に勝ち目はないという結論しか導き出せない・・・
一気に持てる国になるなんて無理だし・・・
フツーに考えれば、どう考えても勝てない・・・
でも、軍人としては、無理です、勝てませんでは自分たちの存在意義がなくなってしまう・・・
列強と開戦しても大丈夫ですという計画を立てておかないといけない・・・
このギャップから生じる軋みこそが、第一次大戦後から日本陸軍を悩まし続け・・・
現実主義から精神主義へと反転させる契機になっていった、と・・・
こここそ著者の主張・・・
無理なもんは無理、として違う道を探って欲しかったけど・・・
当時の軍人たちは、合理的に考え抜いた結果、現実主義を捨て、精神主義に答えを求めていった・・・
結果を知っている身からすると、なんだかなぁ、としか言えない・・・
で、その日本軍を主導していった・・・
いや、正確に言うと主導しようとして、失敗していった軍人たちの思想を辿っていく・・・
まず、皇道派で作戦の鬼と呼ばれた小畑敏四郎・・・
後の補給なき戦闘やバンザイ突撃、玉砕の遠因である「統帥網要」と「戦闘網要」の改定を荒木貞夫や鈴木率道らと共に主導した人物・・・
並外れた精神力、戦意をもって速戦即決で奇手奇策を用いれば物量で勝る敵でも包囲殲滅できる!
そうすれば勝てるのだから、そしてもし万が一、速戦即決できなければ打つ手なしになるのだから、長期戦に備えるような兵站はいらない!
「統帥網要」はこういうのが全面に出た精神主義的なものなんだけど、著者は現実的で、第一次大戦を観戦してきて実情を知る小畑には裏に別の思惑があったという・・・
それは、あくまで持たざる国である日本には長期持久の総力戦は無理であり、そしてその統帥網要の考えで行くには、結局のところ戦場も限定され、自分たちより劣悪で粗雑な軍隊相手でないと無理である・・・
具体的な想定では、極東のソ連軍で、満州の平原での戦闘に限る・・・
建前としては統帥網要を示しつつも、想定している条件以外では実際無理がある・・・
でも、陸軍を主導している自分たち皇道派がちゃんと相手を選び、条件に合致した形で戦争を行える、と小畑らは考えていた・・・
しかーし!小畑ら皇道派は2・26事件で統制派に追い落とされ失脚・・・
小畑らが改定した精神主義の統帥網要、戦闘網要だけはそのまま残り、後の玉砕などに繋がっていく・・・
次に、持たざる国を持てる国にしようとした満州事変の首謀者、石原莞爾・・・
日蓮主義の国柱会の創始者、田中智学に影響を受けた石原は、その宗教的、軍事的な観点からいずれ(40~50年後)、王道の国である日本と覇道の国であるアメリカが世界の行方を賭けた最終戦争を行うという独自の思想を持っていた・・・
その最終戦争に備えるために・・・
持たざる国の日本を持てる国にする・・・
そのために満州や華北の資源を日本が確保する・・・
その資源とソ連のような計画経済により成長し続け、経済規模でアメリカやソ連に並ぶ国となり、数十年後アメリカとの最終戦争に勝利するという途方もない構想で満州事変を起こし・・・
満州国を建国し・・・
皇道派の失脚後の陸軍を主導していった・・・
しかーし!盧溝橋事件を機に、部下であった武藤章らの反発に合い、陸軍中央を追われ、転出先の関東軍で東条英機と対立し、予備役編入・・・
陸軍を去る・・・
石原が残したものは、満州国と日本軍内の下克上の風潮だった・・・
そしてもう一人・・・
生きて虜囚の辱を受けず、で有名な「戦陣訓」の作者の一人とされ、東条英機のブレーンとも言われた中柴末純・・・
中柴は合理的とされる工兵出身で、軍内きっての第一次大戦の研究者であった・・・
そんな合理的なはずの中柴が持たざる国が持てる国と戦うための精神主義的な思想を用意した・・・
彼の戦争哲学では、皇国日本の行う戦争は、真善美の「まこと」の不断の実現のための行為であって、勝ち負けの予測を合理的に計算してやるかやらないかを決める、何らかの駆け引きに基づく戦争観とは無縁・・・
「まごころ」の戦争とは、やるとなったら絶対にやる、勝ち負けに関係なくやる、勝敗よりも「まこと」に殉じるか殉じないかという倫理的・精神的な側面だけが問題となる戦争なのだ、としている・・・
そして中柴はこう考えた・・・
持たざる国でも持てる国の相手を怖じけづかせられれば勝ち目も出てくる・・・
いくら物量では劣っていても、敵国の戦意を喪失させれば勝てないこともない・・・
そのために日本人がドンドン積極的に死んでみせれば良いのだ、と・・・
こういう中柴の思想が玉砕やバンザイ突撃への道を突き進ませて行くことになる・・・
マジ酷い・・・
真面目な軍人の苦衷の末のものとはいえ・・・
酷いという言葉では足りないくらい酷い・・・
ここまで来ると何なのそれ?と憤りを覚えてしまう・・・
敵国に日本人狂ってる、狂ってる日本と戦うのは犠牲を増やすだけでバカバカしいから早めに戦争を手打ちにしよう、と思わせるために兵士をドンドン死なせる、って・・・
狂気が振り切れちゃってますね・・・
最後に、未完のファシズムについて・・・
未完?日本って戦時中ファシズムだったでしょ?ともちろん思うわけですが・・・
ドイツやイタリアのように完全ではなかった・・・
東条英機の独裁だった、というのも少し違う・・・
元々、大日本帝国(明治)憲法の制度下では、誰も強力な権力を握れないような仕組みになっていて・・・
総理すら権限が弱く、閣僚の調整役以上の役割はなかなか果たせない制度であった・・・
行政府は内閣の他に枢密院があり・・・
立法府は貴族院と衆議院の二院制でどちらが上ということもなく、どちらかが否決すれば即廃案という・・・
議院内閣制じゃないから、政党が内閣を組織する決まりもないし・・・
軍も行政や立法や司法から独立した組織であり、内閣も議会も軍に命令できず、逆に軍も政治に介入するのも法的にはできない・・・
そして、誰かが強引に特定の理想を無理やり押し通そうとすると、皆で全力で排除する、という日本の伝統的な国民性・・・
元老がいた間はそれでも上手く機能していた明治憲法体制だけども、昭和に入ってすべての元老がいなくなったあとは・・・
誰も強力なリーダーシップを発揮することが出来ない状態になる・・・
東条も明治憲法を尊重して、国体を護持しつつ総力戦として、「大東亜戦争」を勝ち抜こうとし、苦渋の選択として首相、陸軍大臣、参謀総長などを兼務してやっていこうとした・・・
そしたら日本のヒトラーと周りから揶揄され、一人何役もやろうとするのは日本人としてあるまじきことだ、と戦況の悪化と共に東条つぶしが起こり、東条内閣が打倒される・・・
東条は何て言われて攻撃されたか・・・
なんと、ファッショ!
東条ファッショ政権打倒が合言葉になったそうな・・・
これらから日本のファシズムは未完のものであった、と著者はいう・・・
この視点はとても新鮮で面白かった・・・
ファシズムと思われている戦時中ですら、そして独裁者のイメージの東条英機ですら・・・
強引に押し通そうとするもの、強力なリーダーシップを取ろうとするものを排除する日本の組織文化に阻まれたというのは・・・
何とも・・・
日本から強力なリーダーが出にくいというのは・・・
根が深いですかな・・・
以上・・・
超長くなっちゃった・・・
第一次大戦の衝撃を受けて合理的に突き詰めて考えていった結果、精神主義にならざるを得なかった思想的軍人たち・・・
そんな彼らに掻き回されて破滅へと引き摺りこまれていった日本の悲劇・・・
一般的に言われていることとは違う視点で話が展開されていて面白く、とても参考になりました・・・、
これはオススメ・・・
Posted by ブクログ
第一次大戦の教訓を正しく学び、持たざる国が持てる国に勝つ方策がないことを痛感したからこそ、一億玉砕に向かったという。おそらく正しい歴史認識だと感じる。
戦後70年を間近に控えた今、我々の世界情勢への認識は何か変わったのだろうか?持たざる国であることは変わりない。中国と紛争が起きたら、果たしてどうなるのか?便衣兵ならぬ国籍不明漁船が多数尖閣諸島に迫ってきたら?
日本のまずいところは、空気を読み過ぎて意見の多様性を認められないところではないかと思う。
Posted by ブクログ
アジア・太平洋戦争における日本の悲惨なまでの敗北は、第一次世界大戦、いわゆる総力戦に学ばなかったことが原因のひとつという認識であったが、本書では少なくとも第一次世界大戦から来るべき次の戦争が総力戦になることは学んでいた。(→青島要塞攻略戦など)しかし、資源や工業力を持たない日本が、持つ国と戦うには、資源や工業力が無くとも戦える(補給線や多量の鉄量を考えない)速戦速決の殲滅戦とそれを補う無限の精神力が重視された。ところが、そこには顕教(建前)と密教(本音)の二面性が存在した。密教ではいくつかの条件が満たされねばならず、その条件が満たされなかったためにあの敗北が訪れたとしている。
小畑敏四朗ら皇道派は、劣勢な軍隊にたいしては、精神論と速戦速決の殲滅線思考(補給線や多量の鉄量を考えない)で臨み、優劣な軍隊とは戦いを避けることを条件とした。石原莞爾(統制派)は日本が満蒙経済圏を開拓し、資源と工業力を持ってからソ連、アメリカと戦うことを条件とした。東条英機(とそのブレーン)は、何が無くとも天皇の臣民たるその精神力を大いに発揚すれば、どんな相手であろうと勝つことができるとした。
HONZ書評参照
Posted by ブクログ
誰も本気で勝てるとは思っていなかった戦争へ、なぜ引きずり込まれていったのか?
そこが知りたかったが、前提となった諸要素の解説に留まり、知りたいことが、もう一つ明確になっていなかった。戦争の直接の要因については書かれているものは他に多いため、違う切り口でのアプローチをされたのであろうと推測する。
私は第二次世界大戦について書かれたものについては、ほとんど読んだことがなく、また知識もないため、今後知識を得ていくことにより、後日この本を再評価したい。
Posted by ブクログ
国の死に方もそうだったが、歴史への視点がなかなか新鮮な著者。日本史の中での第一次世界大戦をスポットにあて、第二次世界大戦への敗北へ繋がる日本陸軍に流れた考えをつぶさに見ていく。ほかの作品も気になるところ、作品というか論文。決して気軽に読めるというわけではないけど苦笑
Posted by ブクログ
ファシズムと題していながら、なぜ陸軍が第一次大戦の戦果から学ばずに玉砕戦術に陥ったかのみを掘り下げた本。
この部分だけなら精密な分析ですが、内容そのものが未完です。
Posted by ブクログ
「持たざる国」であることに自覚的であった陸軍の上層部が作り上げた建前(乏しい物量により苦しい戦いを強いられるが、それは強い精神で凌駕できる)で戦争を遂行したのだから、かれらの罪は重い。現代社会でも「それを言っちゃお終いよ」というような場面が多々あり、みんな分かっていても口には出さず、ずるずると流されて行き、気づいたときには手遅れ状態になっているのでは。