宇野常寛のレビュー一覧

  • AKB48白熱論争

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    あっちゃんが辞める発表があったあと(1部)、指原がHKTに行くって決まったあと(2部)。
    4人のおとこがひたすらAKBについて。
    暇ならぜひ。

    「あえて」の時代が終わった。とか、
    半分は作り、半分は成り行きに任せる。とか・・・・

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    2012年11月04日
  • AKB48白熱論争

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    おもしろかった。何気なく見ているAKBをここまで語るとは。いつもは社会のこと、マジメに語っている人たちのAKBについての対談。仕事でAKBを研究している訳ではなく、遠征してコンサートに行き、握手会まで行ってしまう程にこの人達がなっている。おニャン子クラブから、モーニング娘までと、AKBは全然違うと。この人達のことなので、単なるファンで終わることなく、それがどのようなビジネスで、社会に何を与えているかなど、多いに語る。
    難を言えば、私のAKB知識が乏しく、登場人物をネットで検索しなければならなかったことか。

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    2012年10月14日
  • AKB48白熱論争

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    “あえて”ではなく“マジで”はまった4人の男。
    その熱さが面白く、うらやましいとさえ思った。
    (とくに濱野さん!)現場に行きたくなりました。
    本論とは外れるが、阿久悠がテレビ時代の画角に
    あわせて2人のピンクレディや3人のキャンディーズを
    つくった(らしい)。そういう意味ではAKBは、
    16:9時代にうってつけの存在なのかも。
    中森明夫の論客っぷりに感心しました。

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    2012年10月04日
  • AKB48白熱論争

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    Google+で日常を語らせ、その中から浮かび上がってきたストーリーを歌詞にして歌わせるという秋元康に脱帽。

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    2012年09月24日
  • 希望論 2010年代の文化と社会

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    理想の時代→虚構の時代ときて、拡張現実の時代にさしかかってる今、新たなサービスや文化がどんどん生まれてきて、そんな中でどのように生活していくのか興味深いと思った。

    <いま、ここ>の現実を多重化する、ゲーム化、聖地巡礼など遊びや文化にはハッキリ見られるようになってきたが、その他に社会にどのような変化がうまれてくるか、楽しみ。

    また、現代において自己承認が「個人individual」じゃなく、「分人dividual」断片的で確率的なものでしかあり得なくなったというのも興味深い。その時代に合った自分を作ってゆて、悩みすぎず生きやすく生活した方が良いのだなぁと思った。

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    2012年08月29日
  • 希望論 2010年代の文化と社会

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    ネタバレ

    ここ数年よく見る宇野君、濱野君の仲良しホモホモコンビに対談本である。

    宇野常弘の本は読んだこともあるし、中身にも結構共感はできるのだけれど、濱野智史の方はニコ生で見た程度だ。

    内容の方はニコ生の対談番組をテキスト化したようなもの。

    今、彼らが何を考えているのかを追いかけたい人にとってはおもしろいのだろうけど、結論だけを知りたい人にはこの本を読む必要はないと思う。

    でも、こういう考えがまとまるまでの流れみたいなものを世に出すべきだと個人的には思う。

    では、バイちゃ!

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    2012年07月07日
  • 希望論 2010年代の文化と社会

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    現実はクソゲーすぎるんだ(p.194)
    どうせ日本人がなかなか集団主義的な心の習慣から脱却できないのなら、むしろそれを前提にして制度設計をしていくしかないんじゃないの(p.179)
    あと、イジメは固定的集団で起きる。コミュニティを流動的にして、それに対するマナーのリテラシーを学ばせるべき。って3つが共感できた。私にとってはちゃんと希望論やった。

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    2012年04月04日
  • 希望論 2010年代の文化と社会

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    まず宇野常寛も嫌がっていたとおり、
    タイトルは失敗だったと思う。

    悪い部分をあげつらうよりも、
    良い部分を数えた方が建設的であるのは当然だろう。

    しかし、
    それを「希望」というワードに閉じ込めた瞬間に、
    意味合いがずれてきてしまうように思う。
    これでは凡百の「希望」話と同じ読まれ方をされてしまうのではないかな。

    要するに、
    「あー例の希望話ね。はいはい」という風に、
    読者の姿勢を読む前に限定してしまい、
    書かれていることをミスリードする危険がある(これ自体がミスリードかもわからんが)。

    せっかくいいこと書いてあるんだから勿体ないと思う。

    特に日本のITは萌芽の時から「ひろゆき的」なのだ(キリッ)、
    という説明はかなり興味深い考察だった。

    つまり日本のネット技術は、
    最初からコミュニケーションのために発達したものだということである。

    だからニコニコ動画や2ちゃんねるが流行るのは、
    むしろ日本のIT業界においては当然の出来事で、
    議論し合う場としての梅田望夫的なweb概念というものは傍流でしかない。

    だとしたら、
    「日本的なるもの」を肯定的に捉え直し、
    日本と海外の「モード」の違いを理解して、
    それをどう上手くコントロールしていく仕組みを設定するかが大切なのである。
    そうした未来のビジョンが「母」的な社会というのはすごく賛成。

    しかしながら、
    なんとなく彼らの言説には、
    決定的な足腰の弱さを感じてしまうんだな。
    なんでだろ。

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    2012年02月17日
  • 希望論 2010年代の文化と社会

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    90年代半ばの思想シーンを駆け足で振り返りながら、震災以後の日本のありかたを批評・思想の面から検討。
    ソーシャルネットワークの可能性や、日本型のコンテンツ生産・消費、あるいはコミュニティーのあり方など、東浩紀が「思想地図」でこれまで検討してきた内容を踏まえた議論が行われる。

    少ないページ数で幅広い議論が行われて、現状の見取り図としてはとてもわかりやすいものになっている。
    ただ、この本のテーマである「希望」への提示についてはまだ弱いという印象。「思想地図」で提示された内容にかぶるところが多い。独自の提示の部分は、東浩紀にツイッターでボロクソ言われていたけれど、それもしかたないと思えてしまう程度にまだまだ練られていない。ブレストとしてはいいのだろうが、「希望論」と言えるところまでもっていくにはもう少しといったところか。

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    2012年02月14日
  • 希望論 2010年代の文化と社会

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    ネタバレ

    宇野常寛って文章力で人を引き付ける力がある。
    これがすでに希望である。

    宇野や濱野が未来を託すソーシャルメディアを具現化する理念を持つ
    グリーンアクティブも、発足会見を行った。

    自然、文化、経済、政治を小さなネットワークでつないでいく「リトルピープル時代」の活動は、うまく行くかどうかはわからない。いまだ、ビッグブラザー的な力でつぶされるのかもしれない。個人の内面にある大きなものへの幻想の前に理念が折れるかもしれない。

    でも、そういう変化を含めて吟味し続けていく姿勢こそ、われわれに問われているものなのであろう。希望論とは、覚悟でもあろうと思う。

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    2012年04月09日
  • 庭の話

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    中盤のムジナの庭あたりまでは論の展開が明確で読み応えあり、後半は抽象的なは話になったからか最終的に何が言いたいのか分からなかった。

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    2026年09月05日
  • 遅いインターネット

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    ネタバレ

    巧妙なタイトル。現在のインターネットは情報の量やスピードもものすごく人間に考えさせないものになっているため、自分たちのペースでじっくり考えるための情報や環境を発信側も受信側も一緒に考えていこうという遅いインターネット計画の話と理解。

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    2026年09月02日
  • 遅いインターネット

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    一度読んでよく分からなかった吉本隆明の「共同幻想論」に対する理解が少し深まった。自己幻想、対幻想、共同幻想。

    インターナショナルな政治にローカルな経済が従属していた頃は、政治的なアプローチによって世界を変えること(ナショナリズム)に夢中になった。現在はグローバルな経済がローカルな政府を支配し、情報産業によって世界を変えること(テクノキャピタリズム)に夢中になっている。

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    2026年07月29日
  • ゼロ年代の想像力

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    エヴァが出てくるのはなんとなく想像出来たけど対になってるのがデスノートなの目が鱗。デスノートとか出てきてないけどガッシュとか確かにバトロワ形式流行ってたのもセカイ系が崩れてのこと。
    そしてセカイ系→バトロワは日本経済の頑張れが救われるが壊れての競争社会や親や社会は自分を救わない、そして引きこもりという選択もダメというのがリンクしているのが面白い。
    その後の日常系アニメが流行るのも自分の日常の中に大切なものがあることがわかってくる。
    今まで見てたハルヒ、けいおん、デスノートがこんな形でリンクするのが快感だった。ハルヒもそりゃセカイ系なのに見てる時は全くわからんかったなあ。
    後、じぶんてきには文章がちょい難しいところもあった

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    2026年05月25日
  • ラーメンと瞑想

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    ラーメンと瞑想で世界が変わるかも、と予感してしまうような不思議な感覚のまま読破。美味しそうなお店も紹介していて、食へのこだわりや関心などを私にはない表現で記されていて面白かった。瞑想中の考えやどこか哲学的な考えなど、理解しづらい部分があったが、触れることができて面白い文章であった。

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    2026年05月23日
  • 庭の話

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    気楽な気持ちで読み始めたが、なかなかの手応えの本であった。
    「画一化された身体ではコミュニケーションできないものに触れることで、本来の多様な身体を取り戻す。」

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    2026年04月25日
  • ラーメンと瞑想

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    ラーメンというより、外食グルメはこうあるべき論のような、瞑想というより、仲のよいTさんとの語らいのような、自ら週休3日制にし毎週水曜日の休日を楽しく過ごす様子をエッセイにしたようです。

    ラーメン富士丸、しんぱち食堂、Pariya Aoyama、武蔵野アブラ學会、大船軒、Chatty Chatty、はま寿司、西早稲田のひまわり、とん太のとんかつ、松石の立ち食いそば屋、野方ホープと、どんどんお腹空いてきます。

    瞑想の時間、宇野さんとTさんの話しは意識高い系の会話が多く、人間の生きる活力を与える良いアドバイスがありました。

    三島由紀夫は四十五歳で死んだが我々は生きなければならないと。最後のメッセージは肝に銘じます。

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    2026年04月10日
  • 母性のディストピア I 接触篇

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     情報量多め。サブカル批評好きなにはチョーオススメ。東浩紀『動物化するポストモダン』とこの2冊が文芸評論家・三宅香帆を作っているらしい。
    『動物化するポストモダン』の後に読んだのでサブカルアレルギー作動中。山とか登りたくなる。データベースより、シンプルなホトケノザとかつくしの道ばた。桜も咲いているし、実存を見に行くべきやと思った。ジブリでもガンダムでもいいが、アニメーションだけの世界ってなんだかそれを扱う文章も呼吸してないように感じる。なのに華美。というか華美でなければ成立しない中身なのかも。  
     接触編とか発動編とか、そのカテゴリー分けがもうサブカルの王様感アリ。
     星野道夫とか読みたくなったな。

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    2026年03月27日
  • 庭の話

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    時間をかけて少しずつ読み完読。私の読み方が浅いのか、読み取れてないだけなのか以下のように思った。

    現代における問題意識も、過去に言われた諸問題の批判のアップデートも理解できるし面白かったけど、その問題の解決の提案が弱い気がした。
    人間本来の欲望を取り戻すために、「制作」という結論が導かれたのは良かったけど、まだプラットフォームにおける承認の交換による快楽をその「制作」による欲望が乗り越えられるかということまで言及できてないように感じた。
    結論に至るまで様々な事例を紹介してきたのに、最後がクラウドロー以外の例を提示できていないのが残念だった。また、クラウドローへの参加へのハードルも社会的格差があることが想像され、解決の結論の提示例として正しかったか疑問が残る。
    この「制作」の行為への解像度が薄いため、最後納得できずふわふわした問題意識だけが残った。

    「庭」の条件を満たすものが、戦争というのも少し解りかねた。軍人として参加する視点と、飲み込まれる民衆の視点が交差しており、一個人として「庭」の条件を完全に満たすかは人によると思った。坂口安吾の小説「戦争と一人の女」を引用したのも混乱を極めた。

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    2026年02月18日
  • 庭の話

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    さいきん流行りの交流の拠点としての飲食店、みたいなものに憧れを抱きながら、いざあたらしい町に越してきてみるとその敷居をまたぎ、且つ継続的に顔を出すことの困難さを痛感してしまう自分にとり、後半の共同体批判にはおおいに共感するところがあった。また、われわれが世界への手触りを求めてプラットフォーム上で(画一化された身体でもって)承認獲得のゲームにのめりこみ、実空間までもがその延長となってしまうのも当然思いあたることであるし、たとえば絵を描いているときのたのしさがここで説かれている制作の快楽としてその処方箋となることも腑に落ちる。そういった事柄が庭の比喩を巡って展開されるのは非常に読んでいてたのしいが、しかし作庭のみならず人間の側も変容しなければならないのだと言って展開される終盤の議論は(それまで積みあげてきた議論に比して)性急かつ非現実的で、そのわりにそこをどうにもしないとどうにもならないというか、むしろそれが解決されていれば庭などどうでもいいのではないかとすら思えるもののように感じた。現行の資本主義のもとでの活路を見出すのは現実的な発想ではあると思うが、都度都度括弧書きで記される「適切な再分配がなされれば」という断りや、個人の能力主義を加速させかねないアグリゲートという考えに弱い自立の手がかりを求めようとする点に、まるで賃労働者の実態・実感覚が反映されていない印象をうける。それを馬鹿なやつらは反論だけでうんぬんなどとあらかじめ反論をおさえこもうとする態度は不誠実だと思うし、論理のあやしい主張を感情的な書きぶりで乗りきろうとする姿勢はほかの箇所にも見受けられた。また、あまりにも変化がはげしいから議論に取り入れるのには相当の困難が伴うだろうと思いつつ、この時代に・この話題を展開するうえで、生成AIの話は避けては通れないだろうと思うが、それへの言及がまるでないのにも違和感というか、現実との乖離を感じた。資本主義のもとでは、生成AIが労働における制作を代替する流れを食い止めることはできないだろうと思う。しかし現代人には朝と夜しかなく、だから夕方をもつべきだ、という話は今後もおぼえておきたいと思った。

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    2026年01月04日