片山杜秀のレビュー一覧
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私が歴史に本格的に興味を持つようになったのは、予備校時代に河合塾の石川晶康先生の講義を受けたからである。「歴史に流れなんてない、っつうの」が口グセ。実はそれは現代のパラダイムで過去を安易に語るな、ということを言っていたのだと思う。これ出るぞ、は本当に出題されていたが、要するに学会誌に丹念に目を通して出題者の関心を捕捉していたんだろう。「聖と賤はコインの裏表だからな」なんてことを板書して力説していたし(これはのちに網野善彦を読み漁ることにつながった)、「7-8世紀の対東アジア外交は押さえとけ」の教えは今、娘に引き継いでいる。
さて本書は、そもそも小学校から一貫校で大学受験自体未経験という著者が大学入試の記述問題に解答していくという内容。これを読むと、本格的に学問をする上でこの程度の歴史の知識はある意味基礎インフラであって、暗記も何も自然に憶えてしまって当然のレベル、ということがよくわかる。
個人的には隋から共産革命に至るまでの中国史を「華北と中原のせめぎあい」と捉える視点が面白かった。そして多くの入試問題が、それに気づかせよう、という裏テーマを持っていることも再認識できた(このあたり、東大と京大の学派的違いへの言及などもあり興味深い)。
「改めて感心するのは、これらの問題を解くために必要な知識は、すべてとは言い切れないけれど、およそだいたいは高校の日本史と世界史の教科書に載っているという事実ですね」(「おわりに」より)。歴史に限らないがAI時代だからこそ「知識」の大切さをこどもに伝えないとなあ、という感想。 -
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音楽の提供者ではなく、受け手の変遷を軸にして、音楽史を振り返る1冊。教会を中心とした宗教音楽から、王侯・貴族に向けた音楽へ、そして市民に向けた音楽へと、社会の変化を反映しつつ変容を遂げていく音楽。そのなかで、市民向けの音楽を創造したという意味で、ベートヴェンは比類なき業績を残した。
さらに面白かったのが、大国のグローバリゼーションに対抗し、民族を重視し、小国が存在感を増していく流れの中で、ワーグナーが台頭していったという流れ。
音楽というのは、あとから振り返っても、いろんな意味付けが可能ですが、こうして世界史と重ね合わせながら語られるのはとても新鮮でした。 -
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日本のあらゆるところに蔓延する、無責任主義、たこつぼ思考が五箇条の誓文に読み取れるとする新説。なぜ明治維新はうまく行き、77年後の敗戦を招いたのか。元勲がいなくなって国の経営を統合できる人物がいなくなったからだ、という。非常に腑に落ちる仮説だ。
戦後72年を過ぎ、リーダーシップのある首相に期待が集まる反面、ファッショとラベルをつけて馬鹿騒ぎするマスコミ。煽動を真に受けないものの、ちょっと危ういなと眉唾で聞く民衆。職域奉公に専念し我関せずの経済人。非常に危うい時期に来ているのは間違いなさそうだ。。。
戦前と異なるのは、国民が本位ではなく足かせに見えるところ。愛国心の基礎を奪われた状態で、一朝事が起きたらこの国、わが国民はどう反応するのか。カルタゴと同じ経緯を辿らないと誰が言えるのか。 -
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ネタバレとてつもない本。
残念ながら私はクラシックに関しては
不得手な部類に入るため
ピントは来ないのですが、
物は試しなので一部楽曲は聞いてみました。
クラシックと言えば…の
あの方の曲は実に難解でした。
でもはまる人ははまるんだろうな。
嫌いではないですよ。
そして、ある動画で見た指揮者の方は
やっぱりものすごい人なんだな、と思いました。
確かかなり長く生きた指揮者の方で、
すごい人からバイオリンの指導を受けていたことは
全く知りませんでした。
クラシックというと有名どころばかりですが
この本にはそういうのはあまり出てこず
(まあ、マーラーは有名か)
私も聞いたことのない人ばかりでした。
批判的な文章はほぼなくて
いいところを引き出してくれている
良書だと思います。 -
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<目次>
序章 「五箇条の誓文」と明治150年
第1章 尊皇攘夷再考~「未来の攘夷」と「方便の開国」
第2章 明治国家のデザインの秘密~「王政復古」と「シラスによる政治」
第3章 大正デモクラシーとは何だったのか
第4章 昭和維新の論理~攘夷からアジア主義へ
第5章 非常時国家のへの野望と挫折
終章 「五箇条の誓文」と平成日本
<内容>
この本の魅力は、「五箇条の誓文」を利用して、明治~戦前までの日本近代史を俯瞰してしまったことだろう。こうした歴史論は面白い。あっているかどうかは二の次で、解釈されたものの筋が通っているものは面白い。昭和維新の①アジア主義②農本主義③国家社会主義 の考え方は、納得する部分が多い。 -
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・十字軍は、政治的な影響、経済的な影響、文化的な影響をもたらした。
・教皇と諸侯の力をそぎ、王と商人の力が伸長した。中世が崩壊し、絶対王政が幕を開ける。
・ヨーロッパはユーラシアから見れば「辺境」であり、進んだ東方の文明やイスラム帝国やモンゴル帝国からは放っておかれた。そのおかげで、自分のペースで近代化を進めることができた。後の日本は西洋列強からの植民地化の危機感で慌てて近代化が必要だった。
・宗教改革は諸侯に都合がよく、皇帝権と結びついていたカトリックから干渉を受けずに領域を統治できるようになった。
・ルターが聖書をドイツ語に翻訳し印刷技術で頒布したことにより、教会抜きに神と人間が直接対話できるようになった。教会の中抜き。
・普段話している言語で聖書を読むことにより、共有言語をもとに「民族」「国民」意識を高め、後の国民国家の創生に寄与。
・夷狄である清の冊封体制化に入った朝鮮の屈辱感が、「小中華思想」を生んだ。
・「中華」文明の中心であった明が夷狄である清に滅ぼされた。「中華」文明なき後、朝鮮がもっとも儒教精神を保ち、朝鮮こそが「中華」の後継者であり守護者である。清に従属しながらも、腹の中では清を見下すという屈折した感情を抱える。
・北から南に攻め入って中国全土を平定するのか中国史の必勝パターン。江南が中国を統一したことはない。南宋と元。共産党と国民党。
・農民を味方にしなければ最終的な勝者にはなれない。農村から都市を包囲する共産党と、支持基盤が硬軟の浙江財閥だった国民党。言い換えれば、農民の前に敵を設定してそれを乗り越えて、農民が実際は搾取されていても自分たちが主役だと錯覚すれば倒れない。 -
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「天皇陛下万歳!」が明治や大正以上に昭和で叫ばれなくてはいけなくなったのは一体なぜなのか?
時代が下がれば下がるほど、近代化が進展すればするほど、神がかってしまうとは、いったいどういう理屈に基づくのか・・・
重要なキッカケになったのは101年前に勃発した第一次世界大戦だったと、著者は言う・・・
去年は勃発100年だったので、いろいろ書物が出てたけども、日本史の勉強ではあまり重要視されない第一次大戦・・・
欧州が戦場であり、日本は大戦景気に沸き、経済が絶好調で、参戦国とはいえ、青島でドイツ軍と戦ったぐらいで、実質は遠くから見守る観客であった・・・
国民の多くは大戦景気に踊るだけで、第一次世界大戦が列強各国に与えた衝撃をスルーしてしまった・・・
第一次世界大戦こそ、戦争の規模や質が圧倒的に変わった戦争だったのに・・・
以後の戦争は自由主義だろうが軍国主義だろうが国家主義だろうが共産主義だろうが国家総動員体制同士の戦いであり、圧倒的な物量や経済規模が勝敗を決めるものとなる・・・
物量戦で、科学戦で、消耗戦で、補給戦であり・・・
どんな勇猛果敢な兵隊も大砲の巨弾の下に跡形もなく吹き飛んでしまう・・・
国家の生産力こそが即ち軍隊の戦闘力・・・
これを学習せずにスルーしてしまった・・・
日本軍は日露戦争後、一気に神がかった精神主義の軍隊になっていたのか?
著者によると、そうでもなかったらしい・・・
それこそ第一次大戦の青島戦役では神尾光臣という将軍(中将)が・・・
日露戦争時の砲兵が支援しつつ、勇猛果敢な歩兵が突撃していくという前時代的なやり方ではなく・・・
砲兵の火力でほぼカタをつけ、歩兵は後始末をつけにいくだけ、という欧州戦線に引けをとらない近代戦のお手本の戦いをしてみせた、と・・・
合理的な将軍の下、物量や規模で勝つ、という現代戦を実は日本軍(の一部だけど)もしていたんですね・・・
そして、さらに実は実は!陸軍には・・・
肉弾の時代はもう終わった・・・
日本陸軍の攻撃精神も過去の遺物になった・・・
科学力と生産力の追求あるのみ、という第一次大戦の総括が存在していた!
そ、れ、な、の、に!
神がかった精神主義が日本軍の主潮になってしまったのか???
それは・・・
上記のように合理的に考えれば考えるほど・・・
「持たざる国」である日本が、今後の大戦争で「持てる国」の列強諸国に勝ち目はないという結論しか導き出せない・・・
一気に持てる国になるなんて無理だし・・・
フツーに考えれば、どう考えても勝てない・・・
でも、軍人としては、無理です、勝てませんでは自分たちの存在意義がなくなってしまう・・・
列強と開戦しても大丈夫ですという計画を立てておかないといけない・・・
このギャップから生じる軋みこそが、第一次大戦後から日本陸軍を悩まし続け・・・
現実主義から精神主義へと反転させる契機になっていった、と・・・
こここそ著者の主張・・・
無理なもんは無理、として違う道を探って欲しかったけど・・・
当時の軍人たちは、合理的に考え抜いた結果、現実主義を捨て、精神主義に答えを求めていった・・・
結果を知っている身からすると、なんだかなぁ、としか言えない・・・
で、その日本軍を主導していった・・・
いや、正確に言うと主導しようとして、失敗していった軍人たちの思想を辿っていく・・・
まず、皇道派で作戦の鬼と呼ばれた小畑敏四郎・・・
後の補給なき戦闘やバンザイ突撃、玉砕の遠因である「統帥網要」と「戦闘網要」の改定を荒木貞夫や鈴木率道らと共に主導した人物・・・
並外れた精神力、戦意をもって速戦即決で奇手奇策を用いれば物量で勝る敵でも包囲殲滅できる!
そうすれば勝てるのだから、そしてもし万が一、速戦即決できなければ打つ手なしになるのだから、長期戦に備えるような兵站はいらない!
「統帥網要」はこういうのが全面に出た精神主義的なものなんだけど、著者は現実的で、第一次大戦を観戦してきて実情を知る小畑には裏に別の思惑があったという・・・
それは、あくまで持たざる国である日本には長期持久の総力戦は無理であり、そしてその統帥網要の考えで行くには、結局のところ戦場も限定され、自分たちより劣悪で粗雑な軍隊相手でないと無理である・・・
具体的な想定では、極東のソ連軍で、満州の平原での戦闘に限る・・・
建前としては統帥網要を示しつつも、想定している条件以外では実際無理がある・・・
でも、陸軍を主導している自分たち皇道派がちゃんと相手を選び、条件に合致した形で戦争を行える、と小畑らは考えていた・・・
しかーし!小畑ら皇道派は2・26事件で統制派に追い落とされ失脚・・・
小畑らが改定した精神主義の統帥網要、戦闘網要だけはそのまま残り、後の玉砕などに繋がっていく・・・
次に、持たざる国を持てる国にしようとした満州事変の首謀者、石原莞爾・・・
日蓮主義の国柱会の創始者、田中智学に影響を受けた石原は、その宗教的、軍事的な観点からいずれ(40~50年後)、王道の国である日本と覇道の国であるアメリカが世界の行方を賭けた最終戦争を行うという独自の思想を持っていた・・・
その最終戦争に備えるために・・・
持たざる国の日本を持てる国にする・・・
そのために満州や華北の資源を日本が確保する・・・
その資源とソ連のような計画経済により成長し続け、経済規模でアメリカやソ連に並ぶ国となり、数十年後アメリカとの最終戦争に勝利するという途方もない構想で満州事変を起こし・・・
満州国を建国し・・・
皇道派の失脚後の陸軍を主導していった・・・
しかーし!盧溝橋事件を機に、部下であった武藤章らの反発に合い、陸軍中央を追われ、転出先の関東軍で東条英機と対立し、予備役編入・・・
陸軍を去る・・・
石原が残したものは、満州国と日本軍内の下克上の風潮だった・・・
そしてもう一人・・・
生きて虜囚の辱を受けず、で有名な「戦陣訓」の作者の一人とされ、東条英機のブレーンとも言われた中柴末純・・・
中柴は合理的とされる工兵出身で、軍内きっての第一次大戦の研究者であった・・・
そんな合理的なはずの中柴が持たざる国が持てる国と戦うための精神主義的な思想を用意した・・・
彼の戦争哲学では、皇国日本の行う戦争は、真善美の「まこと」の不断の実現のための行為であって、勝ち負けの予測を合理的に計算してやるかやらないかを決める、何らかの駆け引きに基づく戦争観とは無縁・・・
「まごころ」の戦争とは、やるとなったら絶対にやる、勝ち負けに関係なくやる、勝敗よりも「まこと」に殉じるか殉じないかという倫理的・精神的な側面だけが問題となる戦争なのだ、としている・・・
そして中柴はこう考えた・・・
持たざる国でも持てる国の相手を怖じけづかせられれば勝ち目も出てくる・・・
いくら物量では劣っていても、敵国の戦意を喪失させれば勝てないこともない・・・
そのために日本人がドンドン積極的に死んでみせれば良いのだ、と・・・
こういう中柴の思想が玉砕やバンザイ突撃への道を突き進ませて行くことになる・・・
マジ酷い・・・
真面目な軍人の苦衷の末のものとはいえ・・・
酷いという言葉では足りないくらい酷い・・・
ここまで来ると何なのそれ?と憤りを覚えてしまう・・・
敵国に日本人狂ってる、狂ってる日本と戦うのは犠牲を増やすだけでバカバカしいから早めに戦争を手打ちにしよう、と思わせるために兵士をドンドン死なせる、って・・・
狂気が振り切れちゃってますね・・・
最後に、未完のファシズムについて・・・
未完?日本って戦時中ファシズムだったでしょ?ともちろん思うわけですが・・・
ドイツやイタリアのように完全ではなかった・・・
東条英機の独裁だった、というのも少し違う・・・
元々、大日本帝国(明治)憲法の制度下では、誰も強力な権力を握れないような仕組みになっていて・・・
総理すら権限が弱く、閣僚の調整役以上の役割はなかなか果たせない制度であった・・・
行政府は内閣の他に枢密院があり・・・
立法府は貴族院と衆議院の二院制でどちらが上ということもなく、どちらかが否決すれば即廃案という・・・
議院内閣制じゃないから、政党が内閣を組織する決まりもないし・・・
軍も行政や立法や司法から独立した組織であり、内閣も議会も軍に命令できず、逆に軍も政治に介入するのも法的にはできない・・・
そして、誰かが強引に特定の理想を無理やり押し通そうとすると、皆で全力で排除する、という日本の伝統的な国民性・・・
元老がいた間はそれでも上手く機能していた明治憲法体制だけども、昭和に入ってすべての元老がいなくなったあとは・・・
誰も強力なリーダーシップを発揮することが出来ない状態になる・・・
東条も明治憲法を尊重して、国体を護持しつつ総力戦として、「大東亜戦争」を勝ち抜こうとし、苦渋の選択として首相、陸軍大臣、参謀総長などを兼務してやっていこうとした・・・
そしたら日本のヒトラーと周りから揶揄され、一人何役もやろうとするのは日本人としてあるまじきことだ、と戦況の悪化と共に東条つぶしが起こり、東条内閣が打倒される・・・
東条は何て言われて攻撃されたか・・・
なんと、ファッショ!
東条ファッショ政権打倒が合言葉になったそうな・・・
これらから日本のファシズムは未完のものであった、と著者はいう・・・
この視点はとても新鮮で面白かった・・・
ファシズムと思われている戦時中ですら、そして独裁者のイメージの東条英機ですら・・・
強引に押し通そうとするもの、強力なリーダーシップを取ろうとするものを排除する日本の組織文化に阻まれたというのは・・・
何とも・・・
日本から強力なリーダーが出にくいというのは・・・
根が深いですかな・・・
以上・・・
超長くなっちゃった・・・
第一次大戦の衝撃を受けて合理的に突き詰めて考えていった結果、精神主義にならざるを得なかった思想的軍人たち・・・
そんな彼らに掻き回されて破滅へと引き摺りこまれていった日本の悲劇・・・
一般的に言われていることとは違う視点で話が展開されていて面白く、とても参考になりました・・・、
これはオススメ・・・ -
Posted by ブクログ
アジア・太平洋戦争における日本の悲惨なまでの敗北は、第一次世界大戦、いわゆる総力戦に学ばなかったことが原因のひとつという認識であったが、本書では少なくとも第一次世界大戦から来るべき次の戦争が総力戦になることは学んでいた。(→青島要塞攻略戦など)しかし、資源や工業力を持たない日本が、持つ国と戦うには、資源や工業力が無くとも戦える(補給線や多量の鉄量を考えない)速戦速決の殲滅戦とそれを補う無限の精神力が重視された。ところが、そこには顕教(建前)と密教(本音)の二面性が存在した。密教ではいくつかの条件が満たされねばならず、その条件が満たされなかったためにあの敗北が訪れたとしている。
小畑敏四朗ら皇道派は、劣勢な軍隊にたいしては、精神論と速戦速決の殲滅線思考(補給線や多量の鉄量を考えない)で臨み、優劣な軍隊とは戦いを避けることを条件とした。石原莞爾(統制派)は日本が満蒙経済圏を開拓し、資源と工業力を持ってからソ連、アメリカと戦うことを条件とした。東条英機(とそのブレーン)は、何が無くとも天皇の臣民たるその精神力を大いに発揚すれば、どんな相手であろうと勝つことができるとした。
HONZ書評参照