片山杜秀のレビュー一覧
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ネタバレ江戸期に水戸学で確立された国体論(「君臣相和し頭を垂れる」)が第2次世界大戦以後まで続くのだが、その国体論を実践し維持するには必要不可欠な要素があった。「犠牲を強いるシステムとしての国体」の側面だ。国体論が語られる際に表だって言及されなかったが、これこそが無条件降伏をした後でさえも維持しようとした国体を陰で支える要素だった、と片山氏はいう。しかし、この犠牲を強いるシステムはポツダム宣言(から、日本国憲法の制定ももしかして入るのか?)における軍国主義の除去と平和主義の徹底により機能停止される。《みんなで仲間意識を持ち、天皇を愛し相和せ君臣一体となる国体》を維持するには犠牲のシステムが不可欠なのに、「新たな犠牲の論理」を国家が生み出さぬまま戦後の日本は歩んできている。映画「ゴジラ」のように、犠牲は国家が強いるものではなく自発的に行うもの、というのが戦後なのかもしれない。しかし、国体を維持不能にするような装置(=原発)を作り続けている国が、国体を担保する犠牲の論理を成立させずに時計の針を前に進めるというのはどうにもおかしいことではないか?という論調。それはつまり、第2次世界大戦さえもくぐりぬけてきた国体が、今回の原発事故、あるいは今後も起こる可能性のある原発事故によっていずれ死を迎えるのではないか?という予測でもある。
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対米戦争において、戦前の軍部にはざっくりわけると二つの考え方(戦略)があった。 「皇道派」と「統制派」である。
第一次世界大戦以降、戦争は国家間の総力戦となり、兵士の質や戦略の優劣の差は決定的な要因とはならず、国家の商業力、工業力の差が、そのまま戦力比となった。局地戦で勝利することがあったとしても、大局では国力に勝る方に軍配が上がる。ましてやアメリカに対して圧倒的に国力に劣る日本は、どのような計算をしても勝てるという答えを導き出すことができなかった。
アメリカと戦争とはじめたら負けるのはわかっている。しかし、そんな答えを出してしまっては軍部の存在そのものの否定になる。そこで軍部はどう考えたか。
「皇道派」は短期決戦思想。戦争が長期になればなるほど、日本には不利になるため、そのため開戦止むなしとなった場合は、戦争初期において圧倒的な勝利をおさめたのちに、早期に有利な条件で講和を結ぶ。
「統制派」はアメリカとの国力の差を埋めるために、まず大陸や南方方面へ権益拡大を計り、国力を増大させたのち、アメリカとの決戦へ挑む。という思想。
どちらもはっきりいって、幸運に幸運が重なって、更に幸運が重なったら、勝利を手にするというより、痛み分けに持ち込めるかもしれない、という戦略だ。
この閉塞を打破するには、国力では計れない別の戦力(切り札)でもって、戦わなければならない。それが何かというと「精神力」だ。
要するに、科学的なアプローチでは到底対抗できないため、数量化できない精神力という形而上の力を戦力として組み込んだのだ。
「生きて捕囚の辱めを受けず」という言葉がある。死ぬ気で奮戦すれば相手は怯み、たとえ兵装で劣っていても勝つとされた。この考え方から「玉砕」も戦力として捉えられた。死をも恐れない日本兵に敵は戦意を喪失するはずだ。そして厭戦気分が蔓延し、講和の席に着くはずだ、とされた。
悩みに悩みぬいた末に発狂してしまったとしか思えない。
しかし日本はこの「九死に一生を得る」策に賭けてしまった。そして敗戦。
科学的には当然の帰結だった。
実際は「皇道派」「統制派」それぞれが枝葉に分かれてはいるし、また違う派閥もあって開戦に至るまでには複雑な意思決定過程があるが、繁雑になるので省きたい。
総評としては非常に面白く、思想の流れがわかりやすく解説されているので、頭の中のモヤモヤがすっきりした。「負けるとわかっている戦争になぜ突き進んだのか」という昨今よく議論されている問題に明確な答えをだしてくれたと思う。
最後に、こういった本を読むたびに思うことを書きたい。
「戦争回避の道は果たしてあったのか」ということだ。
自分自身あの戦争はしょうがなかったという考え方になってしまいそうで、なんだか怖い。
(この本がそういった思想を助長しているということでは全くない)
この問いに答えてくれる良い本を知っている方がいたら教えてください。
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これが2013年の「この国のかたち」なんだろうと思う。
今思えば大げさだが、大震災の津波の映像や原発爆発の映像をリアルタイムで見たとき、身近な社会に対して感じる自分の中の常識が吹き飛んだように感じた。
放射能を含めた震災に関するマスコミ報道やネット上の誤報やデマで社会の混沌を感じた。
身近な社会に対する不安は、それを取り巻くコミュニティーに対して同心円状に広がって行き、
最終的には国家というシステムそのものに対する不安になる。
そんなことを思い出しながら読んだ。
ゴジラのところは読み飛ばしたけど、
戦前日本の組織論的なところは未完のファシズムを読んでいたので大変素直に読むことができた。 -
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皇道派と統制派それぞれの行動原理を読み解くことができるようになっており、現代から見ると非合理的な行動でも当事者たちの目線に立つことにより理解しやすくなっている。
読み終えた印象として、遠い将来に想定していたはずの対米戦について、互角に戦おうとあれこれ対策をすればするほどアメリカを刺激して開戦がどんどん近づいてしまったというところでしょうか。
またそれまでの固定観念の大勢である「日露戦争に気を良くしてW.W.Ⅰの教訓を学ばなかった」という類の単純化された歴史観とは正反対に近い論証をされていて、大変面白く読むことができた。
逆に総力戦を理解していたからこそ、国力豊富なアメリカを恐怖し、開戦に徹底的に備えたかったのだから。 -
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大論争 この国の守り方〜戦後日本の戦争論〜
日経記事から片山杜秀氏に興味も持ち、本書を手に取った。不安定な世界情勢下、現代人が直面する問いでもある「日本は生き延びられるか?」「反核か核武装か?」「戦後憲法をどうする?」「アメリカは頼れるか?」等々、戦後昭和を回顧するかたちで議論の土台を整えてくれる良書。
まえがきより
一 南原繁と小泉信三で戦後日本の出発点の立ち位置を確かめ、会田雄次と山本七平で先の戦争と軍隊と捕虜体験を振り返り、清水幾太郎と福田恒存で安全保障論議を見直し、石原慎太郎と江藤淳で戦後日本に覆いかぶさるアメリカなるものをいくらか文学的に吟味し、大江健三郎と吉本隆明から第三次世界大戦シンドロームといいますか核時代の想像力に思いをはせる。そういう要領でございます。
不足している知識を補充しながら最後まで読ませる構成力と筆力に驚かされた。特に両論を時代を追って記載していることで、日本という国が「理想」と「現実」、生き残るためにそのバランスをいかにとるか苦慮してきたことがわかる。
最終節、高度資本主義が帝国主義を終わらせる?でAI、斎藤幸平と現在までつなげ、
一 もっともシンプルな問題が最も難しい。人間が生命ある身体であるかぎり、「戦争と平和」は避けて通れない問題なのです。と結ぶ。
これらを踏まえて東浩紀が「平和と愚かさ」で言うところの「一般人が考えない領域をつくること」平時と戦時の線引き、客体裏方的二重体についてなどを思い起こすと味わい深い。
小泉信三 1888年生まれ 57才
南原繁 1889年生まれ 55才
三木清 1897年生まれ 48才
吉野源三郎1899年生まれ 46才
小林秀雄 1902年生まれ 43才
清水幾太郎1907年生まれ 38才
福田恒存 1912年生まれ 32才
丸山真男 1914年生まれ 31才
会田雄次 1916年生まれ 29才
山本七平 1921年生まれ 23才
司馬遼太郎1923年生まれ 22才
吉本隆明 1924年生まれ 20才
三島由紀夫1925年生まれ 20才
石原慎太郎1932年生まれ 12才
江藤淳 1932年生まれ 12才
大江健三郎1935年生まれ 10才
(1945年8月15日時点) -
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「欧州の天地は複雑怪奇」 。1939年(昭和14年)8月、その後の太平洋戦争へと突き進む直前の日本の置かれた国際社会の状況を表す言葉として、当時の平沼騏一郎首相が放った言葉は、今も尚、世界が複雑に絡み合う構造である事をうまく表現した言葉である。この時、日本とソ連、ドイツの三国は欧州、東アジアの其々に様々な火種を抱えていた。ドイツはヨーロッパ西方向に向けた全面的な野心があったし、日本は大陸への足がかりとして満洲国を築き上げたのち、ドイツと挟み撃ちでソ連に対抗する必要がある。独ソが不可侵条約の締結は、そうした反共協定にある日独の関係、日本の国内政治を根底から覆すことになる。現に日本は大陸進出を南方に向けざるを得なくなり、ソ連との間に1941年には日ソ中立条約を締結する流れになる。平沼騏一郎がこの言葉を放って内閣総辞職するのもやむを得ない出来事であった。考えるに国際政治の予測困難さを語る際の象徴的なフレーズとしては「複雑怪奇」は今尚、最適な表現である様に感じる。
現代の様な複雑怪奇に結びつく国際社会においては、当時よりも更に誰が(どの国が)いつどういった方向に舵を切るか、それに関係国がどの様に反応するかは、分かりづらい状況になっているのは間違いない。一国の思惑だけでは何も成就出来ないのは誰もが判っている状況だ。これに唯一反論できるのは、トランプ大統領率いるアメリカだけかもしれないが、それを言い始めると、巨大な軍事力と経済力を持つ覇権主義国家が世界を制する様な話になりかねない。習近平氏の中国もかつての世界に影響を与える様な大中華帝国(圏)を作ろうとしているのかもしれないが。日本はその様な世界情勢の中、バブル崩壊後の失われた30年を経て、再び世界第2位の経済力を持つ国家に返り咲くかと言えば、それは土台無理な話だ。ただでさえ超高齢化少子化、人口減少の真っ只中にあり、10億以上の人口を抱える中国やインドに叶うはずが無い。着実に生活レベルを向上し、平均化されていくなかで国家としての経済力は追い抜かれいくのは間違いないだろう。寧ろ一人当たりの経済力を見なければ本当の経済力は分からないが、それすらも現状では先進国中では下位レベルにある。
その様な状況で高市早苗率いる日本の進むべき方向性、日本の舵取りは、想像出来ないほどに難しいことであるとは容易に想像できる。だから(不安定だから)防衛力を向上しようとしたり、国家としての諜報力を向上しようとする動きには、ある意味仕方ないというか、必要性が増しているのも理解する。但し人気にかこつけて、周辺諸国の理解し難い指導者のせいにして、国民の正しい理解を得ずに急進的に進めるやり方には賛同しないが。とは言え、かつて平沼騏一郎が述べた様に「複雑怪奇」な情勢は今も変わらず続いている中で、日本が将来的にどの様な国家を目指し、今抱えている様々な問題、国民の不安を如何に解消し、現実的なレベルで実現可能な国家施策として打ち出していくか、それを示さなければならない。判っているが問題が多すぎて、国際社会が複雑過ぎて、それも中々難しいことなんだろうと、半ば諦めの気持ちもある。
そもそもいまの状況は太平洋戦争に突き進む、当時の日本の状況によく似ていないか。そうした疑問から始まるのが本書の内容となっている。サブタイトル「昭和10年代に回帰する日本の現在地」とは、正に真珠湾攻撃に踏み切るまでの日本の舵取り(の、不味さ)を分析すると、今の高市政権含む安倍政権頃からの日本の政治状況に近いというのが本書の主張するところである。本書はそれを日本人の政治的思考だけでなく、民族性や天皇制などにまで分析範囲を広げ、2人の政治研究者(かつての教授と教え子という師弟関係)が対談する内容となっている。いまの政治とかつての昭和10年代の政治を歴史的な出来事から比較するだけでなく、日本人の性格、国民性などからも分析することで、これから先日本がどうなっていくのか、最終的に戦争の出来る国になるのか、非常にスリリングな対談となっている。だが最終的には民主主義国家である日本の国民一人一人が真剣に自分の国の未来を考えなければならない点は、これまで様々な書籍で述べられてきたことである。こうした対談に直接的に自分が参加する機会は、恐らく無いであろうが、先ずは自分の考えをしっかり纏めたいと思う(このレビューも纏まりがないので)。 -
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1.日本から「家族」が消滅する日
日本やアジア圏の少子化は「ゾンビ儒教」によるもの。老後の世話と子どもの教育が負担が重すぎ、少子化を招いている。
今後老人はどんどん増えていくため、儒教的な老人支配は強まる一方。親の面倒ばかり見たり老人への支援ばかりしていると少子化は進む一方だが改善される兆しはない(一人一票の民主主義の構造上の欠陥、マジョリティ優先)
フランスは老後の面倒や子どもの教育を国が行っているため少子化になりづらい、移民も多いが。
2.ウクライナ戦争と西洋の没落
ロシアの行動は西欧社会の勝手な価値観(グローバルスタンダード)を世界に押し付けようとしたことへの反発にある。日本もアングロサクソン的なグローバリズムの言説より各国の特殊性を重んじるプーチンの言説に共感するのではないか。
3.トッドと日本人と人類の謎
能力主義社会になってから身分社会以上に格差は広がった。下位のものは上に対して何も出来ずルールにも抵抗できないため自分を攻撃するしかなくなっている。左翼の高学歴エリートは人類という概念を愛しているが、その中に低学歴の労働者層は含まれていないことからより乖離は広がっている。高等教育が格差是認に繋がったことからエリート主義vsポピュリズムという世界になってきている。(アメリカでも日本でも至る所で)
アメリカは巨大な島国、軍事力もあるため侵攻されることがないからとりあえず戦争を吹っ掛けられる。
4.水戸で世界と日本を考える
世界崩壊の前にできることは「考える時間」を与えること。そのためには何もしないこと、いったん立ち止まることが必要。
また、中国は決して覇権国にはならないという意識をもつ。急激な少子高齢化によって、今後十年間で労働人口が大幅に失われる見込み。(まあ、日本もだけど)
「核武装」こそ軍拡競争から身を引くための手段、平和と安全と考える時間を確保するための手段。対米依存から脱却して独立国家としての自律性を確保するための手段ともなる。
5.第三次世界大戦が始まった
ロシアは強い。耐久力。
でも、あと5年以内に決着がつかないとロシアは負ける。
トッドの話を聞くと西欧よりロシアのが正しいのかも、、、となる。まさに世界の見え方が変わる。
これを読んだ今日、まさにアメリカとイスラエルがイランを攻撃した。この行動が正しいとは思えない。 -
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皇国とはその名のとおり、天皇の治める国という意味である。では天皇とは何か。それは古代以来の日本の君主ならびにその称号とあり、遥か古代から日本を統治する王という事になる。その在り方や存在は時代により様々な変遷を辿ってきたが、現在の天皇の定義は1946に公布され1947年5月3日より施行された日本国憲法によれば、日本国および日本国民統合の象徴となる。その役割としては、日本国の象徴として、憲法第1条に規定される通り、日本国と日本国民が一つにまとまっていることの象徴であること。そしてその役割として、国事を行うこと。国事とは国会の召集、内閣総理大臣の任命、法律や条約の公布など、憲法で定められた国事行為にあたるが、ここでは国事行為「のみ」を行うとされており、天皇という役割や立場を利用して(自らの意思だけでなく、他者の影響下に於いても)強大な権力が振るわれることを防いでいる。そして、東日本震災や熊本震災などの際に見られる被災地訪問や各種式典への参加など、私たちに馴染み深く親近感を醸成する象徴としての活動が天皇の役割となる。
この定義や役割が時代と共に変わってきた事は前述の通りであるが、明治憲法下では天皇を国家元首かつ日本古代から続く神格的な位置付けとし、現代の「人間」としての天皇よりは、神の国である日本を統治する存在、一般国民とは異なる神として扱われる。そして天皇の位置付けが時代を反映するという事は、その時代の日本を取り巻く状況や国難とされる課題を色濃く反映した存在である事は容易に想像がつく。本書はそうした天皇を国の象徴とする現代日本に至るまでの天皇に対する国の考え方、存在自体が形成されてきた時代背景や文献を紐解く内容となっている。それを皇国史観として捉える事によって、歴史の流れを掴むことを可能にしている。
先ずは何故天皇を中心とする国家が必要であったかについては、「尊王攘夷」という言葉が表す様に、外国からの圧力である事が大きい。戦国時代を含め、日本の歴史は島国という外から隔離された状況に於いては、内戦の歴史が長く続いた。武士と呼ばれる戦闘を生業とする階級が生まれた様に、勢力拡大と言っても日本国内での争いとなるから、日本という国家を誰が統治するかの争いであり、国時代が危機に晒される事は少ない。数少ない元寇の影響や秀吉時代の朝鮮出兵など幾つかの例外はありながらも概ね内戦の歴史がが続く。江戸時代という長い平和な歴史を打ち破るきっかけとなったペリー来航は、その様な内向きの社会を一挙に外に向けさせる重大な事件であった。日本という国家そのものが、強力かつ最新の技術力を持つ外国勢力によって脅威に晒される。この事態を国を挙げて乗り越えるためには、日本国民の「国を守る」という意識で集約する必要があり、そうした背景から天皇を戴く皇国史観が生まれていく。もっとも、それ以前から天皇は存在していたが、武士勢力の権力保持に利用されるなど単なるお飾り的な扱いであった事は言うまでもない。この様な外国からの圧力は、天皇を中心とした強力な国家を作り上げる必要性を一気に高め、それを思想的に支える根拠が必要になる。その時代に生きた社会学者や権力者などが様々な根拠で天皇を神格化していく事で神の国としての一致団結した国造りが行われていく。その後、明治維新を経て昭和初期に軍国化していくのだが、日本は太平洋戦争に敗北し、GHQ主導によって憲法整備が進み、前述した様な象徴天皇が生まれていくのである。こうして大まかな流れを学校教育の日本史レベル見ていくだけだと、中々その理由や背景を統合的に理解する事は難しいが、本書からはもう少し詳しく思想などからも理解しやすい。近年の平成から令和に移った生前退位などもニュースから得る単語の意味合い以上に重大な出来事だった事がわかる。先ずはもう少しだけ歴史を深掘りし、理解を深める事で今後の女性天皇含めた議論も把握しやすくなるだろう。 -
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昭和100年ということで、昭和元年=1926年から現在に至るまでの歴史を、日本・アメリカの関係性を軸に辿っていく。とはいえ当然昭和に至るまでのバックボーンもあるわけで、対話の中では時には明治維新頃にまで遡ったりもする。
歴史は好きなのだが、近現代史は全然面白みが感じられなくて学生時代~20代の間は全然頭に入ってこなかった。
それが30代になって、物事の是非が分かるようになり、自らの生きる世の成り立ちを遡る中で、近現代史の複雑に絡み合った経緯を紐解くことの重要性や面白さにようやく気付いた。
私は昭和の末期、63年生まれなので、昭和の記憶などない。人生の大半を平成に生きてきた身からすると、昭和は古い写真やドラマやドキュメンタリーの中の世界だったが、連綿と続いてきたその長い期間は間違いなく私が育った平成の土壌であった。
断片的だった私の各種知識経験、親世代、祖父母世代の話や、歴史の授業や、小説や映画や漫画などに登場するシーン、そして今の世の現状という各点が、網の目のように結びつく感覚を本書で得た。
歴史を辿ると、基本的にはイベントを挙げる形になる。
これまで聞いたことのなかった○○事件というようなイベントが多く有り、そうした細かなイベントが、歴史の全体像という大きなポスターを壁に留めるピンのような役割を担っている。
私の記憶に新しいイベント、大きなものだと東日本大震災や秋葉原通り魔事件やトランプ大統領の就任や暗殺未遂、安倍さんの暗殺など、印象的なイベントはいくつもある。こうしたイベントが散りばめられて、歴史は続いていく。
後の時代にこの小さな一つのピンがターニングポイントになるのか。そうした視点を持って社会を日々生きてくと、生活自体が歴史になり、私自身が歴史の登場人物であることを実感できる。決して歴史を左右するような影響力はないけども。
トランプ、プーチン、習近平という厄介なキーパーソンに翻弄されている昨今、どうもネガティブで悲観的になってしまうが、本書最後に片山氏が投げかけ、佐藤氏が答えたヒントからは自信を得られた。新カント派、目を向けてみようと思う。 -
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「先づ労銀の引き下げを策し、労銀の引き下げの為には先づ食料品の引き下げを行なふのが順序」
日本人の国体に対する愛着というか執着は相当で、ポツダム宣言を受け入れるかどうかの判断においても、日本の国体が維持できるかどうかを気にしていた。国体とは天皇を頂点とした制度体制のことで、敗戦によって国体はついえたかというと、母が皇族ニュースを見ていたり、日本人の天皇家に対する好意を見ると、未だ国体は残ってる気がする。これは天皇が謙虚な姿を続けているからだと思う。
日本の軍人はは敗戦後の東京裁判で、空気に抗えなかったというような証言をしたそうな。戦局が日本軍に不利になった際には、ポツダム宣言を受け入れるという意思決定がなかなかできず、天皇に判断を仰いだ。空気によって開戦したけど、敗戦を受け入れるという空気はなかったようだ。最終的に、意思決定をさせてはならない天皇の判断を仰ぎ、ポツダム宣言を受け入れた。
明治期の政府は組織構造的に権力が分散しており、お互いが牽制しあうような硬直した組織だった。これは平安時代の摂関政治、江戸時代の大老のように権力が下に流れるのを防ぐためであった。日本的と言われる、みんなで意思決定するという習慣は、ずっと昔からの風潮といえる。
この権力の分散が適切な意思決定をはばんだ。国の死に方とは、非常時に迅速で適切な意思決定できない統治機構ということである。
組織同士いがみあい対立し機能しない政府において、元老という天皇の一声で生まれた超法規的な役職が調整を担っていた。権力を分散化した結果、例えば、帝国陸軍での陸軍と海軍の対立などが生まれ、平時はいいが非常時に適切な意思決定ができなかった。このような、硬直した統治機構だからこそ、暗殺による変革が頻発していたんだろう、日本も昔は暗殺が本当に多かった。 -
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この本は、トッドの大作『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』を読むための入門本と冒頭で紹介されているけど、それ以上の面白さ。
前述の大作の面白いところをギュッと紹介してくれるだけでなく、現代社会の抱える様々な課題や疑問を家族制度の観点で説明するところにフムフムと読み入ってしまう。
ところどころに見える刺激的なフレーズがまた良い。
意図的に極解した切り取り
■日本やドイツは長男を頭とする直系家族社会。英米の核家族社会とは根本から異なる。
■日本は長男が家を継ぎ、老いた親の面倒を見て家が社会福祉を担った。英米は成長した子は親元を離れ、老いた親の面倒は社会税制が担った。
■日本が硬直化しやすく、英米が変化への対応が速いのは家族制の違いにルーツがありそう。
■大学はいまや人々をランク付けする不平等製造マシン
■宗教は死につつあるが死に果てていないゾンビ
■米国の地政学的基本スタンスとは「我々は正しいし負けない。大西洋と太平洋があるから侵略などされない」
■英米の正義とは絶対正義ではなく金にモノをいわせた訴訟による。米で裁判に負けたら広い国土のどこかに行けばいい。
■米の国土は広いのだから、地道な農地改良や資源節約などそもそも馴染まない。米国な旺盛な個人消費とは、長年培われた浪費主義だ。
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いわゆるバロック音楽の後から現代音楽までのことを言うクラシック音楽は、西側キリスト教圏の音楽であり、西洋の時代と切っても切り離せないものであった。いわば時代を表したもの、ということを詳細に歯に衣を着せぬ物言いで語りつくしたのが、この対談だ。バッハあたりからシュトックハウゼンぐらいまで、個々に取り上げている。結構下世話な話も。確かにねえ、時代から離れた人間の活動はあり得ないからねえ。どんな音楽も、その背後にはそれぞれの「絶対倫理」がしっかりと張り付いている、なんて言われると、もっともでございます、でもなんか怖い、いやうーんそんなもんかなあ、と思ってしまう。いちいち音楽を聴くのに、その背後の絶対倫理なんて気にしていられるかってもんよ。でも、話としては面白い。それにしても、なんらかの倫理から自由な音楽ってあり得ない?ないよなあ。
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オーディブルで
エマニュエル・トッドの著作は以前いくつか聴いたことがあるのだが、これは「我々がどこから来て、今どこにいるのか?」の邦訳の出版後に、それを読み解き、さらにはその後の特にウクライナとロシアの情勢を受けての世界の現状をどう考えるかについて、トッド氏と、片山杜秀、佐藤優両氏の対談、トッド氏についての片山、佐藤両氏の対談、フィガロ紙のトッド氏に対するインタビューなどなどを載せている。基本、対談やインタビューがベースのものなので、わかりやすいものになっている。
「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」もオーディブルに入っているので、聴こうと思っていたが、こちらはちょっと気合を入れないと難しいかな?
次は「西洋の敗北」から聞こうかな?