宇野常寛のレビュー一覧
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理想の時代→虚構の時代ときて、拡張現実の時代にさしかかってる今、新たなサービスや文化がどんどん生まれてきて、そんな中でどのように生活していくのか興味深いと思った。
<いま、ここ>の現実を多重化する、ゲーム化、聖地巡礼など遊びや文化にはハッキリ見られるようになってきたが、その他に社会にどのような変化がうまれてくるか、楽しみ。
また、現代において自己承認が「個人individual」じゃなく、「分人dividual」断片的で確率的なものでしかあり得なくなったというのも興味深い。その時代に合った自分を作ってゆて、悩みすぎず生きやすく生活した方が良いのだなぁと思った。 -
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まず宇野常寛も嫌がっていたとおり、
タイトルは失敗だったと思う。
悪い部分をあげつらうよりも、
良い部分を数えた方が建設的であるのは当然だろう。
しかし、
それを「希望」というワードに閉じ込めた瞬間に、
意味合いがずれてきてしまうように思う。
これでは凡百の「希望」話と同じ読まれ方をされてしまうのではないかな。
要するに、
「あー例の希望話ね。はいはい」という風に、
読者の姿勢を読む前に限定してしまい、
書かれていることをミスリードする危険がある(これ自体がミスリードかもわからんが)。
せっかくいいこと書いてあるんだから勿体ないと思う。
特に日本のITは萌芽の時か -
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90年代半ばの思想シーンを駆け足で振り返りながら、震災以後の日本のありかたを批評・思想の面から検討。
ソーシャルネットワークの可能性や、日本型のコンテンツ生産・消費、あるいはコミュニティーのあり方など、東浩紀が「思想地図」でこれまで検討してきた内容を踏まえた議論が行われる。
少ないページ数で幅広い議論が行われて、現状の見取り図としてはとてもわかりやすいものになっている。
ただ、この本のテーマである「希望」への提示についてはまだ弱いという印象。「思想地図」で提示された内容にかぶるところが多い。独自の提示の部分は、東浩紀にツイッターでボロクソ言われていたけれど、それもしかたないと思えてしまう程度 -
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ネタバレ宇野常寛って文章力で人を引き付ける力がある。
これがすでに希望である。
宇野や濱野が未来を託すソーシャルメディアを具現化する理念を持つ
グリーンアクティブも、発足会見を行った。
自然、文化、経済、政治を小さなネットワークでつないでいく「リトルピープル時代」の活動は、うまく行くかどうかはわからない。いまだ、ビッグブラザー的な力でつぶされるのかもしれない。個人の内面にある大きなものへの幻想の前に理念が折れるかもしれない。
でも、そういう変化を含めて吟味し続けていく姿勢こそ、われわれに問われているものなのであろう。希望論とは、覚悟でもあろうと思う。 -
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「ラーメンと瞑想」に続いてこちらを読んだ。発売順は逆だが。エッセイ部分は相変わらず面白い。オリンピックやコロナ禍期間の宇野の活動については興味深かった。オルタナティブオリンピックはなんとなくプラネットで発表してるなとは思ってたがしっかりとは見ていない。
このような代替案を提示する形で体制に抗い、社会を変えようとする姿勢は「志や良し」なのだが、いかんせん宇野自身あるいは宇野の考えに賛同したチームの社会への影響力がそれほど大きくなく、この試みが世論を巻き込んだムーブメントになり得なかったのは残念ではある。
このプロジェクトを東浩紀や荻上チキ、落合や成田などの日本の批評界隈・IT界隈フル動員でお -
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難しくて読み切るのが大変でした。小杉湯やムジナの庭など「庭」の具体例は興味深く読みました。中盤くらいから面白くなってきて、庭の概念を理解できたと思ったら後半「労働・制作・行為のアップデート」という新しい視点が登場し、論点が再び拡散したように感じ混乱しました。結局この資本主義で承認・評価から逃れられない現代において、「庭」の機能が評価されて生活に実装されていくことには現実的に難しさを感じてしまいました。
ただ、秋葉原無差別殺人事件の山上のような孤立した「無敵の人」を産み出さないために、ゆるく繋がり「排除しない」多様な人間活動が可能な場所としての「庭」の必要性には納得させられました。 -
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批評家、宇野常寛のエッセイ。
友人と、毎週水曜日に、ランニングをし、全力で食事をしたあと、瞑想するという、変わった習慣を持つ男たちのエッセイ。
まず、冒頭。ラーメンという食べ物は、否が応なく、会話を中断し、目の前の丼に向かい合い、孤独に食事をすることになる、それゆえに、食事という行為そのものを楽しむことができる。この導入が非常に良かった。
そして、これは極めて動物的な行動であり、その間に獣になる。それは、瞑想し、世界と一体化になることに、極めて近い行為で…というような形で、小難しい理論が展開していく。
そうした話も、興味を引くのも多々あったが、やっぱり自分がこの本で好きなのは、美味しそう -
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ダイエッターになり、ストイックな生活を送る宇野さんが、ランニングをした後は思いっきりご馳走を食べる。
美味しいものを食べるために、かなり厳選してお店を選び、メニューを選ぶ。
そのときの宇野さんの眼はきっと獲物を狙うハンターのそれなんだろうなと読んでいて感じました。
食レポも美味しさが伝わってきて、読ませられます。
そして、いつもランニングを一緒にするTさんの存在がまた独特でとても良い相棒だなと羨ましくなります。
「恐れと悲しみの中を生きるもの」と自己規定をするTさん。どこでも結跏趺坐で瞑想しちゃうTさん。ヨウジヤマモトでバシッときめるTさん。ルクレティウスやダンテの詩を愛するTさん。 -
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公共空間としての「庭」の概念を広げていくとことによる社会の可能性というコンセプトに惹かれて読んだ。
社会/人とのコミュニケーションだけではなく、モノと人とのコミュニケーションや出会い(?)に可能性を示す視点は興味深く感じた。
特に、インターネット検索の時代にも課題になった「(新しい物事/コンセプトとの)出会い(セレンディピティ)」がソーシャルメディア隆盛やAIの登場でさらに難しくなりつつなるなかで、庭含めた物理の場所での出会いの可能性の視点は私も重要に感じる(最近読んだ他書である、「ケアする建築」でも同様に感じた)。
個人にとっての他者や物事との関わ方の話題を想像して読んだが、社会論的なも -
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この本には選ばれし胃だけが楽しめる個性派ラーメン達が続々登場するけど、この本自体も中々なヤサイニンニクアブラカラメマシマシだった。
思春期真っ只中にいる40代50代の掛け合い。本文中にあった「厨二病」という言葉がしっくりくる。拗らせを極めたようなやり取りはクセが強いながらも徐々に味変させながら進んでいき、飽ききらない所でエッセイが終わった。
簡単な事実に対して理屈をこねくり回して垂れ流す感じは合う人にはとことんハマるだろうし、合わない人にはトコトンはまらないと思う。そこもなんか、二郎系ラーメン然としている。
尚、私個人の嗜好にはハマらなかった。初読みでは愉しめたけど、既にお腹いっぱいで下 -
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基本的には『遅いインターネット』と同じ方向で、プラットフォームでのポピュリズムから離れるために、承認を得る快楽や仕事で金を稼ぐ快楽よりも物を作る快楽を取り戻そうとする試みを描いている。が、主眼はむしろその主張を裏付けるために列挙される具体例の豊かさにあるようにも思う。b型作業所や森の再開発、銭湯やランドリーカフェなど、従来の共同体の形ではなく、作業をしながら相互の存在を(承認ではなく)許容し合うことのできる場の例は、読んでいて色々なアイデアを与えてくれる楽しい体験であった。また、個人的にはクリストファー・アレクサンダーの「パターンランゲージ」という概念など建築や都市計画の概念が登場したことが興
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私は宇野常寛の本は『ゼロ年代の想像力』と『母性のディストピア』しか読んでいないのだが、彼の思想はある種戦後民主主義の崩壊とその後の情報社会に対するそのアップデートという一本の軸に貫かれている感じがして、論旨も明快で非常に読むのが楽しい。今回の『遅いインターネット』を読んで得た収穫は、いわゆる批評家が(東浩紀しかり宇野常寛しかり宮台真司しかり中島義道しかり)活動の主眼を本を書くことからコミュニティを形成することに移していることへの疑問(というか半分は不信感)が多少なりとも解消されたということだった。
本書は4章構成だが1章はほぼ『一般意志2.0』や『22世紀の民主主義』、『なめらかな社会と、その -
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言語が国境に規定され、いわゆる母国語としての壁を超えるには、外国語を習得した上で、外国語の媒体を読み解くか、直接外国人と交流するという方法がある。インターネット以前は、これには物理的な限界があった。今、ネット上では、グローバルな距離は縮み、かつ、タイムリーに情報が公開され氾濫する。更に、機械翻訳も可能。とても便利な時代になって、情報も民主化され、より平和な世界市民的社会が到来するのだ…と無垢に考える人はいないだろう、残念ながら。
フェイクニュース、快楽のための生贄探しや炎上、排外的なヘイト、欲望を刺激するための性的ポルノや消費を煽るリコメンドが溢れる。ここでいう遅いインターネットとは、アナロ