宇野常寛のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
衝撃だったのはp.257。「本書の提案する「庭」の条件をすべて満たす社会的な大状況は存在できる。というか、すでに存在している。人間と事物とが関係する場所であり、事物間の生態系が豊かな場所であり、人間が関与できるが支配できない場所であり、そして事物の側から人間にアプローチのある場所であり、そしてそこは人間を孤独にする場所である。…これらの条件を同時に満たす場所を、正確にはあらゆる場所でその条件を満たすことを可能にする状況を少なくともひとつ、私は挙げることができる。しかし私を含め、多くの人々はその状況を望まないだろう。なぜならば、一般的にその状況は「戦争」と呼ばれているからだ」
思考の練られた哲学というのは、いつも私を圧倒させる。それは煌びやかで高潔な圧倒なんかではなく、侮辱したい、罵倒したい、どうにか否定したい圧倒である。がしかし、ここで練られている哲学というのは横槍を入れるのが本当に難しいのである、否定したい批判したいが、どうにも腑に落ちる部分と批判したい部分が絡まっていて、わだかまりを解くのにはとても時間がかかる。この本を読み終えるのに半年以上かかった気がする。良い本とは、いつも呼吸をするのを忘れてしまうため、急に本をパタンと閉じることが多い。罵倒と批判の明確な違いは、感情に身を任せて言葉をのせているか、時間と知性をかけて言葉を練り込んでいるのか、だと思う。Twitterのクソリプみたいには絶対にしない。徹底的な批判をするために、わたしは何年もかけてこの本の真髄を批判してゆきたい -
Posted by ブクログ
ネタバレ【本を読もうと思った理由】
LIFE聞いてたら、宇野さんが出てこの本の話をしている回があったため。また、私自身適応障害から職場復帰して約4ヶ月、仕事と生活のバランスに答えを見いだせないでいたため。
【本の感想】
久しぶりにエッセイを読んだ。新書の評論と比べて、こんなにも読みやすいものかと、スルスルと読み進めた。
当然、「水曜日は働かない」は具体例であり、比喩である。何の比喩かというと、労働や世論の「潮目」、アルコールの流れに任せて、ふわっとしたまま時間を過ごすのではなく、自分自身の周りの世界に目を向けながら、地に足つけて生きるためのマイルール、ということだと、私は受け取った。
余暇の中で旅行やその他贅沢をするのは、消費による労働力の再生産に過ぎないということ。非日常をいくら持ち込んでも、日常は改善しない。仕事と生活のバランスという日常を変えたいなら、別のアプローチが必要となる。その時に必要になるのが、水曜日は働かない、に準ずるマイルールなのだと思う。
自分にとってのそれは何だろう、と考える。これから、提案書書きが始まり、復帰してはじめて仕事が忙しくなる予感がする。その時に、労働に飲み込まれるのでなく、どうやって日常の中に仕事を編み込んでいくのか、新しい接し方が求められる。またまだその答えは見つからないが(見つかっても変わっていくと思うが)、自分にとってのそれは、自炊する、散歩する、読書するというような、特別ではないことだと思う。 -
Posted by ブクログ
宇野常寛さんの社会批評でもあり個人的な日記でもあるエッセイ集。この本に触れて読んで、宇野常寛さんを少しだけ好きになったし、少しだけ内面(自己に迫るもの)に矛盾がありそこも面白いと思った。概念や空想論で終わらず、「地に足ついた」文章で、自分の生活と社会を結びつけて考えるのが本当にうまいと思う。だからこそ、彼の文章は読んでいて苦ではなく、人々に考えるきっかけを提供しうるのだと思う。友達にも薦めたい一冊。
個人的な感想としては、この本のどこが良かったかというと難しいが、最後に、「水曜日も働く人たち」という章であり、この本の題名である「水曜日は働かない」思想に反するが、それでも働く(働かざるを得ない)人たちを描いており、この構造もかなり好きだった。自分的には最初のカブトムシの話や、ランニングの話がめちゃ個人的で好きだった。その人の手の中を離れた文章ほど読みくく人に刺さりにくい文章はなく、その点宇野さんは読んでてめっちゃ心に優しく迫るものがある。
「水曜日は働かない」という題名だが、自分は水曜日に働きながら休憩中にこの本を読んでいた。まあ大学院の時はね、、やりたいことやるべきことが多いんですよ、、、
水曜日ならず、土曜日、日曜日と働くことが多いので、この本きっかけに少し休みを自分の中に持とうと決心させてくれたので、ちょっとした薬のようなものになったと思う。その点でこの本を今のタイミングで読んだのは良かったな。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ問題意識があり、それを解決するための思考の筋道があるが、結論は未来にあるため、決定的ではない。しかし、その過程の話は示唆に富む。
ここでいう問題意識=前提条件、社会的背景は、
1.国内問題としての経済的な格差から、大衆の政治(敵味方をはっきりさせる承認行為)への傾倒がみられる。
2.それを加速しているのは、Xを代表とするプラットフォームの存在。
という点だ。
この社会のプラットフォーム化を乗り越えるために、著者は「庭」をつくる必要性を説いていく。
ここで庭とは、
1.人間が人間外の事物とコミュニケーションをとるための場
2.その事物は事物同士が連携し、外部に開かれた生態系をなしている
3.人間は関与できるが掌握は出来ない
2.そこには共同体はあってはいけない。孤独であるからこそ事物=自然と向き合えるからだ。
以下メモ
・トランプ現象は、経済のグローバル化で、アメリカとベトナムの格差が縮まる一方、国内の格差が広がることを受けて、その後者の負け組が反応した現象。
・Anywhere な上位層と、somewhere(土地に固定された人々)の対比。しかし、上位すら、下位と相似形だ。
・庭(介入できるけど完全管理はできない)の比喩が示唆に富むのはわかる。SNSの承認だけに制約された人格で、魔法の靴を履いているように、絶望へと走り続けているからだ。
・國分の説いた中動態の世界はネットプラットフォームでは回復してしまっている。リアリティショーでのSNS誹謗中傷から自殺した事例がそうだ。
・実は庭はすでに存在している。戦争という状態で。 -
Posted by ブクログ
ラーメンやカレーなど、気軽なひとり食べ歩きが好きな身としては、共感できたし、非常に面白く読めた。
言い換えると、面倒臭い人がどう食事や日々を楽しんでいるか、どう言葉にしているかがわかる本だと思う。それでいてユーモアがあるので、鼻につかず面白い。
なんだかんだ難しいことを考えても、おいしいものを食べるときは無心だし、そのこだわりが日々の生活で大事だと思う。独り身でも、家族がいても。
著者とY氏が主な登場人物だが、自分もそれぞれでどちらかの立場や考えに近いと思えた。ひとり飯のときはこだわるが、飲み会の時は話すことが目的だからどこでもいいなど、自分を客観的に見つめられたと思う。
また、装丁に惹かれて著者の『リトル・ピープルの時代』を読んだ際は、正直言って難しくて、小説などは単純に読んだ方が楽しいと感じたが、エッセイだと難しいことでも気軽でよいと感じた。あと、ユーモアは大事だと痛感した。
あと、個人的には男2人で飲みはあっても食事はしないが、まあ、それもいいなと思えた。
また、お酒を飲まない人が大酒飲みをどう見ているかがよくわかり、参考になった。 -
Posted by ブクログ
現代社会では、SNS上の発信と反応の連鎖が世論形成に大きく影響している。だれもが受け手であり発信者でもあるため、他者からの反応を求める気持ちが自然に生まれる。問題は、発信の目的が内容そのものではなく、反応を得ることへとずれていく点にある。
著者は、この相互承認の流れから距離を置くための考え方として「庭」を提示する。「庭」とは、人と人の関係ではなく、人と事物との関わりに没頭できる場とされる。事物同士が関係し合う場に人が関わることで、人と事物のやり取りが生まれ、結果として偶然その場にいる人同士の関係が生まれることもある、という構造を指している。
庭の条件のひとつに「攻略できないこと」が挙げられる。事物と向き合うとは、目的を達成する行為ではなく、それ自体に関わり続けることにあり、その時間が相互承認の流れから一時的に離れることを可能にする。
著者はさらに、「コレクティフ」という、ばらばらのまま共にある集団のあり方を取り上げ、「共同体」と対比している。共同体は敵をつくることで成立し、内部に勝敗を生みやすい。SNSの相互承認の仕組みは、この共同体の性質と結びつきやすいとされる。自分の生活では不要に感じながら、仕事では「コミュニティ」という言葉を肯定的に使うことに何となく違和感を持っていたが、その背景が説明されたように感じ、腑に落ちた。 -
Posted by ブクログ
情報社会論に分類される本らしいですが、色々な読み方が出来てめちゃくちゃ面白かったです。
この本における著者、宇野常寛の認識の妥当性とか前提を批判することは簡単ですが、そういうことではなく、自分自身の在り方を考えるエッセイ(試論)として示唆的で、対話的に読めるという意味でも素晴らしい読書体験でした。
また、(比喩的な意味での)庭の話の本なのに、終盤になってその限界を自ら論じ始めるところも含めて(わざわざ損をしに行くスタイル笑)、すごく正直な著作です。
* * *
ところで、本書中にはほとんど登場しませんが、社会学者?、宮台真司のかつての著作と比較して読めたのも面白かったです。
例えば、宮台はかつて「承認なき社会」の地獄を論じていましたが(援交少女の出現など)、プラットフォーム資本主義によって、現在では皮肉な形でコスパ良く(しかし中毒的に安易な)承認が供給され、新たな地獄を出現させています。
また宮台は、その処方箋として、クソ社会から距離をおいて「世界と接続せよ(サイファ、覚醒せよ)」と宗教じみたことを主張しますが、宇野の場合、社会と世界の間に「庭」的な場所をつくることで、社会の改良(補完)を主張しています。
これは、エリート主義(Anywhere)で実存主義の宮台に対する民衆派(Somewhere)で個人主義の宇野の反撃なのでしょうか。
この本では、吉本隆明から糸井重里に続く路線を真っ向から批判していることに注目が集まりがちですが、個人的には、宮台チルドレンの宇野が老害じみてきた宮台を終わらせたと思えるところも興味深かったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ庭を喩えに、
社会と個人のかかわり方について思索されていて、新しい考え方が学べてとてもよかったです。
共同体に属さなくても社会とかかわれる、そして自分自身の生きがいを担保できる、そう考えさせられる本でした。
コモンズやコミュニタリアン的な議論は、共感するところもありつつ、でもなんだか理想主義的になってしまいがちなところがあって、やっぱり何らかの形で内と外の境界線を作っていくので、固定的なところや排外性を抑えて実際にうまく機能するのは現実的ではないところがあったりと、
でも庭の話では、そんな人間関係自体をいったん相対化して、個人が事物と対峙する関係性を採り入れていた。人間関係から快楽や生きがいを得るのではなく、あるモノに向き合うこと―それは結局は自分との関係ともいえるのではとも考えたりしながら読みました。
また、「する」ことへの評価と「である」ことへの存在、ときどき論じられていることがありますが、どっちが大事だとか、よく読みながら、えっと、結局どっちなの?と、分からなくなっていたところ、
そもそも両方とも、他者からどう思われるか、というところに依拠している、という点で同じだと気づき、庭の話では、その二択を超えて、それ以外の方法で自分の生きる意味や生きる喜びを感じる方法がはっきり示されていて、とても新鮮でした。
ある意味自分の中にこもるようで、自分自身も相対化しているような。
この、共同体を活用しながらも依存しない、個々人での社会とのつながり方が、弱い自立、とも論じられていましたが、
個々人の芯の強さがそこには欠かせないように感じました。 -
Posted by ブクログ
・ラーメンと瞑想という「縛りプレイ」
この本は「縛りプレイ」なのではないか。
読み終わって数日経ち、この本のエッセイともグルメレポートとも中年男性の2人の対話篇ともネット文化批評とも庭思想のマニフェストともつかない内容、それでも一貫したまとまりを感じる新しさはなんなんだ...!!!と悶々と考えあぐねて思い至ったのがこの「縛りプレイ」だ。
本書で宇野さんが縛りプレイに関してこんな洞察を披露していた
>>>
『縛りプレイ』とはゲームそのものを『つくる』行為に等しいということです。僕たちはゲームを『縛る』ことで、同じゲームを用いた別のゲームを自ら作り出します。〜そうすることでプレーヤーはより深くそのゲームの本質を知ることになります。
>>>本書p130
縛りプレイとは、ゲームのシステム上可能だが必須ではない条件を自ら設けることでゲームの難易度を上げる行為、と定義できるだろうか。
例えば私が好きなゲーム実況者に「ちるにとら」という方がいるのだが、彼(彼女?)はモンスターハンターというゲームを、防具なしの裸でプレイする。その裸という縛りによって、防具をつけていれば生き残れる攻撃も致命傷になり、難易度が跳ね上がっている。しかしだからこそ、ちるにとらはモンスターハンターが現実ではなくシステムに従って動いていること、つまりモンスターはランダムに攻撃を繰り出すように見えて一定のパターンを持った動きしかないないことを露わにし、本質的にはドラクエのようなターン制アクションゲームに変容させてしまっている。
では、本書の「縛り」とは何か。
それが表題「ラーメンと瞑想」だ。
一見なんのつながりもないラーメン(都市の食)と瞑想という人間文化の極北を結びつける縛りプレイによって書かれた本書。
この縛りが、ラーメン-瞑想軸(空間?)を生み、本書が含み込む多様な社会的要素(映画「オッペンハイマー」、男性性、家族関係、対話、ランニング等々)を共生させることに成功している。
これは、現代社会を生きるというゲームの中で、自由資本主義的でない別のゲーム、「庭」というゲーム、創造のゲームを起動させる試みなんじゃないか。
その新しいゲームが露わにするのは、資本主義というシステムが爆発的に生み出した、グルメや文化という「物それ自体」と出会う可能性だ。
だから綺羅星の如く種類のあるラーメンは、人を癒すのではなく、その過剰性によって人を揺さぶる。本書がくれるのは、その満天の星のような資本主義が生み出す物体との出会いと、そこから始まる創作へのワクワクだ。 -
Posted by ブクログ
高田馬場周辺の美味しいお店の紹介と、哲学や文芸や社会問題に対する二人の人物の対話の記録。ラーメン=獣の世界、瞑想=神の世界。両者を往復することで「人間を超える存在に肉薄する」試み。
中年になって太ったのをきっかけに食事制限とランニングをするようになった著者。ちょうどこの本を読んでいるとき受け取った健康診断の結果がよくなかったのもあり、自分も改善のための節制を始めた。本書は、そうしようと決意するきっかけと指標になった。俺はラーメンも控えるが…。
著者の対話相手T氏のキャラクターがいい。浮世離れした存在感。印象的な発言の数々。
「恐れと悲しみの中を生きる者」
「個体として強くなりつつある」
「偉大なラーメンを食べる前と後では別の存在になっています」
「人間は半分は霊的なものですから、精神が汚れると実体も変化してしまいます」
インターネットの外部で中年(男性)はいかに生きるべきかの模索もテーマとしてあるように感じた。ネットの世界で安易に承認を求めない、ネットの外の世界や事物に関心を持つ、制作を通じて世界と関わる。「三島由紀夫は四十五歳で死んだが、我々は生きなければならない」のだ。「中年男性を救済するのは恋愛でも家族でも国家でもなく、世界や時代に貢献する『事業=作品』と『宇宙と直接つながる技術』であると確信しています」
食事制限と運動がんばるぞ。 -
Posted by ブクログ
ラーメンと瞑想、ラーメンとは獣の世界であり、瞑想とは神の世界である。二人の中年男性が様々な事柄を議論しながら2つの世界への接近を試みる。書いてて何がなんやらという感じだが、実情この本は、「Tさん」という強烈な人物の行動や思想を知らしめるための手段になっている。こんな人物が本当にいるのだろうか?と疑いたくなるようなエピソードの数。私は2000年代にネットミーム化された「寺生まれのTさん」を自ずと思い出していた。
しかしこのTさんとの出会いと対話が、著者である宇野氏に「庭の話」を書かせる結果となったのだろう。日々中年男性は変化する。中年男性を救うのは物語ではなく、創作である。 -
Posted by ブクログ
書き方によって、一部の人を見下しているように読めるところもあり、必ずしも耳触りの良い中身ではない。しかし、だからこそ?あまり人が踏み込まない矛盾にも突っ込んでいけるのかもしれない。
右派も左派も文脈は違えど共同体の回帰を目指す。孤立を防ぐために、普段からのつながりな共感を持った「暖かい」互助の世界。しかし、そもそも孤立化する人がその共同体の中で周辺でなく真ん中に自然と入れるものか?そもそも共同体は強いものがより搾取しやすい状況だと。村八分者が何も売ってもらえない贈与経済化より、村八分者でも100円を持っていけばパンが買える方が余程自由で平等な社会なのではないか?
という指摘は一定の検討余地を感じた。
ただ、庭の状態が戦争にも当てはまるという後半の話はピンと来なかった…
喫茶ランドリーや銭湯を例にやらなければならないことで偶然同じ場に集うというのは今まで実験してきたことなので非常によくわかる。
コミュニティを作ろう!みんなで支え合おう!という共同体には、孤立しやすい人でなくても現役世代は多分入れないだろうし。
ただ、庭の例えがわかりやすかったのかは最後まで疑問。コレクティフの話は面白かった。関与できるけどコントロールできない。やらされ感のない当事者意識がもてる状態。