加賀山卓朗のレビュー一覧
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ネタバレディケンズは中産階級の底辺から這い上がった。安サラリーマンだった父はお人好しで経済観念がまるでなく、一家は路頭に迷う寸前まで行った。少年ディケンズは教育らしい教育を受けられず、12歳で靴墨工場で働き、これをかなり屈辱的体験だと捉えていた。これはのちの『デイビット・コパフィールド』に反映されている。
やがて事務員として働きながら速記術を学び、記者として新聞や雑誌に記事を寄稿し始める。的確な観察を記事にまとめる際、ユーモアとペーソスをたっぷり交えて記述するのが得意だった。
ディケンズは飽かせぬ天性のストーリー・テラーだった・ただし、小説のプロット構成が巧みだったのではない。
全体の構成がバランスを欠いていたり、気になるところがあるが、部分部分を面白く仕上げることは抜群であった。 -
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ネタバレ※クライヴのことしか話していません※
クライヴとかいう男を生きたまま熊の体に縫い付けて火を放って燃やしたい!!!!!!!!!!!!!!!!!
(※ミッドサマーを視聴していた)
ミッドサマーのクリスティアン以上に胸糞男だった。
とりあえずクライヴのせいでお腹を壊した。
おっとりして人畜無害だがスポーツマンのモーリスは自分の性的指向に気づいていたけれども、その性格のせいで「自分は同性が恋愛対象なのだ」とはっきり意識することができなかった。
聡明であらゆることに鋭敏なクライヴは早々に自分の性向に気づき、苦しんで自分を抑圧することに慣れてしまっていた。
当時イギリスでは、同性愛は犯罪とされていて、社会通念上(「キリスト教社会の中で」って言葉は使いたくない。調べたらいまキリスト教圏で同性愛の可否は盛んに議論されているホットな出来事だからだ。ローマ教皇が同性愛感情を認めたり、同性愛者の牧師がいたりする。非常に微妙な言葉になるからだ)、同性愛というものは神が認めない忌むべき悪行とされていた。
そんな二人が出会い、おずおずと愛情を育んでいく。モーリスは自分に自信がつき、クライヴは孤独ではなくなった。この時期、クライヴのほうが恋に盲目といってよく、おっとりしたモーリスのほうが「自分たちは結婚しないので子供ができない」と気づいているのに、未来のことを考えることはなかった。
ところが、ある日、クライヴは自分が女性を愛せることに気づく。モーリスとの関係は彼の心の中で急速に色あせていく。
それはいいんだ。そうだよな恋の終わりって。
ただ、そこからが我らがクライヴ様の本領発揮。
彼は「かわいそうなモーリス」の「親友」として、同性愛傾向のある彼を心から心配し、結婚して幸せな自分と同じように「結婚」して欲しいと願う。
かたやモーリスはクライヴに拒絶されてから、自分はどこかおかしいのではと自殺を考えるほど悩み、同性愛の「症状」を記録して医者に通っているというのに。
クライヴも過去、小さい頃から同じように悩んだ人間として、モーリスの精神的危機がわからないのか、と唖然とした。
さらにクライヴの嫌なところは、あんなことがあったモーリスとすっぱり縁を切ればいいのに、切らないところだ。
それは振られたのだから、モーリスにとっては、クライヴの幻影がところどころでつきまとうことは仕方がない。時間をかければ同性愛云々はさておき、ゆっくりと失恋の痛手は癒されるはずだった。
けれど、クライヴとてあれほど愛した人を振ったのだから、二度と連絡を取らないくらいの覚悟と潔さは必要だろう。
なのに「友」でありたがる。モーリスを導きたがる。わざわざ「親しかったけれども」「親友ではなかった」と妻に言い訳するかのように、結婚を報告する際の友人リストでは、モーリスを「八番目」におくといった芸当もする。
本当に生きたまま熊の体に縫い付けて火を放って燃やしたい。おう。殺意しかわかなかった。これほど殺意しかわかない登場人物に会ったのはかなり久しぶりであり、フォースター御大がいかに文豪かということを物語る。
だが、と考える。
これはモーリスが、前半はクライヴ、後半はスカダーと出会い、「自分の性」を自覚しそれを受け入れ成長していく物語である。
本来ならばクライヴは前半のみ、パイデラスティアー的同性愛によって、モーリスの性的指向を自覚させてくれた「先輩」としての立ち位置で済むはずだ。後半にしゃしゃり出る必要は一切ない。
ましてや、実業家ではあるが自分のありように苦心して人として成長するモーリスと、政治家として成功しつつあるも、権力と学歴に固執し教条主義に陥り、凡庸になっていくクライヴの物語として描く必要はない。
御大が一番描きたかったのは物語の影=クライヴなのではないか。
ケンブリッジにいたころのクライヴは「成長」しようとしていた。自分を肯定してくれる存在を得たかったからだ。プラトンもなんでも読み、ついには無神論者になった。
けれど、モーリスと恋愛をして、彼は完全にモーリスに肯定される。
自己を肯定してくれる存在を手近に得てしまった時、クライヴは気づいている。同性を愛する自分は神に呪われた存在で、自分の言葉で愛するモーリスが神を否定してしまったこと、同性愛という堕落した行動にモーリスを導き、ついにはその純潔をうばいかけたことを(※クライヴ、プラトニック愛を求めていたのではなく物凄い我慢していたんだろうなとこのくだりを見て思った。行為を行えば言い訳ができない。オスカー・ワイルドと同じく牢屋に入れられる。自分どころか愛しい人が)。
同性愛禁止が不条理である世の中であれば「そんなの大したことないじゃん」といえるが、現代でわかりやすく例えると、この「同性愛」を「罪」に置き換えてみたらクライヴの気持ちがわかるかもしれない。
法曹を目指すほど高潔なクライヴは最愛の人を罪に陥れかけたというひどい罪悪感に竦んだのだ。
弁護士が殺人教唆をした、——そんなレベルの気分だったかもしれない。
さらに、モーリスは、自分がデートに誘ったせいで停学処分になってしまった。クライヴはヒステリックなほどこれに反応するが、モーリスは従容として停学処分を受け入れる。もともと罪深いと思っている自分の恋は相手を停学に追いやる類のものだと知った時のクライヴの衝撃はどんなものだったろう。
モーリスの母親から「そうあることとそうあるべきことは違う」といわれたときのクライヴは「そんなことはない」といって気絶しているが、何を考えただろう?
しかも、憧れていたギリシャへ行き、そこが「ヨーロッパの火薬庫」と化していたため荒廃していたことを知る。そう、クライヴの憧れたプラトンの世界はすでにそこにはなかった。
折良く(モーリスには折悪く)、自分が異性も愛せることに気がついたクライヴは自己欺瞞を始めたのだと思う。
かつての恋人を「親友」ということばで塗り、その激しい愛情の一つ一つを「親友という暖かな光が自分を照らしてくれた良い思い出」に書き換えていく。
親友との愛の行為を、「行き過ぎた戯れ」として脳内で処理する。
愛情を過度に卑小化していく。
そんなレベルのものではなかったはずなのに。
直接語られてはいないが、振り返れば、クライヴは法曹を目指していて鋭敏な分、はるかにモーリスよりも考えてしまったのだろう。
「ラボーチャー修正条項」について。
もともと同性愛行為はイギリスにおいて死刑であったが、それを修正したのがこちらの「ラボーチャー修正条項」だ。だが、それも鬼であり、同性愛行為を働いたものは死は免れるが無期懲役となる。オスカー・ワイルドやアラン・チューリングを苦しめたのがこの「ラボーチャー修正条項」だった。
自分とモーリスを「親友」にしてしまえば、「ラボーチャー修正条項」にひっかからないのだ。クライヴはモーリスを罪に陥れずにすむ。
おっとりしていて物をよく考えないモーリスより、賢くて敏感なクライヴは恋心を抑圧し記憶を塗り替え、自己欺瞞をするしかなかった。
「モーリスの妹」で「女性らしい」エイダとの恋が叶わないと知った後は、モーリスとは全く違う女・アンを妻にして溺愛する。(※ちなみに妻と性的関係を持っていないと受け取れる描写があり、精神をぼんやりさせておくのは結婚生活で学んだという、そもそもそのアンを人として尊重していないかのような描写もある)
自己欺瞞をし続けると人格は腐食しつづける。世間体を気にし続け、虚栄と妥協の産物と化す。
一方で、モーリスは、スカダーという幸せを手に入れたことで、破滅は近くにいつでもあるけれどもおっとりと、穏やかな好ましい人格のまま生きていく。
自己欺瞞をすると、大切なものどころか元あった輝かしい自分自身も失ってしまう、という作品だ。
ただ、たまにクライヴの自己欺瞞は崩れる。クライヴはモーリスが不調の時はベッドに腰掛けて寄り添い、彼が「結婚する」と言ったときには視線を床に落としている。モーリスの指先に口付けて、モーリスにも口付けをせびっている。
そして最後。
スカダーとモーリスの関係を知ったときのクライヴの自己欺瞞の崩れ方は、この物語を読んできてよかったと思った。
恋を友情と偽り、記憶を塗り替え、親友を精神崩壊寸前にまで追い詰め、それでも愛した人を罪に落としたくなかったクライヴに対する報いはコレなのだ。
クライヴには運命の恋だっただろう恋を友情と偽り、記憶を塗り替え続けながら、モーリスの不在を抱えて死んでいく。
でね。クライヴが酷いぶん、モーリスが全然憎めないあほかわいい奴で善意の塊なのが良いのですよ。スカダーくんと幸せになれよ。
フォースター御大があとがきで「判事であるクライヴが同性愛者のスカダーを裁くとき、モーリスは罪をまぬがれるかもしれない」ということを言っていた。
これにつきる。
同じ男を愛しているのに上流階級か労働階級かで罪の重さが分かれる話でもあり、クライヴとしてはスカダーに対し自分の体面を汚された屈辱感と怒りで無期懲役にしたいだろうし、クライヴの心に去来するのは愛する人を罪に陥れたくないという気持ちなのだ。 -
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「あらゆる決断によって新しい未来をひとつ作る、他の未来を全て潰して」
随所に、なかなかの哲学的な名言が刻まれている。
一九六三年十一月ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件は、ミステリーな点が多くフィクション、ノンフィクションとも数多くの作品が世に出ている。
この小説は、事件の謎解きではなく、事件によって人生が動き出した人々の物語。
追う側、追われる側、それに巻き込まれる人たち
疑心暗鬼の中、それぞれにドラマがあり、人生が動き出す。
それは、先に確かなことなど何ひとつないドラマ……
登場人物が魅力的で、ラストを読み終えたあとの余韻が映像的に残る。
わたしには、シャーロットの撮ったギドリーの長い影だけの写真がエンドロールとともに……ほんと、良いドラマでした。 -
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この作品の不思議なタイトルを見て、不思議に思ったので、まずはネットで検索してみたのだが、『死ぬまでにしたい100のこと』『死ぬまでにしたい10のこと』がヒット。ミステリーではないみたいだが、ドラマ化されたり、推奨行為として実践されたりしているようである。本書を読むまで、死ぬまでにしたいことのリストアップをぼくはちなみに考えたことすらない。
でもこの物語の少女は、『死ぬまでにしたい3つのこと』のタトゥーを片腕に入れてから、しっかりと行方不明になってしまったそうである。本書のこのタイトルが気になる方は、その意味ではぼくの疑問に回答が得られたや否やを、読むことで探り当てて頂きたい。
個人的なことだが、実はこの直前に読んでいたノルウェー・ミステリーが、現在とその60年前の過去を往復するという叙述だった。続けて手に取った本作も、現在と10年前とを往還してゆくミステリーであったので、その偶然に驚いた。その上、実はこの形式は、かなりぐいぐい読める。つまり恐るべきリーダビリティを発揮する、一つの特異な手法なのではないか、と今のぼくは思っている。さほどに両書は、読まされてしまう面白さ、という一点で括られてしまった。
スウェーデン、ノルウェーと進んで、ここでまたスウェーデンに戻るという、これまた個人的な北欧ミステリー週間である。そこに特に意図はなく、たまたま北欧ミステリー好きだから。そしてその期待を裏切らない北欧ミステリーである。初めて出会う作家たちの作品も、総じて優れているところにあると言える。
本書は、二人の若手作家のデビュー長編ということである。不思議でならないのは、これだけ連続性のある面白作品を、どうやって二人で書き紡いでいるのだろうか? そんな具体的、かつ詳細への疑問だ。どちらかがアイディアやプロットを考え出し、どちらかが文章化するのだろうか? それとも、、、。
両作家ともピエテルというファースト・ネームで、小さな同じ町に育った幼な馴染みで、驚いたことに、10歳のときに二人で初めて犯罪小説を創作したそうだ。さらにモリーンは大学でジャーナリズムを学び、ニィストレームは俳優・脚本家として活躍していた、云々。ううむ。
さて、本書は潜入捜査官としての主人公ジョン・アダリーの2019年の叙述から始まる。『三秒間の死角』を思わせるスリリングな潜入捜査とその後の負傷と治療。保護プログラム適用という新しい人生のスタートに向けて、緊張感のある状況が伝わってくる。
一方、十年前の2009年に娘が行方不明になった夫婦の状況が、父親ヘイメル・ビュルワルの主観で語られる。さらに第二部以降、二つの時制は合流し、同じ時代に二人の主人公目線でストーリーは続いてゆく。どうも妻であり企業主であるシセラとの夫婦仲や生活バランスにも問題がありそうだ。
十年前の事件の再捜査に当たるジョンは故郷スウェーデンの町の警察署に入り、名前を変え、正体を隠しつつ、実は前述の少女失踪事件の容疑をかけられている実弟の事件を探りたい。しかも保護プログラム下で命も狙われつつの仮面捜査。直前の潜入捜査後のトラウマ(PTSD)により心身がズタズタで、時折り危険な発作に見舞われるという彼の内外の状況もまたスリリングである。
物語設定が面白さのすべてなのだが、読みどころは、やはりストーリーテリングの上手さに尽きるという気がする。多くのスリルや謎立てが先を追い立てる。ページを繰る手が止まらない。現在と過去の複層的な繋がり。ジョンとヘイメルの複雑な境遇や、心理的葛藤も、作品の世界設定に厚みを加えているかに見える。何よりも、幾人もの犯人像が浮上しては決定しない状況の連続。真相が常に、さらに深い、手の届かないところへと逃げてゆく感じは、まるで逃げ水みたいだ。歯がゆい感覚。
だからこそ、なのだろうか? 最後の最後も、事件解決時のすっきり感に増して、人間の弱さやエゴを事件が剥き出しにさせたことでのやり切れなさ、のような後味が残る。ジョンの運命は? そう、今後もまた一筋縄では行かないだろう。シリーズ次作は、本年スウェーデン語で刊行予定ということらしいなの。日本語でも近々、再会できるときが来ると思う。
ちなみに、プルーフ本はよく頂いたことがあるけれど、ゲラ稿に応募して読ませて頂くのは初めてである。発売前に読ませて頂いたので誠意を込めてレビューさせて頂きましたが、至らぬ点はどうかご容赦あれ。
それにしても死んだ少女の腕に残された死ぬまでにしたい3つのこと、いったい何だったのだろう? -
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これに満点以外を付ける人の気持ちがわからない。
それくらいには衝撃を受けた作品だった。
上巻の200ページくらいまではひたすらイングランドの田舎での貧乏な暮らしの細かな描写が続き、正直退屈していたが主人公がある人物の家に招かれてから興味を惹かれ出した。
そのまま導かれるように下巻を読み進めるとディケンズの魔力に取り憑かれることとなった。
上巻で描かれていた(私が退屈だと感じた箇所含め)ことが、見事な伏線となり丁寧に少しずつ回収されていく。こんなことされてはページを捲る手が止まらない。
本作は大きくミステリーとジャンル分けされているようだが、文学で表現出来る様々な要素が入り組んでおり、読み手によって感覚は別れるだろう。いずれにしろ本作が歴史的マスターピースであるという事実は揺るがない。 -
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途轍もない実力を備えた作家に出会うと、ぼくはいつも少し興奮してしまう。それほどの掘り出し物の作家は、毎年のようにあちこちで見つかるわけではない。数年に一度、いや十年に一度くらい火傷しそうなくらいの印象と熱とを伴って唐突に眼の前に現れるのだ。
ぼくがこの作品を手に取ってすぐに感じたのが、そのような感覚であった。おお、来たぞ、来たぞというような震えが走る。翻訳小説であれ、この手の文章によるグルーブ感は感じられる。素晴らしい文章であり、言葉の流れであり、行間を流れる時がガラスの中を落ち行く砂音を確実に伝える。
題材はジョン・F・ケネディの暗殺事件。主人公ギドリーは、組織から依頼を受け、暗殺者が逃走用に使う車を用意してしまったことを知る。さらにその車の始末を命じられるが、関わった者たちが次々に不審死を遂げてゆく情報を掴んで身の危険を感じ、状況からの脱出を図る。
一方、写真館に勤めるシャーロットは、働かず浪費を繰り返す夫に愛想をつかし、ルート66を、西に向かって旅立つ。個性的な二人の娘を連れて、急激な心の変化で。考えるよりも先に行動を選択してしまった主婦の運命が本筋に交わってゆく。
さらにサイコとも言えるプロの殺し屋パローネは、黒人少年セオドアという運転手とのコンビで、ギドリーを追い始める。
以上、シンプルなトライアングル・ストーリーが、ルート66を疾走し始める。大好きなロード・ノヴェルが慌ただしくスタートする。三つ巴の運命は、大きな川の流れのように蛇行してうねる。それぞれの人間がとても深く描写されつつ、スリリングな緊張を保ってゆく。文章は、秀逸で、リズムが横溢している。煮詰まり行くストーリー。それぞれの出会いと、決着への興味にぐいぐいと引っ張られてしまう。
案の定『このミス』6位の評価を得た作品。ぼくは自己3位とした。『ガットショット・ストレート』という評価の高いデビュー作以前は、『ニューヨーカー』で作品を採用され、文学作品やシナリオライティング、文芸創作の教師などの仕事に従事していたらしく、ミステリー・ジャンルで花開くまでの下地を作る助走路は十分に長かったようである。なるほどの筆力である。
ぼくはそもそもJFKを題材にしているというだけで興味を覚えてしまう。映画『ダラスの熱い日』のラストシーンを覚えておいでだろうか? 事件後に不審死を遂げた関係者や目撃者の実際の写真がずらっと拡大され、これだけの関係者が数年内に死亡を遂げる確率は数千分の一とか数万分の一(記憶曖昧、失礼!)であるといった字幕が流れ、事件後の証人不在工作の徹底度を伝えて終わる。その衝撃をこのストーリーの基盤に据えた、暗黒組織の存在が非常に怖く、現実と繋がっている感覚が否めない。
そんな歴史的な悲劇を潜り抜ける中で、冒険と恋愛と生命の逞しさとを登場のたびに表現してくれた一主婦シャーロットの存在に、ぼくとしては大きな喝采を送りたい。 -
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「ガットショット・ストレート」を
読んでからの二作目
直前に読んだ「キャサリン・ダンス」にも出てきた「雨が降れば、土砂降り」と言う言葉がこちらの話にも出てきた…謎
舞台は1963年
ボスのある秘密に気づき追われる身となった
マフィアの幹部ギドリー
それを追う同じマフィアの幹部(殺し屋)バローネ
そして、全く関係のない。ダメな夫に別れを告げ、子供二人と犬をつれて新しい生活探しの旅をする主婦シャーロット
三者が交差する。
前作にもあった「追う」「追われる」の読み合いの面白さアリ
他のマフィアのボスや殺し屋と行動を共にすることになる黒人の少年とのやり取りとか、会話が楽しい。
表紙は読んだ私は納得できるのだけれど、全体的に暗くタイトルもあってか読む前の印象は暗い話なのかと思っていた。
そんなことはなく、前向きな変化に向かって人生を転がそうとしてる人物達が生き生きとしていてよかった。見た目で損してる気がする。
なんとか私も、11月中に読めた… -
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ネタバレ6つの愛の形があることを知っているだろうか?いやほんとはもっと多いのかもしれないし、少ないのかもしれない。ひょっとしたらそもそも愛って何という問題にぶち当たるのかもしれない。
それでも人間は6つの愛の形を持つ可能性があると知ることは、これから先の人生で愛の問題に取り組むに当たって何らかのヒントになりそうだ。
ギリシャ思想の中では愛は「エロス(性愛)」「フィリア(友愛)」「ルードゥス(遊び)」「プラグマ(成熟した愛・情愛)」「アガペー(無償の愛)」「フィラウティア(自己愛)」の六つに分類され、昔はそれをそれぞれ異なる人と満足させてきたが、現在ではすべてを一人の人で満足させようとしている。
結婚前と結婚後と変化する妻への愛へ。子供への惜しみない愛。人間としての無償の愛。1人の人間に固執することはないわけで、まわりの人たちと、時間による変化も伴いながら、どんな愛をどう育んでいくべきなのかを考えていくことができる。
その他の章、愛、家族、感情移入、仕事、時間、お金、感覚、旅、自然、信念、創造性、死生観など、普遍的かつ真剣に解明すべき人生の問題について、歴史や物語にヒントを得つつ考えさせてくれる良書。 -
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ネタバレやたらと海外ミステリが並んでるエジンバラの本棚で見掛けて、密室講義だけ読んで満足していたのを思い出しました…はい…
有名すぎて、観てないのに見た気になっている映画、ドラマ、アニメとかありません?
〇〇を観ずしてSFを語ることなかれ、とか
✕✕を読まずしてファンタジーを語ることなかれ、とか
そう云われるとじゃぁお前何を語れるんだい、ということになってしまうんだけど(スターウォーズは観てるからSFは語っていいの? ガンダム好きならSFは…いやそれは語っちゃダメだな…)、
こればっかりは、
三つの棺を読まずして、密室ものを語るなかれ、と云わしめる力があるな、と思いました。
トリックの力であるとか、その語り口、見せ方はもちろんなのだけど、何よりも密室やミステリというものに対する態度、矜持? 気の持ちよう、というか(笑
あーこういうのを金字塔って云うのだな、と納得。
そういう部分を別にしても、プロットとそれを劇化するプロセスと展開と、長編を読ませる個性とウィット。
素直に☆5です。 -
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【罠にかかると知りながら】『寒い国から帰ってきたスパイ』,『テンィカー,テイラー,ソルジャー,スパイ』等の至極の諜報小説で知られるジョン・ル・カレが著した回顧録。自身も従事したスパイとしての活動から父親への葛藤した思いまで,謎の多かった著者の半生が明らかになっています。訳者は,推理小説の翻訳でも知られる加賀山卓朗。原題は,『The Pigeon Tunnel: Stories from My Life』。
極端に言えば,ジョン・ル・カレの小説をまったく読んだことがなくても十二分に面白い作品(ということは読んでいる場合は言わずもがなです)。描かれる内容そのものが興味深いのはもちろんのこと,その叙述の仕方がスパイの世界「らしい」陰影をもたらしており,読む者をつかんで話しません。
〜詐欺師と詐欺師が顔を合わせれば,どちらもしまいに相手が悪いとなじるものだ。〜
これを読んでしまったらジョン・ル・カレの小説に足を踏み入れざるを得ないでしょう☆5つ -
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原題は”Too Big To Fail”。「私は世界大恐慌の研究者として人生をすごしてきました。歴史から判断しても、いま大胆な行動をとらなければ、ふたたび恐慌が訪れるでしょう。そして今回は以前よりはるかに、はるかに深刻なものになる」(ベン・バーナンキ、下巻、P.279)と言われた2008年9月の数週間のドキュメンタリー。
内容は関心あればお読み頂くとして、一番重かったのは、責任を負っている人ほど負っていない人に対して我慢しなければならないということだ。「山のようにある悪い選択肢のなかでは、いちばん現実的な解決策」(同、P.370)は政治家、マスコミに袋叩きにされる。事態が解決しなければ被害を受けるのは実は叩いている当人たちなのだが、それに気づいていない。こういう場面で人々を説得することはプロ同士の交渉よりも難しい。
貪欲で我が強く同時に献身的で異常なまでに仕事熱心、こういう多義性をもった人々を単純に「悪党」よばわりするのもメディアなら、彼らの成し遂げたことに光を当てるのもやはりメディア、ということで本書の著者はNYタイムズ紙の熟練記者。彼は末尾でセオドア・ルーズベルト大統領の言葉を引用する。「重要なのは批評家ではない・・・名声は、現に競技場に立つ男のものだ。・・・万一失敗に終わっても・・・勝利も敗北も知らない者たちと同じになることはありえない」(同、P.430)。
リーマンの経営者がワシントンで開かれた公聴会に呼ばれる。議員・有権者の罵声を浴びる中、弁護士に用意させた原稿を突然とじて即興で語った言葉。
「私は毎晩目を覚まし、何かちがう方法があったのだろうか、と自問しています。あのときの会話でほかにどう言えただろうか。自分はどうすべきだったのだろうか。そうやって、毎晩毎晩わが身をふり返っています。」(同、P.380)
スケール感や重さは人それぞれでも、仕事を真剣にやるというのはこの悔恨と日々向き合うこととほぼ同義なのではないだろうか。