宇野常寛のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「ラーメンと瞑想」に続いてこちらを読んだ。発売順は逆だが。エッセイ部分は相変わらず面白い。オリンピックやコロナ禍期間の宇野の活動については興味深かった。オルタナティブオリンピックはなんとなくプラネットで発表してるなとは思ってたがしっかりとは見ていない。
このような代替案を提示する形で体制に抗い、社会を変えようとする姿勢は「志や良し」なのだが、いかんせん宇野自身あるいは宇野の考えに賛同したチームの社会への影響力がそれほど大きくなく、この試みが世論を巻き込んだムーブメントになり得なかったのは残念ではある。
このプロジェクトを東浩紀や荻上チキ、落合や成田などの日本の批評界隈・IT界隈フル動員でおこなっていたら、もう少し世間へのインパクトはあったかもしれないが、その旗振り役は宇野ではないのだろうなとは感じた。結果的に今の宇野(チーム)の限界を露呈してしまってる感はある。
本の中盤の文芸批評の部分は、正直解釈はどうとでも書ける部分があり、一人の批評家の感想の域をでない。そういう見方もあるよね、と一定の距離をとって読むのが読者としては正しいかと。 -
Posted by ブクログ
難しくて読み切るのが大変でした。小杉湯やムジナの庭など「庭」の具体例は興味深く読みました。中盤くらいから面白くなってきて、庭の概念を理解できたと思ったら後半「労働・制作・行為のアップデート」という新しい視点が登場し、論点が再び拡散したように感じ混乱しました。結局この資本主義で承認・評価から逃れられない現代において、「庭」の機能が評価されて生活に実装されていくことには現実的に難しさを感じてしまいました。
ただ、秋葉原無差別殺人事件の山上のような孤立した「無敵の人」を産み出さないために、ゆるく繋がり「排除しない」多様な人間活動が可能な場所としての「庭」の必要性には納得させられました。 -
Posted by ブクログ
批評家、宇野常寛のエッセイ。
友人と、毎週水曜日に、ランニングをし、全力で食事をしたあと、瞑想するという、変わった習慣を持つ男たちのエッセイ。
まず、冒頭。ラーメンという食べ物は、否が応なく、会話を中断し、目の前の丼に向かい合い、孤独に食事をすることになる、それゆえに、食事という行為そのものを楽しむことができる。この導入が非常に良かった。
そして、これは極めて動物的な行動であり、その間に獣になる。それは、瞑想し、世界と一体化になることに、極めて近い行為で…というような形で、小難しい理論が展開していく。
そうした話も、興味を引くのも多々あったが、やっぱり自分がこの本で好きなのは、美味しそうな食事を独特の感性で描く文章たちだ。定食を小宇宙と評したり、とにかくユニークで、読んでいて面白い。
あと、さすがにT氏が変人すぎる。こういう人と友達になりたいなと思っていたのだけども、とてもじゃないが自分には無理そうだ… -
Posted by ブクログ
ダイエッターになり、ストイックな生活を送る宇野さんが、ランニングをした後は思いっきりご馳走を食べる。
美味しいものを食べるために、かなり厳選してお店を選び、メニューを選ぶ。
そのときの宇野さんの眼はきっと獲物を狙うハンターのそれなんだろうなと読んでいて感じました。
食レポも美味しさが伝わってきて、読ませられます。
そして、いつもランニングを一緒にするTさんの存在がまた独特でとても良い相棒だなと羨ましくなります。
「恐れと悲しみの中を生きるもの」と自己規定をするTさん。どこでも結跏趺坐で瞑想しちゃうTさん。ヨウジヤマモトでバシッときめるTさん。ルクレティウスやダンテの詩を愛するTさん。合気道をするTさん。娘に中二病と言われてしまうTさん・・・。キャラクターが際立ってます。
・・・ラーメンとは獣の世界、瞑想とは神の世界との接続・・・
本書は、二人が獣の世界と神の世界を行ったり来たりしながら、さまざまなことを語りあう小説のようなエッセイなのですが、羨ましいなと思ったのは、美味しいモノばかり食べてていいなとか、二人の友情?についてもそうなんですが、二人の人生の主軸が、食事と読書、鍛錬、瞑想に重きを置いているところです。
宇野さんやTさんの同世代の者として、なんというかちょっと理想的だなと感じました。
帯にもあるように、クスッと笑えて、考えさせられて、お腹が空く、そんな本です。 -
Posted by ブクログ
公共空間としての「庭」の概念を広げていくとことによる社会の可能性というコンセプトに惹かれて読んだ。
社会/人とのコミュニケーションだけではなく、モノと人とのコミュニケーションや出会い(?)に可能性を示す視点は興味深く感じた。
特に、インターネット検索の時代にも課題になった「(新しい物事/コンセプトとの)出会い(セレンディピティ)」がソーシャルメディア隆盛やAIの登場でさらに難しくなりつつなるなかで、庭含めた物理の場所での出会いの可能性の視点は私も重要に感じる(最近読んだ他書である、「ケアする建築」でも同様に感じた)。
個人にとっての他者や物事との関わ方の話題を想像して読んだが、社会論的なものとその課題解決への提言に広がっていき、想像より視野の広い議論になっていったことには率直に驚いた。
また、著者の、単純なローカルコミュニティ活性化や促進のようなアプローチでの社会問題の解決についての批判については、非常に納得できた。
一方で、著者が、個人がソーシャルメディアなどで安易な承認をえることに躍起になっているという現象を批判し、(暗黙的に)自立/自律し創造性を発揮する個人像を善とする立場で議論を進めていることには、説明不足に感じるし、妥当性などに違和感を感じた。
今後、著者の視点で、AIの発展といった大きな変化が今あることを踏まえたうえで、どういった社会/人間像をめざすべきと考えるているかの明確化を見たい。 -
Posted by ブクログ
この本には選ばれし胃だけが楽しめる個性派ラーメン達が続々登場するけど、この本自体も中々なヤサイニンニクアブラカラメマシマシだった。
思春期真っ只中にいる40代50代の掛け合い。本文中にあった「厨二病」という言葉がしっくりくる。拗らせを極めたようなやり取りはクセが強いながらも徐々に味変させながら進んでいき、飽ききらない所でエッセイが終わった。
簡単な事実に対して理屈をこねくり回して垂れ流す感じは合う人にはとことんハマるだろうし、合わない人にはトコトンはまらないと思う。そこもなんか、二郎系ラーメン然としている。
尚、私個人の嗜好にはハマらなかった。初読みでは愉しめたけど、既にお腹いっぱいで下し気味。暫くはいいかな~って感じです。 -
Posted by ブクログ
基本的には『遅いインターネット』と同じ方向で、プラットフォームでのポピュリズムから離れるために、承認を得る快楽や仕事で金を稼ぐ快楽よりも物を作る快楽を取り戻そうとする試みを描いている。が、主眼はむしろその主張を裏付けるために列挙される具体例の豊かさにあるようにも思う。b型作業所や森の再開発、銭湯やランドリーカフェなど、従来の共同体の形ではなく、作業をしながら相互の存在を(承認ではなく)許容し合うことのできる場の例は、読んでいて色々なアイデアを与えてくれる楽しい体験であった。また、個人的にはクリストファー・アレクサンダーの「パターンランゲージ」という概念など建築や都市計画の概念が登場したことが興味深かった。最近の宇野は建築にも興味を示し始めたようだ。
-
Posted by ブクログ
私は宇野常寛の本は『ゼロ年代の想像力』と『母性のディストピア』しか読んでいないのだが、彼の思想はある種戦後民主主義の崩壊とその後の情報社会に対するそのアップデートという一本の軸に貫かれている感じがして、論旨も明快で非常に読むのが楽しい。今回の『遅いインターネット』を読んで得た収穫は、いわゆる批評家が(東浩紀しかり宇野常寛しかり宮台真司しかり中島義道しかり)活動の主眼を本を書くことからコミュニティを形成することに移していることへの疑問(というか半分は不信感)が多少なりとも解消されたということだった。
本書は4章構成だが1章はほぼ『一般意志2.0』や『22世紀の民主主義』、『なめらかな社会と、その敵』と似ていて、衆愚政治に堕した民主主義から情報技術によって本来の政治を取り戻そうとするものだった。特徴的なのはそこで志向されているものがある種テクノクラート的な職業人による仕事の延長として政治が捉えられていることおよび、選挙というものを祝祭と捉え、選挙以外の日常生活の中に政治を接続しようとする試みを描いていることだろう。まあこれもオードリー・タンの受け売り感はあるが(自分で言及してるし)。誤解のないようにいうが、私自身はこういう情報技術の政治は(東や成田のような半ポピュリズムはどうかと思うが)首肯できるところがある。問題はそうした手法が必ずしも全ての政策分野に当てはまるわけではないことで、例えばきわめて専門的な知見を要する事業や長期的な規模間の政策、また誰もやりたがらないが必要不可欠な政策については日常の延長としての政治という手法だけでは無理があると思う。まあその辺も織り込んだ上での議論を宇野はしているので、こうした議論の中では比較的手堅いものか。
2章はほぼ『ポケモンGO』おもしれーっていう話。『母性のディストピア』でみた。
面白かったのは3章で、ここでは吉本隆明の『共同幻想論』の再評価を行いながら現代の情報社会(『母性のディストピア』で描いていた肥大した母胎としての情報技術)における自己像を肥大した自己幻想が共同幻想や対幻想を取り込んでいる状況に喩えている。またここで重要なのが(言い忘れたが本書全体を貫く通奏低音でもあるが)階級の問題で、そもそも情報社会で自己幻想のみで自立しうるのは経済的・人的資本を持った個人のみで、大半の大衆は自己の意見を持つ能力もなく他人の意見をリツイートしたりすることによって自分の意見を言った気になるという意見の格差とでもいうべきものが存在しているということだ。これは本書の冒頭でも、世界に経済活動を通して素手で触れている層と、その実感を持たず政治にその捌け口を求めている大半の大衆層との分断を非常に問題意識を持って述べている。再びトランプ政権が台頭しつつある現代ではこの格差という見方は今の分断の図式を整理してくれたと思う。
4章は1〜3章の議論を踏まえ、リテラシーを養いタイムラインの流行に流されずじっくり熟考する主体を養うためにコミュニティを作ろうという自身のプロジェクトを描いたもの。このコミュニティが成功したのかは私も部外者なのでよく知らないが、理念自体はいいと思う。ただそれは結局、そういうコミュニティに属そうとするだけの意識高い系エリートだけしか包摂できてなくね?という感じがして、宇野が批判している『ポケモンGO』のエリート主義との差別化がうまくできてない気がする。まあこの辺はサロンの人のセールストークと捉えるべきか。
全体としてはまあ今となっては「そうやろなあ」という感じです当たり前のことを言っている感じだった。