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「都市にはラーメンを食べて死ぬ自由があり、瞑想するための場所がある。」
ラーメンとは獣の世界との接続である。
そこには欲望を直接的に満たすために存在する事物との具体的なコミュニケーションだけが存在する。
瞑想とは神の世界との接続である。
それは精神を研ぎ澄まし、抽象的なレベルで認識をアップデートする神聖な時間となる。
そしてこの二つの世界を往復することで、僕たちは人間を超える・・・・・・。
ラーメン富士丸、しんぱち食堂、PARIYA AOYAMA、武蔵野アブラ學会、大船軒、CHATTY CHATTY、はま寿司、ひまわり、とん太、松石、野方ホープ――作者の愛する飲食店での食と思索の日々を描いた12の記録。笑えて、考えさせられて、そしてお腹が空く。小説のような、エッセイのような、そして批評のような一冊。
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Posted by ブクログ
ラーメンやカレーなど、気軽なひとり食べ歩きが好きな身としては、共感できたし、非常に面白く読めた。
言い換えると、面倒臭い人がどう食事や日々を楽しんでいるか、どう言葉にしているかがわかる本だと思う。それでいてユーモアがあるので、鼻につかず面白い。
なんだかんだ難しいことを考えても、おいしいものを食べるときは無心だし、そのこだわりが日々の生活で大事だと思う。独り身でも、家族がいても。
著者とY氏が主な登場人物だが、自分もそれぞれでどちらかの立場や考えに近いと思えた。ひとり飯のときはこだわるが、飲み会の時は話すことが目的だからどこでもいいなど、自分を客観的に見つめられたと思う。
また、装丁に惹かれて著者の『リトル・ピープルの時代』を読んだ際は、正直言って難しくて、小説などは単純に読んだ方が楽しいと感じたが、エッセイだと難しいことでも気軽でよいと感じた。あと、ユーモアは大事だと痛感した。
あと、個人的には男2人で飲みはあっても食事はしないが、まあ、それもいいなと思えた。
また、お酒を飲まない人が大酒飲みをどう見ているかがよくわかり、参考になった。
Posted by ブクログ
・ラーメンと瞑想という「縛りプレイ」
この本は「縛りプレイ」なのではないか。
読み終わって数日経ち、この本のエッセイともグルメレポートとも中年男性の2人の対話篇ともネット文化批評とも庭思想のマニフェストともつかない内容、それでも一貫したまとまりを感じる新しさはなんなんだ...!!!と悶々と考えあぐねて思い至ったのがこの「縛りプレイ」だ。
本書で宇野さんが縛りプレイに関してこんな洞察を披露していた
>>>
『縛りプレイ』とはゲームそのものを『つくる』行為に等しいということです。僕たちはゲームを『縛る』ことで、同じゲームを用いた別のゲームを自ら作り出します。〜そうすることでプレーヤーはより深くそのゲームの本質を知ることになります。
>>>本書p130
縛りプレイとは、ゲームのシステム上可能だが必須ではない条件を自ら設けることでゲームの難易度を上げる行為、と定義できるだろうか。
例えば私が好きなゲーム実況者に「ちるにとら」という方がいるのだが、彼(彼女?)はモンスターハンターというゲームを、防具なしの裸でプレイする。その裸という縛りによって、防具をつけていれば生き残れる攻撃も致命傷になり、難易度が跳ね上がっている。しかしだからこそ、ちるにとらはモンスターハンターが現実ではなくシステムに従って動いていること、つまりモンスターはランダムに攻撃を繰り出すように見えて一定のパターンを持った動きしかないないことを露わにし、本質的にはドラクエのようなターン制アクションゲームに変容させてしまっている。
では、本書の「縛り」とは何か。
それが表題「ラーメンと瞑想」だ。
一見なんのつながりもないラーメン(都市の食)と瞑想という人間文化の極北を結びつける縛りプレイによって書かれた本書。
この縛りが、ラーメン-瞑想軸(空間?)を生み、本書が含み込む多様な社会的要素(映画「オッペンハイマー」、男性性、家族関係、対話、ランニング等々)を共生させることに成功している。
これは、現代社会を生きるというゲームの中で、自由資本主義的でない別のゲーム、「庭」というゲーム、創造のゲームを起動させる試みなんじゃないか。
その新しいゲームが露わにするのは、資本主義というシステムが爆発的に生み出した、グルメや文化という「物それ自体」と出会う可能性だ。
だから綺羅星の如く種類のあるラーメンは、人を癒すのではなく、その過剰性によって人を揺さぶる。本書がくれるのは、その満天の星のような資本主義が生み出す物体との出会いと、そこから始まる創作へのワクワクだ。
Posted by ブクログ
高田馬場周辺の美味しいお店の紹介と、哲学や文芸や社会問題に対する二人の人物の対話の記録。ラーメン=獣の世界、瞑想=神の世界。両者を往復することで「人間を超える存在に肉薄する」試み。
中年になって太ったのをきっかけに食事制限とランニングをするようになった著者。ちょうどこの本を読んでいるとき受け取った健康診断の結果がよくなかったのもあり、自分も改善のための節制を始めた。本書は、そうしようと決意するきっかけと指標になった。俺はラーメンも控えるが…。
著者の対話相手T氏のキャラクターがいい。浮世離れした存在感。印象的な発言の数々。
「恐れと悲しみの中を生きる者」
「個体として強くなりつつある」
「偉大なラーメンを食べる前と後では別の存在になっています」
「人間は半分は霊的なものですから、精神が汚れると実体も変化してしまいます」
インターネットの外部で中年(男性)はいかに生きるべきかの模索もテーマとしてあるように感じた。ネットの世界で安易に承認を求めない、ネットの外の世界や事物に関心を持つ、制作を通じて世界と関わる。「三島由紀夫は四十五歳で死んだが、我々は生きなければならない」のだ。「中年男性を救済するのは恋愛でも家族でも国家でもなく、世界や時代に貢献する『事業=作品』と『宇宙と直接つながる技術』であると確信しています」
食事制限と運動がんばるぞ。
Posted by ブクログ
ラーメンと瞑想、ラーメンとは獣の世界であり、瞑想とは神の世界である。二人の中年男性が様々な事柄を議論しながら2つの世界への接近を試みる。書いてて何がなんやらという感じだが、実情この本は、「Tさん」という強烈な人物の行動や思想を知らしめるための手段になっている。こんな人物が本当にいるのだろうか?と疑いたくなるようなエピソードの数。私は2000年代にネットミーム化された「寺生まれのTさん」を自ずと思い出していた。
しかしこのTさんとの出会いと対話が、著者である宇野氏に「庭の話」を書かせる結果となったのだろう。日々中年男性は変化する。中年男性を救うのは物語ではなく、創作である。
Posted by ブクログ
個人的には宇野常寛という作家がやっと好きになれるきっかけを得られた一作で、宇野常寛本の中では最も良かった。『庭の話』以降の思想の展開であるが、『庭の話』本体よりも思考が肉を持って踊るような感触があった(その奇妙な論理展開と相俟って、シュヴァンクマイエル〔ルナシー』の肉踊りのような感触でもあるが)。
また、読み手の側にたまたま合気道経験があるため、友人の編集者Tが頻繁に言及する合気道的な発想が気になった。
エッセイを通じて押井守の『紅い眼鏡』ほかの立喰師的なドラマを確立した一作と感じる。ケイスがジャックインに用いたワイヤがラーメンの麺に変わっている。ラーメン・パンク?
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